tatsumitatsu

ロードバイクとキャンプ中心のブログです。

伊弉諾神宮へ初詣

2025年1月3日(土)

今年の恵方は西だ!

九星気学を嗜む上さんの至言を受けて、はるばる海を越え、淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮に初詣に行ってきた。

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私は気学などどうでも良いのだが、国生み・神生みのはてにイザナギがお隠れになった土地に行けるということで、ノリノリでこの家族旅行に参加した。自宅の堺市からは車で約2時間。伊弉諾神宮の他には、野島断層保存館や温泉に寄って、最後に淡路ハイウェイオアシスで晩飯を食って帰るというプランだ。

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行きもハイウェイオアシスでトイレ休憩。明石海峡大橋を眺める。

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11時、伊弉諾神宮に到着。って、一の鳥居から参拝者が溢れて行列になっとる。。そうだ忘れてた、これが一の宮の恐ろしさだ(泣)

人混み嫌いの私だが、よく頑張った。約30分後に参拝完了。おみくじや御朱印で忙しい上さんを放置して境内をぶらつく。

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夫婦大楠。二株の楠がくっついて一本になったという。祭神のイザナギイザナミの夫婦神にちなんで夫婦円満の御利益があるという、あまりにも出来過ぎな感がある御神木。ふと、このニ神のあまりにも凄まじい夫婦喧嘩のことを思い出した私は、きっとひねくれ者なのだろう。

さて、せっかくなので、イザナギへの個人的な感想をつれづれなるままに記録しておく。

 

日本神話における数々の神の中で、最も働いた神はイザナギだ、と思う。なにせ日本の国土と八百万の神を生み出したのだから。特に、イザナミと別れてから、アマテラスツクヨミスサノオという天地を統べる神々を一人で生み出したのは、イザナギの至高のポジショニングを示唆している。その後、アマテラスにトップの座を譲って、自分は淡路島に隠遁し表舞台に出てこなくなるのも、潔くてカッコいい。

一方で、ただ神々しいだけではなく、前述の夫婦喧嘩・・・黄泉の国で醜く変わり果てたイザナミに恐れをなして逃げ出すのも、人間(?)臭くて良い。子孫のニニギが、美人のコノハナヤクヤビメをめとり、醜いイワナガヒメを突き放すのは、きっとイザナギの血を引いているからだ(笑) いや、笑い事ではない。外見の美醜で浅はかな判断をくだす、この二神のせいで人間はかくも儚い人生を送ることになった。すなわち、イザナギイザナミを激怒させ、1日に人間を千人殺すという呪いを受けた。また、ニニギは、イワナガヒメを突き放したことで、永遠の命を得るチャンスをふいにした。まったく残念な神様たちである。

でも、日本の神様はこうした至らないところがあるからこそ親しみもわくし、神社に足を運ぼうという気持ちになる。

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伊弉諾神宮の社殿は、ものすごく綺麗な桧皮葺きがなされていた。さすが皇室ゆかりの神宮というところだ。イザナギも気分よくされていることであろう。

 

このあと、北坂養鶏場なる卵の直売所へ、そして野島断層保存館で阪神・淡路大震災の展示を見る。

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養鶏場にいたヤギ。こいつと遊んでいた次男が、ダウンジャケットを食い破られた。フワフワと空中に舞い散るダウンに家族大笑い。

 

続いて、淡路島の北端にある温泉(松帆の郷)で汗を流す。ここ、有名な絶景ポイントで、満月下の明石海峡大橋が美しかった。

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日帰り旅行は、あっという間に日が暮れる。おのころ島の候補地(非常に怪しいが)である絵島に寄りたかったが断念し、ハイウェイオアシスで晩飯を食い、帰路につく。

遠いようで実は近い淡路島。次に来るときは高田屋嘉兵衛の故郷である五色町にも行きたいが、家族を説得するのは…大変だな。

古代・中世の大阪と堺

2025年12月28日(日)

先日、下北沢の古本屋で『大阪と堺』(三浦周行著、岩波書店)という古書と出合い、大いに啓発されるところがあった。大阪は私の生まれ故郷にして、今も同府内の堺市に所帯を構えている(東京に単身赴任中だが)。が、そのまちの歴史的成り立ちについてはよく知らない。特に、堺の歴史を考える上では必ず中世(戦国時代)の環濠都市が引き合いに出されるが、認識しているのは南蛮貿易という奇妙な交易にいそしんで鉄砲を作っていたというくらいで、いったいそこに何者がどんな暮らしを営んでいたのかはとんと無知であった。

