ドイツのど真ん中!

ドイツのど真ん中、ゲッティンゲンやアイヒスフェルトを紹介しています。時々デンマークへも遠征します。

グリム兄弟と交わる旅 1 ゲッティンゲン大学

先日、為替相場でとうとう1ユーロが180円台を突破しました。直近では181円台をつけることもあります。昨年、2024年6月に私がドイツのど真ん中に滞在した頃も歴史的な円安で、一時1ユーロが173円の値をつけていました。それから1年と5ヶ月ほどで当時をはるかに上回る円安となり、ドイツ及びヨーロッパへは気軽に出かけられなくなっています。

その2024年のドイツ滞在では、ゲッティンゲン市内で「原爆の父」として知られる物理学者オッペンハイマーの足跡をたどりました。彼が住んでいた家の壁には、その名を記すプレートが取り付けられています。thosomich.hatenablog.com

オッペンハイマーの足跡をたどる一方で、私はゲッティンゲンに縁のあるグリム兄弟の足跡も訪ねていました。

グリム童話集』で知られるグリム兄弟は1830年から1837年までゲッティンゲン大学で教授を務めていました。ともすると童話を書いた兄弟と思われがちですが、実際には言語学と文献学の学者の兄弟だったのです(「グリム童話」は兄弟が創作したものではなく、収集編纂したものです)。

ゲッティンゲン大学の哲学部 ドイツ文献科ゼミナールが入る建物は兄のヤーコプに因みヤーコプ・グリム・ハウス(Jakob-Grimm-Haus)』と名付けられています。

www.uni-goettingen.de

滞在中のある日、『ヤーコプ・グリム・ハウス』に足を伸ばしてみました。その入り口にはグリム兄弟を記念するレリーフが掲げられており、スマホやデジカメで撮影しました。

奥が弟のヴィルヘルム、手前が兄のヤーコプ

凛とした理知的な兄弟の横顔が彫刻されています。哲学部の学生以外はここにグリム兄弟のレリーフがあることはあまり知られていません。

グリム兄弟のレリーフのある『ヤーコプ・グリム・ハウス』から歩いて1分もかからないところに『ゲッティンゲンの七教授広場(Platz der Göttinger Sieben)』があります。ここはゲッティンゲン大学のキャンパスですが、広場になっています。講義やゼミの合間、多くの学生たちが寛いでいますが、誰でも気軽に立ち寄ることができます。

大学キャンパスにあるゲッティンゲンの七教授広場(Platz der Göttinger Sieben)

1833年ハノーファー国王が王の権利を制限する新憲法の破棄を宣言し、それに対しゲッティンゲン大学の7人の教授が共同で抗議書の提出。教授たちは追放や免職となります。この事件をゲッティンゲンの七教授事件(Göttinger Sieben)といいます。その7人に名を連ねたのがヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟でした。日本では童話で知られているので、穏やかそうなおじさんを勝手にイメージしてしまいますが、国王にも物申す、意外にも気骨のある兄弟たちだったのです。

私もゲッティンゲンに住んでいた時、彼らが言語学者と文献学者であったことは知っていましたが、それほど関心ありませんでした。こうしてドイツのど真ん中についてのブログを書くうちにこの地域に伝わるメルヘンや伝説を知るようになりました。中にはグリム兄弟が編纂した『ドイツ伝説集(Deutsche Sagen)』に収められているものもあり、兄弟についてちゃんと知っておく必要があると感じていました。2024年、数年ぶりにゲッティンゲンに滞在してみて、大学にあるグリム兄弟のレリーフと七教授の広場を改めて見ておきたいと思ったのです。

『ゲッティンゲンの七教授広場』はゲッティンゲンのここにあります。

グリム兄弟のレリーフのある『ヤーコプ・グリム・ハウス』も広場のすぐ近くにあります。日本でもさまざまなグリム童話に関する書籍が刊行されており、『ラプンツェル』がディズニー映画にもなっており、グリム兄弟に関心のある方は一度立ち寄ってみるのもいいかもしれません。

ドイツ、木組みの家の言葉 16 ドイツの温故知新

アルプス山脈以北の森林が豊富にあった西ヨーロッパの国々には、ドイツ語で ファッハヴェルク(Fachwerk)、英語で ハーフティンバー(half-timber)、フランス語で コロンバージュ(colombages)と呼ばれる木組み(木骨像)の古い家や建物があります。

