登魂日記

登山の山紀行、おすすめの山岳本、映画などを紹介します。

狼が守る聖峰・三峰山〜ヤマトタケルと修験の道

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三峰山(みつみねさん)は奥秩父を代表する埼玉の山。埼玉県民に「秩父の山といえば?」と訊けば「三峰山」を挙げる人も多い。

とはいえ、三峰山という特定の山があるわけではない。雲取山、白岩山、妙法ケ岳の3つを背景とする山域の総称。山頂は三峯神社にある。

江戸時代には信州(長野)から十文字峠を越え、甲州(山梨)からは雁坂峠を越えて三峯神社に参拝した。どちらも大好きな峠で、三峯神社には故郷の英雄・ヤマトタケルの伝承も残る。

雁坂峠で道に迷った日本武尊の前に白い狼が現れ、三峰山に導いてくれた。だから三峯神社は狛犬ではなく、オオカミを祀っている。日本武尊ゆかりの地を巡ることを山の楽しみとしている自分にとって、三峰山は憧憬のひとつ。

さらにもうひとり、故郷・大和の出身で日本人最初のクライマーである役小角も699年に三峰修験の祖となった。日本武尊も役小角もあくまで伝承に過ぎず、本当に訪れたわけではないだろうが、山を登る理由に史実は不要。憧れさえあればよい。

そして、三峯神社は極真空手の東京支部の合宿地。8年間、京都と奈良の道場に通った自分にとっては聖地と呼べる場所。登山を始めたばかりの2015年、雲取山の登山口としてバスで三峯神社に来たことはあったが、登るのは初めて。否が応でも期待感は膨らむ。

令和4年11月26日(土)、6時10分の埼京線で新宿から先輩の待つ西大宮へ。10ヶ月ぶりの再会。これまで60座を超える峰々をしゃべり歩き、数々の修羅場も越えてきた。戦友に空白の時間は関係ない。元気そうな姿が見れたら、あとは車内で映画や政治ネタなど議論風発。『トップガン マーヴェリック』や『流浪の月』など話題には事欠かない。続きは登山道で。

この10ヶ月間で先輩は僕たちを繋げてくれた登山家への想いがずいぶん変わったようだった。無理もない。愛が深いゆえに、その死を受け入れられない。映画『バグマティリバー』も、その死を受け入れるために作られた。

栗城さんが亡くなってから多くの者が使者に鞭を打ち、ほとんどが批判だった。誰も栗城さんの登山をその眼で見ていないのに。

先輩は週5回ボルダリングに通い、明日もロッククライミングに行くという。前向きに歩んでいるのは何よりだが、少し気になったのは前日のLINEの返答。雨の予報だったので、登山を中止するか尋ねたとき「雨ごときで中止はありえない」と返された。確かに先輩は経験豊富だが「雨ごとき」という者ほど雨に足元をすくわれる。雪山で何度も死にかけている以前の先輩なら絶対に言わなかった。時間と共に、何かが変わってきている。それは最後に現実となる。

9時10分、神岡橋の駐車場をスタート。車を降りると、淡い俄雨。予報では午後からだったので意外だった。きっと世界一の雨男だった栗城さんが寂しがってやってきたのだろう。レインウェアを羽織り、モンベルの折り畳み傘をさして歩き始める。

錦繍と呼ぶには遅いが、三峰山は黄葉が美しく、わずかに紅葉も残る。単独登山なら自然と対話するが、先輩が一緒だと映画や世情の話に花が咲く。

登山道にはたっぷりの落ち葉。この時期が最も山の生命力を感じられるかもしれない。雨に濡れた落ち葉は下山時に滑りやすい。念のためストックを持ってきて正解だった。

三峯神社は宮本武蔵が二刀流を開眼した場所。この地で鎖鎌の宍戸梅軒を破った。歴史は古く、縄文人が黒曜石を採りに往来した。日本でも有数の古道のひとつ。

2時間ちょっとでゴールの三峰神社に到着。普段着の観光客がわんさか列をなしている。パワースポット巡りのブームは加速しているのだろうか?

奥秩父の山々を眺める。遠くに武甲山も見えたが、観光客には興味がないらしい。我々も腹が減った。ビジターセンターの中で腹ごしらえ。

年配の人が多いからか薄味に、量も控えめ。秩父産の椎茸が予想以上に甘く、大満足だった。

ヤマトタケル像に別れを告げ、山を下る。途中で先輩が足を滑らせた。わずか4時間ちょっとの登山だったが足にきていたようだ。

何より雨を舐めていたのが祟った。左手の捻挫は無事だったが、どんな時も山で油断してはいけない。かくいう自分も今年は山に行けていない。

来年は先輩と雪山に行きたい。そう思っていたが、結局これが先輩との最後の登山になった。

三峰山の紹介

奥秩父の山々の中にあって、三峰山ほど古き信仰と深き文化を背負った山は少ない。標高1,102メートルと、峻烈な高さを誇る山ではない。だが、この山の存在感は数字の彼方にある。

