にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

敏満寺城 (滋賀県多賀町) -サービスエリアにある城跡

全国的にも珍しい、高速道路のサービスエリアにある城跡。敏満寺城。
かつてこの地で栄華を極めた敏満寺が城塞化したものです。

そこに近江鉄道で向かってみました。こんなことをするもの好きほとんどいないんじゃないかな笑

お城:敏満寺城 滋賀県多賀町
HP:公式のものはありません。
訪問日:2023年3月

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概要

平安時代からこの地にあった敏満寺という天台宗の寺院が、佐々木六角氏や京極氏との対立を通して、次第に城塞化したものです。

1562年、浅井長政による攻撃を受け、坊舎はほとんど炎上します。1571年、信長の命に従わなかったことで、残った坊舎も焼かれ、寺領が取り上げられました。

残った礎石は、江戸時代に彦根城築城のために移されました。

訪問記

スタートは近江鉄道多賀大社前駅
本降りの雨の早朝だからか電車内も駅も誰もおらず、ちょっと寂しい滑り出しです。
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その名の通り、有名な多賀大社のアクセス駅ということで駅前には鳥居。
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その奥にも門前町が広がります。昼間は賑わっているのかな。

敏満寺城に行くためにこの駅で降りる人は限られている(ほぼいない?)と思いますが、敏満寺城がある多賀SAへの案内は意外と豊富です。
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奥の小さな看板がそれ。左600mが多賀大社、右900mが敏満寺城多賀SAです。

ミーハーなので一度左へ行った後で戻って右へ。その分時間が無いので駆け足で。

しばらく進んで名神高速をくぐり、高速沿いの脇道に入ります。
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多賀SAを経て胡宮神社への看板があるので細い道でも安心です。

すこし歩くと、名神高速多賀SA(上り)へ到着。
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車でも高速を使わずに同じルートで駐車場にたどり着けます。

高速で来た場合も、上りはもちろん下りからも写真に写る陸橋経由でこちらへ来ることができます。

もちろんステーキを食べに来たわけではなくて
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お目当てはSAの一角。北側にあるスペースです。
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意味深にくぼんだ公園。予備知識があれば周囲が土塁に囲まれているように見えるはず。

近くには全く読めない案内もあります。
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まるで見えない縄張図も書いてありますので、ぜひ現地で。

頑張って写真から解読すると、
土塁を伴う曲輪が南北2つ並ぶ縄張で、両曲輪とも一部石垣が用いられていました。
間には空堀が刻まれ、1郭には礎石建物や門、2郭には井戸がありました。

さきの公園はこちらの1郭にあたるもの。
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足元を見ると周囲の改変の程度も気にはなりますが、深く考えずに見ていきます。

土塁はなかなか急。
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この南面突き当りには喰い違い虎口もあるようですが、雨に負けて見落としました。。

中を見るとなだらかに感じる東側の土塁も
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外から見ると高さを感じます。
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間の空堀は下道からの駐車場となっていて
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その南に二郭。こちらも名残を感じる光景です。
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左手(南面)と手前(東面)に土塁が置かれた当時と同様に、西面は開けた作りです。
東屋が置かれているのは、井戸があったことを受けて、でしょうか。違うかな。

この先の故宮神社がかつての敏満寺の境内であったとされる場所にありますが、今日はここまで。
多賀大社前駅へとんぼ返りで次の目的地へ向かいます。

感想

満足度 2.5/5

遺構自体は少ないですし、どこまで当時のままか気になるところはありますが、SAにあっても名残を留めて残されていること自体がありがたい。
その歴史も興味深いものがあって、貴重な存在です。

ドライブの休憩中に友達連れで立ち寄るにはちょっと弱いかもしれませんが、城好き一人ドライブ中ならぜひとも立ち寄りたい立地です。

アクセス

敏満寺城

百名城 観音寺城 (52・滋賀県近江八幡市) 3/3-湖国の巨大山城 伝池田丸・大石垣・御屋形跡を巡る

観音寺城訪問記その3は伝平井丸を見たあとの追手道沿いの遺構を追います。
伝落合丸・伝池田丸・大石垣と御屋形跡。

もはや疲労困憊でしたが、その疲れも吹き飛ぶ素晴らしい遺構の数々。特に大石垣には圧倒されました。今でも新幹線から見えるたびに記憶がよみがえります。

その分、降りてからの疲労は一入でしたが(笑)、それも良い記憶ということで。

お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月

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訪問記

伝落合丸から伝池田丸へ

みたび、引きで撮りすぎた現地縄張図にご登場願います。
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現在地は、左手の3つ赤背景が連なった中央、伝平井丸を見たところです。
このまま伝池田丸と、青で記された線、追手道といわれるルートで下山していきます。

