読者のネイバーフッドの皆さん、あけましておめでとう
ございます。本年も相も変わらず、文學ヲタをやらせて
いただいていこうと思います。こう、読書人生が続くと
飽きないのか、と思われるかもしれませんが、全く飽きる
ことは御座いません。寧ろ、新たな興味が沸々と沸騰する
ドグマの如く沸き出し、ぼくを生きると云う業を果たす
べく、為すべき事を成す、と云う決意のもと、頑張って
いかせてもらえばなあ、と思っている次第です。文章が
いささか、混乱を伴っておりますが、それは、わざと、
であります。ちょっと、普通の文章では、最近では飽き
足らず、更なる実験をもっともっと致したいなあ、と
思っています。
しかし、あれですなあ。正月ともなると、と、落語の枕
の様に話始めるのも、なんですから、早速、昭和文學史
私観をやっていきましょう。
2006年
5・25
富獄百景、女生徒他、九編。走れメロスはちゃんと初めて読んだ。そのまっすぐさに涙した。死してまで救おうという、その意気込みを感じたので、僕は感動したのだ。
6・29
「黒鳥譚・青髯公の城」 中井秀夫 講談社文庫 一九九八年
夢のような錯綜感があり、死というものが常にあり、この作品は死というものをもってして肉体からの脱却を望んでいるようにも感じられる。髭公の城は避暑地での若者と若妻との一風変わった恋物語で、鏡の向こう側が、モチーフになっていて危うい恋が巧みに描かれる。もう一遍、死者の誘い、が収められていて、毒草研究者という一風変わった家族の物語で、自殺がモチーフになっている。初めて中井秀夫氏の作品を拝読したが、混迷感というか、不安感というような手の届かない感情を描くのが巧みな作家という印象である。
7・2
「女生徒」 太宰治 角川文庫クラシック 一九三八年
全十四篇所収、きりぎりす、千代女、貨幣、おさん、女生徒、ほか。
7・15
「シーシュポスの神話」 カミュ 清水徹・訳 新潮文庫 一九六九年
不条理について説く哲学書。砂漠のような地平に立ち、そこから踏み出すことが思想には必要であり、意識する自己というものが大切だそうである。不条理を通して色々なものごとを見てゆく。俳優論もある。不条理な人は希望を抱かないらしい。
8・4
「八七分署シリーズ 命果てるまで」 エド・マクベイン 久岐基一・訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 一九八六年
クリングとオーガスタの結婚式の晩、オーガスタが誘拐され、オーガスタを追う八七分署。ホテル前の料理屋のオヤジの手がかりを元に犯人に迫るまでを描く。サイコ犯の登場する八七分署シリーズ。
8・9
「カチアートを追跡して」 ティム・オブライエン 生井英考・訳 新潮文庫 一九七九年
ベトナムの戦火の中でカチアートがパリを見たいと言って脱走したのを、中尉はじめ、主人公、ポール・バーリンらが追跡を開始する。脱走というのが一つのモチーフとなっていて、それにつられて逃避行ということになる。オブライエンさんはベトナムから遠く離れた今でさえ、その戦いの意味や真実を探しているのだと思う。真実を追求するのはオブライエンさんにとっては義務であり、たとえ想像力の中であっても義務は投げ出されてはならない、という。この話しはポール・バーリンのおそらくは死にゆく中で見た夢想の中なのだと思う。見たことのない地に赴く旅。これが想像の中であっても放棄されてはならない、たとえ死んでも自由という地に立つ本分を忘れては真実を見ることはできないのである。いったい、真実とは? そこにある虚妄さえ、真実となる場合もあるのではないか。ベトナム戦争は見えないカチアートを追ってどこまでも続くのだ。
以上。
長くなったので、今回はこの辺で、じゃあ、みゃた。
(ベトナム戦争をやっていた頃に生れた鶴岡君)