現在50歳未満の人について言うと,「種痘(しゅとう)」の経験のない人がほとんどだろう。
種痘は天然痘という病気の予防接種である。日本でもかつてはこのワクチン接種が小学生の全員に施されていたが,1976(昭和51)年を境に接種は廃止された。1980(昭和55)年にWHO(世界保健機関)が天然痘の根絶を宣言したことで,世界の多くの国々で種痘は終了となったのである。
ワクチン接種というと,インフルエンザのような皮下注射を思い浮かべるのが普通だ。ところが種痘は話が違う。種痘は注射ではなく,特殊な方法を使って行われるのである。また注射だと赤く腫れたりすることはあっても,ふつう時間がたてばそれは消えてゆく。けれども種痘の場合はきっちり跡が残るのだ,それも結構目立つように。1955(昭和30)年生まれの私の場合は,右腕の肩口のあたりに直径7ミリ程度の種痘痕(ケロイド)がある。もう少しあとの生まれの人だと,規則的に並んだ6~9個の小さな痕跡という場合もあるようだ。種痘痕で年齢がわかるというのは噂の域を出ないようだが,どんな種痘痕でも一生消えることはない。
種痘をまったく知らない人も多いと思われるので,少し丁寧に説明していきたい。
天然痘はウイルス性感染症の一種である。疱瘡(ほうそう)という呼び名で覚えている高齢者もいるだろう。天然痘ウイルスはヒトに対して非常に強い感染力を持ち,潜伏期間後は40℃前後の高熱や頭痛・腰痛などを発症する。その後,頭部や顔面から全身にかけて豆粒状の発疹ができ,時間とともに化膿していく。それと同時に呼吸器や消化器にも損傷が起こり,呼吸器不全などを起こしやすい。致死率は20~50%と非常に高く,2~3週間かけて回復しても発疹の痕跡(=あばた)が残ることになる。
天然痘の歴史は古く,一説によると紀元前12世紀,古代エジプト王朝のラムセス5世がこれで亡くなったのではないかと言われている。ヨーロッパでも紀元前から天然痘の恐ろしさは知られていて,ブルボン王朝ルイ15世(マリー・アントワネットの夫の祖父)の死因もこれだという。アメリカ大陸にはヨーロッパ人が持ち込んだらしく,免疫のなかった先住民族にかなりの被害が及んでしまった。日本では『日本書紀』にすでに天然痘を想起させる記述があり,疱瘡神(ほうそうしん)という疫病神除けの行事も各地で長く続けられてきた。天然痘の名前が生まれたのは,江戸時代末期と言われている。
一方,一度天然痘にかかった人は二度と発症しないことも昔から経験的に知られており,古代インドではすでに,天然痘患者の膿(うみ)を一般人に接種することで,天然痘に対する免疫を獲得させるという手法が行われていた。この手法は18世紀ごろイギリスやアメリカにも伝わっていき,19世紀には日本にももたらされたというが,実施された例はごくわずかしかない。天然痘患者の膿を採取することがそもそも困難であり,またその過程で感染の危険性も高かったからだ。のちにウシの天然痘(牛痘)の病巣から膿を採取して使えることがわかり,動物の皮膚細胞を使ってワクチン苗を培養する方法が採用された。このワクチン製造プロセスが発達して安全管理が進み,多くの人々に種痘が接種されるに至ったのである。
先に種痘の接種方法が特殊だと書いたが,実際には次のように行われた。小学生だった私の場合だが,むき出しにされた右腕の肩口あたりに,まずは医者によってドロッとした乳白色の液体が塗布された。底面は直径5ミリ~10ミリくらいだったと記憶するが,わりとこんもり盛られた印象がある。次に医者は私の二の腕をつかんだかと思うと,先の細いメスで,液体の下の皮膚をブスリブスリと何度もつつくのだった。今から思えば,刺青を彫るようなものじゃなかったか。当然,メスを刺された皮膚には穴があくので出血する。乳白色の液体の底から血が滲むと,白と赤のまだら模様に見えた。その状態で,すぐに拭き取ってはならない,吸収されるまでしばらく放置するようにと命じられたものである。
あとで,塗布されたドロッとした液体はウシの膿であり,それが出血したところの血管から入って全身にまわり,半分ウシの天然痘みたいな体になるのだ,などと脅された。実際にはウシの膿ではなくきちんと管理された製造工程を経たワクチンなのだが,そんなことされて俺は大丈夫かと不安になったのも事実である。
接種の仕方が,通常の注射型のワクチンと違うことがお分かりいただけただろう。おまけに直径7ミリほどの一生消えないケロイド痕跡が残ったのだ。接種されたことのない人は幸いで,私は種痘にいい思い出とか懐かしさとかは感じないし,ああこれで天然痘にかからずにすんだという感謝の念も現実にはまったくない。だから今回『廃語の風景』で扱ったはいいが,種痘に思い入れがないぶん,それが消えて行った風景にもたいした興味は持っていないのが正直なところだ。