という訳で、伝落合丸にそって追手道を降りていきます。

こちらは伝落合丸の虎口
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追手道は伝落合丸の石塁に沿って伸びていました。
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伝平井丸と比べると明らかに石が小さく、背も低いですが、綺麗に作られています。

下り切ったら
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石段を少し登り
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伝池田丸へ
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かなり広い曲輪には、ぐるっと囲む低い石垣も残っています。
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一部内側に飛び出たところも。何かの台座だったのでしょうか。
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西の虎口は良好に残っています。
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すこし外から虎口の石垣を見てみましょう。
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こちらはなかなか大きな石材が使われていて、威圧感があります。

足元には排水溝?も。礎石も検出されていて、2区画で建物が建っていたと考えられています。観音寺城の序盤からそうですが、現地で解説がほしい。。。
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そのまま南東端の伝池田丸南虎口へ。
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石垣は低め、周りは荒れがちですが、踏み跡ははっきり。

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抜けると急こう配。ピンクの目印が頼りです。
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こちらの方が勾配は伝わるかな。
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何の案内もない曲輪?や
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石垣を見つつ
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進むこと5分ほど

巨石が見えてくると
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大石垣に到着です。
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といっても、こちらからは山中の石垣の一つにしか見えないかもしれませんが、

回り込んで反対側から見てみると
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高く良く残った石垣です。
今までの石垣もそうですが、これが六角氏の時代に山上に築かれていることが本当にすごい
疲労困憊でたどり着きましたが、疲労が吹き飛ぶ素晴らしさです。

また、その景色もすばらしい。がっつり曇り空なことは置いておいて。。。
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眼下に広がる石寺や東山道、ということはこちらも丸見えということ。
見せるための石垣だったのでしょう。今は新幹線から良く見えていて、アピールし続けてくれています。

少し離れてもう一枚
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その高さ、大きさは引きの方がよく分かるかもしれません。
そして写真の枚数で興奮度合いも分かるかもしれません(笑)

折れがあるようにも思えますが、どうなんでしょう。
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実は見せるだけではない役割もあったのかも??

この何倍も写真を撮ったところで、下山に戻ります。

最後は、伝木村丸へ。こちらは珍しく看板が整備されています。
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埋門は、本当に埋もれてしまっていますが。

石は小ぶりながらしっかりと残る石垣で区画されています。
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虎口、石段も残っていて良い。
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内部へ
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それなりに広い曲輪だったのだろうという景色です。

伝木村丸最後は、埋門を内部から。
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こちらも埋もれていますが、外より分かりやすいかも。溜まった土砂と苔が、経った年月を感じさせてくれて良いです。

この後はピンクの目印を頼りに一気に下山。
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下ること15分ほどで麓に到着

麓は御屋形跡と呼ばれる曲輪。
散策当時は麓まで下調べが及んでおらず、山上で満足して帰るだけのテンションでしたが、目の前に飛び込んできたのが、こちらの高石垣f:id:tmtmz:20250615145859j:image
驚きとともに一気にテンションが戻ってきました(笑)
巨石を巧みに組み合わせた野面積みの高石垣。しかも、この規模ですから。
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全く予定していませんでしたが、追手道で帰ってきてよかった。

前知識なしでも山麓居館だろうなと思わせてくれる立地と名前の御屋形跡は、六角氏の居館跡といわれています。

今は長い石段と
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天満宮
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日吉神社が建ちます。
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お参りしたら今度こそ最後

あとは麓の石寺集落を見て
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大石垣を振り返りながら
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徒歩50分ほどかけて最寄り?駅まで歩いて
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観音寺城、終了です

感想

満足度 4/5

本当に良く歩きました。疲れ切りましたが、それだけ歩きたくなる遺構の数々でした。山上まで車で行くのも手ですが、大石垣などは結構下りないと見られませんし、結局何をしても良く歩くことになるのでしょうね。

半日とっていましたが、時間ぎりぎりになってしまいました。

何度も触れた通り、現地に解説がほぼ無い上に、案内すらない曲輪も山ほどありますので、本当は詳しい方と一緒に行くのが良いのでしょう。欲を言えば整備してほしいですが。。。

ただ、それができなくても十分に面白いところでした。

アクセス

観音寺城

 

百名城 観音寺城 (52・滋賀県近江八幡市) 2/3-湖国の巨大山城 観音正寺から伝本丸・伝平井丸へ

観音寺城訪問記その2は観音正寺から伝本丸、伝平井丸を回ります。

伝本丸、伝平井丸に残る巨石は本当に立派。さぞ重要な曲輪であったであろう迫力がありました。
観音正寺からならそこまでの距離ではないので、ここだけ見るものありかも。

お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月

訪問記

伝沢田丸から観音正寺

その1では北端の大土塁に沿って、最高所の沢田丸まで進みました。

tmtmz.hatenablog.com

相変わらず字が読めないこちらの縄張図でいう中央上の赤ラインが分岐するのが伝沢田丸。
ここから下への赤ライン沿いに、中央赤背景の観音正寺へ向かいます。
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伝沢田丸から観音正寺方面への最短ルートは結構な急こう配。
道中、無数の曲輪群を突っ切って下りているはずですが、現地はおろか縄張図上も名前の書かれた曲輪はありません。
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まあこんな有様ですし。