とりわけドイツでは、木組みの家の梁の部分に聖書や讃美歌の一節、文豪ゲーテの言葉、あるいはその家を建てた人や所有者の処世訓などが刻まれてきました。中世から近代を生きたドイツ人たちが残した言葉は21世紀を生きる私たちの生き方にも当てはまる金言といえます。

2024年、私は5年ぶりにドイツを旅し、木組みの家に記された言葉をいくつか蒐集しました。

今回のブログはハーメルンの笛吹き男」で知られる ハーメルン(Hameln)の旧市街で見つけた言葉で、現在はホテルが営業している木組みの家に残されています。

DAT EOLE EHREN

DAT NJE HÖREN

DAT GEOE MEHREN

DAT SLIMME WEHREN

古きを讃え

新しきに耳を傾け

善きものを増やし

くだらぬものを遠ざける

 

ドイツ語を勉強したという人でも今回の木組みの言葉は少々手こずるかもしれません。というのも低地ドイツ語で記されているからです。ドイツの標準語である 高地ドイツ語(Hochdeutsch)の中性の定冠詞 dasdat という 低地ドイツ語 (Niederdeutsch, Plattdeutschの中性定冠詞になっていることからそのことが判ります。

低地ドイツ語はドイツの国語ではないので、話される地域によって発音が異なり、したがって統一した綴りも存在しません。なので、

Dat Ole ehren

Dat Nee hören

Dat Gode mehren

Dat Slimme wehren

と記す場合もあります。インターネットで調べてみると、低地ドイツ語が話される北ドイツ各地の Heimatverein (ハイマートフェアアイン)と呼ばれる日本の地域お越しに近い団体や職人の組合がこの言葉をモットーに活動しています。論語に登場し、私たち日本人もよく知る「温故知新」に通ずる言葉ですね。伝統を大切にしながら新しいものを取り入れることのは洋の東西を問わない普遍的な考えなのでしょうね。

ちなみにドイツ語を勉強している、あるいは勉強したことがある方のために高地ドイツ語にすると、

Das Alte eheren

Das Neue hören

Das Gute mehren

Das Schlimme abwehren 

となります。ただし高地ドイツ語でこの言葉が何かの団体のモットーとされることはないようです。

ドイツ、木組みの家の言葉 15 薬屋のキャッチフレーズ

前回のブログでは、ノルトライン=ヴェストファーレン州(Nordrhein-Westfalen)ヘクスター(Höxter)の街で見つけた薬屋さんの愉快なひとりごとを紹介しました。

thosomich.hatenablog.com

今回は同じ薬屋さんの入口の梁に刻まれた、これもまた楽しいキャッチフレーズをアップします。

TRITT, GUTER MANN, GETROST HIER EIN,

STEHT AUF DEN BÜCHSEN AUCH LATEIN,

SOLLST DU DOCH DEUTSCH BEDIENET SEIN

そこのお兄さん、安心してお入りなさい。

薬の缶にはラテン語が書かれていますが、

ちゃんとドイツ語で応対しますよ。

 

日本語の訳を読んだだけでは面白くも何ともないのですが、ドイツ語の原文で EIN(中へ)LATEINラテン語SEIN(…である:英語のBe動詞に相当)で韻を踏んでいることがとても愉快なのです。口に出して読んでみると、独特のリズムが感じられます。ドイツ語を含め、欧米の言語で韻を踏みながら文章を作るということは、日本の五・七・五の俳句や五・七・五・七・七の短歌を詠むことに通じると思います。それぞれの言語でフッと腑に堕ちる、琴線に触れる特有のリズムがあるのでしょう。日本のお笑い芸人コンビが韻を踏んだ単語を羅列して笑わせるラップ風の芸とはまた違ったセンスが必要で、日常的に訓練や経験を重ねないと、韻を踏んでちゃんと意味の通ったリズム感のある文章は生まれてこないのでしょうね。

前回のひとりごとと今回のキャッチフレーズを記した薬屋さんの 『ラーツ・アポテーケ(Rats-Apotheke)』ですが、現在は廃業しており、薬屋の外観をそのままに 『ディー・アポテーケ(Die Apotheke :薬局)』という名のカフェ・バーが営業しています。