秩父の人々にとって、三峰山は山岳信仰の聖地であった。日本武尊が東征の折、この地に立ち寄り、国の安泰を祈念して山上に伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ったという伝承が残る。やがて社は三峰神社として栄え、狼を神の眷属と仰ぎ、火防や盗難除けの守護神として関東一円にその名を轟かせた。いまも参道に並ぶ石の鳥居と重厚な随神門は、この山の歴史を物語っている。

山容は緩やかに見えるが、登路は決して易しくない。表参道のルートは、秩父鉄道・三峰口駅から西武バスで終点の三峰神社まで登りつめ、そこから奥宮に向かう。奥宮は妙法ヶ岳(1,329メートル)の頂にあり、岩を刻むような急坂を行かねばならぬ。あるいは雲取山方面から縦走して辿りつく道もある。奥秩父らしい深い森に包まれ、ブナやモミの林を抜けると、時に雲海が眼下に広がる。その景観の荘厳さは、ただの里山の範疇を超えている。

交通は、池袋から西武秩父駅へ、さらに秩父鉄道に乗り継いで三峰口駅へと至る。そこからバスに揺られて神社の境内に着くと、参拝と登山が同時に始まる。便利になったとはいえ、古人が歩いた峠道に思いを馳せるのもまた一興である。

三峰山は単なる登山の対象ではない。神々の依代としての歴史を刻み、狼信仰を伝える文化の山である。その山頂に立てば、己が小さき存在を知り、同時に悠久の歴史に連なる大きな流れを感じるだろう。

秩父の名峰

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甲斐駒ヶ岳〜王様の門・黒戸尾根標高差5000mを駆け抜けた8時間

「日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさない」

深田久弥さんが”日本アルプスの金字塔”と称え、花崗岩の白砂に輝く名峰が甲斐駒ケ岳である。標高2967m。18座ある”駒ヶ岳”の中で堂々の最高峰。

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「山の団十郎」「南アルプスの貴公子」など絶賛の呼称は尽きず、雪の富士山を岳神とするなら、冬の甲斐駒は《王様》

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そして、何といっても甲斐駒ケ岳の山梨側には黒戸尾根がある。山頂まで9時間。縦走レベルの距離と、約2200mの標高差という体力モンスター御用達のロング・コース。アップダウンを入れると2700m近くも登ることになり、文化13年(1816)、若干20歳の小尾権三郎(弘幡行者)が開山してからの歴史も尊い。

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2016年12月17日、ここを1dayでピストンしようとしたのだから、よっぽど山に無知だった。7合目の小屋までしか行けず、敗残兵として吊り橋を渡ったのも昨日のように感じる。

令和元年12月6日(金)、3年前のリベンジを果たすべく甲斐駒の登山口へ向かった。仕事を19時に終えての弾丸登山。駐車場に到着したのは早朝4時30分。車の助手席で30分だけ睡眠をとり、5時30分に登山開始。これがデビューとなるPETZL(ペツル)の『TIKKA』を装着。新宿で映画『オーバー・エベレスト』を観たあと、役所広司と同じヘッドライトが欲しいと帰りに衝動買いした。

夜明け前の5時30分、黒戸尾根に踏み出す。さすが300ルーメンの『TIKKA』。予備のライト不要の明るさ。

黒戸尾根の始まりのシンボル・広葉樹の落ち葉。下山時は危ないが、今は気にしている余裕など1ミリもない。1kg以上ある雪山用の靴は5月の鳳凰山以来。おまけに小屋泊の着替えや予備の荷物を入れてザックは10kg以上。これだけで息が上がる。

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夜が明けると、日本屈指の峻険がヴェールを脱いだ。雷光型のジグザグな急坂。いつもは映画の話などで盛り上がる2人も沈黙。

閑かな樹林に、荒々しい呼吸と靴音だけが響く。短い北沢峠のルートがあるのに、なぜ苦しい方を選ぶのか? 黒戸尾根なら未知なる自分に導いてくれる、そんな予感が険峻には眠っているからだろう。

標高を1900mまで上げ、広葉樹が針葉樹に変わると黒戸尾根の名物「刃渡り」と対面。3年前は雪に覆われていたので、温暖化の影響が顕著に見える。凍っていなければなんて事のないスポットだ。ナイフリッジから振り返ると、雲海に浮かぶ八ヶ岳連峰が孤城のような美しさでそびえる。しかし、ここから黒戸尾根のドSぶりが牙を向く。いきなり急激な下りの出現。せっかく稼いだ標高を一気に崩される。「俺の標高を返せ!」と叫ばずにいられない。

散々な下りを終えると、ついに甲斐駒ケ岳と対面。いま立っている5合目とは別の雪と氷の世界が待っている。ここからは岩肌に架けられた梯子の連続。

80度という意味不明の斜度。見上げているだけで肩が凝る。

七丈小屋に着いたのはスタートから5時間。コースタイムより1時間早いが、ペースが上がらなかった。小屋に荷物を置き、軽くなったザックで山頂を目指す。12本爪アイゼンにピッケル。ようやく雪山クライマーに帰ってきた。あとは1.5キロ、たった2時間半で黒戸尾根を制覇だ、なんてタピオカより甘い考えはすぐに裏切られる。

