緑陰茶話

エッセイと写真で綴るシニアライフ

能楽師とSNS

またまた年末の話で恐縮です。
ちょっとショックだったので記事に取り上げます。
Xで炎上していたこの話題です。

このX、年末にかなり炎上してました。
この能楽師の方は幾つか勘違いをしていて、石破元首相が対談していたこの能楽堂ホールは能楽だけを演じる本式の能舞台ではなく、講演会やミニコンサートなど様々なイベントに使える多目的ホールであったこと。(可動式で形も変えられる。)
そして能楽以外で使用する時は専用の舞台養生シート(リノリウム)を敷いての使用だったのです。

私は能楽の大連吟の稽古であちこちの能楽堂に行くことが多く、対談で利用された舞台では何かを敷いていることは、元記事の写真を見ただけで分かりました。
まして能楽師である人物がそのことに気づかないわけがないのです。

彼は特定の誰かを非難しているのではなく、誰であっても同じことを考え、コメントしたと言っていますが、引用元の記事に石破元首相の写真が載っている以上、見た人は短絡的に石破元首相が神聖な能舞台に土足で上がって対談したと思うでしょう。
実際、ネトウヨの人達は石破元首相を名指しで貶めています。

彼は「どんなコンテンツにも同じ事が言えますが不特定多数の方の目に留まる可能性があるならば尚更思慮深く行動する責任がある」というなら、彼自身が石破元首相に直接的な非難が行かないように配慮すべきだったでしょう。
実際、石破元首相は、この件に関し、責められるべき点は全くないのですから。

関連する記事を読むと、彼だけでなく、他の能楽師も元記事を同様に問題視していたらしいのですが、それらの能楽師のプロフィールのフォロー欄を見ると、ネトウヨ界隈の好む人をフォローしているらしい。
私もくだんの能楽師のプロフィール欄から彼がフォローしている人を見ましたが、職業的な関わりのある人以外、やはりその種の政治的傾向が窺がえました。
ということは、能楽師の一部にはネトウヨ的な価値観を持つ人達が確実にいるということ。
それはこのご時世だから仕方がないことかもしれないです。

その上で書くなら、このような記事を書いた彼の気持ちも分からないではないです。
自分の気に食わない政治家が鏡板の前で(ということは能舞台で)、土足で対談している、自分の領域に土足で踏み込まれたと感じ、怒りにかられて記事を書いたとしても不思議ではありません。

だとしても、彼の言い分には私は強い違和感を持たずにはいられないのです。
誰がどんな政治的信条を持とうがそれは勝手なのですが、私が気になったことは、彼が舞台に松を描いた“鏡板”があるから、そこはもう神聖な能舞台なんだと決めてかかっていることです。
そしてその場に入る人間を「他人の領域に踏み込む」とまで言って自分達能楽に携わる者の排他的な特権性を期せずして主張していることです。

でも待ってほしいのですが、能楽って、そもそもそんなに排他的で特権的、権威的なものではなかったはず。
だいたい能楽に含まれる狂言は、その時代の権威を笑いものにしていますよ。

彼の言い分を読むと鏡板を使ったこと自体、避けるべきだったということになります。
でも鏡板は象徴的なもので、それが即神聖ってわけでもないのです。
鏡板に描かれた松は、それを目印に神様が降りてこられますよという意味ですから。
だから多目的ホールの背景に松の木を描いた鏡板を使ったって咎められることもないのです。
むしろ能楽用の舞台としても使えるということで、能楽の側にとってはありがたいことです。

能楽の神聖性は、一部の曲に確かにあるとしても、それは場と実践が噛み合ったときに、いつのまにか立ち現れているものです。
ある意味、軽々しくは語れないものです。
逆に彼はあまりにもお手軽に語っています。
確実に言えることは、神聖性は、守るものでも、押し付けるものでも、振りかざすものでもなくて、まして誰かを排除したり断罪するための道具じゃないということ。

特定の思想を持つ能楽師がいることは今の時代、仕方ないでしょう。
でもそこで問題なのは、能楽の権威・神聖性・伝統性を、意識的であれ無意識的であれ、今の政治や排他的言説の正当化のために使うことなんです。
それは確実に能楽そのものの息の音を止める方向性です。

