志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

2026年

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 とにかく健康で笑っていたいです。切実。一人でも多く、弱い人の味方になれるとよいです。

 

 永遠に元旦の夜明け前のような静けさが欲しいが、なかなかそうも言っていられません。ならば、どうするか。工夫に工夫を重ねて、挙句の果ての明るさを手に入れるしかありません。世界情勢もキナ臭くなってきました。なんなんだ、現世。

 

 昨年からダラダラと観ている海外ドラマ『ウォーキング・デッド』がようやく第6シーズンに差し掛かりました。全11シーズンと先は長い。いわゆるゾンビ的な奴らと人類が戦うサバイバル・ホラーなのですが、緩慢な残酷さが画面を支配していて、とてもしんどい。まあ面白くはあるのだけれど、お正月からこういう不謹慎なものを観るのもね。せめて三が日は希望ある方向へと舵を切りましょう、と考えた。

 

 未試聴のBON JOVIのドキュメンタリー番組をDisney+で観始めたのです。『ボン・ジョヴィ:Thank You, Goodnight』という作品。これが素晴らしい。彼らのヒストリーを丁寧に追いつつ、現在と未来をしっかりと照らし出している点に見ごたえがある。全4話のうち、第2話まで観終えたが、構成が巧みで毎回イイところでフィニッシュする。スーパースターは一日にして成らず。誰もが陰で努力していて、そのことを隠そうとしない姿勢が素敵だ。もしBON JOVIが来日することがあれば、次の公演こそをちゃんと見届けたいと強く願いました。

 

 BON JOVIには「Livin' On A Prayer」という誰もが知る無敵のアンセムがあります。祈ってばかりは困りものだけれど、もがいてもがいて地道に何事かを成し遂げた先に、prayer(祈り)が輝く時も来るのかなと思いました。祈り続けることのできる人は、強い。

 

 2026年が皆様にとって良い年となりますように!

LOUD PARK 25@さいたまスーパーアリーナ(2025年10月13日)を観た【後編】

■THE GHOST INSIDE
 アメリカはロサンゼルス出身のメタルコア/メロディック・ハードコア・バンドなのだが、プロフィールを照会しないと、スウェーデンあたりのバンドと勘違いしてしまうかもしれない。ヴォーカルとベースが白を基調としたファッションに身を包んでいるため、黒Tシャツだらけの会場ではよく目立つ。音像も比較的モダンなアプローチで、全米進出直後(懐かしい……)のIN FLAMESのことが思い起こされた。ほんのりLIMP BIZKIT風味を感じたのは気のせいか。気のせいだろう。手元のメモには「どれも同じ曲に聴こえる」と手厳しいことが書いてあるが、この批判的なまなざしは空腹によるものとみた。メモに「まともな飲食にありつくには、行列に並び、1、2アクト分の観覧を犠牲にしなければならない」とも。まさにTHE GHOST INSIDE、雪山に遭難した人が最後にみる幻のごとし。

 

■THE HAUNTED

 ここからはラウドパークの"格"に相応しいお馴染みのバンド名が並ぶ。要するに、安心タイムへと突入だ。ステージ移動中に偶然空いている売店を見つけ、(ぬるい)アメリカンドッグとチップスターで燃料補給。こんなものぐらいしか迅速に手に入る食べ物がなくて、悲しい。フェス飯はいずこへ。そんな悲しみを完膚なきまで叩きのめす、残忍な重低音に期待だ。

 ところが、ピンとこなくて退屈。いや、THE HAUNTEDは安定のヘヴィネスを誇っているのだが、なんだか観賞のコンディションが伴っていない自分がいる。THE HAUNTEDといえば、学生時代、AT THE GATESとともに友人から強力推薦された思い出深いバンドなのに。この場でまっとうな思考を得るためには、(持ち込み禁止の)お菓子やパンをカバンに忍ばせておくなどの工夫が重要なのだろう。少し離れた席でゼリー飲料をチュウチュウしていたおじさんがたいそう羨ましかった。

 手元の資料(B!誌)によれば、僕が次のバンドのためにステージ移動を完了したタイミングで、ラスト曲「Hate Song」を披露したらしい。それ、好きな曲だから、聴きたかったよ。今回のラウドパークは、こういう点において、なんともチグハグだ。一番盛り上がる曲って、だいたいラスト2曲ぐらいに置くものなぁ。常に移動のことばかり考えてしまう。

 次のアクトは今回一番楽しみにしていたKERRY KING(SLAYERのギタリストのソロ・プロジェクト)である。ここから先の出演者はどれもフル尺で観たいので、トイレなどは今のうちに済ませておきたいところ。ふと気になって、場内マップの最も端っこのグッズ売場に行ってみる。当然、何もかもが売切だが、どのアーティストも6千円台でTシャツを売るなか、THE HAUNTEDだけが昔ながらの4,500円(それでも決して安くはない)で販売していたことを知り、ほっこりした。いい人たちだ。

 それにしても、場内隅っこエリアの退廃ぶりは凄まじい。いつもならビール片手に再会を喜び合うメタラーがあちこちにいるものだが、閑散としている。その光景はディストピアそのもので、さいたまスーパーアリーナの打ちっぱなしのコンクリートが美しいとさえ思った。少々羽目を外してしまった酔客が道端で卒倒していたりする景色が恋しい。そもそも、今回のラウドパークには量的に十分な飲食料がないのだ。本物のゾンビのごときダウナー青少年がポツリポツリと仮眠をとっている。いや、焦点の定まらぬ目で虚空を見つめている。僕は早々にステージ方面へと向かった。

 