という訳で、5分そこらでさくっと下りきったら
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しばし平坦な道で観音正寺へ。
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いつのものかは分かりませんが、良い感じの石垣などを見ていたら
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思い切り裏から観音正寺に突入していました。

仁王像が睨みをきかせる正門でお金を払って改めて拝観しましょう。
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観音正寺は、605年、聖徳太子の創建とも伝わる古刹です。
一説には聖徳太子が人魚と出会い、人魚の願いを聞き入れて建立したともされます。

佐々木六角氏の頃にはもちろん存在していて、その庇護を受けて大いに繁栄しました。
しかし、観音寺城が拡張すると防御の障害となって麓へ移り、信長の侵攻もあり、荒廃します。その後、1606年に現在の山上に移って復興されました。

山中にある境内は細長いもの
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突き当りに本堂があります。
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元は明治期に彦根城の欅御殿を移築したものでしたが、1993年に人魚のミイラと伝えられた本尊とともに焼失。2004年に再建されたものです。
ただ、新しいといっても、造りは荘厳そのもの。よいです。

もう一つ心に残ったのがこちら。
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石仏ではなく、岩がたくさん並べられた崖。説明もなく何かは分かりませんでしたが、とにかく石材が豊富な山だったことだけはよく分かりました。だから観音寺城も古い時代から石垣を作れたんですね。

せっかくの景色こそ雲がかかって見えませんでしたが、結構な山中でも、多くの参拝者で賑わう理由が分かった気がします。

伝本丸へ

参拝がすんだら、元来た道を本丸方面へ向かいます。
ちなみに、境内にも一応道案内は出ています。
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伝沢田丸から降りてきた道と本丸方面への分岐。今度は平坦な方を進みます。
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平坦路は長くは続かないもので、5分も歩けば再度坂道。
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まずは本丸方面から。大石垣は追手道をだいぶ下りた先にあたります。

石段、脇の石垣ともに深く苔むしていてとても良い雰囲気です。
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登ること数分で伝本丸。
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見通しが悪くて広さを感じづらいですが、かなりの広さを誇ります。
先の石段といい立派ではあるのですが、本丸というのは江戸時代の絵図をもとにした名称で、曲輪の配置などから疑問も持たれているとのこと。

ただ、先の写真の中央右手の標柱には本城跡とは書かれていますし、かなり年季の入った解説板も置かれていて、今の扱いは本丸と呼べるものです。
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伝本丸の見どころの一つが、北側に位置する立派な石塁からなる喰い違い虎口。伝本丸裏虎口とされます。
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使われている石も大きく威圧感があります。

抜けて少し進むと井戸
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太夫井戸伝承地、と書かれた井戸には、いまだ水が湛えられていました。
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周囲には低めの石塁も多数置かれていました。
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下りるのはこのくらいにして、伝本丸へ戻ります。

外から見た伝本丸裏虎口。藪が少なめで一層よい感じです。
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本丸ということには疑問があるにしても、重要な曲輪であったことは間違いなさそう。

再度伝本丸内へ。
縄張図にもある通り、西、南面は高い土塁、石塁に守られています。
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足元には、溜枡と呼ばれる貯水施設も。
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伝本丸下にも井戸はありましたが、ここにも。水が豊富な適地だったんでしょう。

本丸を一周したところで、大石段を下りて次へ向かいます。

伝平井丸へ

再度、本丸大石段を下りきったところへ
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今度は大石垣方面へ進みます。大石垣までは15分

少し進むと帯曲輪程度の小さな曲輪。看板はありませんがおそらく伝三の丸
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足元には竪堀が伸びるそうですが、よく分からず。

ここまで僅か1分程度でしたが、この曲輪の端までくると大石垣までは7分まで近づいていました(笑)
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もう一つ伝三の丸と思しき曲輪
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他の曲輪は家臣団の名前が付けられているところ、ここだけ三の丸と呼ばれている理由も気になります。

