
はじめに
2025/10/26の宮城県知事選の直前に、この記事を書いています。
私が住む仙台では宮城県知事選の立候補者のうち何名かが選挙カーを走らせ、人通りが多いアーケードでは街頭演説をしていました。
そんな光景を眺めて思うことを書いたのが今回の記事です。
立候補者名を連呼する選挙カー
昭和・平成・令和と時代は変わっても、不思議なことに「選挙カーが立候補者名を連呼する光景」は変わりません。
その候補者がどんな人となりで、どんな主義主張や公約を掲げているのかよりも、ひたすら名前を連呼するのです。
まあ名前を記憶に刻み込ませようという戦略なのだろうというのはわかりますが、有権者が「街で名前を聞いて覚えてるのがこの候補者だから」「政治に詳しくないけど、なんだか昨日まで選挙活動をがんばっていたから」なんて浅はかな理由で選ぶと思っているのでしょうか。
選挙カーを走らせて立候補者名を連呼すれば投票してもらえると思っているのであれば、それは有権者を「知恵の無い存在」とみなして低く見ているように思えるのです。
なぜ声と身振り手振りだけで選挙活動をするの?
選挙カーにしても街頭演説にしても気になっていたのですが、なぜ声と身振り手振りだけでアピールしようとするのでしょう?
ビッグデータとか見える化とか、もはや一般化している時代ですよね?
データを可視化して説明する方が説得力が増すのでは?
たとえば、選挙カーを使うなら大型ビジョンを備え付けて、データをグラフにしたものを聴衆に見えるようにした上でプレゼンした方が、主義主張が理解されやすいのでは?
拙書「業務を効率化したければ電話を捨てなさい」でも同様の主張をしましたが、声だけを使った情報伝達って非効率で今の時代にそぐわないのですよ。
耳から入ってきただけの情報なんて記憶に残らないし、発言者の発声によっては聞き取れないこともあるし、当選後に街頭演説で主張したことをやらずに言った言わないの火種になるし。
公約よりも「現状分析・課題の明確化・解決策の妥当性」
どの候補者も公約をいくつか打ち出していますが、どうせ当選しても実現しなかったり、理想を並べた夢物語だったりするのでしょう?
有権者が知りたいのは公約ではないのです。
現状がどうなっているのか様々なデータ(人口とか税収とか宮城県を取り巻く経済とか教育とか)を集めて分析して、
データ(数値)に裏打ちされた現状から解決すべき課題は何だと考えているのかを明確にして、
その課題を解決するためにどんな施策を打つのか(当選後に得られる肩書で現実的に実現可能な施策なのか)、
そういった事柄を可視化してもらいたいのです。
企業で働いたことがあって人事考課の経験があれば、誰しも似たようなことをしますよね。
自分の抱えている課題は何で、それを解決するために今後の半年や一年でどんな取り組みをするのか。
評価する側は課題と解決策が妥当であれば承認します。
それと同じことを、「自分」を市町村の首長であれば「市町村」に、都道府県の首長であれば「都道府県」に、国会議員であれば「日本」に置き換えてやってもらいたいのです。
有権者は課題と解決策が妥当であれば投票します。
最後に
令和の時代になっても選挙活動は「選挙カーが立候補者名を連呼する光景」で昭和の時代で止まっています。
「なんだかよくわからないが選挙活動をがんばっているから一票入れてやるか」「なんだかよくわからないが声を張り上げているから一票入れてやるか」という感情論・根性論で有権者が動くものだと思われている気がするのです。
かつては根性論が根付いていたスポーツ界は、今やデータアナリストがチームについてデータをもとに戦略を立てるのが当たり前の時代です。
野球であれば投手と打者の過去の傾向から「この投手は次にこの球種を投げる」「この打者はこのゾーンは苦手」とか丸裸にされて、その情報をもとに戦略が立てられます。
陸上や自転車などのレースであれば走行中のフォームを撮影して分析し、「より力が伝わるフォーム」「より空気抵抗が少ないフォーム」に修正していきます。
あらゆる分野でデータドリブンになる今の時代に、選挙活動や政治の世界だけが感情論・根性論から脱却できていない。
宮城県知事選の直前に仙台の街を駆ける選挙カーを眺めながら、そんなことを思いました。
感情のこもった力強い演説とかどうでもよいので、当選した立候補者にはデータと理論に裏打ちされた方法で宮城県をより良く(増やすべき数値を増やし、減らすべき数値を減らす)してもらいたいものです。
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