武士道
新渡戸稲造/著 須知徳平/訳 講談社インターナショナル
またまたこの「書庫」という書庫、間隔が随分空いてしまいました。…私が何故この本を読んだかというと残念ながら自発的なものではないのですが、一度読んでみたいとは常々思っていた名著。世界的書籍(世界的に読まれ影響を与えた、という点では日本史上最高の本かも知れません)です。
ただ、感想を一言で書けば、「何か違う」。
これも有名ですが、そもそもの執筆のきっかけが(キリスト教のような強烈な宗教規範がない)日本人の規範となるものは何か、という問いを欧米の人々に伝えようとしたことによります(原著はそもそも英語)。はっきり云えば(世界一素晴らしい)キリストの教えが浸透していない、(未開で粗野なはずの)日本人がそれなりにマトモであるのは何故?に対する回答書です。そのため
・日本にもキリスト教にも引けをとらない善悪を教える概念がある、というストーリーが根源にありますが、そもそも(高度に体系化され、明文化された)宗教がないと善悪、正義という概念が生まれないのか?むしろ逆ではないか?つまり善悪、正義などという概念は(守られているかはさておき)原始的な宗教が発生する以前にそういう概念があり、浸透しているからこそそれを体系立てる宗教が受け入れられるのではないか?などと感じます。
・日本史の時系列、特に(武官ではない)武士という社会階層の歴史的発生経緯を考えると論理的にちょっと飛躍を感じる箇所が多いです。武士道とは何ぞや、とはそれこそ定義があるわけではないですが、少なくとも平安中期にはその芯は確立されており、その時点で下地となっているだろうのは日本古来の神道(怨霊信仰、山岳信仰などまで含む)、仏教、儒教など。平安末期から鎌倉期の禅の概念、江戸期の朱子学、国学などの影響は後から受けたと考えるのが妥当と思われるが、その辺りがごっちゃになっているように感じます。
・無理やり過度に「キリスト教にも負けない」ということを前面に出そうとする余り、(少なくとも自分にとっては)より武士道の王道ではない方をもって、本当の武士道はこうだという書き方が多い気がする。「命を軽々しく捨てるのは本当の武士道ではない」のような。明文化されているわけではないので、どっちも武士道の側面でいいではないか、と思うのだが…
もっともこの手の「どっちが正しい」は新渡戸氏に限ったことでなく、イデオロギーの違う他人が評価するといつも起りえること。足利尊氏と楠正成とどちらが正しいかから始まり、西郷隆盛、吉田松陰、桂小五郎、久坂玄瑞、武智半平太、勝海舟、榎本武揚、土方歳三…(キリがないですね)の中で「武士として」誰が一番正しかったか?多くの情報がある後の世の他人から見て正しかった、間違っていたはありますが、このレベルの人たちは間違いなく(個人の欲でなく)自分にとっての武士道として最も正しい道を確信をもって歩んだのではなかろうかとおもいます。
話が逸れました。ただ、歴史的に見て上記の通り(日本に対する知識ゼロで)明らかに日本人を下に見ていた欧米諸国の多くの人々に「日本人」を一目置かせる切欠になった書であることは間違いない歴史的の事実。言い換えれば最初に書いた大目的を果たした日本人にとっての歴史的名著であるのは間違いありません。そのことを踏まえて読むとまた感慨深いものがあります。恐らく新渡戸氏自身も「絶対にこの詩歌の深さは日本語でしか分からないだろうな…」とは百も承知だったとは思うのですが、それでも翻訳して書かざるえなかった、少しでも日本を知ってもらいたい、という熱き思いに心打たれます。
日本のそれと比べて圧倒的に欧米の知識が少ない私が「騎士道」という本を読んでも、多少の論理飛躍は気にならないでしょうから、私が書いたことなど新渡戸氏は指摘されるまでもなく分かられていたかも知れませんが…
★★☆☆:読んで損はない






