こんにちは。「都会のはしっこ、2LDKで育ててます。」の管理人です。
少し前の記事ですが、ちょっと気になるものを見つけました。 「主体性」とか「非認知能力」とか、よく聞くワードに関する文科省の方針転換の話。
これ、読んでいて「あ、やっとか」と妙に納得してしまったんです。 親としてなんとなく感じていた「居心地の悪さ」の正体がわかったというか。
今日はその東洋経済オンラインの記事をネタに、ちょっとだけ真面目な話を。
この記事の3行まとめ
- 文科省が通知表の「主体性」評価をやめる方向へ。数値化による「演技」の弊害を懸念。
- 「非認知能力」を大人が鍛えようとすると、子供が「商品」や「道具」になりかねない。
- 親にできるのは「足し算」の教育ではなく、余計な手出しをしない「引き算」の環境づくり。
「主体性」って評価できるの?という矛盾
通知表にある「主体的に学習に取り組む態度」という項目。
あれ、文科省が今後の評価(評定)に反映させない方向で調整に入ったそうです。
この記事の指摘が、すごく的確でした。
「言われてやる」のは主体性じゃない
そもそも、「主体性」って何でしょう。
大人が期待する「やってほしいこと」を、子供が先回りしてやること?
違いますよね。
それはただの「察しのいい子」か「従順な子」です。
本来の主体性は、自分の内側から「やりたい(もしくはやりたくない)」という欲求が湧いてきて、自分で決めること。
だから、大人が「もっと主体性を出しなさい」と指導した時点で、もうそれは主体性じゃなくなっちゃう。
この矛盾、言われてみれば当たり前なんですが、意外とスルーされてきた気がします。
先生のための「演技」が上手くなる子供たち
これを無理やり評価しようとするとどうなるか。
記事でも触れられていますが、子供たちは「主体性があるように見せる」スキルを身につけます。
- 先生と目を合わせて頷く
- とりあえず手を挙げる
- 振り返りシートに「優等生的なコメント」を書く
これは、「忖度(そんたく)」に近いですよね。
社会に出れば必要な処世術かもしれないけど、学校で評価されるべき「能力」かと言われると、ちょっと違う。
今回、文科省が「これ、評価になじまないわ」と認めて方針転換したのは、個人的にはかなり良いニュースだと思いました。
子供はスペックを積む「商品」じゃない
もう一つ、記事でハッとさせられたのが「非認知能力」の話。
IQや偏差値では測れない、忍耐力や協調性といった力のことです。
これも最近、「将来の年収に影響する!」みたいな文脈で語られがちですよね。
「非認知能力」を鍛えるという違和感
「この教育法で、非認知能力アップ!」みたいな広告、よく見かけませんか?
私もついクリックしそうになりますが、記事ではここに「待った」をかけています。
子供の能力を上げようと必死になるあまり、子供自身を「商品」のように扱っていないか、と。
学力というスペックに加えて、性格や人間性まで「機能」としてアップデートしようとする。
それって、子供を「将来社会で役に立つ便利な道具」にしようとしているのと紙一重かもしれません。
「君は協調性のスコアが低いからトレーニングが必要だね」
なんて言われたら、大人だって嫌になります。人格を否定された気分になるというか。
非認知能力って、結果として育つものであって、大人が狙って「植え付ける」ものじゃない気がします。
親ができるのは「引き算」かもしれない
じゃあ、親はどうすればいいの?って話ですが、結論はシンプルでした。
「邪魔しない」こと。
環境だけ整えて、あとは引く
記事では「足し算(刺激する、促す)」よりも「引き算(抑圧しない、見守る)」が大事だと書かれていました。
子供が自分で選んで、やってみて、失敗する。
そのプロセスさえ確保されていれば、主体性も非認知能力も、勝手に育っていくものだと。
親としては、つい「あっちの方がいいよ」とか「それは失敗するよ」と口を出したくなります。
効率よく正解にたどり着かせたいし、苦労させたくないから。
でも、その「親切」が、子供の「自分で決めるチャンス」を奪っているのかもしれません。
「無駄な時間」を許容する
生産性とか、将来の役立ち度とか、そういうのは一旦忘れる。
泥団子作りでも、延々と続くゲームの話でも、本人が「今、これやりたい」と思っているなら、それを尊重する。
つい大人目線で「もっと有意義なことしなよ」と言いたくなりますが、そこをグッとこらえるのが私の今の課題です。
まとめ
文科省の方針転換、私は「親ももう少し肩の力抜いていいよ」というメッセージとして受け取りました。
必死に子供のスペックを上げようとしなくても、邪魔せず見守っていれば、子供は案外勝手に育つのかもしれません。
「主体性を育てなきゃ!」と焦るより、その方がお互い精神衛生上も良さそうですしね。
とりあえず今日は、子供が夢中で散らかしている机の上を、ため息をつかずに見守ってみようと思います。
ではでは。