
小田原城:八幡山古郭東曲輪より。
小田原城の総構と一夜城に行ってきました。
PCを背負って。(笑) ←全然仕事を忘れてないだろ。
※なぜ小田原かと言うと、東京から日帰りで行けるのに、総構え(そうがまえ)にはまだ行ったことがなかったからです。
総構えとは、街全体を取り囲んだ長大な城壁のことです。
中国や中世ヨーロッパには長い城壁がよくありましたけど、日本の戦国時代では小田原城が最大の総構でした。
小田原北条氏4代目の北条氏政は、隠居後に上の画像の八幡山の方に住んでいたらしいです。
氏政は豊臣秀吉の上洛命令に対して、1589年12月には聚楽第に出仕するつもりで準備を進めていました。でも秀吉は11月中に北条氏政が上洛する予定だと勘違いしていたようです。
そうこうするうちに、真田の領地の名胡桃城を北条の家来が勝手に占領する事件が起きました。秀吉は怒って、今すぐに氏政が上洛しないなら北条を攻めると言い出しました。
徳川家康が大阪城で秀吉に服従の意を示した時は、大政所が人質として差し出されています。北条氏政が上洛する時にも、北条側は同じような措置を求めました。
しかし交渉は決裂。
秀吉は、22万人とも言われる大軍勢で関東征伐に乗り出します。
それに対して、北条氏政と息子の北条氏直が取った作戦は
籠城です。
籠城と言っても、天守閣に籠城するわけではありません。
全長9kmの巨大な総構に籠城したのです。
その小田原城総構を歩いてみます。
東急新横浜線・新横浜駅より。
私は現在、渋谷区に住んでいます。
東横線の沿線に住んでいた頃は、小田原に行くなら、菊名乗り換えで新横浜からこだまでした。
新宿に住んでいた頃は、ロマンスカーでした。
渋谷から品川経由で小田原だと、新横浜から新幹線に乗るよりも1000円高くなります。
ロマンスカーだと観光気分は出ますけど、新宿まで逆戻りする必要があります。
最安値はおそらく下北沢経由の小田急快速急行でしょうけど、これは1時間30分もかかります。
湘南新宿ラインは小田急の快速急行と同じくらい時間がかかって、小田急よりも高いのでメリットがありません。
結局は新横浜利用が、ほどほどに早くて、ほどほどの値段になると思います。
国内出張みたいで観光気分は出ないですけど。
今は渋谷から東急新横浜線にも直通するようになったので、以前よりも新横浜駅利用は楽になったはず。
……と思いきや、新横浜に行く急行湘南台行きは1時間に2本。
東横特急は元町・中華街行きなので、武蔵小杉で海老名行きか何かに乗り換えになります。
武蔵小杉駅で乗り換え。海老名行き。
東急が湘南台行きとか海老名行きとか浦和美園行きとか森林公園行きとか小手指行きとか……直通運転のしすぎで、行先に違和感が。
しかも東急新横浜駅は最後に作られたので、地下4階にあります。
新幹線への乗り換え時間は横浜線からの方が早い。
だから横浜線の菊名経由でも、時間的には大差ないのですね。
ちなみに乗換案内だと新横浜経由のルートは自動で出てきません。
最も安くて最も遅い在来線や、最も早くて最も高い品川経由は出ても、その中間は出ないのです。
自分の頭で考えるか、乗換案内を使うなら新横浜を経由すると手動で設定する必要があります。
それに乗換案内だと、当日の座席変更情報は反映されていません。
自由席が減っているこだま
こだまの自由席は1号車~6号車と、13号車~16号車だとネットに書かれていても、実際には写真の通り、1~6、15、16号車が自由席で、13、14号車は指定席に変更されていました。
勝手に変えないで……。おかげで15号車まで歩くことに。
自由席が減っていたせいか、3列シート。周りはスーツ姿のおじさんだらけ……。
東京駅からだと必ず2列シートに座れます。でも新横浜駅からだと、たとえ座れても、写真のように3列シートになることがよくあります。
1人だけ若い美人お姉さんがいたので、その隣に座らせてもらいました。
高速バスだと女性専用席がありますが、東海道新幹線は昭和のおっさんの発想ですからそんなものはありません。
2024年まで喫煙ルームを設置していたような、最も保守的な鉄道会社のJR東海が経営しているのです。
駅の案内なども、関東の鉄道会社はとっくに4か国語になっていますが。
JR東海は昭和時代のままです。
車内の英語アナウンスも、東京の発音が「とうきょう」ではなく、「トキョ」と変に訛っています。
この変なアクセントも国鉄時代から変わっていません。
さっき乗って来た東急は、渋谷の発音は当然「しぶや」と平板になっていて、「シブヤ」とは違いますし、小田急の新宿行きも「しんじゅく」と正式に平板で発音しています。
JR東海は日本語地名の正しい発音を馬鹿にしているの?間違った発音を外人さんに教えたいのでしょうか?