実際Xを読んでいると、くだんの彼の発言、態度から、能楽そのものに権威性や排他性を感じ取ってしまい、「能楽なんてそんなもん」とばかりに、能楽に引導を渡す人が出てきています。
能楽がそういうものじゃないと知っている私としては、それが一番悲しい。

じゃあ、能楽ってどんなものか、私が知っている能楽についてちょっとだけ書いてみます。
私は50年近く前、謡曲を3年ほど習い、今は毎年、能楽の大連吟に参加してます。
20代の頃、私は一時、書店でバイトしてて、その時、時折、書店に水道検針の中年女性が入ってきて謡曲本を注文していました。
私は、その人の紹介で先生につき、謡曲を習い始めました。

隣の市に住んでいた先生は能楽師の資格はもっていなかったと思いますが、自宅の一室で、格安で、とても熱心に教えてくれました。
そこで学んでいる人達は決して余裕のある家の奥さんみたいな人達ではなかったです。
生徒のある人が仕舞も習いたいと言ったらしく、先生の自宅は狭すぎて仕舞を教えることはできず、かといって場所は借りたら高くつくし、先生は近くの武庫川の河川敷に棒で線を引いて舞台を作り、教えていました。

それは、50年近く前、能楽が日本の社会の中で、芸能の一つとして、まだ草の根的に生きていた頃の話です。
学者が言う、能楽武家の庇護を受けていて、権威と結びついていたみたいなものとは違う、街中の芸能史の一面です。
事実、江戸時代の古文書にも、能楽が一般の商家の習い事として広く学ばれていたことが書かれています。
要するに、能楽は一部の人の、高尚で権威ある特別な文化じゃなかったのです。

くだんの能楽師の言葉に対する私の違和感が理解されたら嬉しいです。

花園大学の新体操部発表会に行く

去年の年末の話ですが、京都にある花園大学の新体操部の発表会に行ってきました。
毎年楽しみにしていて、今回は3回目。
方向音痴の私もさすがに慣れて、阪急西院の駅近の「杉玉」で腹ごしらえし、
(気のせいか大衆寿司居酒屋の「杉玉」は阪急の駅近にあることが多い)、
バスに乗ってスムーズに花園大学に到着。
1時開場、2時開演で開場まで行列で待ち、開場と同時に私はキャットウォークに行きました。

新体操の発表会は、普段練習している体育館で開かれることがほとんで、観客席は最初からないのです。
そこに無理やり椅子を並べて観客席にするわけですが、多少の段差は作ってあるけどやはり見づらい。
前の人の頭が邪魔になる。

そこで私は体育館のキャットウォークに行くわけです。
1階のフロア部分を取り囲む形の2階部分の細くて狭い場所です。
マットからは離れるけど全体がよく見えるのです。
花園大学の場合、写真や動画の撮影は自由。snsへの投稿も原則自由。
それもありがたいです。

花園幼稚園と花園ジュニアの賛助演技が終わると、新体操部によるオープニングの集団演技。

花園大学の場合、オープニングとエンディングは男女混成の集団創作演技です。
これは花園大学の大きな特徴です。

新体操の強い大学として国士舘大学も男女共に新体操部があるけれど、一緒になって集団もしくは少数で創作演技することは稀。(1回だけ動画で1組の男女が踊るのを見たことがある。)
そもそも別々に活動し、一緒に発表会をすることもない。

男子新体操と女子の新体操がまるで異なるスポーツである以上、男女を分けて活動するのは戦略的には合理的かもしれない。
でも表現スポーツとして考えると男女混成はあり。
花園大学は長年、男女混成で創作演技に取り組んでいて、挑戦的かつ前衛的。

今回は花園大学の前衛的な部分が凄く出ていた。
だいたい新体操の発表会といえば男子は集団タンブリングで迫力たっぷりに魅せるもの。
女子はハイレグでキラキラのレオタードで綺麗もしくは可愛く演技するものと、決まっているのです。

ところが今年の男子の団体は「心臓」がテーマで、見せ場の筈のタンブリングは一切無し。
そりゃあそうだ。
「心臓」をテーマにタンブリングしたら不整脈どころか心臓発作ってことでAEDをもってこないと。

