SNSに書くには長すぎる

日々思った雑感を載せた不定期更新のブログです。

このブログには筆者に収益が発生する広告を掲載しています


☆広告☆



↓情報検索はこちらをご利用ください



投げ銭(チップ)を募集しています。このブログが気に入った方はチップをおねがいします。

ようこそ正月を祝わない世界へ

 

はじめに

この記事は2026年最初の、私が運営するブログへの投稿です。
年が2025(令和7)から2026(令和8)になりました。
月が12から1になりました。
日が31から1になりました。
年も月も日も自然界から発見されたものではなく、人間が時間の流れの区切りとして定義したものです。
人間が定義したルールの上で、数値が切り替わったらなぜか世界中でお祝いムードになります。
普段はやらないようなことをしたり、普段は行かないようなところに行ったりします。
ふと疑問に思ったのです、そんな人間の行動が。

この年末年始は帰省しないことにしました

2025年の年末から2026年の年始は帰省しないことにしました。
普段通り仙台で過ごしています。
帰省しない理由は下記2点です。
・仙台から帰省先へは交通費が往復で3万円ほどかかるのですが、ほんの数日間で数万円を支払えるほど裕福ではなくなったから。
・帰省してもごろごろ過ごすだけでカネが入ってこないため、帰省する価値があるのか疑問に思ったから。
まず大前提として年末年始に帰省する人の普段のライフスタイルは「地元を離れて生活して普段は仕事に追われ、年末年始だけまとまった休暇がとれる」だと思うのです。
そして今の私はそんなライフスタイルではありません。
曜日も時間も関係なく、寝たいときに寝て、食べたいときに食べて、働きたいときに働く、すべて私自身が選べる、そんなライフスタイルです。
年末年始も普段も何も変わらないので、年末年始に特別なことをする理由がないのです。

初詣とか初売りって、要は商戦でしょ

年明けというと初詣や初売りで賑わいますが、これって寺社仏閣や商店が「年が変わるというのは特別なこと」「区切りの良いときに気分一新して新しいことにチャレンジを」と吹聴して消費者にカネを落とさせるマーケティング戦略では、と思ったのです。
朝も昼も夜も日も月も年も関係なく生きるようになって、年が変わることを理由に特別なことをする意味が見いだせなくなったのです。
とはいえいきなり何もしなくなるのもむずがゆいので、一応形だけでも年越しそばは食べました。
晦日らしいことはほとんどせず、紅白歌合戦も一切視聴せず、12月31日が残り1時間を切るくらいまでマネーフォワードクラウド確定申告に2025年の仕訳を1月分から黙々と入力し、ぎりぎりになってあわててつくった蕎麦です。

年賀状を終わりにすることにしました

社会人になりたての頃からお世話になった方に20年近く年賀状を書いていたのですが、長らく「年賀状のやりとりしかしない」状態になっていて意味が見いだせなくなったので、今回で年賀状終いをすることにしました。
年賀状終いの挨拶と、連絡用のGoogleフォームにアクセスできるQRコードを印刷して、本日ポストに投函します。
これで自宅のプリンターがインク詰まりしたり、Wordのはがき印刷で郵便番号の位置が微妙にあわなくてやきもきしたりするストレスから解消されます。
プリンター用インクも年賀はがきも年々高くなってますし、もう年賀状という文化とはおさらばでいいかなと。
連絡したくなったらいつでもネットで連絡とれる時代ですし、連絡が来ない仲であればそれまでだったということですし。
そういえば年賀はがき売り場を眺めて思ったのですが、今回販売されている年賀はがきは「年賀状終いの挨拶」があらかじめ印刷されているものが結構あり、「そういう時代なんだ」と衝撃を受けました。
「年賀状終いの挨拶」を押印するハンコも市販されていますし、あと10年くらいしたら正月の郵便局は静かになるのかもしれません。

最後に

そんなわけで私のこの年末年始は、年越しそばと年賀状終いだけして日常に戻ります。
雑煮もおせちも初詣も、私の視界からは消えました。
特別なことをするために時間やカネといったリソースを使っている余裕は、私には無いのです。
人間が決めた「年」という区切りの数値が変わっただけで、特別なことも湧き上がる感情も無く、少しずつ「古来から続く人間のしきたり」から距離をおいてみようと思います。
年が変わって、おめでたいという感情も湧いてきません。
むしろシステム面で、世の中のWebサービスは「今年と前年の履歴はアクセスしやすいけど2年前の履歴はアクセスしづらい」ものが結構あるので、2024年12月のデータを見たいときに不便だな、というネガティブなことを考えています。
そんなわけで新たな決意とかも無く今回の記事を締めたいと思いますが、面白いと思ったらぜひ私の他のコンテンツもお楽しみください。