薮の中に顔をのぞかせる石垣を見ながら先へ進むと
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立派な石垣が見えてきました。こちらが伝平井丸
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最初に見える立派な石垣にもテンションが上がりますが、
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なんといっても巨石を用いた虎口は圧巻。思わず声が出てしまいました。
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興奮のあまり同じ虎口で何枚も写真を撮っていました(笑)
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石垣の南東部には埋門もあったようですが、今は崩落してしまっています。これは残念
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平井丸内部を散策しましょう。広い曲輪内部には平井氏屋敷跡の標柱。
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木がひどくて見通しが効きませんが、奥に進むとちょっとした虎口と石段
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その奥には石段数段分だけ高い小さな曲輪がありました。
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伝平井丸の最奥部ですし、最も重要な区画だったのでしょう。
その奥は到底進めそうになかったので引き返します。

内側から見た平井丸虎口も写真に納めてから次へ
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虎口を抜けて西方向に目をやると、伝平井丸石垣と相対する伝落合丸の石垣も見えてきます。
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標柱には伝落合氏屋敷跡とありますが、他と合わせて伝落合丸とさせていただきます。

こちらが伝平井丸石垣
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石の大きさからすでに威圧感があります。

こちらは伝落合丸の石垣
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こちらもなかなかの巨石が使われています。隅角部が丸みを帯びていて特徴的です。

このまま伝落合丸を見ていきたいところですが、長くなってきたので続きはまた次回。

付近のスポット
近江八幡市には百名城がたくさんあります。

tmtmz.hatenablog.com

tmtmz.hatenablog.comその他滋賀県の記憶はこちらから

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

城 - ブログ村ハッシュタグ
#城

 

 

百名城 観音寺城 (52・滋賀県近江八幡市) 1/3-湖国の巨大山城 川並ルートで大土塁へ

湖国の城めぐり、続いては戦国屈指の巨大山城、観音寺城
ただでさえ広い山城を麓から歩いて登ってきました。我ながらよくやったものです。

麓から北端の大土塁沿いに見てまわります。
縄張図との照合が大変でしたが、随所に残る遺構はさすがでした。

お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月

概要

築城時期は定かではありませんが、古くから近江守護佐々木六角氏の居城でした。

1335年には北畠氏の侵攻に備えて立てこもったとの記述があり、応仁の乱では3度の侵攻を受けています。
その後、修築を重ねて石垣を多用した城へと変貌したものと考えられています。城下に楽市も置かれました。

1568年の織田信長の上洛の際、六角義賢、義治は城を捨てて逃亡。そのまま戻ることなく廃城となったとされます。

戦国時代最大級の山城で、日本の城で初めて本格的な高石垣を設けるなど多くの特徴を有します。

訪問記

川並ルートで山上へ

スタート地点は近江鉄道八日市駅
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近江鉄道の中心駅なので当然ですが、他のレトロな駅とは一線を画す綺麗な作りです。

もとは近江八幡駅を経て安土駅からレンタサイクルの予定でしたが、この日は雨模様。
旅先での雨中のサイクリングは避けたいので、急遽予定変更。バスで向かいます。

登り口に立ち寄る、八日市駅能登川駅を結ぶバスは、訪問時ほぼ30分に1本走っていて便利でした。私は「ほぼ」の部分にハマって1時間弱待ちましたが。

やってきたのは観音寺口バス停。
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その名の通り、観音正寺に向かう登山口があります。

観音寺城観音正寺には横にも縦にも離れていますが、ちゃんと看板も出ています。
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登山口がある結神社へ。バス停からは歩いて数分です。
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広い神社で拝殿も本殿も大きく立派でした。
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参拝したら、境内山側にある登山口へ。
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丁という単位に馴染みがありませんが、大体1.3km。気合い入れていきましょう。

参道の足元はよく整備されています。
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道中気になる石垣などはありますが、説明はなし。関係ないのかもしれませんが、城全体に説明は少ないので詳細は分かりません。
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虎口を感じたので参道を外れて少し寄り道
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中に忠霊塔があるあたりも非常に曲輪跡っぽいですが、どうでしょうね。
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その後は、たまに出てくる距離の看板だけを頼りに上ること30分
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林道にたどり着きました。
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このあたりからが縄張図に描かれる範囲となります。

観音正寺に掲出されていた看板をお借りして、全体像を確認です。
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文字が読めない引きの写真は、広大な観音寺城を描いた図が大きいからにほかなりません。繖山全体に、石垣を伴う無数の曲輪が広がります。
伝本丸は上図左に3つ並ぶ赤ハイライトの一番上。ここから下へ延びる青ラインが追手道とされ、道中には大きな石垣を持つ伝平井丸、伝池田丸、新幹線からも見える大石垣などが並びます。
中央の赤ハイライトが観音正寺。そこから上への赤ライン沿いにも曲輪群が残ります。
中央上端から右下へ延びる赤ラインは城北端に設けられた大土塁沿いのルート、右から延びる赤ラインが登ってきた結神社からの登城路を表しています。
今は図に入った所で、最初の明確な遺構は上下に赤く示された伝布施淡路丸、伝目賀田丸、そこから大土塁沿い、その後、観音正寺を経て伝本丸方面へ向かいます。