よい機会である。同書をはじめ、各Webサイトの情報を総動員して、ここに大阪や堺の古代から中世までの歴史をまとめてみる。

なお例によって、私の知識欲を満たすためだけに、諸説ある中の都合のよい情報をつぎはぎして編集するため、事実と相違していることもあるであろうことを断っておく。

また、ここで論じる「大阪」「堺」とは、現在の大阪市堺市ではなく、前者は現在の上町台地周辺、後者は堺区周辺を指すので、ご留意いただきたい。

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東大駒場と下北沢

2025年12月7日(日)

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良い天気。東大駒場キャンパスにある博物館が無料だと知り、さっそく行ってみた。自転車で約9km、40分弱で到着。

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閉まってるし(泣)

仕方ない。適当にぶらつこう。

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1号館。本郷の安田講堂とそっくりだ。うん、東大だな(笑)

ちなみに、(ドラゴン桜の知識だが)ここ駒場キャンパスは教養学部が設置されていて、1・2年生は全員、教養学部に所属する。すなわちこの駒場キャンパスに通う。3年から改めて学部を専攻し、本郷など各キャンパスに散っていく。私は経済学部の出身だが(もちろん東大ではない:笑)、大学進学の際に学部を選ぶことにとても抵抗があった。いや、私だけではないだろう。そもそも英国数理社という枠組みで勉強してきた高校生に、大学の学部選択なんて無理な話だ。こういうところ、日本の大学の教育システムの欠陥だと思う。が、東大はそれを克服している。3・4年の2年間で専門を修得しないといけないというデメリットもある訳だが、日本の最高学府がこうした理にかなった教育制度を採用していることは評価に値することだと思う。

 

脱線した。駒場を徘徊しよう。

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美しい…。

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どこもフォトジェニックだなあ。

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立て看板があちこちにあって、見るだけで楽しい。これは一種の博物館だ。そう思っておこう。

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変なところに迷い込んだ。大学なのかここは? 表に回ると、自動車部であった。

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キャンパスの東端にある駒場池。通称、一二郎池。

本郷キャンバスに、夏目漱石の「三四郎」の舞台として有名な三四郎池がある。それをもじって、この駒場にある池は一二郎池と呼ばれるようになったそうだ。

また、駒場は1・2年が通うところ、本郷は3・4年が通うところ、という二重の意味も含んでいる。秀逸なネーミングだ。

で、この一二郎池は、さらにもじって、一二浪池とも言われて、この池を見たら浪人するから注意らしい(笑)

面白いなあ。このエピソードだけで来た甲斐があった。

ちょうどお昼時。昼飯を食いに、すぐ隣の下北沢へ。

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さすがに人が多い。

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初めて来たけど、これは個性的な街だ。本当に古着と演劇の街だ。

私ももう少し若ければ楽しめたかも…50代のおっさんが古着を着ると、みすぼらしくなるだけだ。

なので古本屋に立ち寄る。

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本日の収穫。SF好きなので、ハヤカワ文庫を見つけるとすぐに買ってしまう。こうして、自宅に未読本がさらにあふれかえる。果たして命尽きる前に、ページを紐解くことがあるのやらないのやら(笑)

国会図書館と国会前庭で暇つぶし

2025年12月6日(土)

最近、自転車で遠出するのがおっくうで、国会図書館によく行く。家から自転車で10分と近いのだ。

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図書館の入口。隣に国会議事堂が見える。

諸星大二郎西遊妖猿伝(漫画)を借りて読む。うーん、2時間くらいでしんどくなってくる。

図書館を出て、周辺をポタリングする。12月の冷たい空気が気持ちいい。

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国会前のイチョウがとても美しい。

このイチョウ並木の横に、国会前庭なる庭園がある。寒い…いや、気温も低いのだが、怖いくらい人が全くいない。

咳をしても一人だ。

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しかしこの庭園、なかなか面白いエピソードの宝庫だ。

園内でまず最も目を引くのが、三権分立の時計塔。何が三権分立なのかと思いきや、時計が三面に配置されているのね。無理やりな感はあるが、日本の政治の中心地、永田町らしいモニュメントだ。