「今までは準備運動でしょ?」と言わんばかりに、鎖場は滑るわ、新雪は崩れるわで、600mの急斜面が容赦無く体力を奪う。登り始めてすぐに足が止まった。

わずか1時間なのに、これほど8合目が遠い山は経験なし。すでにガソリンはEMPTY。あとは余力だけだ。絶望が背後から追いかけてくる。

南には北岳、南東に鳳凰山と富士山。

この名峰の激励がなければ、プラス1時間はかかっていた。

8合目と9合目の間には2本の刀剣。いつ誰がなんの目的で刺したのか今も分かっていない。日本の山には、まだまだロマンと不思議が眠っている。

高山病の頭痛も激しさを増し、完全なシャリバテで脚が動かない。白い雷鳥にも出会ったが、とにかく早く山頂に着きたい。小屋に戻って休みたい。それしか頭にない。

もう気力も尽きかけた。自分を鼓舞するため「俺は深町だ(『エヴェレスト神々の山嶺』)。深町なんだ。何としても甲斐駒の頂上に立つ!」と心の中で叫び続け、登っても登っても近づかない頂上へ踏み出す。

登山口を発ってから8時間。ついに甲斐駒ケ岳と黒戸尾根の頂上を極めた。冬、1 dayで達成したことに大いなる喜びがある。視線の先には仙丈ヶ岳。オールスターキャスト揃い踏み。

富士山を望む先輩も感無量。背中が泣いているようだ。ここからの下山は、今までの<困難>から<危険>に変わる。恐る恐る雪の斜面を下りながら、1時間6分で小屋に帰還。

部屋の中で靴を乾かし、七丈ブレンドコーヒー500円を注文。

新雪のように凛とした澄みきった旨味のあと、「甘み」「酸味」「苦味」の三位一体となり、力強い珈琲の風味が追いかけてくる。人生で飲んだ山のコーヒーのなかで一番美味しかった。「俺は生きている」という味だ。

17時に早い夕食。七丈小屋は花谷さんがオーナーだけあり、一つ一つがめちゃくちゃ美味しい。圧力釜でご飯も炊き、味にはこだわっている。

この日は1組のキャンセルが出て、土曜にも関わらずボクと先輩の2人だけ。これほど贅沢な山小屋泊は2度と味わえないだろう。ストレッチをして19時過ぎに就寝。泥のように眠って6時半まで落ちていた。

翌朝は燃えるような朝日に祝福され、黒戸尾根を下山。往復で約5000mの標高差。このアップダウンは、〈絶頂〉と〈絶望〉の振り幅の大きさでもある。

だからこそ、クライマーは黒戸尾根に引き寄せられる。

振り返った甲斐駒ブルーは、今まで見上げてきたどの山の空よりも晴れ渡っていた。

甲斐駒ヶ岳の紹介

南アルプスの山々は、北の白峰三山から南の聖岳まで、長大な稜線を連ねている。そのほぼ北端に、ひときわ端正な白銀の峰が立っている。甲斐駒ヶ岳である。標高二九六七メートル。甲州と信州の国境に聳え、花崗岩の白い肌を陽に輝かせる姿は、遠く八ヶ岳や北岳からも目立ち、甲州の人々にとっては富士に次ぐ象徴の山である。

この山は古くから信仰の対象であった。開山は奈良時代とも平安時代とも伝わるが、確かなのは修験道の行者たちが、駒ヶ岳神社を里と山頂に祀り、霊山として登拝を続けてきたことである。山名にある「駒」は、甲斐源氏の伝説や白馬の神話に結びつくとも言われ、峰を駆ける神馬の姿を想わせる。甲府盆地から仰ぐその姿が、雪をいただくときなお白駒のように見えるのであろう。

文化の面でも、甲斐駒は南アルプスの門柱として多くの文学や絵画に現れる。江戸時代の甲斐国志には登山道や祠の記録があり、近代に入ってからは黒戸尾根を通じて多くの登山家を惹きつけた。黒戸尾根は七丈小屋を経て頂に達する長大な尾根で、日本三大急登の一つとしても名高い。梯子と鎖をいくつもこなし、二千メートル以上を一気に稼ぎ上げるこの道は、今も甲斐駒を目指す者の試練であり、魅力である。

アクセスは、南アルプス北端の玄関口、山梨県北杜市の竹宇駒ヶ岳神社が起点となる。JR中央本線の小淵沢駅や長坂駅からバスで黒戸尾根登山口へ至ることができる。一方、北側からは伊那谷の長谷村(現伊那市)に出て、北沢峠からアプローチする道もある。この北沢峠へは、仙流荘からのバスで入るのが一般的で、仙丈ヶ岳と組み合わせた周回登山も盛んだ。

登山ルートは大きく二つ。ひとつは甲斐駒の本格派ともいえる黒戸尾根。前述の通り七丈小屋までが長く険しいが、尾根上から望む八ヶ岳や富士の景色は格別である。もうひとつは北沢峠からのアプローチで、双児山を経て駒津峰に出、そこから直登か巻き道で山頂へ至る。こちらは日帰りも可能な比較的容易な道だが、駒津峰から仰ぐ甲斐駒の白いピラミッドは、この山の美を最も端的に見せてくれるだろう。