■KERRY KING

 まぎれもなく、今回のベスト・アクトである。40年以上のキャリアを誇るSLAYERの名物ギタリストのデビュー・アルバム『FROM HELL I RISE』(2024年)は、本来ならばSLAYERが魅せるべきスラッシュ・メタルの神髄が溢れる名盤だった。彼が率いるのはマーク・オセグエダ(Vo/DEATH ANGEL)、フィル・デンメル(G/MACHINE HEAD、VIO-LENCE)、カイル・サンダース(B/HELLYEAH)、そしてSLAYERの盟友ポール・ボスタフ(Dr)。USスラッシュの顔役みたいな人選が見事にハマった奇跡的作品は、ライヴでの殺傷力も群を抜いていた。このアルバムを軸としながら、要所要所でSLAYERの必殺曲を入れてくるのだから、心憎い。

 楽曲の良さと確かな演奏力、これに尽きる。一音聴いただけで、「うわあ、この人たちは他と全然違うわあ」と感嘆するほどの説得力があるのだ。この日のハイライトは彼らによるBLACK SABBATH「Wicked World」のカヴァーで決まり。オジー追悼云々は抜きにして、神懸かりのカッコよさだった。スラッシュ・メタルのオールスターが艶やかにスウィングしている。原曲のジャズ風味のアプローチをさらに悪魔的なものへと高めていて、「ああ、音楽かくあるべし!」と心底感動してしまった。

 惜しむらくは、過去のSLAYERの開演時と比べて、客電が落ちた時のオーディエンスの反応がやや大人しめだったこと。後々考えてみたのだが、あれは場内のお酒の量が圧倒的に不足していたからだ。たとえば、ラウパにおいて、SLAYERのバックドロップがスクリーンに映し出され、メンバーが各々の配置につくシーンを思い浮かべてみよう。その瞬間、空中にはビールやスニーカー(片方)が高々と放り上げられるのが通例(ホントはやっちゃダメなことなだけど、もう辛抱たまらんメタラーがそういうことをやる)だが、そんな風景は見られず、寂しい限り。天高く舞うドリンクは、ある種の気概。そもそもの飲料が足りないことは大問題なのだ。出演ラインナップは良いのに、おおいに考えさせられる宴である。

 

BULLET FOR MY VALENTINE

 EXTREME STAGE(指定席購入者用自由席がある側)のトリを務めたのは、BULLET FOR MY VALENTINE。マット・タック(Vo/G)が自分とほぼ同い年なので、謎の親近感がある。吉祥寺のHMVの試聴機で初めて聴いた時には、その才能にシビれたものです。彼らは2022年夏の〈DOWNLOAD JAPAN 2022〉以来の日本でのステージということになるらしい。(コロナ禍でいろいろあって)僕が観に行かなかったフェスですね。

 今回は、デビュー・アルバム『POISON』のリリース20周年を記念しての演奏内容になることが予告されていたのだが、僕はあまり作品完全再現系のライヴにピンとこないタイプ。そこをうまいこと超えてくれるかなと期待したけれども、セットリストは『POISON』を収録曲順に並べて、ほんの少しプラスアルファを施したもの。むむう。2ndの『SCREAM AIM FIRE』(2008年)原理主義者かつここ数作のBFMVの作風(言い方は妙だが、普遍的なロック・バンドっぽい音像)のファンである僕としては、物足りない。

 単純に、良い曲がいっぱいあるのに、フェスの戦い方としてもったいないと思った。とはいえ、彼らは『POISON』のアニヴァーサリー企画を前面に打ち出しているわけで、こういうところ、なかなか難しい。1曲目が始まる前に彼らのヒストリーを紹介する映像がやや長めに流れた時、僕は身構えた。そして、身構えたまま最後の曲が終わった。そんな感じ。美しいメロディと切れ味鋭い咆哮。それらが絶妙に混ざった人気曲の連発を観たかったのだが、そういう人は2022年のDOWNLOAD JAPANに行っておけということですね。いろいろ、すまん。

 

■PARKWAY DRIVE

 大トリこそ、指定席で。少し余計にお金を払った分、僕はここでもスタンディングでの観賞を選ばず、自分の持ち場へと戻った。ちょっとステージから遠いが、やはり快適。PARKWAY DRIVEはオーストラリアのメタルコア・バンドで、コロナ前あたりから海外のフェスで「いい出演順」を与えられている印象があった。バンド名を目にするたびに、「なんでこのバンドが(海外では)人気があるんだろう?」と首をかしげていたものだ。音源をたいしてチェックしないうちに、ここ日本でも存在感を増してきて、今回のヘッドライナー扱いである。確実に時代は回っている。

 肝心の演奏内容はどうだったかといえば、なるほど、こりゃ多くの人々を巻き込むわいなーという無骨なメタルコア。このブログ、ここまで何度「メタルコア」と書いたかわからないほどだが、これぞ今回のラウドパークの主眼なのだなと納得する出来栄えである。たとえば彼らの曲を初めて耳にする人でも、存分に体を動かすことができる。つまりは、なんとなくノレる。ここに、どうかと思うほど火薬マシマシのパイロが何度も炸裂するのだから、人間の本能に訴えるものがある。ポイントに絞っての火柱というより、常時火の海なんじゃないかと錯覚するほどの熱が指定席にも迫ってくる。ここまでの特効は従来のラウドパークではあまりお目にかかったことのないタイプで、僕は衝撃のあまり、メモに「火柱」と「火の海」のイラストを描いている。下手くそでお見せできないのが残念だ。

 PARKWAY DRIVE、おそらく、今の20代30代あたりには問答無用のアクトなのだろうが、日本における洋楽メタル・フェスのトリとしてはどうなんだろうと45歳の僕は思う。とある「歌い上げ系」の曲でヴォーカル氏が音を外しているように感じた時、その思いはますます強くなった。いや、カッコいいのはカッコいいけれども、もう一声という感じ。うん、この感じ。