またこの庭園は、明治時代のある時期から太平洋戦争直前までは、陸軍の参謀本部が置かれていた。日露戦争で、乃木大将が旅順を攻略できず、児玉源太郎がイライラしていたのがこの地なんだと想像すると楽しい。

また当時の参謀本部には陸地測量部なるものがあって(これが国土地理院の前身)、その名残で、この庭園内に日本水準原点が置かれている。

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日本水準原点が保管されている日本水準原点標庫。なぜかローマ神殿風で洒落ている。

なお、この日本水準原点は海抜24.3900 mだそうである。わざわざ小数点第4位まで記しているところに凄みを感じる。しかも関東大震災東日本大震災のたびに修正されて、この数値になっていると。日本全国の高さの基準がここに定められていると思うと感慨深い。

 

同庭の歴史背景はこれだけではない。さらに時代をさかのぼると、江戸時代初期には加藤清正の屋敷がここにあったそうである。江戸城の内堀沿いの好立地。さすが清正と言いたいところだが、外様大名の悲しさよ。謀反の濡れ衣を着せられて息子の代でお家断絶。代わって彦根藩井伊氏がここに屋敷を構えることになる。そして幕末に、大老井伊直弼がこの屋敷からわずか600mしかない桜田門までの道中で暗殺されるのだ。

井伊直弼に殺された(蛮社の獄)、渡辺崋山の誕生地もここだ。

何だか呪われた地のように思え、そばにそびえる国会議事堂が大いなる墳墓のようにも見えてくる(笑) いや、あながち間違いでもないだろうな。

2つの氷川神社とヤマタノオロチ

2025年11月15日(土)・16日(日)

近くに2つの“ヒカワ”神社があることに気づいた。1つは以前にも訪れたことのある赤坂の氷川神社。もう1つは小石川にある簸川神社。後者は超難読漢字だが、これも“ヒカワ”と読む。

両神社とも祭神は、スサノオ、クシイナダヒメ、オオナムチ。出雲の黄金の3トップだ。まさに純度100%の出雲系神社ということで、両方一気に詣ってみた。

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だが、そもそも氷川神社って何だ? 奈良には、かき氷ファンの聖地(笑)として有名な氷室神社というのがある。その連想で、氷川神社も氷にちなんだ由緒でもあるのか?と思ったが、全然違った。

ヒカワ神社の名称の由来は、出雲国の簸川(ひかわ)から来ているそうだ。これが転じて氷川となり、埼玉県の武蔵一宮・氷川神社を総本社として全国に200超の同名神社が存在すると。まあ、それはいい。重要なのは、簸川とはなんと現在の斐伊川(ひいかわ)のことなのだそうだ。なるほど、これでつながった。これは出雲100%だ。

斐伊川は、ヤマタノオロチ伝説の故郷だ。いや、この川自体がヤマタノオロチだという説もある。これは日本神話ファンの血がたぎる。

ちなみに斐伊川の上流の山岳地帯は、「もののけ姫」でお馴染みのタタラ製鉄が盛んだった土地で、古くから鉄製の武器や道具が作られていたそうだ。この歴史的事実が神話と合体するとどうなるか。すなわち、この地にのさばっていたヤマタノオロチとは、この製鉄部族の化身であるという連想が成立する。つまり、縄文の神であるスサノオがこの地にやってきて、ヤマタノオロチと対決するというのは、当時最先端の鉄製武器を持った部族を相手に戦ったということである。例の有名な神話、ヤマタノオロチを酒で酔い潰すという、ある意味スサノオらしくないクレバーな戦い方(笑) これは、まともに相手をしたら敵わない相手であったことを象徴しているとも言える。そしてオロチを退治したご褒美に、尻尾から出てきたのは、草薙の剣、すなわち鉄の剣だ・・・なんと綺麗にまとまる神話なんだ。惚れ惚れとする。

と、出雲神話を語りだすと熱くなってしまう。そうだ、ヒカワ神社に来たのだ。


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まず赤坂氷川神社から。同神社は、関東大震災や戦時の空襲を免れて、創建当時(江戸時代)の佇まいを残している。これは東京の神社ではとても珍しいことだ。時の流れに風化しつつある、奈良の古社にも似たワビサビが感じられて、とても良い空気感を漂わせている。

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シブい。

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雪のように白い猫が階段を上っている。

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四合稲荷(しあわせいなり)。四社を合祀してできたことから、勝海舟が「しあわせ(幸せ)」「志を合わせる」とかけて名付けたという。勝さん、お茶目だなあ。