山頂は、花崗岩の白砂に祠が立ち、眼下には甲府盆地、遠くには北岳や仙丈、八ヶ岳、そして富士が浮かぶ。晴れた日には日本アルプスのほとんどを見渡すことができる。この白き峰は、単に高い山ではない。信仰と歴史をまとい、近づく者に試練を与え、その果てに比類なき展望を与える、まことに南アルプスの名門と呼ぶべき山である。

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奥多摩富士・本仁田山―三大急登の果てに出会う至高のブルー

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月の最終日が土日だとうれしくなる。山に登り、一新した自分に生まれ変わって次の月を迎えられる。晩秋と初冬に揺れる11月30日(土)。令和元年の55座目に選んだのは奥多摩にある『本仁田山(ほにたやま)』だった。

標高1224m。「奥多摩富士」という愛称もあるピラミダルな山。奥多摩駅から30分も歩けば登山口に着くことから人気は高い。名物が大休場(おおやすんば)尾根。鷹ノ巣山の稲村岩尾根、三頭山のヌカザス尾根と並ぶ「奥多摩三大急登」と言われている。

朝5時40分、始発の混雑から1本遅らせ、大久保駅に独り立つ。念のためチェーンスパイクと熊撃退スプレーをザックに詰めて準備万端(両方使わなかったが)。立川で青梅線に乗り換え、ここから1時間ちょっとで奥多摩駅。すぐに眠りについたが、軍畑駅で強烈な朝日に起こされる。目覚めると、そこは登山靴と大きなザックの猛者のみのクライマー列車に一変していた。どうやら自分が一番軽装らしい。

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7時40分、奥多摩駅。ここから2.3キロ先の登山口を目指す。終わりなのか始まりなのか、少し紅葉が色づいている。

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30分で登山口である安寺(あでら)沢へ。山に入る前から沢沿いというのは記憶にない。民家が登山口というのも面白い。

おいおい、ここを登るのかよ!?というガレ場。高揚感が増してくる。というのはフェイクで、きちんと歩きやすい登山道がある。しかし、遭難癖のある自分は分かりやすい目印に気づかず、ガレ場を直登。

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同じく遭難した単独クライマーと鉢合わせ、ルートを間違えたことに気づいて引き返す。樹林と急登。いい感じの勾配だ。三大急登の名に恥じない。

晩秋の山色が苦しさを紛らわしてくれる。いつの間にか急登に来るとクライマーズハイに陥るようになっていた。令和元年の一番の変化だ。大休場尾根はアップダウンが一切なく、ひたすら上を目指す。まるで富士山。奥多摩富士の真実はここにある。

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急登が好きにな人はおすすめ、嫌いな人は絶対にやめた方がいい。登る人を選ぶ山。山頂へ導くビクトリーロード。最後の最後で急登がギアを上げてくる。2時間足らずで1000m以上を登ってきた。奥多摩ブルーが見えたら、もうそこは本仁田山の絶頂。スカイハイ。とんでもない至高のご褒美が待っていた。なんと神々しく、妖美なフォルム。日本の峰々は富士山を眺めるためにある。いつまでも眺めていたいが、午後から仕事。大休場尾根を下る。これほどの急登だ。登りの「困難」から「危険」の下山に変わる。2度ほど滑って尻餅をついた。

鷹ノ巣山の美しき山容。奥多摩富士の名誉は、この山にこそ相応しいかもしれない。仕事がなければ1day 2 summitしたかった。

下山後のヤマ飯は柳小路にある、そば処『おく』。奥多摩駅から100mほどで徒歩1分。昔ながらの田舎せいろ(1000円)に、本わさび(300円)を追加。

擦っている間も涙が出て、たっぷりon the 蕎麦するからたまったものではない。しかし、この強烈なワサビこそ奥多摩の洗礼。Welcomeフード。

蕎麦に舌鼓を打てば、あとは登頂の儀。奥多摩駅の2階にある駅カフェ。店員さんに聞くと3年前にオープンしたらしい。

奥多摩の名峰たち

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白神岳〜ブナの楽園と海の絶景を求めて、白き神の峰を駆ける

東北の山のシンボルは、天上の湿原とブナの原生林である。

令和元年11月3日、文化の日八甲田山に登頂した翌日、朝5時に目を覚ますと秋田の十和田は大粒の雨に降られていた。

「朝起きてから山に登るか観光か決めよう」と先輩に言われていたものの、はじめから自分の羅針盤白神岳を指していた。

出発の朝7時50分になっても小雨は止まなかったが「昼から晴れるから」と半ば強引に先輩を説得。

10時30分、雨上がる。昔からマタギの間で「白神の岳は9里(約35キロ)もある」と言われた長大な峰々。スタートするには遅すぎるが、この山を置き去りにして東京へは帰れない。今や世界遺産で有名な白神山地だが(白神岳世界遺産の指定地域には含まれない)、深田久弥さんの著書に白神の文字は見当たらない。あの深田さんが登っていないとは考えにくいが、全国に白神山地の名が知られるようになったのは1980年代に入ってからという。深田さんは1971年に亡くなられているから、未踏かもしれない。