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


「月ごと」「年ごと」「周年」を活動のトリガーにしていませんか

はじめに

2025年の終わりが近づいて、月が12月から1月に切り替わろうとしている今思うことを。
社会に出て数年間過ごしてみると、下記のような催し物が非常に多いことに気づくのです。
・1ヶ月ごとに行われる定例会
・毎年同じような季節に行われるイベント
・企業や商店の「創業◯周年祭」
要は「何かを基準点として、その基準点から一定の期間が経過したから催し物をする」ということが、世の中にあふれているのです。

時間は状態の変化を示すパラメーターに過ぎない

よくよく考えてみると「1ヶ月経ったから何かやる」「1年経ったから何かやる」というのは、活動の動機としては不自然に思えます。
太陽が東から顔を出して西に沈むのを30回程度繰り返しただけなのに、それを根拠に何かやろうというのです。
セシウム133の原子の動きによって定義される1秒を60回繰り返したら分、分を60回繰り返したら1時間、1時間を24回繰り返したら1日、そして1日を30回程度、365回程度繰り返したら、それを「1ヶ月」とか「1年」といった区切り(何か意味のありそうな単位)として定義して、区切りが良いから何かやろう、というのです。
自然界から見れば、人間の「太陽が30回程度顔を出したから何かやる」「1秒を60回*60回*24回*365回繰り返したから何かやる」というのは、不思議で不可解なのです。
時間は状態の変化を示すパラメーターに過ぎず、太陽が東から顔を出して西に沈むのを繰り返しても何か意味があるわけでもありません。
ところが人間はその状態変化に「1ヶ月」とか「1年」といった区切り(何か意味のありそうな単位)を定義して、区切りが良いから何かやろう、というのです。

中身のない定例会議

かつて私が勤めていた職場で、それまで定例会議の文化が無かったのに「1ヶ月に1回はチーム全員の顔合わせをしよう」ということで定例会議を始めた部署がありました。
最初は活気に溢れているのですが、何度も会議を繰り返すうちに「なんとなく集まっているだけで中身の無い会議」になってしまうのですよね。
前回の会議以降に起きた事象や、今後行うイベントの周知などがテンプレート化された形式で報告されるだけで、あとは役職が高めで声の大きな人が思いつくままに言いたいことを行って終わり。
会議というのは多くの参加者のスケジュールの同期を取る手間がかかるので「本当に集まる必要がある緊急性の高いときだけやる」のが原則だと思うのですが、世の中では「なんとなく1ヶ月ごとに定例会議」をしている職場が多いですね。

経済活動の限界

世の中の企業や商店は「創業からちょうど◯年経って区切りが良い」という理由で商品の安売りをしたりします。
また、クリスマスやバレンタインデーやブラックフライデーといった「毎年同じ時期にある事柄」を理由に商品の安売りをしたりします。
キリスト教徒でもない消費者がクリスマス商戦で買い物をしたり、キリスト教に関連性の無い商品を買い求めたりするのです。
そんな光景を世界の至る所で繰り返し眺めていると、ふと思うのです。
「もしかして消費者にカネを落としてもらう経済活動に限界が来ているのでは」と。
経済活動はどんな分野であれ、基本は消費者のニーズ(需要)に対して生産者が商品やサービスを供給し、消費者から生産者へカネを対価として支払うことで成り立ちます。
消費者のニーズがしぼめば経済活動は成り立たず、企業や商店は経営が立ち行かなくなります。
そして今は消費者のニーズがしぼんでいる状態で、企業や商店が創業祭だのクリスマス商戦だのと理由をつけて無理矢理「消費者のニーズを創出する」しか打つ手がなくなっているのでは、と思うのです。
おそらく創業祭とかクリスマス商戦とかの特別なセールを一切やらずに通常営業をするだけになった途端、破綻する企業や商店は多いのでは、と。
特別なセール、特別なイベントをやらずに日々ルーチンワークをこなすだけの方が従業員の負担は少ないのに、それだけだと破綻してしまうから無理して特別なことをしている職場が多いのだろうなと思うのです。

最後に

この記事を読んだあなたの周りで
・月ごとに何かやる
・年ごとに何かやる
・◯周年だから何かやる
という根拠に基づいて活動していることはありませんか?
そしてその活動は、本当に必要なことですか?
「ただ区切りがいいから」というだけだったりしませんか?