元々の薬局は100年余り前の1920年に初代の店主が開業し、第二次世界大戦後の1950年に2代目の店主が薬局を7年かけて改築し、その時に愉快なひとりごとやキャッチフレーズを木組みの家に記したのだそうです。残念なことに2019年の大晦日に3代目の店主が薬局を閉じました。

三角屋根の木組みの家が印象的なヘクスターの旧市街

ヘクスターの街には木組みの家が今もたくさん残されており、その梁に刻まれた木組みの家の言葉の宝庫でもありました。ただ、この日は世界遺産のコルヴァイ城を訪れた後にヘクスターに立ち寄ったので、時刻はすでに夕刻。おまけに曇り空で良い写真を撮ることができませんでした。他にも素敵な木組みの家の言葉を見つけたのですが、スマホやデジカメにはクリアな画像が残っていませんでした。

昨年2024年にドイツを訪れた時からずっと円安の傾向が続いており、なかなかヨーロッパに旅行するのは厳しい状況にあります。それでもまたヘクスターの街に心に刺さる木組みの家の言葉を発掘しに行きたいと思っています。

ヘクスターにある薬屋さんの木組みの家はドイツのここにあります。

ドイツ、木組みの家の言葉 14 薬屋のひとりごと

ライトノベル薬屋のひとりごと日向夏原作)が漫画化・アニメ化され、好評を博しています。今年2025年の夏にもテレビアニメの第2シーズンが放送され、架空の中華風王朝の後宮を舞台に繰り広げられる謎解きを私も毎週に楽しみに観ていました。

kusuriyanohitorigoto.jp

日本でメディアミックスで展開される『薬屋のひとりごと』とは何の関係もないのですが、ドイツでまさに「薬屋のひとりごと」を発見しました。そのひとりごとを見つけたのは ノルトライン=ヴェストファーレン州 (Nordrhein-Westfalen)にある ヘクスター(Höxter)の街。『ラーツ・アポテーケ(Rats-Apotheke)』というかつて薬局だった木組みの家の壁に掲げらていたのです。

VERTRAU

DES APOTHEKERS KUNST

SIE HILFT BESTIMMT

DOCH NIT UMSUNST.

薬屋の技能を

信用しなさい

それは必ずや助けとなります

でもね、タダではないんだよ。

 

こんな愚痴みたいなことをわざわざ彫刻にして壁に貼り出すなんて、よっぽど薬代の支払いを渋る患者でもいたのでしょうか。薬屋の本音ともいえるひとりごとです。

KUNST(技能、技術)と韻を踏むために本来は副詞の UMSONST(タダ、無料)UMSUNST に、O が U に変えられています。また 否定詞の NICHTNIT に変わっています。これらの変更はこの地域の方言なのかもしれません。

そしてもう一つの「薬屋のひとりごと」が同じ薬局だった木組みの家の壁にあります。

DU LIEBST

NICHT SEHR DIE APOTHEKEN

DOCH SCHLIMMER FREUND

SIND HYPOTHEKEN.

あんたは薬屋のこと

そんなに好きじゃないだろうが

もっと好きになれないのは

担保を取られることだよ。

 

これは上のひとりごとの続きなのかもしれませんね。薬代を払わない患者に代金を払うよう、担保を取りに行くよと遠回しに脅かしているではないでしょうか。APOTHEKEN(薬局・薬屋) HYPOTHEKEN(抵当・担保)で韻を踏んだ駄洒落のような一文。まるで愚痴をこぼすようでもありながらもくすりと笑わせるウィットに富んだ薬屋のひとりごとです。

これらの「薬屋のひとりごと」が見られるヘクスターの街はドイツのここにあります。

木組みの家の言葉13 楽しげに、朗らかに(ゲーテの言葉)

Freudig trete herein, froh entferne Dich wieder.

Ziehst Du als Wandrer vorbei, segne die Pfade Dir Gott.

楽しげに立ち入れ、そして朗らかに立ち去れ。

さすらい人として通り過ぎ、その道を神は祝福される。

 

世界遺産のコルヴァイ(Corvey)を後にして、 立ち寄った ヘクスター(Höxter)の旧市街で見つけた言葉。 詳しく調べてみると、これは文豪ゲーテラテン語からドイツ語に訳した言葉でした。

東ドイツの イェーナ(Jena)郊外にある ドルンブルク城(Schlösser Dornburg)の入口の上に刻まれていたラテン語の二行詩、

Gaudeat ingrediens, laetetur et aede recedens,
His qui praeter eunt det bona cuncta Deus.