外国人は英語圏の人ばかりではないですよ?
守旧的で古い発想を変えられないのは、地域性なのか、会社独自の体質なのか、どっちでしょうね?
私はどこの鉄道会社の肩を持つつもりもないですけど、客観的に見て、JR東海は古臭いと思います。
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PCを出せるような雰囲気ではなかったので、(横の人に覗かれると困るので)、会社から強制的に持たされているスマホでこっそりメールチェックをします。
さすがは社畜ちゃん。
東海道新幹線は出張客のことしか考えていないので、窓も小さいです。
(割れた窓を交換するコストを削減するため?それとも出張族の人は景色なんて見ないから?)
観光向けの列車ではないと思います。
乗り心地も、この前の海外出張で乗った上海~蘇州の高速鉄道の方が上でした。
これを言うと鉄道オタクが嫉妬するかもしれませんけど(笑)
事実だからしょうがないです。
新しく出来た路線と比較しても無意味ですけどね。東海道新幹線とは建設された年代が違いすぎます。
東京~新大阪間は昭和30年代に作られた古い路線です。
もしかすると開業当初に想定していた以上にスピードを出しすぎているのかもしれません。
時速210km~220kmくらいで走っていた頃はほとんど揺れなかったのですが。
今の東海道新幹線は、100系の頃と比較するとかなり揺れるようになっています。
飛行機とのぞみが競争しているので、こだまものぞみの邪魔をしないように無理矢理の速度で走らせる必要があるのでしょうね。
でも速さではどうやったって飛行機には勝てないのですから、もう少しゆっくり走らせて乗り心地を良くする方向になってもいいのになと思います。
中国の高速鉄道より
※中国の高速鉄道は、座席のランクが3段階~4段階くらいに分かれています。
路線によってはビジネスクラスが横2列で個室のようになっていたり、
中国の高速鉄道より
さらに上のクラスだとフルフラット180度横になれる、まるで飛行機のファーストクラスのような豪華な座席を使用している路線もあります。
(この座席は飛行機ではなく、中国の高速鉄道です)
その代わり、最も上のクラスの料金は普通車の4倍もします。
金を出す人ほど優遇しまっせと言っている。カネ次第で、差をつけている。
東海道新幹線だと普通車が横5列で、グリーン車が横4列。
ほとんど差がありません。グリーン料金も大したことはありません。
最近は日本も格差社会になったと言う人がいますけど、戦前の華族がいた頃の方がよっぽど格差があったでしょう。今はそんな差はありません。
昭和中期から現在までの日本人はみんな横並びで上下差があまりないのです。
日本は富裕層向けの税金も高くて、相続税の税率は最大55%もあります。
金持ちでも2回くらい相続すると庶民になるように設定されているのです。
※世界には相続税の税率が0%という国がたくさんあります。
中国も相続税の税率は0%です。
イメージと違って、富裕層を優遇しています。
香港もそれに合わせて、相続税を廃止して税率を0%にしました。
同じく相続税を廃止したのは、シンガポールやニュージーランドやオーストラリアやカナダなど。
これら相続税のない国や地域では金持ちは金持ちのままです。
それに対して日本の税制は、金持ちから多く取って貧乏人に分け与えるのが基本的な考えです。
どちらがいいのかは知りませんが、日本は想像以上に庶民向けの国なのです。
北条早雲像
小田原駅前では北条早雲像がお出迎え。
牛さんがいますね。これは牛の角に松明をつける「火牛の計」という兵法によるものです。
北条早雲は下克上による戦国大名の代名詞のように言われていますが、元は足利将軍の側近だったのです。
京都から駿河に行って、今川の支援で、駿河→伊豆→相模と侵攻してきました。
伊豆への討ち入りも、早雲の単独行動という説の他に、細川政元と連動していたという説もあります。
ただし税制に関して言えば、伊豆を平定した時に、五公五民から「四公六民」に減税しています。
北条氏康の時代にも、代官の中間搾取を排除したり、枡の計量の不正を禁止しているので、庶民寄りの一族だったと言えます。
北条政子や北条義時など鎌倉時代の北条氏とのつながりはありません。
北条氏綱の妻が鎌倉北条氏の末裔だったという説もありますが、本当かどうかは分かりません。
でもなぜか北条義時ゆかりの鎌倉グッズが、小田原駅のおみやげ店に売られていたり……。(鎌倉ブームを当て込んでいた頃の売れ残りだったりして)