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


Instagramの投稿を複数キーワードのAND検索する方法 #IT #SNS #ノウハウ

はじめに

今回紹介する方法は「百発百中で完璧」ではないです、とまずはおことわりしておきます。

Instagramの検索機能って不便ですね

InstagramをPCでもスマートフォンでも使っていますが、「なぜこんな不便なSNSが世界中に普及したの?」と思うことがあります。
それを強く実感するのはInstagramの検索機能で、この記事を執筆した時点では下記のような検索ができません。
・複数キーワードのAND検索
・投稿日時を限定した検索(たとえば本日投稿されたもののみを対象にした検索)
・検索結果の並び順(関連性、新しい順)の変更
地図上で「場所に紐づいた投稿の抽出」ができるのは面白い機能だと思うのですが、投稿者が必ずしも投稿に場所情報を付加するとは限らないので、見たい投稿にたどり着けないことが多いです。

私が思う、Instagramの設計思想と情報学の鉄則

24時間で消えるストーリーズ機能も含めて、なんとなくInstagramって「投稿された情報からユーザーが求めているものにたどり着かせる」ということを重視していない気がするのですよね。
「ユーザーが情報を見つけるのはセレンディピティ(偶然の出会い)で、その投稿者が気に入ったならフォローして次にどんな面白い投稿が出てくるか監視すればいいし、その投稿だけを広めたいならシェアすればいい。
膨大な情報の海から複数キーワードで絞り込んで検索するユーザーなんてほとんどいない。
SNSの投稿ひとつひとつに大した価値は無い。
投稿が情報の海に埋もれて見つけられなくても誰も困らない。
24時間で消えても誰も困らない。」
と割り切った設計思想に思えるのです。
情報学(ICTなどの技術寄りで理系的な情報科学も、図書館情報学もひっくるめて)の鉄則は「ユーザーが求めている情報に最速の時間と最少の手間でたどり着けるようにする」だと思うのですが、Instagramはその鉄則に反しているように思えるのです。
私がGoogleが世の中に出てくる前の、Yahoo!やらgooやらinfoseekやらAltaVistaやらの検索エンジンで「欲しい情報にたどり着くには複数キーワードのAND検索するのが当たり前」という世界で育ってきたためにそう思えてしまうのかもしれません。

Googleの詳細検索と期間指定を使う

さて前置きが長くなりましたが、ここからようやく本題の「Instagramの投稿を複数キーワードのAND検索する」方法論です。
使うのはGoogleの詳細検索と期間指定です。
PCでWebブラウザからGoogleで複数キーワード検索した上で検索結果の画面に表示される「ツール」→「詳細検索」を押下します。

Googleで検索すると検索結果の画面に表示される「ツール」→「詳細検索」です。

検索オプションの画面に切り替わったら「サイトまたはドメイン」欄にinstagram.comを入力して「詳細検索」ボタンを押下します。

検索オプションの画面に切り替わったら「サイトまたはドメイン」欄にinstagram.comを入力します。

これで検索結果に表示されるのはInstagramのみになります。
この記事を執筆した時点ではInstagramGoogleクローラーが到達可能になっているようで、公開されているInstagramの投稿については検索結果に表示されるようです。
あとは「ツール」→「期間指定なし」を変更すれば、直近1ヶ月以内の投稿に絞り込めたりします。

「ツール」→「期間指定なし」を変更して投稿を絞り込めます。

注意事項

上記の方法はこの記事の冒頭でも触れた通り「百発百中で完璧」ではありません。
GoogleクローラーがすべてのInstagramの投稿を巡回済みでGoogleのインデックスに登録済みとは限らないので、抜け漏れはあると思います。
これまで何度か試した感じでは「結構拾えているな」という印象です。
投稿から24時間経っていないものも検索結果に表示したりするので、完璧ではなさそうだけど結構優秀な感じです。