白神産地はブナの木が有名だが、中腹に行くまでは杉の木が続く。ブナが顔を出すのは標高を上げてから。40分も歩くと道は二手に分かれる。ノーマルルートのマテ山コースと、険路である二股ルート。後者は白神川が流れる沢沿いであり、古くから白神信仰の参詣道として地元の人々に愛されてきた。

平成26年8月の大雨により崩落し、一度は立入禁止となったが再整備により復活。どちらのルートを選択したかは言うまでもない。少し歩くとブナの木が顔を出し始める。待望のご対面だ。1本で2トンもの水を蓄えると言われるブナは別名「緑のダム」と呼ばれる。

泥道に苦しめられた前日の八甲田山とは真逆に、白神岳は雨上がりの直後にも関わらず水はけが良い。<森の女王さま>とも呼ばれるブナの神秘。

紅葉にはまだ早いが、木々は黄葉に色づき始めている。白神の錦秋はこれからだ。優しさばかりが白神ではない。アップダウンが連続し、沢は渡渉を強いられる。ミレーのトレッキングシューズは靴の中までビチョビチョ。しっかりした登山靴を持ってくるべきだった。一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢を越えると、ここから長大な急登の物語が始まる。

急登が何よりの大好物の自分は気分ランランで駆け上がっていく。このとき、後ろの先輩がシャリバテに陥る。もう引き返そうと提案されるが、山頂を踏まずしての撤退はありえない。頂上はゴールではなくスタート。そこから本当の登山が始まるのだ。山頂が顔を出すのはスタートから3時間ほど登ってから。まだまだブナの森を越えていかなければいけない。なのに、不思議なほど脚の疲れを感じない。異常なほど脚が軽い。久しぶりに体験するクライマーズ・ハイ。翌朝は膝と右のふくらはぎがパンパンに張っていたのに。これも白神の神秘。

道中、なめこ、ブナハリタケ、キクラゲなどが顔を出す。山の人であるアミさんは、山の幸を発見するたびに狂喜して足を止める。よくこんな小さなキノコに気づくもんだ。

振り返ると日本海。山の急登だけでも楽しい上に、海の景色もプレゼントしてくれる。白神岳はブナのイメージが強いが、日本海とセットになって初めて価値が輝く名峰。

58歳のアミさんは、急登に臆することなく標高を上げる。クライマーズ・ハイと遜色ないほど楽しんでいた。自分も同じ年齢でこんな登山ができるだろうか?アミさんは出会った中で、誰よりも山の人だ。体力、スピード。他にも山登りに必要な能力はあるが、何より山を愛する才能に憧れる。

最後の最後に、まさかの藪漕ぎ。Nikonのミラーレスの部品とLEKIのストックのハンドル部分を紛失した。4時間23分かかり、白神岳に登頂。奥に広がるは世界遺産白神山地。ブナの絨毯に目が泳ぐ。

いつまでも眺めていたい。この自然に溶けてしまいたい。そんな気分にさせる。昨日の八甲田の強風が嘘のように静かな時の風が流れる。なんて気持ちのよい頂上。少し寒いのでレインウェアを羽織るが、心は穏やかで暖かい。雲に隠れていたが、晴れていれば雄大岩木山もどっしり構えている。

西を向けば夕陽の沈む日本海。1万8000を超えると言われる日本の山の中で、これほど贅沢な山岳展望を知らない。下山する稜線の先にも日本海。海へ向かって山を下りるなんて、バチが当たりそうな登山だ。

山頂ではアミさんが持ってきてくれたおでん。あまりの美味しさにパクパク食べて写真を撮ったのは最後の方。おにぎりと豚汁も用意してくれる。3人分の食を担ぎながら急登を上がってきた。なんてすごい人なんだ。山を愛し、山人を愛す。夕暮れの下山。日本海に向かって歩を進める。落日の中を歩く登山もまた楽しからずや。

17時を過ぎると、白神岳の夜の帳が落ちる。ヘッドライトを使った登山は人生で3回目。車に着いたのは18時30分。満天の星空を見上げる。翌朝は白神岳で採れたキノコを使った味噌汁を作ってくれた。味の感想は書くまでもない。

白神岳の紹介

白神岳──その名のとおり、白き神を祀るがごとく、静謐にして峻烈な山である。標高は1,223メートル、数字だけ見れば高山の列には加わらぬ。だが、この山を軽んじてはならない。なぜなら、その背後には、原生のままのブナ林が広がり、ひとたび足を踏み入れれば、時代の流れを忘れさせる森の息吹があるからだ。

山頂を目指す道の多くは、二股登山口から延びている。最も一般的なルートは、蟶山(まてやま)を経て頂に至る往復約11km、標準コースタイム7時間前後の道程である。序盤はブナ林がやわらかな木漏れ日を落とし、中盤には沢沿いを辿る涼やかな道が続く。そして、やがて森林限界を抜ければ、視界は一気に開け、日本海の青と白神山地の深緑が交わる壮麗な景色が広がる。健脚の者には大峰分岐を経る周回ルートもあり、より変化に富んだ山旅が楽しめる。

アクセスは、JR五能線の深浦駅から車で約30分。登山口付近には駐車場と簡易トイレがあるが、山中に水場は乏しいため、十分な水の携行が肝要である。公共交通機関を用いる場合、シーズン中に運行される登山バスやタクシーを利用するのが現実的だ。