 こうして、僕のLOUD PARK 25は終わった。

 

■総括メモ

・私的MVPはKERRY KINGとULMA SOUND JUNCTION。

・指定席は思ったよりも快適なので、次回開催の折には、指定席一択でいく。

・出演ラインナップに関しては、よく頑張ったと思う。特に、国内勢の健闘ぶりが素晴らしかった。今後も続けるならば、この方向性でよいと思う。かつての輝きとは違う輝きをラウドパークに見いだしていけばよいのでは(諦めがちに、うなだれながら)。

クリエイティブマンに言いたいこと。とにかく、ご飯を。そして、飲み物を。飲食ブースは必要最低限「以上に」あったほうがいい。各社ブースもお祭り感があって楽しいものだから、是非とも充実を。僕の知る限り、メタラー達は飲み食いします。特に祭の際は、気前がよい。商機です。サマソニであれだけのことができているんだもの。ラウパでそれができないなんて、信じられませんよ。

・振り返ってみれば、歌モノらしい歌モノアーティストがいなかったような。ラウドパークは歌モノを求めるハード・ロックヘヴィ・メタルのファンには無縁の祭典となったのか? たとえばWHITESNAKEを出せとは言わんが、1、2枠は歌唱力ある人を観たいよね、というお話。

・今回のステージ間の移動は甚だ無意味に思えた。出演者をいくつか削ってでも、同一ステージにまとめてほしい。

・もう一度言う。飯だ、飯。酒もってこい、酒。

 

 さて、ひどい書き散らしようでしたが、なんとかここまで漕ぎつけました。それもこれも、LOUD PARKを愛するあまりの所業です。少しでも状況が改善されて、無敵のメタル・フェスとして帰ってきてほしいな(なんとなく、無理な予感がしているが)。

 2025年も大変お世話になりました。来年はブログの更新頻度をさらに上げたいと思います。各記事の文字数を減らしてでも、発信の機会を増やすことを実現したい。良いお年をお迎えください!

LOUD PARK 25@さいたまスーパーアリーナ(2025年10月13日)を観た【中編】

 トイレを済ませて、指定席に戻る。非常にラッキーなことに、僕の両隣は開場から終演まで空席だった。最下位が確定したチームの消化試合のごとく、快適にステージを見渡せたのだ。周りにウンチクを語るような輩もいない。もちろん、変な暴れ方をする人もいないし、頭上にスマホを掲げて動画撮影する不届者も見当たらない。のっけから、ああこりゃ指定席でよかったよ、生きてみるもんだよと感慨にふける。
 それにしても、今回の場内はがらんどうだ。しまった……陣取るべきステージを間違えている。オープニング・アクトのPHANTOM EXCALIVERは、お隣のEXTREME STAGEだ。どうやら、一旦アリーナ(地べた)まで降りていき、殺風景な通路を抜けて目的地へと至る模様。まだ混んでいない朝イチの時間帯でも、早足で5分以上はかかるとみた。この歩行だけでも結構な運動量だ。PANTERAには「Walk(歩け)」、IRON MAIDENには「Run To The Hills(丘へ走れ)」という名曲があるが、主催者はこれらの主題を地で行くように仕向けているのだろう。ほほう……。
 EXTREME STAGEのある方へとずんずん進む。途中、誘導係が「エクストラ・ステージはこちらでーす!」と声を張り上げている。そうだよな、EXTREMEじゃなくて、EXTRAって言いたくなる気持ちもわかるよ。メイン・ステージの大きさと比べれば、微妙にサブ・ステージ感がつきまとってしまうもの。
 指定席購入者用自由席には門番がいる。彼らにリストバンドを見せ、「エリア」に突入するわけだ。なるほど、この一帯、席は席だがベンチ風シートの様相を呈している。背もたれのない無機質な板に適当に座る図を思い浮かべていただければよい。気楽なのはいいことだけれども、草サッカーを眺めるような心持ちになってくる。
 ブーブー言うとりますが、観覧準備は整った。ここからは、各バンドの寸評を記していこう。

 ■PHANTOM EXCALIVER(OA)
 だいぶ前に何度か観たことがあるが、キャッチーさに芯が備わっている。ラウドパークという憧れの舞台への出演を果たし、気合十分の彼ら。洋楽メタル(チルボド?)の終演後、渋谷のライヴハウスO-EAST?)でフライヤーなど本人たちから受け取っていた時代が懐かしい。よくぞここまで頑張ったなぁ。世界最大級のメタルフェス、ドイツのWACKEN OPEN AIRでの経験は伊達じゃない。若者が場数を踏むというのはとても大切なことだと、彼らは教えてくれる。ロマンがある。場内の民族大移動に巻き込まれたくないので、残り1、2曲と思しきタイミングで移動を開始。この日、ほとんどのバンドに対して、そういう臨み方となってしまったのは残念なことだ。

 ULTIMATE STAGEへと移動した。転換時にこそ、指定席は威力を発揮する。要するに、足を休めることができて、ラクである。長丁場のメタル・イベントでは、待ち時間に体を労ることが生命線だ。
 一番手の登場を前にフラフラッと(文字通り、フラフラッと)舞台に現れたのは、OUTRAGEのドラマー丹下眞也さんだった。今回は、演者としてではなく、MC起用というサプライズ。あの独特のしゃがれ声には誰しもが耳を傾けざるを得ない。そういう効果を狙ったのだとすれば、この人選は素晴らしい。メタル愛に溢れる方だし、何より、人間が温かい。ライヴ観覧にあたっての、ひと通りの注意事項が述べられたわけだが、「再入場禁止」がとりわけ効いてるなぁ。機転を利かせて、外にササッと牛丼でも食べに行く、というのができない。いや、できなくてもいいのだが、それならそれで、この異常なまでの飲食ブースの少なさが気になってくる。イヤな予感がする。