最後に

今回の内容をまとめるとInstagram純正の検索機能は使い物にならないからInstagramから見てサードパーティに当たるGoogleの機能に頼った」わけです。
検索機能が充実しているのは、さすが検索エンジンで飯を食ってきたGoogleという感じですね。
企業に勤めていて広報やマーケティングに携わっている方だったらすでに当たり前に使っている方法かもしれません。
わざわざ詳細検索を表示せずにキーワード入力欄に「site:」を直に入力してる、という方もいるかもしれません。
なお今回はInstagramの投稿を対象としましたが、「サイトまたはドメイン」欄を書き換えればXやFacebookなどの他のSNSの投稿も拾えます。
SNSの運営元の方でGoogleクローラーが弾かれるクローズドコミュニティにしない限りは使える手法だと思います。
Instagramの検索機能って不便だな、と苦しんでいる方に今回の記事が参考になれば幸いです。


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


パーカーのフードをかぶるZ世代 #ファッション

はじめに

この記事を執筆する数日前、仙台には銀杏並木の葉を落とす木枯らしが吹きました。
そんな季節に仙台の街でよく眼にするようになったのが、パーカーのフードをすっぽりかぶって歩いている人です。
どうやらZ世代と呼ばれる20代~30代くらいの男女に見られる服装です。

パーカーのフードをかぶると叱られた世代

私は1980年生まれで1990年頃からパーカーを着て育った世代なのですが、子どもの頃にパーカーのフードをかぶると家族から叱られていました。
当時は「パーカーのフードはファッションパーツ、飾りであって背中に垂らしているのがあるべき姿で、かぶるものではない」という考え方だったようなのですね。
フードの「かぶって頭を寒さから防ぐ」という機能性よりも、背中を彩る装飾性が重視されていたわけです。
あとはフードをかぶっていると周囲から顔を隠す感じになり、それは社会に出る身なりとしては無作法だろう、という考えもあったのだろうと思います。
おそらく昭和生まれの方だったら上記に同意したり、近い考えを持っていたりする方が多いのではなかろうかと思います。
そんなわけで私は秋冬はパーカーを着てフードは背中に垂らし、頭の防寒にはニット帽をかぶる、という服装をすることが多く、「パーカーのフードをすっぽりかぶって歩いている人」を見るたびに「Z世代は価値観が違うんだ、機能性重視なんだ」と衝撃を受けているわけです。
「Z世代はコスパ重視で理にかなっていないことはやらない」というのはよく耳にしますが、それを具現化したのが「パーカーのフードをすっぽりかぶって歩く」ということなのかもしれないなと。

終わりに

私のお気に入りのパーカーです。

私が持っているパーカーのうちお気に入りの一着です。
前後に同じ柄の猫が描かれています。
2024年にTEMUで買いました。

temu.to


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


私の自転車、冬タイヤを装着できないらしい #自転車

私が普段使っている自転車

私は2015年に購入したYAMAHA PAS Brace XLという電動アシスト自転車を生活の足として利用しています。
2025年に入ってからはこの自転車にデリバリーバッグをつけたり腕時計をつけたりカスタマイズをしています。


www.youtube.com


www.youtube.com

さてそんな自転車なのですが、最近困ったことが1つあります。

冬の凍結路面対策

私が住んでいる仙台は毎年1月~3月に、道路に積雪やアイスバーン(路面凍結)が発生します。
過去の冬にはこの自転車に乗車中、アイスバーンで横滑りして転倒したこともあります。
そんなわけで「次の冬には滑らないよう対策しよう」といろいろ調べまして、自転車にスタッドレスタイヤスパイクタイヤという「冬タイヤ」と呼ばれる類の製品があることを知りました。

hayasaka.co.jp

hayasaka.co.jp

「これ良いわね」と思い、自転車を買った店舗に「冬タイヤをつけたいけどいくらかかります?」と問い合わせしてみたのです。
「店舗での工賃含めて2万円くらいかな」と見込んでいたら、店舗からの回答は
『お客様の自転車には冬タイヤは装着できません』
でした。

自転車のタイヤの径と幅

私の自転車のタイヤにある「(38-559)26x1.50」です。

どういうことかといいますと、私の自転車で使われているタイヤのサイズに合う冬タイヤが市販されていないようなのです。
私の自転車の取扱説明書によるとタイヤは「26x1.50」で、装着しているタイヤには「(38-559)26x1.50」と記載されています。
「26x1.50」というのはタイヤの外径が26インチで幅が1.50インチ。
「38-559」というのはETRTOという規格に沿った表記だそうで、幅38mmで内径が559mmらしいです。
幅の1.50インチはmmにすると38.1mmになるようなので38-559とほぼ一致します。
そしてこの「(38-559)26x1.50」サイズのスタッドレスタイヤスパイクタイヤが世の中に出回ってないようなのです。
一番近そうなサイズはSCHWALBE ウィンター 26x1.75というスパイクタイヤなのですが、製品仕様が幅1.50インチの自転車に幅1.75インチのタイヤを装着するのはおすすめしないとのこと。

そんなわけで私の「自転車に冬タイヤをつける」という野望は潰えたのでした。

自転車を買うときにタイヤ幅を気にします?