少し進むと伝目加田屋敷跡の看板がありました。
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こちらがおそらく伝目加田屋敷こと伝目賀田丸。
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肉眼では曲輪を感じましたが、写真はきついですね。
縄張図上は降りるルートもありそうですが、現地では見つけられず。

上に目をやると伝布施淡路丸の石垣も顔をのぞかせていました。
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薮の中を指す看板はありましたが、こちらも登る勇気が出ず。登り口はあるようですね。
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奥に向いた看板に淡路丸、と書かれています。そっちは藪。。。

先へ進むと、佐々木城跡と書かれた看板。分かれ道に到着です。
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こちらが先の図で上端に描かれた大土塁沿いのルート
観音正寺へのルートと別れて、しばしこちらを進みます。

大土塁を伝沢田丸へ

ルート沿い、縄張図ではたくさん曲輪が書かれていますが、大土塁上であろう通路からはかなりの高低差。ここも案内がなく、どこがどこだかさっぱり、という状態です。

おそらくどこかの曲輪かな?と思って撮った写真と、
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通路脇の石垣が気になった写真
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あとから見ると何が何だかわからない藪写真ばかりが積みあがっていきます。

巨石が気になる写真を越えたら
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佐々木城跡の城址碑にたどり着きました。
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思い切り裏なのは、こう建っているからで、正面は佐佐木城跡と書かれています。

進むと、大きな堀切。
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防御の大土塁に堀切が開いていることを思うと、土塁の向こうへの通路だったのかな。

この先もちょっとした石垣で区画されたどれかの曲輪を見ながら登ることとなります。
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家臣団屋敷があったのかなと思わせてはくれますが、如何せん解説がないので素人には分からない。。。
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そんな大土塁沿いの最終盤、至近距離に石垣が現れました。f:id:tmtmz:20230326132037j:image

ここも解説はありませんが、伝三国丸の石垣です。
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算木になっていない古い石垣ですが、石の大きさ、荒々しさはインパクトがあります。
内部は櫓台として使われていたのではと考えられています。

先へ。分岐までやってきました。
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佐々木城と観音寺城を別として扱っているのでなおさら?が湧くんですが、ここでは観音寺城本丸方面へ

このルート最高所の伝沢田丸も内部はよく分かりませんでしたが、石垣が明瞭。
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苔むした様が良いですね。明らかに伝三国丸とは様子が違う理由も気になるところ。

現在地が分からない点はモヤモヤが募るところでしたが、それでも素晴らしい石垣が見られればここまで来た甲斐はあるってものですね。
ここから、いったん観音正寺方面へ向かいます。

付近のスポット
近江八幡市には百名城がたくさんあります。

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tmtmz.hatenablog.comその他滋賀県の記憶はこちらから

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城 - ブログ村ハッシュタグ
#城

 

水口岡山城 (滋賀県甲賀市) 2/2-豊臣政権の甲賀支配の拠点 山頂部から大手道へ

引き続き、水口岡山城を回ります。
今回は、二の丸から東側と、見逃した大手道へ。
相変わらず立派な遺構が残る山頂部。見逃した大手道も忘れず足を延ばして良かった。

HP:国史跡 水口岡山城跡について/甲賀市
訪問日:2023年3月

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訪問記

リスタートに先だって、再度山頂部にあった縄張図にご登場願います。
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左下トイレあたりの登り口西口から登り、伝西の丸から伝本丸を見てきたところ。
この先東側、伝二の丸方面へ進んだ後、本丸から南へ延びる大手道を抑えていきます。

伝本丸から伝二の丸方面へ。いったん帯曲輪から伝本丸の北面を見ていきます。
こちらにあるのが、明瞭な喰い違い虎口と
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再度、伝本丸石垣
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こちらも残っているのは一部ですが、苔むしている様が美しい。

戻って伝二の丸方面へ。

本丸との間には深くて広い堀が設けてあります。
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ここまでの曲輪もそうですが、広く取れるのは、それだけ山頂部が広い山だったということでしょう。急斜面ですし、築城に向いた山ですね。

南側の虎口から伝二の丸内部へ
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こちらが全景
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こちらも広い長方形の曲輪です。礎石が検出されていて御殿のような建物があったと考えられています。
周囲を木で囲われていて気づきませんでしたが、北側には枡形虎口もあるとのこと。

さらに東へ。再度深い空堀を越えて
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伝二の丸と同様に南西角に置かれた、少し低い虎口から
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伝三の丸
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二の丸よりさらに広い曲輪は一枚の写真に収まりきりません。
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3か所虎口が置かれていて、これは、、、中央部の南か北かのどっちかだったかな
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東の端までくると、こちらも非常に良い眺め、、、が晴れていたら見えるでしょう。
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足元には伝西の丸と同様に一段下がった曲輪も置かれています。降りてみましょう。