山頂に立てば、眼下に荒々しい海がきらめき、振り返れば幾重にも重なる山並みが見送ってくれる。白神岳は、ただ登る山ではない。そこに立ち、森と海と空の交わる光景を胸に収めるとき、人はこの山の名が語る「白き神」の意味を、わずかにではあるが知るのだ。

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東京・愛宕山〜25メートルの頂で見つけた令和の晴れ間

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明治は「維新」の時代。大正は「浪漫」、昭和は「歌謡」、インターネットが普及して世界が繋がった平成は「多様」。そして令和は「否定」の時代だ。SNSは誹謗中傷、各地で大雨や地震が続き、気候も人間も、嵐が吹き荒れている。

その兆しは令和元年からあった。

2019年、台風19号ハギビスが日本全土を襲い、多くの命を奪った。新宿はゴミが散乱した程度で済んだが、毎週末の楽しみだった登山は壊滅的。登山道は崩れ、電車も完全ストップ。部屋に閉じ込められた鬱憤を晴らそうと、台風の夜に手に取ったのが山口耀久さんの『山頂への道』だった。

高橋由一《愛宕山より品川沖を望む》1877年

高橋由一愛宕山より品川沖を望む》1877年

目次に「愛宕山」の文字。京都か千葉の山かと思いきや、東京・港区にあるという。しかも自然に隆起した本物の山だ。車がなくても自転車で行ける。むしろ、こんな時でなければ行かないだろう。

2019年10月13日(日)早朝6時30分、愛宕1丁目へ。

台風一過の新宿は、灰色の空から雲ひとつない快晴へと変わっていた。だが、あちこちに強風の爪痕が残り、店は休業続き。新宿御苑のローソンが営業しているだけで特別に感じ、質素な朝食にも感謝がこみ上げた。

四ツ谷、赤坂、虎ノ門を抜け、愛宕山に到着。東京タワーと虎ノ門ヒルズに挟まれた異様な立地は東京の不思議。標高わずか25メートル。丘と言われても仕方ない高さだが、江戸時代から見晴らしの名所として親しまれ、かつては東京湾や房総半島も望めた。

今は登山道はなく、神社への石段だけ。それでも東京都23区の最高峰であり、立派に「山行」と呼びたい。

山口さんは自律神経失調症を患った後、愛宕山で「1日100登」の修行をし、12月28日22時50分に完登。その挑戦に敬意を払い、今回は自分の年齢に合わせて36登を目指した。

立ちはだかるのは86段の男坂。別名「出世坂」。登頂は1分足らずだが急勾配が油断ならない。数往復で脚は乳酸漬けになる。それでも山頂の神社は、美しい朝日と共に労を癒やしてくれる。山と神社はルパン三世と銭形警部のように切っても切り離せない。高層ビルに遮られて眺望がなくても、達成感と粛々とした気を与えてくれる。

外国人観光客、地元の散歩客、結婚式を挙げる新郎新婦まで、多くの人に愛されていることがわかる。最初は休み休み、女坂を下って膝を労りながら登った。30回を過ぎると急坂のコツを掴み、臀部の筋肉を使って馬力で登ると疲れも少ない。

36登を終えたのは10時30分。約3時間で3096段を往復した。香川の金比羅宮が1368段なので、ほぼ2往復半に相当する。ふくらはぎは悲鳴を上げて硬くなったが、この征服感は何物にも代えがたい。令和という嵐の時代にも、小さな山を何度も登ることで、心に静かな晴れ間をつくることはできる。

愛宕山 ―東京の懐に抱かれた小峰―

東京の港区、その武蔵野台地の末端に、愛宕山は静かに立っている。標高25.7メートル。天然の山としては東京23区の最高峰である。あまりの低さに「丘」と笑う者もあろうが、この小峰は400年近く、江戸・東京を見つめてきた。

自然形成と地質学によって証明されているが、なぜ周囲の低地からここだけが隆起したのか、その仕組みは今も定かでない。

慶長8年(1603)、徳川家康は江戸を守るため、ここに愛宕権現を勧請した。防火の神としてだけでなく、「天下取りの神」「勝利の神」としても信仰を集め、諸国の藩士が分霊を持ち帰った。江戸城に向かう水戸浪士が成功を祈願したという逸話も残る。

江戸時代、この山は比類なき展望地で、東京湾から房総半島までを望み、『鉄道唱歌』の冒頭にも「愛宕の山」と歌われた。明治19年には山頂に公園が開かれ、西洋建築の愛宕館と八角5階の愛宕塔が建ち、展望の名所となった。昭和に入ると、ここはNHK放送博物館の地となり、日本の電波の発信地としても歴史を刻む。

戦後直後には「愛宕山事件」と呼ばれる騒擾もあったが、今では周囲を超高層ビルが囲み、かつての大展望は失われた。それでも大木に囲まれた山上は、都会の真ん中とは思えぬ静けさを湛える。