会社の人用におみやげを探しても、小田原の名物は「ちょうちん」とか、「かまぼこ」くらいしかないのですね。
かまぼこは、職場で配るには向いてないかな。
北条早雲像からまっすぐ行って、急坂を登って行きます。
しばらく行くと、山ノ神堀切という空堀があります。
尾根を分断する形になっていて、通行を制限するために設けられています。
実際の堀はもっと深かったようで、発掘調査はまだこれからだそうです。
この場所は小田原城総構の最も北側なので、外に通じる門もあったようです。
稲荷森。
写真では伝わりませんが、一度下りたら二度と戻ってこられないのではと思われるような深い谷底になっています。
谷の反対側にも高い土塁があって、麓から登って来ても堀の存在が確認できない状況を作っています。
小峯御鐘ノ台大堀切・西堀
このあたりは、小田原城の最も外側の空堀が複雑に組み合わさっていて、相当に堅固な要塞だったことがわかります。
小田原駅からここまで1時間かかっています。
説明板を読んだり、写真を撮りながらというのもありますが、かなり広大な範囲です。
小峯御鐘ノ台大堀切・東堀
ここが最も良く保存されている場所です。
写真では大きさが伝わらないので比較のために代理キャラを入れました。本当に人間はこれくらいです。
深さは12m、角度は約50度、長さは280mあります。
しかも関東ローム層は粘土質なので、すべりやすい。
実際に登ろうとしても急勾配で大変です。
こうやって実物を見てみると北条氏が豊臣秀吉に従わなかった理由もよく分かります。
この巨大な総構に籠城していたら、小田原城が難攻不落だと思い込むのも仕方ありませんね。
では攻める側の拠点となった、一夜城はどんな感じなのでしょうか?
隣の早川駅に1駅移動してきました。
いきなり無人駅かと思うような業務委託駅で、改札は小さな簡易改札機です。
電車の本数も熱海行きは小田原止まりの半分。20分待たないと来ません。
駅前にも特に何もありません。
ここから徒歩で、画像の後ろに写っている石垣山一夜城に登ります。
こっちも相当にきつい坂道です。
農作業用の車が頻繁に行き交っています。
徒歩の人は車に注意して通行しないと農民のおじさんが運転する車に怒鳴りつけられます(笑)
すいませんねぇ。無料で観光客に通過されても、農家は儲からないですよね。
だけど昔の里山は何千年も前から大勢の人が焚き木などの燃料を取るために(柴刈りに)利用していた山なわけで。
誰かの私有地ではなく、みんなで利用してきた土地だったはずなんですけどね。
相続税の話でも書きましたけど、日本はそういう助け合いの国であって、格差はほとんどないのが本来の姿だったはずです。
それを「おらが所有している山に勝手に入るな」みたいな偉そうな顔をされても観光客は不快に思うでしょう。
登山者の通行が禁止されているわけではありませんし、ちゃんと端を歩いているのですから、車の方も歩行者に気を配って走行すべきだと思います。
あるいは、歩道を整備するとか。
こういう廃城は大抵田舎にありますけど、歩いていつも思うのは、田舎の道路は歩行者のことを何も考えていないなぁ……ということ。
東京で車が歩行者を煽るなんてあり得ないです。
田舎の人を馬鹿にするつもりはありません。
でも車が優先の田舎と、歩行者がたくさん通行している東京とでは常識が違うのでしょう。
よく登山者は、「公衆の通行」は憲法12条で保障された公共の福祉だとか、登山は憲法22条の移転の自由だ、などと言っています。
そんな法律問題を持ち出さなくても、立入禁止になっていない山道を通行してもいいのは昔からの常識なのです。
伊達政宗
小田原市の観光課は閉鎖的な地元の人と違って、歩いて登る観光客にもちゃんと配慮しているようです。
小田原攻めに参陣した有名な武将たちの看板が、200mおきくらいに全部で8人分設置されています。
この看板は左側にあるので、右側通行だと見落とします。
つまり登山者の順路は左側というのが小田原市の想定です。
後ろから来る車に注意して読みましょう。
読みながら登ると、モチベーションを保つのにいいと思います。
堀秀政(小田原攻めの先鋒)
↓
伊達政宗
↓
宇喜多秀家
↓
徳川家康
↓
豊臣秀次
↓
千利休
↓
淀殿(淀君)
↓
豊臣秀吉
伊達政宗は『独眼竜』のはずなのに、上の看板では両目が描かれています。
これは本人の希望のようです。
淀君(淀殿)
淀殿が一夜城にやってくるのも物語などで必ず描かれる場面ですね。
秀吉と家康が山の上から小田原城を見下ろして(一緒におしっこをしながら)
「関東八州をお前にやる」
とか言う場面もありがちです。(本当か?)