真面目な話、「心臓」というテーマは踊る存在にとっては深い。
なぜなら心臓は母親の胎内にいた時から聞いていて、自分自身も同期していた人間の根源的なリズムだから。
これはかなり難しいテーマです。

女子の方の集団創作演技のテーマは「寄生虫」。
女子の新体操の既成イメージである「きれい」とか「かわいい」に挑戦したのだそうです。
不気味に、しかし美しく踊っていました。

「夢」とか「希望」とか「絆」とか、よくある言葉をテーマにしないで、そもそもなぜ「寄生虫」なのか。
女子の新体操に期待される「綺麗」「かわいい」こそが自分達の自由な表現から生気を吸い取っていた寄生虫だからか。
それとも、ほぼ30年以上、国際的に支配していたロシア流の新体操を勝つために模倣してきて、それでも自分達の自由な表現はその中で寄生虫のように生きていたということか。
いろいろと考えてしまいます。

いずれにしても、そうしたテーマは民間の新体操クラブでは選ばれることのない、大学生の知的なテーマです。
誰ですか。花園大学をFラン大学といって馬鹿にしていたのは。

もちろん、そういう前衛的な演技だけでなく、招待された団体や個人の演技など、普通の演技も見せてくれました。

男子団体演技、冒頭部分
同時タンブリング

男子団体も美しい演技でした。

そしてエンディング。
ゴース(薄布)の演出が見事でした。

花園大学新体操部の皆さんです。

企画から演出から、当日の運営まで、お疲れ様でした。
本当にありがとう。
こういうものを無料で見せてくれるのが京都の大学です。

4年生たちはこの日を最後に引退です。
彼らに幸多かれと願わずにはいられません。

新年、おめでとうございます!

昨年はブログでの楽しい交流をありがとうございました。
本年も宜しくお願い致します。

昨年はネタはあるのにブログの更新を思うようにできず、心残りでした。
今年は、更新のスピードをもう少しアップするのが目標です。

昨年は、行ける内にいっておこうと、男子新体操の推し活にあちこち行きました。
(ヘッダの写真の説明記事もまだ書けていません。💦)

でも、今年は同居している兄の認知症の進行が著しく、1泊以上の遠征は難しそうです。
日帰りで行けるところに行こうと考えています。

趣味の茶道や大連吟も楽しめる内に楽しむ心づもりです。
人生終盤、健康であることがポイントですね。

頑張らず、余裕をもって生活するつもりです。

砥石を購入

砥石を買いました。
生協の通販です。

包丁、切れないとストレスだし、いつも切れる包丁を置いておきたいのだけれど・・・。

以前は店舗の方の生協に、2、3ヵ月に1度くらいにやってくる堺の包丁砥ぎ屋さんを利用していたのだけれど、朝に持ち込んで夕方に取りにいくことになり、それが面倒だった。
その上、以前と違って仕事が雑になった印象。
人にもよるみたいなのですが、砥いでもらってもそれほど切れないのです。
おまけに使い方等、いろいろと文句を言われるし。
やめました。

そこでシャープナーを買って、それで砥いで使ってました。
でもシャープナーはすぐ砥げなくなる。


砥石で砥ぐのが一番いいとは分かっていたのですが、難しそう。
どうしようと考えていたら生協の通販で簡単砥石というのを見つけました。
口コミを読んだら評価が良い。
安くはないですが、思い切って買いました。


素人の私でも簡単に砥げ、プロにやってもらうより切れるようになりました。
もちろん、その砥げ味がいつまで続くのか分からないし、砥石の手入れの方法も色々と書いてあって、実際にうまくいくのか分からない。
でもこんなに簡単に砥石で砥げるのなら、今のところ買って正解でした。


         

もう一つおまけ。
我が家のハッピーちゃん、生成AIでイラストを描いてもらいました。
元の写真もいるということで、元はこれ。

イラストではこれ。

かわいいけどイメージ違いすぎ。
うちのハッピーちゃんはツンデレの、とーっても神経質な猫なの。
それを言ったらこうなった。

こ、恐い。でも近い・・・。
最も不機嫌な時のハッピーちゃんです。
これをお姫様風にアレンジしてと注文したらこうなった。 
これって、お姫様じゃなくて女王様でしょ。
「皆の者、我に忠誠を誓え」って言っている感じ。
でも女王様気質のハッピーちゃんには似合ってます。❤