ここでふと思ったのが「プロの自転車選手ならともかく、シティサイクルに乗る『生活の足として自転車を使う人』がタイヤの幅なんて気にするか?」ということです。
自転車選びの際にタイヤについては24インチか26インチか、というような外径を気にする人は多いでしょう。
身長に対してタイヤ外径が大きすぎると乗車時につま先が地面に着かなくて危険な場合があるから。
でも幅なんて気にするものかなと。
最近は極太タイヤのファットバイクとかも出回ってきてますが「自転車ごとにタイヤの幅が違うなんて知らない」という人が大半ではと思うのです。
そしてタイヤの幅によっては「その自転車、アイスバーン対策できません」と言われたら、なんじゃそりゃ、ってなるわけです。

何も打つ手は無いのか?

さて冬タイヤの野望が潰えて、真冬のアイスバーンで転ぶしかないのか、というと、何も無いわけでもないようです。
たとえば世の中にはタイヤグリップという、タイヤにスプレーするとグリップ力が上がるらしい製品が出回っています。
どうやら木材の樹脂をタイヤに吹き付けることで摩擦力を上げて滑りにくくするようです。

ただAmazonのレビューを見る限りこまめにスプレーしないと効果が持続しないようなので、どこまで信用できるのかはわかりません。
大雪の日に移動中に滑って転んで「効果が切れた、スプレーしなきゃ」なんてことを雪まみれになりながらやってる余裕はあるのか、という疑問もあります。
あとはタイヤに結束バンドみたいな感じで装着するチェーンもAmazonで見かけましたが、これは自転車のキャリパーブレーキに引っかかるから危なくて使い物にならないかなと。

大人向けの自転車用補助輪をつければ自転車が倒れるのを防げるかとも考えましたが、雪が積もった日に路上の雪に引っかかる箇所が前輪・後輪に補助輪も加わるとなると引っかかって走れなくなる頻度が増すのかなと。

そんなわけで冬タイヤの代替案が無くはないけど決定打に欠ける、という印象です。
検索して見かけた記事によっては「冬タイヤを含めてどんなに対策しても滑って転ぶ時は転ぶ、だから確実なのはアイスバーンの日は乗らないこと」という、あきらめるしかないようなものもありました。
21世紀の技術をもってしても自然の猛威には勝てないのか、こうなったら地球温暖化して真冬でも氷点下に下がらないよう星ごと作り変えるか、などと思ったりするわけです。

とりあえずどうしたかというと

肘と膝のプロテクターです。

地球温暖化を考える前に数ヶ月後に迫った冬を乗り切らねば、と現実に立ち返り、とりあえず肘と膝のプロテクターを購入しました。

アイスバーンで横滑りして転倒することは避けられない、ならば骨折などの怪我をなるべく回避しましょう、というわけで自転車に乗る時はヘルメットに加えてプロテクターを身につける方針です。
「積雪やアイスバーンの日に自転車に乗らなきゃいいじゃん」と言われそうですが、どうしても自転車に乗って移動しなければならない事情がありまして、とりあえずはこの方針で冬を乗り切れるか試してみます。

終わりに

もしこの記事をヤマハ発動機の関係者の方が読んでいれば、YAMAHA PAS Brace XLの開発元として冬タイヤを開発してもらえませんかね?