私は最近テレビをほとんど見なくなったのですが、『真田丸』は見ていました。
「一緒におしっこ」の場面は真田丸にも出てきました。
北条氏政が切腹するシーンもありました。
『どうする家康』では、淀殿が一夜城に遊びに来ていました。
(家康が平和主義者で戦が嫌いという設定は、『おんな太閤記』のテーマと似ています)
2026年は豊臣兄弟でまたまた戦国時代だそうですけど(ネタ切れ?)
豊臣秀長は小田原に来ていないので、一夜城は描かれないかもしれません。
2025年以降の大河ドラマは、たぶんもう見ないと思います。
最近のだと『鎌倉殿の13人』は、主人公が腹黒くてまあまあ良かったですけど、それ以外はつまらないのが多くて……。
『光る君へ』は、清少納言が紫式部の家にやって来て仲良くお菓子を食べながら談笑するシーンが何度も出てきたり、フィクションだと分かっていても、史実を改変しすぎでした。
(実際この2人は会ったこともないはずで、紫式部が一方的に清少納言をこき下ろしていただけです)
大弐三位が紫式部と藤原道長との間に出来た隠し子(笑)というのも、本人が見ていたらたぶん怒りますよ。お前は不倫で出来た子だろうと言われているのですから。
藤原道兼が紫式部の母親を刺殺したり、紫式部がなぜか九州まで旅に行ったり…荒唐無稽ですね。
紫式部の人生が誰にもよく分かってなくて、やることがないので、作り話で穴埋めするしかないのでしょう。
はっきり言って特定の主人公のドラマを1年もかけてやるような手法は、もう賞味期限切れだと思います。それでも放送局が超保守的なので、やり方を変えられないでのしょうね。
※だいたい今は、ドラマを見るような人は、ネットで自分の見たい時に見ているはずです。
決められた時間に向こうからやってくるのを1週間座ってじっと待つという昭和なテレビの形態が、もう時代遅れなのだと思いますよ……。
ロマンスカーが走っているのも見えます。
小田原~箱根湯本間はゆっくり走っています。
乗っていて楽しいのはロマンスカーの方だと思います。
窓の大きさも全然違いますし。
新幹線はあくまでも仕事用の移動手段でしょう。
ただしロマンスカーは通勤路線の小田急の遅延の影響を受けることがとても多いです。
小田急は千代田線や常磐線と直通して千葉県の奥地や茨城県にまで続いているので、どこかで急病人が出たり、痴漢が線路に逃亡したり、人が自殺すると、連鎖的に遅延します。
「お客様混雑による遅延」というふざけた理由の遅延も東京では多い。
※もちろん新幹線も急病人は出ます。のぞみが浜松で止まったりすると過密ダイヤなので後ろも連鎖的に遅延することがありますね。
石垣山一夜城歴史公園に到着しました。
早川駅からのんびり歩いて写真を撮影しながらだと、1時間近くかかります。
健脚者なら40分~50分でつくかもしれません。
石垣山一夜城歴史公園と書かれている左に南曲輪の石垣が見えていますが、あれはほんの一部で、さらに登って行くと、東曲輪、二の丸、井戸曲輪、本丸と石垣が見えてきます。
石垣山一夜城
東国最初の「総石垣の城」というだけあって、かなり広い城郭です。
一夜で出来た城というのは嘘で、実際には3か月くらいかけて本気で城を建設していたのです。
石垣を施工したのは安土城と同じ近江の穴太衆、建物の装飾は本阿弥光悦ですから本格的です。
でも縮小したサムネイル画像では実際に見た時の迫力が伝わらないんですよね。
小田原城の総構もそうですけど、写真で見るよりも実物の方が大きく見えます。
二の丸跡です。
馬屋曲輪とも呼ばれていて、その名の通り馬小屋もあったようです。
さらに上には本丸があって、この辺りの石垣は20m以上の高さがあります。
ベンチがあってお弁当を食べることも可能なはずですけど、山の上なので風が強かった……。
この日は天気は良かったのですけど、強風が吹いていて土煙がすごかったので、お弁当は食べられませんでした。
石垣山一夜城展望台より。
さすがに見晴らしは良好です。
本城曲輪と呼ばれている場所の石垣の上に展望台があります。
小田原城から見える面はこちらなので、北条氏を驚かせたという伝説があるのはこの場所のことでしょう。
ドラマなどで立っておしっこをするのも、この場所だと思います。