登路はいくつかあるが、正面の男坂86段は「出世の石段」として名高い。寛永11年(1634)、徳川家光が梅を指し「馬で取ってくる者はおらぬか」と命じ、讃岐丸亀藩士・曲垣平九郎が馬で駆け上がって枝を手にした。以来、この石段は出世の象徴となり、後に数人が馬で登頂を果たしたという。

愛宕山の裾には昭和5年完成の愛宕山トンネルが通り、東京23区唯一の山岳トンネルとされる。東側にはエレベーターも設置され、神社や博物館まで容易に登ることができる。

アクセス
東京メトロ日比谷線神谷町駅」から徒歩5分、または都営三田線御成門駅」から7分。愛宕下通りを行けば、男坂の石段が正面に現れる。急坂を力強く登るもよし、女坂から静かに巡るもよし。山頂からは、高層ビルの谷間に皇居の森や東京タワーを垣間見ることができる。

低くとも、愛宕山は東京の地形と歴史を凝縮した一峰である。山は高さではない。その地に刻まれた時と人の営みこそが、真の山を形づくるのだ。

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上州・榛名山〜天頂の沈黙、遠い峰の約束

5月21日は、1年間で最も特別な日だ。亡くなった登山家への想い、憶い出は書き切れない。これまで『月とクレープ。』『温泉クライマー』の2冊で少し触れてきたが、いつの日か、1冊の本にする。少しずつ、一歩一歩、近づいていきたい(今頃、火星のオリンポス山を登っているだろう)

令和元年の19日に登った上州の榛名山(はるなさん)。ここは登山家がファンクラブの交流会を行なった最後の場所。2017年の秋。詳細は知らない。

その頃、登山家と、ある件で揉めて袂を分かっていたからだ。陰ながら応援していたものの、縁は切れていた。その糸を再び結びつけたのは登山家の死だ。

だけど、この登山は追悼でも鎮魂でもない。たまたまビストロ登山をしやすい山が榛名山だっただけ。麓から山頂までの道は30分ちょっと。瞬きをする間に登頂していた。

初めて使うメスティン(飯盒) でカレーを作る。登山家の故郷・今金町の「ふっくりんこ」。ルーはもちろん、グリコさん。

ちょっと甘口すぎた。でも、すべてに感謝。カレーはクライマーにとって、最強のパワーフード。エヴェレストで毎日、登山家と食べた「ダルバート」。谷川岳の麓にある「諏訪峡」のダムカレー。鳳凰小屋の日替わりカレー。

そして、ステーキ。

登山家と車で向かった富士山トレーニングの帰りは、富士吉田のステーキガスト。タンパク質を補充するため。山の頂上で食べる牛肉(うしにく)の美味さはこたえられない。これからもフライパンを担いで登るだろう。

なんだかんだ言って、やっぱり登山家のことばかり話してしまった。下山すると急な大雨。登山家ほどのレインメーカー(雨男)には逢ったことがない。いつもいつも呆れるほどの悪天候

やっぱり、エヴェレストから帰ってきた。おかえりなさい。

榛名山とセットで温泉、グルメ

伊香保温泉

榛名山の紹介

榛名山という名は、単一の峰を指すものではない。上州の中央、群馬県高崎の西に広がる火山群の総称である。その中心に、静かに水をたたえるカルデラ湖・榛名湖があり、湖面に影を落とすように榛名富士(標高1,391m)が端然と立っている。この富士の姿は端麗で、裾を湖に浸しながら、上州の空を飾る。

榛名山は古くから信仰の山であった。山中には榛名神社が鎮まり、巨岩と杉木立に守られている。その社殿は岩壁に抱かれ、いにしえの修験の気配をいまも濃く漂わせる。
上毛三山の一つとして、赤城山妙義山と並び、上州人の心に深く根を張っている。

登路はいくつもあるが、最も親しみやすいのは榛名湖畔から榛名富士へ至る道である。標高差はわずかに150mほど、所要時間は30分もあれば頂に立てる。ロープウェイも通じているから、観光客の姿も多い。

一方、外輪山の一峰である掃部ヶ岳(かもんがたけ・標高1,449m)は、湖を見下ろす眺めのよい峰で、健脚を試すには好適だ。その他にも相馬山、天目山、鬢櫛山など、峰々は複雑に連なり、縦走の楽しみを与えてくれる。

交通の便はよく、JR高崎駅からバスでおよそ1時間、湖畔へ着く。車なら関越自動車道の高崎ICから約1時間半。四季折々、春の芽吹きから冬の雪景まで、榛名山は顔を変えながら迎えてくれる。

この山の魅力は、険しさではなく、包容力にある。荒ぶる火山の記憶を胸に秘めつつも、湖と森と峰々がひとつの円環をつくり、訪れる者をやわらかく抱きとめる。古き友に再会したような安心感である。

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武尊山〜踏み抜き地獄の果てに、冬の真実

令和元年58座目に選んだのは、標高2158m、上州を代表する成層火山武尊山(ほたかやま)だった。前武尊、剣ヶ峰、家ノ串、中ノ岳、沖武尊(主峰)、西武尊(剣ヶ峰山)、獅子ヶ鼻山と、7座の2000m級の峰頭を連ねる総称で、登山ルートも豊富。深田久弥さんは群馬の名峰を「障壁」という褒め言葉で形容している。