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シブい。

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西行稲荷。西行法師に縁があるのかと思いきや、この地の西行五兵衛なる人物にちなむという(笑) しかし、この神社が最もワビサビていて私好みであった。

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よく見ると子持ちだ(笑)

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シブい。

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大黒様?違う布袋様かな。オモロシブい。

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江戸型山車の展示。屋根の上にからくり人形が付いているのが特徴。手前から、猩々(しょうじょう)、神武天皇ヤマトタケルだそう。とにかくシブい。

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最後に御社殿に参拝。暴れん坊将軍が建立。

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神社の近くにある、勝海舟坂本龍馬の師弟像。勝さんはこの辺に住んでいたのだ。

 

翌日、小石川にある簸川神社を訪れた。

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こちらは、赤坂氷川神社とは対照的に、関東大震災東京大空襲ともに被害を受けたのだそう。因果なことだなあ。

もうこんな被害はゴメンだということで、御社殿はコンクリート製だ。

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ワビサビ好きの私としては期待してなかったのだが、これがどうしてカッコいい。

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ガンダムっぽくてシブい。

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裏手に回ると、拝殿と本殿が一体になっている。本殿もコンクリートで頑丈そうだ。

 

なおこの神社も、もとは氷川神社という名称だったそうだが、出自を大切にしよう、ということで、大正時代に氏子一同とはかって簸川神社に改称したのだそう。気骨のあるエピソードである。

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狛犬も根性ありそうな面構えである。

赤坂の氷川神社と比べると規模は小さいのだが、隅々にスピリットが行き届いている。愛が感じられる神社だ。

 

(おまけ)

帰路、東京ドーム付近で、小さな鳥居がチラと見えて寄ってみた。

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出世稲荷という。由緒書きを見ると、春日局が建てた神社だそうだ。3代将軍の乳母となり、後に大奥の総取締りにまで出世した春日局にあやかって、こう呼ばれるようになったという。すぐ隣の春日通りといい、一帯に及ぼす春日局の威徳はスゴいものがある。

 

さて、このブログを書き終えた現在、14時過ぎである。日曜日だが、暇つぶしに仕事に行こうか・・・もし出勤したら、2週続けて土日出勤確定だ。次の金曜までカウントすると、26日ぶっ通しで仕事していることになる。まあ休日出勤は横槍が入らないので仕事がはかどるのだ。これも単身赴任中だからできることなのだが・・・はあ、因果なことだなあ。

アマテラス考

2025年11月14日(金)

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天照大神と書いて、アマテラス。なんと素敵な御名であろうか。

日本神話を勉強していくと、果たしてアマテラスは本当に最高神なのか、タカミムスビの方が上なんじゃないか、スサノオの方が野性味があっていいじゃないか、などといろいろな想念が芽生えてくる。そもそも記紀の出自が天皇の血統を証明するための「作られた神話」であるため、その頂点をなすアマテラス自体が取ってつけた添え物・・・に見えなくもない。しかし、だ。そんな恣意的な創作の果てであろうとも、やはりアマテラスが日本神話の頂点にいることに、個人的な満足感を覚えるのである。

最初に書いたが、まずアマテラスという名前が良い。太陽神を形容するのに、これほどピタリとハマるものはない。誰が考えたんだろう。天才だ。日本語って素晴らしい。

外国では太陽神というと、ルーとかラーとかアポロンとかどうも淡白である。外国語を解さないから単なる依怙贔屓だが(笑)

日本の神様は(ダサいのもいるが)、ツクヨミとかワタツミとかアメノホアカリとかコノハナヤクヤとか何やら神秘的な韻と意味を備えて、そのネーミングセンスに脱帽する。アマテラスはその筆頭である。

 

先にアマテラスは、日本神話の中では取ってつけた添え物と書いた。確かに、同神が登場する数々のエピソードをなぞると、支離滅裂である。アイデンティティが確立されていない。とても最高神とは思えない所業も多い。のだが、それがかえって魅力である。

例えば、高天原にぶらりやってきたスサノオに、すわ侵略か!? と完全武装して対峙するアマテラス。そして、スサノオの剣を噛み砕き、その息から宗像三女神を誕生させるエピソードは鳥肌が立つほどにカッコいい。