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


ハロウィンに思う「若さの定義」

はじめに

毎年10月31日のハロウィン。
私が子どもの頃は特に何もなかった日だったと思いますが、近年は大人も子どもも仮装やフェイスペイントをして街を歩く日になりました。
私が住んでいる仙台ではこの日は仮装した人が仙台駅に集まるようになりました。
なぜ仙台駅に集まるようになったのかはわかりません。
仙台駅に何かあるようには思えませんが、なぜか仙台駅が仙台におけるハロウィンの聖地のような位置づけになりました。
そして羽目を外した参加者によって10月31日は仙台駅に多数の警察官が来て監視を行うようになりました。

2025年のハロウィン

2025/10/31の仙台は大雨になりました。
晴れていれば警察官が監視する中で仮装した人たちが仙台駅を練り歩いたのだと思いますが、大雨では仮装の有無を問わず歩く人はまばらでした。
当日の22時頃の仙台駅の景色を収めた動画です。


www.youtube.com

警備に加えて大雨によって2025年は静かなハロウィンになりました。
単純に私が観に行った22時頃が夜遅すぎて、盛りの時間を過ぎていただけなのかもしれませんが。
当日の雑踏をじっくり見ると、耳が生えたカチューシャをつけるだけ、というような「羽目を外しすぎない程度の軽い仮装」を楽しむ人が結構いた印象です。
「ぶっとんだことをするつもりはないけれど、一応ハロウィン気分を楽しんでますよ」とアピールしている感じですね。

若さとはなんだろう

ハロウィンとは直接関係が無いことなのですが、最近「若さとはなんだろう」と考えていました。
この記事を見ている方が思う「若さ」とはなんでしょう?
年齢が幼いこと?
勢いや躍動感があること?
無鉄砲、無計画であること?
「若さ」と一口に言っても、該当しそうなことにはポジティブな側面もネガティブな側面もあるでしょう。
さて、私は拙書「金儲け症候群(マネタイズシンドローム)」でも触れましたが、24時間365日金儲けのことを考えていないと気がすまない性分です。

私は「金儲け・収益化・マネタイズにつながらないことはやりたくない」「睡眠中であっても食事中であっても資産が自動で増える仕組みを構築したい」と思うような人間です。
上記の動画だって金銭を得るために作成・公開していますし、なんならこの記事だってアフィリエイトで儲けるために執筆・公開しています。
そんな私が思う「若さ」とは、「金儲け・収益化・マネタイズにつながらないことをすること」だと思っています。
仮装やフェイスペイントをして仙台駅前を練り歩くという行為は、衣装代やらフェイスペイントするための時間やら歩く時間やら、様々なリソースを消費するだけで、何も収益を得ていない行為です。
非日常を味わうことによる満足感や多幸感、友人との楽しい思い出といった精神的に得ているものはあるのかもしれませんが、金銭・収益という観点では稼げていません。
そういう行為に没頭できるのが「若さ」なのだろうと私は思うのです。
「いやいや、実は仮装してる姿をライブ配信してSuper Chatを得てるんです」というのであれば、それは若さではなく老獪です。
そもそも10月31日に仮装する必要ってないのですよ。
「仮装しなきゃ卒業や進級に必要な単位をあげません」とか学校で言われたりしてないでしょう?
やる必要なんて何も無いのに、なぜか10月31日に仮装やフェイスペイントをして浮かれ騒ぐ人々が結構いるのです。
「ハロウィンだから」という理由だけで、そこに理論に裏打ちされた何かがあるわけでもなく。
きっとその活動の源に「若さ」があるのだと思うのです。

最後に

2025年現在こそハロウィンは仮装やフェイスペイントで非日常を楽しむ日として定着していますが、私の予想では将来は廃れるのでは、と思っています。
ハロウィンを楽しむなら「若さ」だけでなく経済的余裕も必要ですからね。
物価高で国民総貧困の時代、「生きるのに必要ないものにはカネをかけない」「仮装して仙台駅に行ってる暇があったら働いて稼げ」と考える人が増えていくでしょう。
それに少子化で年齢的に若い世代がどんどん減っていくことで、仮装して羽目を外す人の絶対数も減るでしょうし。
ハロウィンとかクリスマスとかバレンタインデーとか恵方巻とか、日本人にとって「おなじみの行事ではあるものの生きる上で必要なものでもない」ものがいつまで持ちこたえられるのか、興味深いところです。


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


宮城県知事選を目前にして選挙カーと街頭演説について思うこと #政治 #社会

はじめに

2025/10/26の宮城県知事選の直前に、この記事を書いています。
私が住む仙台では宮城県知事選の立候補者のうち何名かが選挙カーを走らせ、人通りが多いアーケードでは街頭演説をしていました。
そんな光景を眺めて思うことを書いたのが今回の記事です。