ではなぜ,あえて「種痘」を選んだか。それは,種痘を語るうえで欠かせない人物・ジェンナーについてひとこと言いたいことがあったからである。
エドワード・ジェンナー,18世紀のイギリスの医師である。イギリスでは天然痘の流行がときどき発生していた。この頃,乳搾りを生業としていた人たちは牛痘(ウシの天然痘)にかかることが多かったが,そのおかげで天然痘にかかることはないという農民の言い伝えがあった。牛痘は比較的軽症ですむため,ジェンナーはそこに着目し,牛痘からワクチン種を採取して接種することで天然痘の免疫を獲得できるのではないかと考えた。
そこで何を行ったかというと,自分の使用人の子供である8歳の少年に,牛痘を接種したというのだ。さらに,その少年が若干の発熱と不快感を訴えただけで回復すると,6週間後に今度は本物の天然痘ウイルスを接種したのである。少年はその後,天然痘を発症しなかったため,この牛痘を用いた予防接種の方法が広がり天然痘を克服,ジェンナーはついに「近代免疫学の父」と称されることになるのである。
私はこの話を,小学校の図書館にあった本を読んで知った。ジェンナーはエジソンやキュリー夫人,野口英世などと並んで,「偉人伝」シリーズの一角を占めていたのである。ただ私が読んだストーリーでは,「使用人の子供である8歳の少年」に対してではなく,「自分の実の子供」をこの人体実験に供したということになっていた。実際に実の子供を別の実験台にしたこともあったようだが,牛痘接種のシーンは大きくイラストでも描かれてその本に載っていた。接種を受けている少年の傍らには,医師である父親だけでなく母親の姿も描かれていた。
小学生だった私は,ジェンナーが自分の研究成果を信じ,また多くの人々を救うために自分の子供の生命まで賭けた,という偉人らしい英断や勇気のほどは理解できなかった。それよりも,実験台にされた少年の心境のほうが問題だった。瀕死の子供を目の前に,一縷の望みを託して新しい医療を施す,などという話ではない。子供はいたって健康体なのだ。それがウシから採取した病原体を接種され,軽い発症状態にされてしまう。いや仮説どおり軽くすめばいいが,この段階ではそのまま死に至ってしまう可能性だって否定できなかったはずだ。父親によって崖っぷちに追い詰められた子供の,恐怖のほどはいかばかりであっただろうか,その思いに当時の私は胸をしめつけられたのである。
それが史実通りジェンナーの子供ではなく,父親の雇い主の男に牛痘を摂取された8歳の少年だったとなれば,まさに何をかいわんやである。
私はこのジェンナーの偉人伝が好きではなかった。というより,「エライ人の話」というもの自体,どこかうさん臭くて総じて好きになれなかったのだ。
「偉人伝」というジャンルじたい,すでに廃語に近くなっているのかもしれない。少し調べたところ,子供向けにマンガ仕立てで伝記モノはいくつか出版されている。個人で揃えるというより,やはり学校の図書館に収蔵されそうなシリーズだ。ノーベルやシュバイツァー,ヘレンケラーなどに混じって,最近のはインスタントラーメンの安藤百福,女優オードリー・ヘプバーン,記者ロバート・キャパなどの新顔もいて,たしかにおもしろそうではある。ジェンナーは1冊だけ見つけたが,それもマンガ仕立てだったから,脚色次第で「ヤバイ親父」感は薄めることができるというものだろう。
私は臍曲がりだから,「エライ人のエライ話」より「エライ人のズッコケ話」のほうが断然おもしろい。おもしろいだけでなく,そんな話を聞くほうがより勉強になるような気がするのだ。エジソンが実験中に誤って納屋を焼いてしまった話とか,フロイトはアメリカで評価されていたのに自身は英語が話せなかったのでアメリカ嫌いだったとか,宮本武蔵は小次郎との決闘にわざと遅れて相手をいらつかせ,しかも規格外れの木刀を使うなど姑息な手段の名人だったという解釈だとか。ああ,エライ人も俺たちと変わらない人間なんだ,失敗したって恥をかいたって,それを乗り越えちゃえば勝ちなんだ,と安心させてくれるのがいい。
極端に言えば,頭の中がぐにゃぐにゃの人ほど,私が好きなエライ人になっているような気がするわけである。ジェンナーは頭の中がガチガチだった。だから子供を実験台にできたし,そういうタイプのエライ人になってしまったに違いない。
♪ “Cecillia” Simon & Garfunkel