小田原城の天守
拡大してみました。
木が成長していて、半分隠れて少しわかりにくくなっていますけど、小田原城の天守もちゃんと見えています。
画像の真ん中、やや左下の、白壁の建物が小田原城の復興天守です。
木を伐採したらいきなり一夜城が見えたという伝説は、あの左側の木がもう少し成長してから伐採したら本当になると思います。
小田原城の展望台より
※逆に小田原城の展望台から一夜城のある石垣山もよく見えます。
後ろに見えている高い山は箱根の白銀山あたりで、その裏側は芦ノ湖です。
手前の鉄塔のある山が、石垣山一夜城です。
三の丸(北曲輪)展望台
淀君(淀殿)が化粧をしたという井戸の方にも展望台があって、こっちも景色はいいですね。
相模湾がよく見えます。
三浦半島や房総半島のあたりまで見渡せます。
この下には井戸曲輪があって谷底のような場所を石垣で囲っていて、下りていくこともできます。かなり大きな井戸なので登り返すのが大変です。
川島なお美さんの慰霊碑も、なぜかこの一夜城にあります。(笑)
淀殿もびっくりだ。
歴史探訪のつもりで来た人は、なぜ一夜城に川島なお美?と驚くことでしょう。
元旦那さんの経営する一夜城ヨロイヅカファームというレストランが石垣山にあるので、その関係でここに立っているそうです。
慰霊碑の隣の木の色は、ワインで出来ている血の色だったりして……。(冗談)
早川駅から石垣山一夜城へのアクセス。
約2.3kmです。
一夜城のパンフレットは小田原駅の観光案内所には置かれていませんでした。
(「はじめての総構」というパンフレットならありました)
現地の駐車場のトイレ前にはパンフレットが置いてありました。
徒歩50分と書かれていましたが、現地でそれを知っても遅いのでは……。
小田原城の公式サイトから事前にダウンロードした方がいいかもしれません。
はじめての総構より
「はじめての総構」より引用しました。
小田原城総構えの地図も紹介しておきます。この記事を見て行きたくなった人がいるのかどうか分かりませんが、まあ参考まで。
Bの「三の丸外郭新堀土塁」は、台風の大雨の影響で被害が出たので、私が行った時には立入禁止になっていました。
遠くから来る観光客の人は、知らずに三の丸外郭新堀土塁に立ち寄っても通行止めになっている場合があるので確認が必要です。
A、C、Dは入れます。
小峯御鐘ノ台大堀切・東堀
今回、小田原城総構と石垣山一夜城を一周して、一番見ごたえがあったのは、
Aの「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」でした。
ここに行くだけなら小田原駅から直線距離で1kmくらいですし、徒歩でもそんなに時間はかからないはずです。
上の地図だと、私が歩いたのは破線ですけど、「階段」と書かれている所を一直線に行けば東堀への最短コースだと思います。
全部を徒歩で一周するのが大変だと思う人は、小峯御鐘ノ台大堀切の東堀だけを歩くのもいいかもしれません。
小田原城:八幡山古郭東曲輪
一番上にも載せた、小田原城が正面に見える八幡山古郭東曲輪はDです。
ここは駅のすぐ近くなのに、私が行った時は誰もいなかったので、結構穴場です。お城を独占したい人は、この場所もいいかもしれませんね。
………駅に戻ってPCを立ち上げて、テザリングで接続して会社メールをチェックします。
メールが200通くらい届いていました。(泣)
でも一番多かったのは、クラウド型ワークフローシステムの決裁承認メールでした。(笑) さては書類を精査せずにクリックを連発したな。
ワークフローシステムって、多すぎる紙の申請書類や承認・決裁書類を電子化すると言っても、昔の「め〇ら判」をPCに置き換えただけでは……。
※めく〇判…稟議などの書類の承認や決裁で、書類をろくに読まずにハンコを押すこと。
あらゆる書類に判子を押すのが日本の会社です。新規取引開始申請書、信用調査依頼書、雇用契約書、異動昇進内申書、勉強会参加報告書や資格取得届や補助金申請書から、在宅勤務許可申請書やフレックス勤務申請書まで。それが電子印鑑になっても同じです。
……まあ、今日はいろいろなことがあって、たくさん歩きました。
さあ、明日からまた仕事だ!