間には浅くなっているものの堀も見て取れます。
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出丸と呼ばれる東端の曲輪。
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伝西の丸と同様に、中央部とは一段区画された曲輪で、まさに出丸と言った様相。
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端からの眺めも気になるところでしたが、足元の露に心を折られました。この日は雨上がりでした。

これまで同様南西端につけられた虎口から戻ります。
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振り返るとこんな感じ。やはり傾斜は違えど同じ匂いを感じます。
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ここから、見逃しを抑えに戻ります。

北側斜面に延びる通路(作業用道路?)を西へと突き進みます。
道中いくつか竪堀らしきものも見えました。
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肉眼でも自信が持てるものではありませんでしたが、縄張図に記載された竪堀のよう。

再度、伝西の丸へ帰ってきました。
ここから、実は一周目に見逃していた城内最大の石垣を抑えに行って
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再度、伝本丸へ。同じく最初に逃した大手道を下る方向でおさえに行きます。
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大手道も整備は良好。多少傾斜は急ですが、こちらは舗装もなく雰囲気が良いです。
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5分足らずで腰曲輪の一つへ。
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この曲輪から東に延びる通路には分かりづらいですが、喰い違い虎口f:id:tmtmz:20230326064214j:image
前半に伝本丸北面で見たものと対になる配置で、伝本丸下段から伝二の丸や伝本丸へと続く帯曲輪への通路を抑えています。

そしてもう一つ、少し下りたところには枡形虎口が残ります。
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かなりなだらかですが、それでもはっきりとわかる状態。これは良い。登りで使った西口登り口は防御を感じない道でしたが(新しいのかな)、さすがに大手道の守りは違います。

下からはこんな感じ。
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上からの印象よりも、手前の土塁を中心に威圧感を感じる気がします。やはりきちんと守りも考えられていました。
これが見られただけでも大手道から下ってよかった。

この後はさらに下って
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稲荷神社の置かれた曲輪へ。麓に散在する曲輪の一つです。
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さらに戻って、伝西の丸と伝本丸を切る堀切から延びる竪堀の末端を越えて
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最初に見た児童公園の曲輪までたどり着きました。これで水口岡山城を一周です。
結構歩き疲れました。。

ここからお昼ご飯を調達しに、水口城南駅へ。そして近江鉄道で次の城へ向かいます。
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感想

満足度 4/5

山頂部を中心とした残りの良い遺構に、行き届いた整備に全体に好印象でした。
もちろん残された石垣も空堀も、枡形虎口も素晴らしい。

広すぎて山麓部を中心に公園になりすぎていたり、防御の狙いが読みづらいところはありますが、登り切ればそのあたりも吹き飛ぶ遺構を見られます。
水口城を訪問されるならぜひセットで。

アクセス

水口岡山城

 

水口岡山城 (滋賀県甲賀市) 1/2-豊臣政権の甲賀支配の拠点 本丸石垣へ

水口城に続いて、その前に水口城と呼ばれていた水口岡山城へ。
こちらは、街を見下ろす山の上にある、いかにもな平山城です。

ただ、その規模感や遺構はなかなかなもの。登りもそこそこありますが、登る価値のある立派な石垣も残っています。

HP:国史跡 水口岡山城跡について/甲賀市
訪問日:2023年3月

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概要

1585年、中村一氏豊臣秀吉の命により大岡山山頂に築城しました。
当時は水口城と呼ばれました。

関ケ原の合戦において城主、長束正家が西軍に着いたことにより廃城。
石材は1634年に築かれた水口城(訪問記)に転用されたとされます。

当時本丸は総石垣であったと推定され、転用されたとはいえ一部に高石垣が残ります。

訪問記

水口城から徒歩で訪問。直接向かう場合、近江鉄道水口駅または水口石橋駅が最寄りです。

こちらはその水口石橋駅
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当ブログでは3記事連続の登場です。使い回しごめんなさい。水口岡山城に直行される方もいらっしゃると思いますので。

水口石橋駅からは徒歩15分ほど。パンフレットが駅近くの甲賀市ひとまち街道交流館にありますので、反対方向ですが事前に寄っておくのがお勧めです。

登城口への道中は、からくり時計など風情ある旧東海道の街並みが広がります。
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パンフレットで登り口が大岡寺の裏手にあることを確認して、まずは参拝します。

大岡寺は、水口岡山城の築城以前に大岡山の山頂にあり、築城に際して移転、再建されたもの。歴代水口藩主の祈願所ともなっていました。
今回はトレースしていませんが、大手道が境内を真っすぐ走るような関係性です。