■VIEW FROM THE SOYUZ
 見た目も音も非常に若い。若者枠のつもりで観ていた先ほどのPHANTOM EXCALIVERに「先輩」の風格すら感じるほど、ヤングだ。それにしても、今どきの若人は技術が凄まじい。サウンド的にはいわゆるメタルコアという括りになるのだろうか。僕のメタルコア観はそのジャンルの始祖とでも言うべきUNEARTHやAS I LAY DYINGで止まっている。自分がぽけーっとしている間に、日本からこういうバンドがいくつも出てきている事実を受け止めなければいけない。演奏に関していえば、「テクい」風味だが、コロナ禍以前に流行った「ジェント」の趣ではないところが興味深い。過度にプログレッシヴに陥らないことが今のメタル界の潮流なのだろうか。今後の成長に注目だ。

■ULMA SOUND JUNCTION
 指定席購入者用自由席に陣取り、念願のアクトを観覧する。愛読誌で名前をよく見かけるバンドだ。ぜひ生で観たいと思っているうちに、初目撃がこの機会となった。沖縄県石垣島出身とのこと、ライヴを観る前はモンパチやORANGE RANGEの方向性が思い起こされたが、実際の音は全然違っていて「大変失礼しました!」と謝罪したくなった。間違いなく、今回のLOUD PARKで最も印象に残ったアクトのひとつだ。
 うねりを巧みに操る彼ら、ベースヴォーカルを擁する布陣というのが面白い。曲と技量が良く、演奏も安定している。どちらかといえばライヴハウスを主戦場としているようだが、なかなかどうして、大舞台に映えるバンドである。視覚的にも楽しめるバンドなので、届くべき層に届くきっかけがあれば、どんどん人気が増していくのでは?曲が進むにつれて、オーディエンスの数も増えていた。
 適度にプログレのスパイスが効いている点も僕好みなのだが、芯にあるのはオルタナ・メタルのような気もする。DIR EN GREYやHEAD PHONES PRESIDENTの音像を好む人はスッと入っていけるだろう。そして、これらのバンドとは似て非なるところが武器かと思われる。応援したいバンドが一つ増えた。

■SABLE HILLS
 こちらも個人的にまだ観ぬ「一度観てみたかった枠」である。スモークによる特効あり、スクリーンには凝った映像あり。終始、戦い慣れている感じがした。要するに、出来がいいのだ。それはとても好ましいことなのだが、リリック・ビデオがどうにも気になる。これは完全に自分の好みなのだが、演奏や佇まいに一定以上の迫力があるからこそ、こうした演出がもったいないなと感じる場面があった。とはいえ、それも釈迦に説法なのかもしれない。ライヴハウスや中規模アリーナで観れば、彼らの印象もさらに良い方向へ変わるかも。ちなみに、彼らの出演時間終盤に僧侶が出てきてお経を唱える演出があったそうだが、最後から2、3曲前あたりでの移動を心がけていた僕は見逃してしまった。2つのステージが離れていると、こういうマイナス面があるね。

■CRYSTAL LAKE
  ヴォーカルがいかつい人物に代わってから、2度目の観覧となる。これまた戦い慣れているバンドではあるのだが、上述のアクトと違うところは、鋭利かつ野蛮なムードが全身から溢れている点。もはや、コロナ禍以前に僕が観ていた、しなやかなCRYSTAL LAKEとは違う次元にいる。あらゆるものをなぎ倒すような馬力は、どのフェスも欲しがるであろう素材だ。たとえば、マキシマム ザ ホルモンのように、「このバンドを出してさえいれば、イベントとしての顔を保てる」といった安心感がある。どこまで大きくなるのか楽しみなバンドである。

■ORBIT CULTURE
 ここでようやく海外バンドの登場。スウェーデンメロデス……のはずなのだが、あまり印象に残っていない。手元のメモ(実はこっそり、ちょこちょこ書いていた)には、特筆すべきことが書かれておらず「印象が薄い」旨がミミズのような字で記してある。欄外には「ここに(マイケル・)アモットがいてほしい」と、およそ失礼なことが書いてある。馴染みのない人に向けて説明すると、往年のラウドパークには”アモット枠”なる、非常に観客に愛された恒例行事があって……いや、ここで解説するのは野暮なので、各自検索されたい。

 ORBIT CULTURE、僕は最後まで見届けずに、指定席購入者用自由席に移動したようだ。確実に観たはずなのに、幻でも見たかのように感じる時間帯って、ないですか?僕には、ある。その一つが今回のORBIT CULTUREだったようだ。ステージ移動を完了後、「バカップルが自由席を自宅のソファーのように使っていて不快」とメモしている。昔の川崎球場のような有様だな。

 この時点で13:30。ラウドパーク関連のリアルタイム検索を試みると、ぼちぼち飲食店の少なさに対する不満があがってきている。やっぱりね。どう考えても、観客数に対する飲食ブースの数が釣り合わないもの。ステージ間の移動中、うらめしい顔でロッテリアに並ぶ人たちを見た。スタッフの皆さんもあんな人数はさばききれないでしょう。気の毒で仕方がない。いくつかある「さいたまスーパーアリーナ売店」の店員さんも大変そうだ。ここで働いていた皆さん、メタラーのことが嫌いにならないといいが……。サマソニで「ソニ飯」など掲げている暇があったら、ラウドパークにも適切に飲食ブースを用意してください。みんな、飲むし、喰うよ。それは間違いない。ホスピタリティとは。否応なしに考えさせられるフェスだ。

