おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

頭の体操  (第1300回)

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。新年第一回の投稿ですので、できるだけ前向きな記事にしようと考えておりますが、「老いを見つめる」というカテゴリーですから、最初はやっぱり毒を吐きます。

そういう言葉を使いたい方はご自由にどうぞなのですが、私は「ピンピンコロリ」という表現が嫌いです。あくまで個人的な感覚ですが、なんだか人の生死を軽んじているような語感があります。お迎えの理想であることは分かりますが。


そういう表現を用いる人は、まさか私の祖父のように交通事故で他界するようなことを期待している訳ではありますまい。祖父は直前まで正しくピンピンしており、ある日、仕事に出かけたまま帰りませんでした。

そうではなくて、ピンピンコロリ信者は病床で癌や肺炎で長く苦しむより、寝たきりにならずに心臓発作や脳卒中で、すぐに逝きたいというご希望なのでしょう。私とて、できることなら長患いすることなく終わりを迎えたいです。


しかし世の中そうは甘くないという経験があります。親族に心臓発作でなくなった人がいますが、同居していた家族によれば、夜中にしばらくの間、強い痛みを訴え、救急車を呼びましたが手遅れになりました。

別の親族は、脳溢血で倒れましたが、救急搬送される間は意識がありました。これも辛かったと思います。人類に限らず生き続けるようにできている身体ですから、それが終わりを迎えるとき、そう簡単に済むものではないはずです。


去年だったか、頭と体のとちらかが言う事を聞かなくなったら死にたいと書きました。これからも、この思いは変わらないだろうと思います(いざ、そうなったときにどう考えるか分かりようがありませんが)。

この「頭が働かなくなった」という状態については、認知症を想定しています。私の同居家族にはこれまで認知症になった者がおりませんが、親戚知人やその家族等には少なからずおります。家族が大変な苦労をしています。


実際、統計などみると、高齢者の多くは最後に寝た切りの状態を迎え、そのうち少なからずの人が認知症患者だそうです。ガンと同様、超高齢社会では避けられない事態なのでしょう。

認知症にも、いくつか種類があるそうです。それにより予防法も治療法も違うのでしょうけれども、一般に高齢者の認知症対策に関する記事などでよく見かけるものは、次の二つに大別されるように思います。


一つは栄養、運動、睡眠などに関する日常的な健康管理。これは他の生活習慣病と同様です。そして、もう一つは認知症ならではの対策ですが、「孤立を避ける」といった方策を良く目にします。頭は使わないと、筋肉同様、衰えるのでありましょう。

良く言われるのが「社会参加」、「社会活動」です。ボランティア活動とか、趣味やスポーツ仲間の付き合いとか。確かに私の周囲でも、こういうことに熱心な人たちは元気です。


とはいえ、私のようにそもそも子供のころから人付き合いが不得手で、日常、独りぼっちでいても殆ど全く気にならずに暮らしているタイプの人間に、むりして社会活動をせよというのは酷な話です。せっかく老いて社会経済の第一線を退いたのに、寿命が縮みそうだし、ストレスが増大しそうです。現状の家族親戚や旧友との交流で充分です。

こういう性格の者にとっては、何も無理して人付き合いなどせず、他にも頭の使い方はたくさんあります。私の場合、インプット型の頭の使い方は読書や映画であり、アウトプット型の典型がこのブログです。旅行はその両方が期待できます。営業や就職活動も同時進行で行っています。おそらくずっと、こういう生活を続けて行くだろうと思います。



(おわり)

木瓜の花と実  (2026年元日撮影)























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