しかし、その後のスサノオの乱暴狼藉に心を痛め、天ノ岩戸にヨヨヨと隠れるアマテラスは、先の武闘派アマテラスとはとても同一神とは思えない軟弱さだ。あまつさえ八百万の神の策略に引っかかって、岩戸から引きずり出される様は、もうみっともないったらありゃしない。

ニニギを天孫降臨させる時は、まるで遠足に行く子供にあれこれと世話を焼くお母さんのように気忙しく立ち回る。「さあ葦原中国を治めてまいれ!」と天壌無窮の神勅を発して送り出した割には、ニニギが降り立ったのは、出雲でも大和でもなく、日向という僻地。

おかげで、ニニギはコノハナヤクヤ姫と結婚して、子どもを産んでおしまい、というはかない生涯を送る。葦原中国を治めるのは、そこから180万年後の神武東征を待つことになる。アマテラスの神勅とは何だったのだろう(笑)

崇神天皇の代に疫病が蔓延した時には、その原因は、三輪の地に2神(アマテラスとオオモノヌシ)を祀っているからだと巫女のお告げを受け、結果どうしたかというと、アマテラスが追い出される。皇祖神なのに、可哀想なアマテラス・・・。これは、添え物の神様より、やはりその土地に古くからいる神様を尊重しないと国は治まらない。つまり土着の民は納得しない、というリアルな政治的問題をはらんでいる訳であるが、まあそれは良いとして、ここからいわゆるアマテラスの放浪が始まる。ヤマトヒメとともに各地を転々とし、今で言う元伊勢なる聖地を量産しつつ、最後にやっと安住の地、伊勢神宮に収まる。良かったねアマテラス(笑)

という風に、アマテラスは日本の神々の頂点と言っても、なかなかのイジられキャラである。良く言えば、天然の愛嬌があって親近感が湧いてくる。どこぞの絶対神ではこうはいかないであろう。

 

さて、これらのアマテラス伝の中で、最も有名なのは天の岩戸の物語だろう。岩戸に引きこもったアマテラスを再び外に連れ出すために、オモイカネが策を練り、常世の鶏が夜明けを告げ、アメノコヤネ祝詞(のりと)を唱え、アメノウズメが半裸で踊る。外が気になって顔を出したアマテラスは南無三。タヂカラオにヒョイと引きずり出される、という少し情けない物語だ。

 

しかし、この八百万の神が講じた策の中で一つ不思議なものがある。それは、アマテラスが岩戸から顔をのぞかした時に「なぜお前たちはそんなに楽しそうにしているのだ?」と問うのだが、それに対してアメノウズメが「あなたより尊い神が現れたので皆が喜んでいるのです」と答えるシーンである。そしてアメノコヤネがすかさずアマテラスの顔に鏡を突きつけ、(鏡に映っているのはアマテラス自身な訳だが)アマテラスはそれを自分以上に尊い神だと思い、もっとよく見ようと身を乗り出す。そして結果は先に述べた通り、タヂカラオによって岩戸から引きずり出されるのだ。

これが私にとっては理屈がよくわからない、不思議なシーンであった。なぜ八百万の神々は、わざわざ「あなた以上の神が現れた」などと、アマテラスを傷つけるようなことを言ったのだろう。また、アマテラスだってバカじゃないんだから、鏡を突きつけられたら、それが自分だと分かるはずである。それなのに、どうして彼らの策に進んで乗っかるように振る舞ったのだろう。繰り返すが、もしアマテラスが鏡に映ったのは自分だと分からなかったら、本当に愚かである。なんだろう、このエピソードは? いったい何を伝えたいのだろう?


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ここで話は、3年ほど前にタイムスリップする。土日になれば、家族を放って、大阪や奈良をロードバイクで走り回り、神社巡りをしていた時の話である。

場所は、大阪狭山市にある三都神社。なのだが、それはまあいい。私には、伝統とか作法とかを重んじない悪い癖があって、この時も人がいないことを良いことに、ぶらぶらわが物顔で境内をほっつき歩いていた。境内にはたくさんの摂末社がある。その一つ、本当に小さな社があって、格子窓の奥に御神体と思しき鏡が黄金色にチカチカ輝いているのが目に入った。興味が湧いて、ちょいと見てやれ、と覗き込むと・・・そこに自分がいたのだ! いや、もう少し丁寧に言うと、その鏡に写り込んで、御神体よろしく納まっている自分を見たのだ。何だこれは!!?  今、同じことをしても、もうこの時の衝撃は二度と起こらないであろう。分かっていたらダメなのだ。まったく不意を突かれた。