■HEAVEN SHALL BURN
 ドイツのメタルコア・バンドで、これまたベストアクトのひとつ。個人的な見解では、ここを境に場内の熱気が何段階も上がった気がする。自然と拍手が生まれる。大きめのサークル・ピットが4つも発生している。曲調がどうこうというレベルではなく、なんだかよくわからんが無性に興奮する。これはフェスにおいて、ある意味望ましいあり方だと思う。人類の美と野性を刺激するタイプの音楽だ。

 いつも不思議に感じるのだが、メタルコアと呼ばれるジャンルの中でグッとくるものと、そうでないものがある。この違いはなんなんでしょうか?バンド全体がまとうオーラに因るのだろうか。ヴォーカル氏がヴィヴィッドな赤シャツを着用していた点も心憎い。真っ黒に塗り固めるばかりがメタルではないのだ。勉強になりますね。

 

 さて、思いのほか長くなってしまったので、当初予定していた「前編」「後編」の間に「中編」を設けてみた。記事の公開に至るまでにまさか何カ月もかかるとは思ってもみなかったけれど、「後編」までちゃんと書ききります(年内に!)。記録することで蘇る記憶って、あるなぁ。

LOUD PARK 25@さいたまスーパーアリーナ(2025年10月13日)を観た【前編】

 狂った秋祭からもう1週間が経ってしまった。時間が経つのが早すぎやしませんか? 翌日から風邪気味となったが、ようやく体調も回復傾向。あの過酷な状況下で1日12バンドも観たことになるのだから、そりゃあ疲れますわな。このところ、「疲れる、疲れた」とつぶやきがちで、周りを不快にさせている僕である。すまん。10月13日、さいたまスーパーアリーナで開催のLOUD PARK 25に行ってきた。
 前回開催は2023年3月のこと。コロナ禍明け、約6年ぶりの宴の復活で注目を集めたうえに、ヘッドライナーはPANTERAである。他の出演者も文句のつけようのない粒揃い。東京会場は幕張メッセだという。遠いなあ。交通費も結構な額になる。ならば、思い切った行動に出よう。実家の地の利をいかして、大阪会場で観ることにした。東京と比べてバンド数は少ないうえに、周りになんにもないインテックス大阪だ。ホスピタリティうんぬんは端から期待せず、出演アクトを熱い視線で見守るのみ。友人との奇跡的な再会も楽しみ、忘れられない一日となった。
 で、今回の2年ぶりのラウドパークである。会場がさいたまスーパーアリーナというのは、まあ許す。というのも、個人的に、幕張メッセにはあまり良い思い出がないからだ。コンクリートむき出しの床も足腰に悪いですしね。似たような大会場だが、さいたまのほうが駅近で、建築物としてまっとうに思える。通路に軽食を出す売店があるのも利点だ。
 前回、変則的に大阪での参加となったとはいえ、僕はこのメタル祭の皆勤賞なのである。そして、これをささやかな誇りとしている。生活をやりくりしながら、年に一度の轟音見本市を観続けてきたことは確実に心の栄養となっている。各人が胸に感慨を宿して、好きなように過ごすフェスティバル。僕はそんなふうにこの宴を位置づけてきた。
 出演アーティストが発表されるたびに、今回は新機軸だと感じてはいた。大御所やレジェンドの安定感に頼るというよりは、今の時代の要請に応じた格好なのかな。若い日本のバンドの数が目立つのも、とても良いことだ。どうやら、PARKWAY DRIVEとBULLET FOR MY VALENTINEのダブル・ヘッドライナーということになるらしい。前者は個人的にまだ観ぬ怪物、後者はお馴染みの大好物。70年代や80年代の音楽を偏愛する人からすれば何のことやら、であるが、それなりに納得の二大看板といえよう。歌モノ(文化系)というよりは、メタルコア(体育会系)の匂いがするイベントだ。ある種の物足りなさ、寂しさも感じるけれども、それは、うん、まあね……。
 物販レーンが優先されるなどのVIP待遇GOLDチケットには目もくれず、できるだけ安価な券種を買い求める。今回は自由席20,000円と指定席22,000円が勝負の分かれ目となっていると判断した。両者ともに後方スタンディング・エリアの利用が確約されている。自由か指定か、差額はたったの2,000円。経験上、さいたまスーパーアリーナの演奏中の暗がりで座席を確保するのは苦労が大きい。ここで、お得意のクリエイティブマン会員先行を利用しない手はない。無事に指定席の購入を済ませたわけだが、僕は214ゲートの前から2列目(前列はすべて空席のため、実質1列目)を引き当てた。しもてから斜め60度くらいの角度でステージを眺める感じ。贅沢は言えない。じゅうぶん、じゅうぶん。
 開催の数日前に場内マップが公開された。今回はメインとなるULTIMATE STAGEとサブ的なEXTREME STAGEの2ステージ制らしい。うん……。とても嫌な予感のする舞台配置だ。同一会場内に2つのステージがあれば問題ないのだが、それなりの距離を歩いて、“隣の会場”まで移動する方式なのだ。これは疲れる。過去のラウドパークにも採用されたことがあるシステムだが、観客の不満が爆発したのだろう、以降あまりお目にかかったことがない運営である。「指定席購入者用自由席エリア」という、聞いたこともない一角の存在も気になる。
 僕は前方で暴れ回るというよりは、できる限り多くのバンドを、じっくり観覧(≒見物)したいタイプなのだ。このステージプランだと、各バンドの頭か尻尾の1、2曲は諦めて、隣のステージに移動せねばならない。自由席の人など、気が気でないだろう。よほど体力に自信がある人ならよいが、長丁場のラウドパークを生き抜くためには、適切な休憩環境が必要だ。