ゲーテが城に逗留した時に訳したものなのだそうです。

ゲーテが訳したドイツ語の1行目の

Freudig trete herein, froh entferne Dich wieder.

(楽しげに立ち入れ、そして朗らかに立ち去れ。)

は、ザクセン=アンハルト州(Sachsen-Anhalt)の州都 マグデブルク(Magdeburg)にあるマグデブルク劇場 オペラハウス(Theater Magdeburg, Opernhaus)の破風にも記されています。またドイツ国内のホテルなども1行目のフレーズをキャッチコピーとして謳っています。命令形ではありますが、娯楽や旅行を楽しむ人たちを迎える側の心からの願いといえるでしょう。

この言葉で連想するのが、『ドイツ、木組みの家の言葉』のシリーズで一番初めに紹介したドゥーダーシュタット(Duderstadt)で見つけた言葉です。
thosomich.hatenablog.com

劇場であれ、宿泊施設であれ、あるいは個人の住宅であれ、客としてやって来る人には明るい気持ちで訪れ、楽しいひとときを過ごしてもらいたいものですね。

ゲーテの言葉はほかにもあります。ドイツの人たちは偉大な作家にして、知の巨人の言葉を自分の家の梁に刻んできました。

thosomich.hatenablog.com

thosomich.hatenablog.com

ヘクスターの街には、中世から建つ木組みの家がたくさん残されており、その梁や壁には面白い言葉が刻まれているのを見つけました。それらの言葉を引き続き紹介していきます。

ドイツのど真ん中で古城巡り 19 コルヴァイ城 2

ドイツ中部 ヘクスター(Höxter)にあるコルヴァイ城(Schloss Corvey)カロリング朝のヴェストヴェルクとキヴィタス」として世界文化遺産に登録されています。

「ヴェストヴェルク」と呼ばれる西向きのファサード

「ヴェストヴェルク(Westwerk)」ヴェスト(West)はドイツ語で 西ヴェルク(Werk)施設、機構という意味で、つまり教会の西向きの構造物(ファサードを指します。それは、特に修道院に付属する教会や聖堂参事会と呼ばれる高位聖職者たちの教会の特徴なのだそうです。コルヴァイはカロリング朝と呼ばれる神聖ローマ帝国の黎明期に建設された帝国直轄の大修道院でした。

再建された修道院附属教会の壮麗なバロック様式の祭壇

しかし1618年から1648年までの三十年戦争修道院と教会は大きな損害を受け、ヴェストヴェルクを除いて、取り壊されました。その後バロック様式で再建されました。

私は2019年の旅で ハルツ山地 にある ヴァルケンリート修道院跡(Kloster Walkenried)を訪れました。この修道院も16世紀の農民戦争で破壊され、教会堂は廃墟のまま残されています。ヴァルケンリート修道院世界文化遺産になっています。ただし修道院単体ではなく、「ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー、オーバーハルツ水利管理システム」の一部としての登録。現在は博物館になっています。

thosomich.hatenablog.com

コルヴァイもヴァルケンリート修道院と同じように廃墟同然になったことがイメージできます。

三十年戦争で破壊されたコルヴァイの修道院は教会と同じバロック様式で再建され、立派な城館が姿を現しました。それはおそらく、修道院長はじめ修道士たちが貴族の出身であったからでしょう。バロック様式修道院が現在のコルヴァイ城になっていったという訳です。

城よりも宮殿と呼ぶのがふさわしいコルヴァイ城

しかし時代が下ると修道院の重要性は失われていき、世俗化されます。修道院は廃止され、修道院長は領主司教、コルヴァイの所領もその司教領となりました。

最終的にコルヴァイ司教領はコルヴァイ侯爵ヴィクトル1世の所領となります。ただし彼はコルヴァイ侯爵以外にもラティボル公爵でもあり、コルヴァイではなくラティボル(Ratibor)で暮らしました。

このラティボルは現在のポーランドラチブシュ(Racibórz)の街のことで、当時はプロイセン王国の領土でした。第二次世界大戦ナチスドイツが敗け、ラティボルはポーランドの領土となり、孫のヴィクトル3世はドイツのコルヴァイへと逃れてきました。

コルヴァイ城の中庭から、屋根の上にはためく旗は……

現在はその孫ラティボル公及びコルヴァイ侯ヴィクトル5世と家族がコルヴァイ城に暮らしています。屋根の上ではためく赤と金色の旗は侯爵が城に滞在していることを示しているのだそうです(旗の黄色は金色を表しています)。