山名はヤマトタケル日本武尊)から拝したもの。ただし『古事記』や『日本書紀』には武尊山に登った記録はなく、大正時代の『武尊開山史』に後付けで伝承が記された。

2年前の3月に登ったときはロープウェイを使った。1時間ほどで登頂でき、「最も楽な雪の百名山」という罰当たりな印象を持った。

今回、山の真実と対話するには現代テクノロジーに背を向ける必要があると気づかされる。南西の高手新道からの武尊ほどアップダウンの激しい山を知らない。日帰り登山の中では最も苦しい部類に入るルートだろう。

令和元年12月19日(木)、有休消化中で無職の自分は休職中の先輩と埼玉の西大宮から川場駐車場の登山口を目指した。この2人が掛け算すれば何が起こる。見よ、150台も置ける駐車場で我々の1台のみというホラー。この危ない匂いが現実となる。「ワカンの練習ができるだろう」と軽い気持ちのクライマー2人は、強烈なしっぺ返しを喰らってしまう。

最初は雪も少なく期待外れのスタート。北国の積雪量は例年の4割しかない。JRスキーのキャッチコピーが「この雪は消えない」だが、すでに温暖化の日本から雪は消えてしまっている。

40分で高手山を通過したときも、雪はなし。先に進むと徐々に雪が出てきて動物の足跡が見える。

鹿だろうか?武尊はツキノワグマの生息数が群馬県で一番と聞く。このルートで夏や秋の単独行は注意が必要だ。

2時間30分で西峰の稜線へ。コースタイムが2時間40分なので、我々にしては遅い。原因は昨日に積もった新雪。トレース(踏み跡)がないため、足がズボズボ雪にハマる。踏み抜き地獄。スピードが奪われるだけでなく、骨折の危険性もある。となると、あの武器の出番だ。人生2度目のワカン。浮力はスノーシューに劣るが、つま先を引っ掛けられるので、雪が深い急登では威力を発揮する。

ワカンに助けられながら10分ほど進むと、ロープウェイが見えた。2年前はここまで楽をしたのだから武尊山の真実などわからない。リフトやロープウェイなど、山と自分の距離・関係性をムリやり縮めてしまう技術は逆に山から遠ざかってしまう。

ゴツゴツの岩峰こそ武尊山。雪山は歌舞伎の女形のようなもの。クライマーを惑わす。急登のアイスバーンで滑るため、アイゼンの上からワカン装着。悟空とベジータの最強フュージョン。かと思いきや、安定が悪いわ、アイゼンの爪がワカンに引っかかるわで、最低の雑魚キャラに変身。憧れは5分で粉雪に舞った。

剣ヶ峰に達したのはスタートから4時間。コースタイムは3時間20分なので、いよいよ雑魚クライマーになってきた。しかし、ここで下りては武尊の真実とは対話できない。下山するか一瞬迷ったが、強行突破。ロシア侵攻から敗退するナポレオンじゃあるまい。「我輩の辞書にエスケープの文字はない」

14時39分、踏み抜き地獄をくぐり抜け、約6時間かかって山頂を極めた。眺望ゼロ。暖冬と微風だけが救いだった。

しかし、登山の真実は下山にあり。霧の中を下るが、踏み抜きのせいで脚の関節を痛めている。髪の毛まで凍る始末。精神的に削られまくったが、下山後の温泉への憧憬だけがガソリン。

17時を過ぎると漆黒が襲う。しかも霧で視界不良。先輩は「頂上まで行くべきではなかった」とつぶやいたが、後悔は微塵もなかった。これでまたクライマーとして前へ進める。7万円以上したミレーのオーバーパンツが破れて高い授業料となったが経験には代えられない。

駐車場に到着したのは19時ジャスト。下山に5時間かかり、計10時間10分の長旅を終えた。3年前の甲武信岳では星が出ていたが、今回は何のご褒美もなし。新雪と戦った武尊山。群馬のチェーン店である「おおぎや」の味噌ラーメンに生命の味がした。

武尊山(ほたかやま)の紹介

武尊山は上州の大地にゆったりと腰を据え、東に赤城、西に谷川を眺めつつ、悠然とその稜線を延ばしている。上州武尊の名は、古代の日本武尊ヤマトタケル)にちなむと伝えられ、山容の威厳と相まって、人々に畏敬を抱かせる。

この山は険しさよりも、その懐の深さで登る者を包み込む。ブナやミズナラの林を抜け、やがて針葉樹の帯に入れば、夏の風は清く、冬の雪は深い。稜線に立てば、遠く越後の白い峰々が肩を並べ、南には日光連山が霞む。

武尊の魅力は、その多面性にある。川場からの表情と、片品から仰ぐ姿はまるで別の山のようだ。春は新緑、秋は紅葉と、季節ごとに趣を変え、ふと足を止めれば、どこか古代の神話を思わせる静けさが漂う。

登山者の野心を試す峻厳さよりも、むしろ人生の一頁を包み込むような温もりを感じる。それは武尊という名の響きとともに、上州の空に長く刻まれてゆくに違いない。

群馬の名峰・谷川岳

群馬の名湯

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