 自分の身を守り、音楽に集中するため、グッズ購入は早々に諦めた。BULLET FOR MY VALENTINEのハート形のデスメタル・ロゴのやつがいいかなとも思ったが、「開場後にまだ残っていればラッキー」ぐらいの思いで家を出た。僕は過去に、お目当てのグッズ(当時は安価だったし、ピンとくるものいくつもあった)を手に入れるために始発で出発したことが幾度もある。あれは若かったからできたことだ。本格的な馬鹿だ。睡眠不足で一日中爆音を浴びて、良いことなんてひとつもなかった。

 開演の10:30ギリギリを狙って会場入りするつもりだったが、オープニング・アクトの出番は10:00らしい。そんなこともあって、開場の9:30を目指して、いざ、さいたま新都心。入場待機列でペットボトルが没収されていく。水ぐらいいいじゃないか、死んでしまうじゃないか、と思ったところで容赦ない。飲み物は中で買えということなのだろう。手持ちの飲料をゴクゴク飲み干しては、係員が広げるビニル袋にポイポイ投げ込むお客さんたちである。

 さいたまスーパーアリーナの場内に入った。そうそう、この感じ。認めたくはないが、故郷に帰ってきた心境。無機質な廊下をズンズン進めば、レコード会社各社のブースが……あんまりないなぁ……。昔は何社も机を並べて、サンプラーCD、ステッカー、ピックなどを配っていたものだよ。おじさんはこの時点でとても寂しい。愛する「トゥルーパー」社が奮闘している光景はうれしかったが。

 そういえば、以前は入口で配布していた、タイムテーブルの小さい紙(遠足のしおりのようなもの)も消えてしまった。さらに言えば、いつの頃からか、ホットパンツをはいたキャンペーンガールのおねえさん達もいなくなった。別に必要ないといえば必要ないが、経費削減があからさまなのは、なんだかなぁ。賑やかであること、おもてなしの心があることはフェスの必須条件だと思うのだが、どうか。

 一応、開場後のグッズ列とやらを覗いてみるが、はい諦めました。さようならBFMV(ここからなぜか略称)のハート型デスメタル・ロゴ。僕はもう、フェスで売られるグッズとはご縁のない世界に来てしまったようだ。場内はまだ空いている。気を取り直して、お腹に何か入れておこう。僕のポリシーとして、食事とトイレだけは行ける時に行っておく、というのがある。そして、この信念が今回のラウドパークにおいて効力を発揮するとは夢にも思わなかった。朝イチのロッテリアエビバーガー単品600円を頬張る。この時は気づいていなかった。シャッターの開いている売店が極端に少ないことに。

~後編へ続く~

FOO FIGHTERSのさいたま追加公演で記憶の蓋がドッカンの巻

 10月8日、さいたまスーパーアリーナFOO FIGHTERSの追加公演を観た。彼らを生で拝むのは2017年のサマソニ以来。単独公演では初めてだ。さいたま遠いけれども、幕張より近いと思えば問題なし。ライヴにおける交通費って馬鹿になりませんよね、という話題は置いといて、FOO FIGHTERSである。

 僕が彼らの音楽の真価に気づいたのは、20代も半ばになろうとしていた頃だった。名盤『THE COLOUR AND THE SHAPE』(1997年)でさえ、リアルタイムでは聴いていなかったはず。ハード・ロックヘヴィ・メタルプログレ、ジャズ、アンビエント等々、20代の頃のスポンジのような吸収力に任せて、ありとあらゆる音楽(と、その当時は思っていた基礎的な音楽)を聴き漁った後、不覚にも出会ってしまったのである。包み隠さずに言うと、10代の頃は「FOO FIGHTERSって、NIRVANAの人のサイド・プロジェクトでしょ」みたいな酷い偏見を持っていた。聴くのを後回しにしていたのだ。ごめんなさい。

 たしか大学院の修士1年の時だと思うのだが、友人からFOO FIGHTERSのコピー・バンドに誘われて「Monkey Wrench」と「Everlong」をひたすら練習したのだった。何をって、歌をですよ。ギターが弾けないのだから、ギター・ヴォーカルなんてできるわけもなく、僕はヴォーカル専門なのだ。みんな忘れている。自分でさえも忘れている。僕は歌を歌っていたのだ。

 話がだんだん逸れてきた。で、「Monkey Wrench」(激しく明るい曲)と「Everlong」(温かい感涙曲)というFOO FIGHTERSの2大看板かつ超名曲を一生懸命歌ってみたところ、非常に難しい。原曲のメロディや歌い回しの聴こえ方は一見シンプルなのだが、リフやアンサンブルなどの要素が洗練されていて、素人には完全にコピーできないクオリティ。「Everlong」のサビの「エェーヴァーローン♪」の譜割りなど最たるものだろう。僕はいまだにこの部分を克服できてないでいる。

 リハも本番もモヤモヤを抱えたまま終了。その後、僕はFOO FIGHTERSのCDを買い集めていくこととなった。ちょうどそのタイミングで新宿厚生年金会館でのアコーティック・ショウ(激レア!)が開催されたのだけれども、僕は敢えて観に行かない決断をした。なんなんだ、その「敢えて観に行かない」というのは……? 若者特有のこじらせ方は誰にとっても不幸で見苦しいものですね。まあ、こんな経験を積み重ねたからこそ、今があるわけだが。

 2017年のサマソニでの初目撃は、夏の夜のスタジアムの解放感と相まって素晴らしいものになった。デイヴ・グロール(Vo/G)という存在が光源のようになっていて、アメリカン・ロックンロールの持つパワーを全身に浴びた思いがした。テイラー・ホーキンス(Ds)がリード・ヴォーカルをとり、デイヴがドラムを叩いての「Under Pressure」(QUEEN AND DAVID BOWIE)なんて最高だった。あのテイラーの明るさがもう見られないのは極めて残念なこと……。