共和政となった現在のドイツで貴族の爵位というものがどれほど意味があるのか、日本人の私には分かりません。だだしコルヴァイ侯爵は修道院と城の維持に義務を負っているそうで、これだけの規模の城と修道院を維持していくのは途方もない苦労が必要でしょう。

sieben-schloesser.de

コルヴァイ城と修道院、教会の歴史を要約しましたが、詳しく調べてみると、その歴史はもっと複雑で紆余曲折があり、大変興味深いものです。また教会と修道院は日本人にはなかなか理解しづらいもの。観光気分の軽い気持ちで世界遺産のコルヴァイ城を見学しましたが、私がこれまで巡ったドイツのど真ん中の古城では最大規模で、生半可ではいかない城でした。改めてコルヴァイ城とヘクスターを訪れて、もっと深掘りしたいと考えています。

世界遺産のコルヴァイはドイツのここにあります。

ドイツのど真ん中で古城巡り 19 コルヴァイ城 1

これまでドイツのど真ん中にある18の古城を紹介してきましたが、コロナ禍で古城巡りが長らくストップしていました。前回のブログでは、5年ぶりのゲッティンゲン滞在でようやくシャーフェンシュタイン城(Burg Scharfenstein)を再訪したことをアップしました。

thosomich.hatenablog.com

シャーフェンシュタイン城を訪れた翌日、これまでに訪れたことのない城へも足を運んでみました。しかもそれは世界遺産の城。ドイツのど真ん中の古城巡りを再開するのにあたって最高の城といえるかもしれません。

ゲッティンゲンから車で1時間ほど西へ、ノルトライン=ヴェストファーレン州(Nortrhein-Westfalen)ヘクスター(Höxter)の街へ向かいます。街の中心である旧市街から2kmほど離れたヴェーザー川の西岸に コルヴァイ城(Schloss Corvey)はあります。

世界遺産 コルヴァイ城の門

コルヴァイ城は、その起源は城郭ではなく、キリスト教カトリック修道院でした。それもドイツという国ができるはるか昔、神聖ローマ帝国の黎明期にできた大修道院だったのです。

コルヴァイの修道院の創設には、神聖ローマ帝国の初代皇帝カール大帝の意向が大きく働いています。フランク王国の王だったカールが西暦800年にローマ教皇から皇帝の冠を授けられ、カトリックの庇護者として征服した土地に教会や修道院を建設するのです。

彼の息子のルートヴィヒ敬虔王の治世、815年にコルヴァイに最初の修道院の建設がはじまりました。カール大帝の従兄弟で、フランスのアミアンにあるコルビ修道院長アーダハルトとヴァラの兄弟がコルヴァイ修道院の創設者となります。コルヴァイという名前もフランスのコルビがその由来になっています。つまり新コルビだったのです。日本でいえば平安時代弘法大師空海が存命していた頃のこと。

天に向かって伸びる塔が印象的なヴェストヴェルク

「ヴェストヴェルク(Westwerk:西構え)」と呼ばれる正面(ファサード)を含む修道院附属教会が9世紀に建設されました。ただし当時から現在ような姿をしていたわけではなく、12世紀に行われた改修で2本の高い尖塔が備わりました。切り出した大きな石ではなく、不規則な形の石を積み重ねていった建築は、技術が洗練される以前の素朴さが感じられます。いずれにしてもカロリング朝と呼ばれる時代の神聖ローマ帝国初期の建築物をこの目で見られることには深い感慨がありました。

ヴェストヴェルクとコルヴァイの城館

コルヴァイの修道院神聖ローマ帝国直轄の重要な修道院とされ、この地域の経済的・文化的中心に発展し、修道院の所領が形成されていきます。また所属する修道士たちは市井のキリスト教の信者ではなく、高位の貴族出身者たちで構成され、コルヴァイは修道院長を実質的な領主とする小さな国、領邦となっていきました。

corvey.de

2014年にコルヴァイは「コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキヴィタス」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。キヴィタス(Civitas)とは、ラテン語に由来するドイツ語で小国家を意味します。まさに大修道院を中心とした国がかつてここにあったのです。

世界遺産のコルヴァイはドイツのここにあります。

コルヴァイのその後については次回も引き続き紹介します。