立派な本堂と
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美しい池を眺めて
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登り口を探しますが、見当たらず。。。

大手道は、境内裏手の県道を挟んだ反対側に延びるようですが見つけきれず、少しずれた西口にたどり着きました。
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登り口脇には案内も無料駐車場もありますし、舗装もされてて結果オーライかな。
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おどろおどろしい秀吉もいました。
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甲賀市ひとまち交流館では、パンフレット以外も色々配っているようです。力入ってますね。

登城前に山頂の縄張図を借りて全体を確認しましょう。
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山頂の尾根に伝本丸、伝二の丸、伝三の丸、伝西の丸が並び、周囲に腰曲輪を持ちます。
本丸は総石垣であったと推定されていますが、現在は北面に一部残る程度です。
現在地は、左下のトイレのあたり。伝西の丸方面へと山を登っていきます。

朝まで降っていた雨が上がったばかりの舗装路からスタート
足元と曇り空に頑張って耐えてもらえるよう祈りつつ登っていきます。
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よく分からないキャラも応援してくれています。
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登り始めて5分で腰曲輪の一つへ。
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児童公園となっていますが、明確に曲輪です。他から離れた低い場所にあるので使われ方は違ったのでしょう。

引き続きガンガン登っていきます。
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右手には竪堀?も見えはしますが、森の中にありなかなか判別が難しい。
平山城ですが、そこそこ登りますね。

さらに5分で次の曲輪へ
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薮で見えにくいですが、結構な広さの曲輪でした。あと、ぬかるみで足がやられた。。。

このあたりから曲輪が連続するようになります。
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山頂部と連携しながら使われていた曲輪でしょうか。
他にも見えていない曲輪があるでしょうし、結構な人数を収容できたのでは。

もう少し登ります。そして、すぐに腰曲輪
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その上が伝西の丸 山頂部最西端の曲輪に到着です。
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奧は微妙に高さが違っていて、使われ方も違ったのでしょう。

今の伝西の丸は天翔の櫓や
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解説付きの土塀も置かれていて整備状態はとても良いです。
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登り口の案内といい、麓でのキャラ推しといい、いろんな方向で城跡の整備にはかなり力が入っています。

上段全景でもう一枚。
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本丸との位置関係も確認しておきましょう。
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本丸はまだまだ高所に。間は深い堀で仕切られています。

この堀、一見傾斜はなだらかですが
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まだまだ鋭く残っていて
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南北斜面の竪堀へと続きます。南側が、さきほど判別が難しかった竪堀のはず。

堀底から本丸への道が伸びています。
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本丸側は虎口になっていますし、当時もこうだったのかな。
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小さな曲輪を経て道は南側へ。
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ここで北側へ目をやると石垣があります。伝本丸石垣の上段
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こちらはわずかに残る、と言ったところですが、

下段には立派な石垣が残ります。
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荒々しい雰囲気に、算木のようになっている隅石まで見て取れます。良い。
総石垣だったとされる本丸のかつての姿は、さぞ立派だったのでしょう。

先の道に戻って、虎口を抜けて
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伝本丸へ
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奧を見通せないほど細長い形をしています。

西端から振り向くとなかなかの景色。足元が先ほどの伝西の丸です。
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このあたりに櫓台も残っています。置きたくなる気持ちはよく分かる景色です。

どこまでも細長い伝本丸を奧へ
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このあたりの伝本丸中央部に、大手道が直接登ってきます。当時からこうだったと考えられています。

東端には、伝天守跡とされる、低い櫓台がありました。
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絵図等では天守台とされていて埋没した石垣も見つかっています。

一方で、大手門との位置関係から、西端の櫓台を天守台と考える説もあります。こちらからは石で作られた階段が見つかっています。どちらにも大きな構造物があったのは確かなのでしょう。

ここから、伝二の丸方面へ向かいます。続きはまた次回。

付近のスポット
なにより近いのはこちら。

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やや離れてはいますが、滋賀の城めぐりの記憶です。

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#城

 

 

水口城 (滋賀県甲賀市) -徳川将軍の宿館

甲賀市水口にある平城、水口城へ。

徳川家光の宿館として築かれた平城は、街中にありますが雰囲気を保っています。
今もぐるっと残る水堀を一周してきました。

お城:水口城 滋賀県甲賀市
HP:水口城資料館 水口城跡 | 甲賀市観光ガイド
訪問日:2023年3月

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概要

1634年、徳川家光の上洛に伴い、宿館として築かれました。作事奉行には小堀遠州が当たりました。
家光の上洛後は幕府管理下に置かれましたが、将軍の宿舎としての使用は一度きりでした。