 サマソニではもう一つハイライトがあった。同日にマウンテン・ステージに出演していたリック・アストリーをゲストに迎えて、彼の大ヒット・ナンバー「Never Gonna Give You Up」をグランジのアレンジを施してカヴァーしたのだ。……なんて、いかにも感動的に書いているけれども、僕はこの光景をただただポカーンと眺めていた。失礼を承知で言うと、どっかのおっさんがステージに乱入してきて、やたらと美声を響かせて帰っていった、という光景。帰宅途中で調べたところ、1987年のヒット曲なんですね。僕が音楽的に物心がついたのは1991年頃なのだが、この直前の時期のことは洋邦問わずスッポリ欠落している。この現象をなんと名づけて分析したものか。今後の課題としたい。

 そういえば、「Never Gonna Give You Up」って、NEW KIDS ON THE BLOCKの「Step By Step」に似てるなぁ。なんでこんなことを思ったかといえば、「Step By Step」は小4の時の運動会のマスゲーム(バスケットボールを使ったナウいダンス)に使われ、トラウマとなっているからだ。あれは本当に嫌だった。運動会の練習って……。

 ああ、また脱線した。今日はどうもうまくいかない。

 サマソニFOO FIGHTERSで大事なことを言い忘れていた。もちろん素敵なセットリスト。しかし、「Everlong」はやったが、「Monkey Wrench」はやってないのだ。思い入れのある人気曲が披露されないことの悲しさよ。これはGLAYのライヴでいえば、「BELOVED」はやったが、「グロリアス」はやってないようなものだ。

 2025年10月8日、さいたまスーパーアリーナの追加公演。僕はスタンディング・エリアの後方にいた。この区画、ラウドパークでお決まりの立ち位置だ。サポート・アクトのマキシマム ザ ホルモンを観たのも久しぶり。細かい映像ネタにも驚かされたが、場数を踏んできたことがよくわかる立ち居振る舞いを楽しんだ。自分はナヲさんがリード・ヴォーカルをとるところのファンだと確信。

 そして真打、FOO FIGHTERS。連発されるロックの快活さと包容力に見惚れてしまう。デイヴ・グロールのような人のことを”男前”と呼ぶのだろう。新ドラマーのイラン・ルービンの血の通ったしなやかさも嬉しい。各曲を噛みしめて聴いたが、やはり演奏がハイ・クオリティ。超絶技巧とか、そういうことではなく、シンプルな巧さがある。もうそろそろ、もうそろそろ、と焦らされたところで「Monkey Wrench」

が放たれた。Yes, グロリアス

 簡潔にまとめるつもりが、思いがけず長文になってしまった。寝て起きればLOUD PARK 25。また、さいたまかー。お会いできる皆様、楽しみにしております。

THE SMASHING PUMPKINS@日本武道館(2025年9月17日)を観た【第3回/最終回】

 いま振り返ってみても、格別のセットリストだったなと思う。「新旧織り交ぜた」という、ライターにとって便利な常套句があるけれども、まさしくその通り。スマパンの顔たる2作の名盤『MELLON COLLIE AND THE INFINITE SADNESS(メロンコリーそして終りのない悲しみ)』(1995年)と『SIAMESE DREAM(サイアミーズ・ドリーム)』(1993年)からの“誰もが聴きたい曲”を主軸に据えつつ、現時点での最新作『AGHORI MHORI MEI』(2024年)の空気をふんだんに散りばめるというショウ構成。ステージやスクリーンも意外なほど簡素なもので、メンバーの挙動や楽曲に集中できるのが利点だった。ゴテゴテ飾り付けて演出しようと思えば、いくらでもできただろうに、ここが潔くて良かった。

 たとえば、序盤の流れからして秀逸だ。
03. Today
04. Bullet With Butterfly Wings
05. Muzzle
06. 1979

これだけでTHE SMASHING PUMPKINSというバンドの情趣が伝わるような配列である。そして、中盤はこう畳み掛けた。
09. Take My Breath Away
10. Mayonaise
11. Disarm
12. Tonight, Tonight
13. Cherub Rock

正直なところ、ビリー・コーガンがギターを持たずにハンドマイクで歌い上げた「Take My Breath Away」のカヴァーは呆気にとられた。だって、映画『トップガン』(1986年)の挿入歌として有名なベルリン「愛は吐息のように」(邦題)でしょう? さわりだけ演奏するのかなと思ったら、フル尺でバッチリのアレンジを施しての名演。あれはオーディエンスの平均年齢を考慮してのサービス精神だったのだろうか。コンサートの折り返し地点のほっとひと息タイムみたいになっていて、いまだに印象深いひとコマとなっている。「Disarm」「Tonight, Tonight」「Cherub Rock」の三連発はありがたや、ありがたやである。黒い法衣のごとき衣装の効果なのか、コーガン氏が高僧のように見えてきた。

 終盤も凄かった。
19. Ava Adore
20. Stand Inside Your Love
21. Zero
22. The Everlasting Gaze

「Ava Adore」なんて軽視していたわけですが、この流れで聴くと、めちゃくちゃイイ。軽視、恥ずかしい。もしかすると、最後の1、2曲がアンコール的な位置づけなのかもしれないが、本編全22曲がひとつの壮大な組曲であったと思わせるような最高級のコンサート。「Zero」と「The Everlasting Gaze」に至っては、”途中で語りが入るヘヴィ・ロックのツインタワー”のごとく重要視しているので、やたらと興奮した。

 誤解を恐れずに言えば、スマパンのセットリストは、演奏曲の選択を間違うと、長く退屈なものになるおそれがあるのだ(それを2010年に経験済)。その点、今回のスマパンのライヴは楽しかった。そして、カッコよかった。心の底からそう言える。自分が高校生の頃に信じた音楽は間違いではなかったのだ。