立候補者名を連呼する選挙カー

昭和・平成・令和と時代は変わっても、不思議なことに「選挙カーが立候補者名を連呼する光景」は変わりません。
その候補者がどんな人となりで、どんな主義主張や公約を掲げているのかよりも、ひたすら名前を連呼するのです。
まあ名前を記憶に刻み込ませようという戦略なのだろうというのはわかりますが、有権者が「街で名前を聞いて覚えてるのがこの候補者だから」「政治に詳しくないけど、なんだか昨日まで選挙活動をがんばっていたから」なんて浅はかな理由で選ぶと思っているのでしょうか。
選挙カーを走らせて立候補者名を連呼すれば投票してもらえると思っているのであれば、それは有権者を「知恵の無い存在」とみなして低く見ているように思えるのです。

なぜ声と身振り手振りだけで選挙活動をするの?

選挙カーにしても街頭演説にしても気になっていたのですが、なぜ声と身振り手振りだけでアピールしようとするのでしょう?
ビッグデータとか見える化とか、もはや一般化している時代ですよね?
データを可視化して説明する方が説得力が増すのでは?
たとえば、選挙カーを使うなら大型ビジョンを備え付けて、データをグラフにしたものを聴衆に見えるようにした上でプレゼンした方が、主義主張が理解されやすいのでは?
拙書「業務を効率化したければ電話を捨てなさい」でも同様の主張をしましたが、声だけを使った情報伝達って非効率で今の時代にそぐわないのですよ。
耳から入ってきただけの情報なんて記憶に残らないし、発言者の発声によっては聞き取れないこともあるし、当選後に街頭演説で主張したことをやらずに言った言わないの火種になるし。

公約よりも「現状分析・課題の明確化・解決策の妥当性」

どの候補者も公約をいくつか打ち出していますが、どうせ当選しても実現しなかったり、理想を並べた夢物語だったりするのでしょう?
有権者が知りたいのは公約ではないのです。

現状がどうなっているのか様々なデータ(人口とか税収とか宮城県を取り巻く経済とか教育とか)を集めて分析して、
データ(数値)に裏打ちされた現状から解決すべき課題は何だと考えているのかを明確にして、
その課題を解決するためにどんな施策を打つのか(当選後に得られる肩書で現実的に実現可能な施策なのか)、
そういった事柄を可視化してもらいたいのです。

企業で働いたことがあって人事考課の経験があれば、誰しも似たようなことをしますよね。
自分の抱えている課題は何で、それを解決するために今後の半年や一年でどんな取り組みをするのか。
評価する側は課題と解決策が妥当であれば承認します。
それと同じことを、「自分」を市町村の首長であれば「市町村」に、都道府県の首長であれば「都道府県」に、国会議員であれば「日本」に置き換えてやってもらいたいのです。
有権者は課題と解決策が妥当であれば投票します。

最後に

令和の時代になっても選挙活動は「選挙カーが立候補者名を連呼する光景」で昭和の時代で止まっています。
「なんだかよくわからないが選挙活動をがんばっているから一票入れてやるか」「なんだかよくわからないが声を張り上げているから一票入れてやるか」という感情論・根性論で有権者が動くものだと思われている気がするのです。
かつては根性論が根付いていたスポーツ界は、今やデータアナリストがチームについてデータをもとに戦略を立てるのが当たり前の時代です。
野球であれば投手と打者の過去の傾向から「この投手は次にこの球種を投げる」「この打者はこのゾーンは苦手」とか丸裸にされて、その情報をもとに戦略が立てられます。
陸上や自転車などのレースであれば走行中のフォームを撮影して分析し、「より力が伝わるフォーム」「より空気抵抗が少ないフォーム」に修正していきます。
あらゆる分野でデータドリブンになる今の時代に、選挙活動や政治の世界だけが感情論・根性論から脱却できていない。
宮城県知事選の直前に仙台の街を駆ける選挙カーを眺めながら、そんなことを思いました。
感情のこもった力強い演説とかどうでもよいので、当選した立候補者にはデータと理論に裏打ちされた方法で宮城県をより良く(増やすべき数値を増やし、減らすべき数値を減らす)してもらいたいものです。


記事が面白いと思った方は私のポータルサイトAmazonで売っている電子書籍もお楽しみください。

youhei-red.info

amzn.to

 


記事の情報などを調べたい方は下記の検索窓をご利用ください↓


☆広告☆