1682年に加藤氏が入封。水口藩が成立します。
本丸御殿は正徳年間(1711-1716年)に解体されました。
明治維新に伴い廃城となり、建物や石垣の大半は競売にかけられました。

訪問記

スタート地点は近江鉄道水口石橋駅
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水口城の最寄りはお隣の水口城南駅ですが、水口岡山城にも行きたかったので、甲賀市ひとまち街道交流館に立ち寄ってまとめて情報収集です。
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両方のパンフレットを入手してから水口城へ。

隣の駅から歩くと言っても距離は近く、駅から城までは歩いて10分ほど。
旧東海道沿いに水口宿の名残を感じる建物もあって飽きません。
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旧東海道は水口城にぶつかると曲げられていました。
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ここが水口城の天王口跡。水口城の二の丸は完全に市街化されていて、このあたりも何の変哲もない住宅でしたが、元の城域を感じる貴重な看板です。

天王口跡から歩くこと5分ほどで、水口城に到着。
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地方の市街地の街中に、唐突に格好良い水堀、石垣と土塀、櫓が登場です。

近くの看板で本丸の全体像を確認します。
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水堀に囲まれた方形の本丸は、四隅に矢倉を、北に内枡形、東に外枡形の出丸の2カ所の虎口を持ちました。
今も外周の水堀は姿をとどめています。

改めて出丸を眺めます。
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水堀と石垣の遺構に、御成橋や門、土塀が復原されていてとても良い雰囲気です。

奥の矢倉は、本丸乾矢倉が民家に移築されていたものを再移築し復興矢倉としたもの。現在は資料館となっています。
この場所には当時番所が置かれていて、模擬となりますが、道路から良く見えるこの場所に矢倉があると絵になるという気持ちはわからなくはないです。

門は当時から高麗門でした。雰囲気は近いのかもしれません。
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より近くで見たいところでしたが、訪問時は橋の改修中。
もちろん代わりの通路は用意されていますが、何となく外周から先に見ることに。

ちなみに、水堀沿い、道路沿いには桜が植えられていました。
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桜越しに写真を撮れたりもします。
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綺麗ですね。良い。

復興櫓とは言え、資料館も堀越しに撮っておきましょう。
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背後は車通りの多い道路と思うと、まあアピールにはなりますよね。

まずは南面へ。
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石垣は競売にかけられたためにこのあたりは土塁になっています。
巽矢倉のあった場所ですが、面影を感じるのは難しい。

南西角、坤矢倉のあった場所から南面の水堀
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こちらも櫓の痕跡を感じるのは難しい所。むしろ良く水堀が残ったというべきなのかもしれません。

西面の水堀も同様。
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防球ネットが見えている通り、本丸は水口高校のグラウンドになっています。

ただ、写真左端にチラッと写るように、少しだけ石垣が残されています。乾矢倉の櫓台
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結構な高石垣が残されていました。その割に場所は完全に裏で、案内も少なく(無く?)扱いは雑なのですが。
大部分の石垣が競売にかけられたなか、ここは残されたのはなぜでしょう。。。?

途中で積み方が変わっていて、上部は妙にきれいで、積み直しがあったように見えるところも気になります。競売にかけるような扱いだったのに積み直したのでしょうか?
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北面は天端が一部欠けてしまっています。そのままというのも雑なような。。。
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疑問は尽きませんが、櫓台から、水口城が徳川将軍家の宿館にふさわしい威容を誇っていたことの一部は感じられました。

北面には小さな橋が架かっていました。こちらがかつての虎口の跡
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内枡形の北御門がありましたが、今の姿はただのグラウンド裏口ですね。

最後は飛んで、出丸内部へ。
訪問時は御成橋を通れず、本丸水口高校グラウンド脇を通るルートとなっていました。
グラウンドでは野球部員がのんびりおしゃべりしながらキャッチボール中。青春の一風景をお邪魔しないようにそっと通過します。

グラウンドに本丸御殿の名残は感じられませんでしたが、出丸周辺は整備されています。こちらが本丸と出丸をつなぐ大手門。
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抜けるとすぐに資料館です。
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時間の都合で外観だけの見学で済ませて、

最後は御成橋から水堀越しの桜並木へ。
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工事を避けた窮屈な画角ではありますが、桜と水堀と石垣の絵は美しい。

引き続き、水口で城めぐりを続けます。

旅の記憶はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 2.5/5

水堀と出丸近辺の石垣は良く残っていて、雰囲気は確かに感じられます。
将軍の宿館という割に小ぢんまりしている気もしますが、二ノ丸が残っていればもう少し違ったのか、もともと小さなものだったのか。

資料館も外観がきれいすぎるきらいはありますが、絵にはなりますし、なにより街中の平城でアクセスが楽。近くによることがあれば、足を延ばしてみてみたいところです。

アクセス

水口城