この時の何とも形容しがたい感情。これはアマテラスが岩戸で鏡を突きつけられた時の気持ちと割と近いのではないか。不遜なことながら、私はこの時、鏡の前に立つアマテラスを理解したのだ。

 

繰り返すが、アマテラスほどの神が鏡に映った自分を自分と気づかないはずがない。「あなた以上の神がいる」と紹介されて、鏡で自分を示される、というのはどういうことか。それは、周囲の神々のアマテラスにかける想いの強さの表れだ。冷静に考えれば、それ以外に解釈のしようがない。アマテラスはそれを瞬時に悟ったのではないか。そして、もう外界に出たくない、引きこもっていたいという気持ちとの葛藤に打ち勝って、覚悟を決めて岩戸を出たのだ。繰り返す。叙述では確かにタヂカラオに引きずり出されたと書いてある。しかし内実はそうではない。アマテラスは「自分の意志」で進んで岩戸から出たのだ。この腐れ切った世界を再び照らすために・・・。

鏡のエピソードは、こうした解釈が許されるくらいの深みを持つ、と思う。創作とはいえ、古事記なかなかやるじゃないか。

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さて、書きたかったことは以上だが、もう少しだけ続きを。

 

三都神社の小さな社の鏡とはいえ、そこに自分(私)を映してしまったのは、さすがに畏れ多いことであった。この世のクズを自認している私を、この鏡が祠に納めたのは、いかなる意志によるものか? まさか私に岩戸から出よと、言われているのか? って何の岩戸だ? まさか日常のあれやこれやを指しているのか? と非常なプレッシャーを受けたことを昨日のことのように思い出すことができる(笑)

まったく霊感のない私が味わった、唯一の神秘体験だ。そして、アマテラスを理屈を超えて身近に感じるようになった理由でもある。そして私が、大きな神社よりも、人けのない小さな神社を好むのも、これが理由である。

応仁の乱について雑記

2025年11月1日(土)

購入して約10年放置していた『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(2016年、中央公論新社、呉座勇一著)を読了した。

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戦国、江戸、明治あたりに知識が偏重している私にとって、室町時代応仁の乱は謎の領域だ。本書を読んでなかなか思うところがあったので、書き留めておく。なお、学者でも何でもないので、裏付けを取るのも面倒、ということで、大いに勝手な解釈が入り込んでいることを断っておく。

 

まず応仁の乱について、教科書的な知識から。

・1467年から11年も続いた。

・主戦場は京都。室町幕府のお膝元でダラダラと戦争するとは、幕府の権威なんてあったものではない。

・時の将軍は足利義政。8代将軍で銀閣を作った人。妻は悪女として名高い日野富子

・将軍に次ぐ管領職は、斯波氏・細川氏・畠山氏。

・乱の構造としては、東西に陣営が分かれて戦った。東軍の総大将は細川勝元。西軍は山名宗全

・乱の原因は、畠山氏の跡目問題。そこに足利将軍の跡目問題がからむ。さらに勝ち馬に乗って領土を広げたい守護、守護代たちが群がり、東西のどちらかに組みして争った。

・乱が終わっても、誰が勝ったのかわからない。逆に言えば、誰も滅ぼされない。これが応仁の乱のわかりにくさ、つまらなさにつながっている。

 

概略は以上な感じ。さて、我流の感想をたらたらと書いていく。

 

まず守護大名という存在。これがよくわからない。例えば、東西両軍の大将は、細川氏、山名氏であるが、いまいちピンとこない。そもそも本拠地がどこなのかわからない。

というわけで、東軍の大将、細川勝元をググってみると、土佐国讃岐国丹波国摂津国伊予国の守護とのこと。まあ細川氏は四国との縁が深いイメージはあるが、丹波や摂津などの飛び地も治めていて脈絡がない。山名宗全を調べると、但馬・備後・安芸・伊賀・播磨の守護だと。中国地方が主だが、伊賀って…。畠山氏は河内・紀伊・山城、そして越中(!?)  みな意表を突く所に領地があって、正体がよく掴めない。しかし石高にすると百万石を優に超えるのではないか? 何かスゴいぞ、こいつら。でも領土が広過ぎて、統治が行き届かないだろう。守護代などが下剋上する下地が整い過ぎている(笑)