 後追いでスマパンという伝説的な存在を知った10代(いたのか?)、20代(いただろう)、30代(いたはず)にとっても、この武道館ライヴは良き思い出となったに違いない。終演直後、左隣の黒縁メガネ男性のほうに目をやると、熱心につけ麺情報を検索している。「つけ麺見ずに、目の前のオリメン見ろよ!」と怒鳴りそうになった。右隣の公園デビュー女性はどうか。帽子を目深にかぶり、ステージを見つめたまま立ち尽くしている。というか、立ったまま絶命……して……いる? さめざめと泣く彼女の前をそーっと横切りながら、「そうだよなぁ、いいライヴだったよなぁ」と反芻した。このお二人はおそらく僕と同世代だろう。

 時を戻して、武道館に入るところからやり直したい。この場所は本当に良いよ。

THE SMASHING PUMPKINS@日本武道館(2025年9月17日)を観た【第2回】

 9月15日に名古屋で始まった日本公演も25日の広島で終幕となった。名残惜しい。近年、「一夜限りの」と銘打たれた来日公演が目立つだけに、これだけまとまった期間、日本に滞在してくれるのは気分がいいものだ。SNSを通して伝えられる各地の喜びが自分のことのように嬉しい。
 さて、武道館の玄関前に立った僕は恒例の看板撮影を行った。ここに来たら誰もがやるであろうイベントだ。「撮影は石畳の上でお願いします! 歩道は空けてください!」のアナウンスが懐かしい。初めてこの伝説的会場に来た時のような、胸の高鳴りを感じる。やー、自分にとってコロナ明け初の武道館がスマパンというのは、ムードがあって、いいんじゃない?
 開場30分前には着いてしまったので、少し周辺を散策してみた。神保町方面で本を眺めるには中途半端な時間なので、千鳥ヶ淵の端っこあたりをウロウロ。この日は残暑の最後っ屁みたいな鬱陶しい蒸し暑さで、遊歩道の頭上から吹き出るミストがありがたかった。が、当然、蚊の餌食にはなるわけで、なんか痛痒いなと思って左肘を見ると、どデカい奴がへばりついて優雅なディナーである。
 さて、ぼちぼち人が集まってきたかなという頃合いに武道館に戻った。日が落ちるのが本当に早くなったなぁ。僕は九段下駅から武道館を目指す際に通る門(田安門というらしい)やお堀の辺りの空気が大好きなのだが、なんとなくこの一帯は、大阪城公園駅から大阪城ホール(生まれて初めてライヴというものを体験した場所)のロマンに通ずるものがある。自然と鼻息も荒くなる。
 改修後の武道館に入るのはこの日が初めて。前回来たのは2018年あたりだろうか。記憶が定かではない。何を観たのかも覚えていない。ざっと場内を見渡した限り、あまり変更点はない。が、男子トイレが劇的に改善されていたことには安堵した。内装が近代的だ。武道館という建物の形状のせいなのか、かつては便器と便器が変な角度でごっつんこするような謎スペースがあった。成人男性が窮屈に体を寄せ合いながら用を足す図を想像してほしい。ちょっとした地獄だった。
 前回お伝えした通り、僕はクリマン先行枠のA席。目の前の通路を挟んで前方がS席となっているので、ここは実質S席だ。自分の1列前に人がいないのは好都合。ステージを俯瞰できる楽しみがある。
 着席時には客入れBGMとしてMERCYFUL FATEがかかっていた。その後はJUDAS PRIEST、次もJUDAS PRIEST、これでもかというぐらいJUDAS PRIEST。この時はピンときていなかったが、アルバム『KILLING MACHINE』が丸ごと流されていたらしい。メタル純度が高いことですな。客層はいわゆるひとつの"ロック・ファン"。お洒落……なのかはわからんが、黒いバンドTシャツが主流でないことは確かである。アラフォーが多いかな。右隣の小柄な女性は公園デビューのママのような装いで帽子を目深にかぶっている。左隣の短髪黒縁メガネの男性は常にスマホをいじり、仕事の連絡に忙しそうだ。僕と同様、一人で来ている人が多いように感じる。みんな孤独を噛み締めたいんだな、と勝手に解釈した。
 定刻の午後7時、いや、むしろ食い気味に場内が暗転したように思う。武道館でスマパンを観ることのスペシャル感。この時点の客席の空気だけで、今夜が良い宴になると確信した。おお! 待望のコーガン、チェンバレン、イハの並び! サポート・ベースの彼(ジャック・ベイツというらしい)は地味ながらもいい仕事をしている。そして、紅一点、大きなアクションでジム・インストラクターのように扇動するギタリストはキキ・ウォンである。彼女は事あるごとに手拍子を要求していた。スマパンの楽曲って、そこまで「お手を拝借」な曲調ではないと思うんだが、一生懸命だし、楽しそうだから、まあいっか。長髪を振り乱し、フライングVタイプの尖ったギターで攻める彼女を観て、「LOVEBITESの方ですか?」とツッコミを入れた人は僕以外に10人はいるとみた。
 さて、2025年の武道館でTHE SMASHING PUMPKINSが1曲目に選んだのは「Glass' Theme」だった。「ごめん、この曲、あんまり知らない……」と心の中でつぶやきつつ、体を揺らすなどした僕である。同じように感じた人はけっこういるようで、彼らの歴史の中でも相当レアな立ち位置を誇る曲でショウを始めた勇気がすごい。右隣の公園デビューママはじっと戦況を見守っている。左の黒縁メガネはノッてるふりをしながらスマホチェックに余念がない。大丈夫かなぁ、このライヴ。だが、そんな心配はすぐに吹き飛び、ここから2時間、ドリーミーな爆音が全身を貫くのだった。

 

 はい。やっぱり。2回じゃ終わりませんでしたね。次回で決着をつけますよ。