そして、戦争の模様。どうもちんたらやっている、ように感じる。鉄砲伝来前だから、殺傷力に欠けるのであろうか。戦国時代のような、一族存亡をかけた戦いがない。勝った負けたをひたすら繰り返している。戦争ごっこだ。これは、力がなくなったとは言え、まだ足利幕府下の封建体制の枠組みを脱することができない当時の武士たちの限界のようである。相手に少しだけ打撃を与えて、幕府に調停してもらって、相手の領土の守護職を譲ってもらおうという、そんな他力本願な姿勢が透けて見える。

そんな中、一人気持ちの良い人物がいる。乱の原因を作った畠山氏の跡目争い、その一方の将である畠山義就である。応仁の乱は11年も続いたものたから、東西の両大将、細川勝元山名宗全は途中で没する。じわじわと厭戦ムードが漂いだして、やがて東西両軍は和解して戦争が終わるのだが、畠山義就だけは納得いかず、幕府から逆賊指名されながらも、実力で河内国を奪い、独立国家のようなものを作ってしまう。北条早雲に先駆ける戦国大名の走りのような人物である。ただし、戦国大名のように地場の民衆を顧みるような感じはなく、例えば京都と奈良の境にある山城国で、憎き跡目争いのライバル、従弟の畠山政長と戦った時は、山城の国人たちに、戦争するなら他所でやれとブチ切られる。有名な山城国一揆である。やはりこの時代の大名たちはどこかお貴族様であり、戦国大名のような地場の人々を守るというヒーロー的要素は皆無・・・歴史小説の主役を張れない人たちなのである(笑)

将軍の跡目争いも面白い。足利義政がわが子・義尚を次期将軍にすることに決めると、義政の弟、義視はにわかに西軍に身を投じ(義政は東軍贔屓だった)、西幕府を作ってしまう。こうなると、乱は単なる大名たちの勢力争いという枠組みを超え、幕府の存在意義が問われる様相を呈する。ちょっとゾクゾクっとする展開だが、乱が終わるとやっぱり義視は許される。滅ぼされない。これはいけない(笑) ドラマにならない大根役者である。

で、そんな中で、両軍に金を貸して(東軍だけという説もある)ひたすら私腹を肥やす日野富子(笑) もう全キャスト、自分のことしか考えてなくて、まさに笑うしかない。

しかし魑魅魍魎どもはこれだけではない。奈良(大和国)の興福寺…この何とも不思議な坊主たちの組織とその下でうごめく土着の武士たち。その生態を描写しているのが、この本の個性的で面白いところである。

奈良すなわち興福寺興福寺すなわち奈良。足利幕府も大和国には守護を置かず、興福寺のなすがままにしていた。いったい興福寺とは何者なのか? 答えは簡単で、興福寺とは藤原氏の氏寺である。つまり興福寺のトップ(別当)は、藤原氏の血筋、九条家やら一条家やらが代々継いでいるのである。能力や人望などは二の次、血筋がすべて。藤原貴族のはなたれ小僧が出家させられて、いろんな法要や作法をたたき込まれて、エスカレーターで別当の位置に収まる。この血統の力と、奈良時代から着々と蓄えてきた、全国に散らばる荘園の経済力を糧として、大和一国を治める怪物である。そのため、大和の武士たちはもれなく興福寺の下僕である。他の地域では、成人になる儀式を元服というが、大和国では出家することで成人とみなされる。簡単に言えば僧兵であるが、大和では彼らを衆徒・国民という特別な呼称で呼ばれる。筒井氏や古市氏、越智氏などが有名だが、興福寺内で派閥があるように、彼ら衆徒・国民も派閥があり、小競り合いが絶えない。しかし面白いのは、みな興福寺には歯向かおうとしない。春日若宮おん祭などの祭事で行われる流鏑馬の行事では、みなエエ格好しようと必死である。応仁の乱でも、それぞれの利害に応じて東西に分かれて戦うが、興福寺の祭事で役を任されてるからなどと言って出兵を渋ったりする(笑) 京都がどれだけ荒れても良い。しかし、その火の粉が大和に及びそうになると、徹底してこれを排除する。どうしようもないチンピラどもであるが、興福寺の手の上で踊る、愉快な輩なのである。

一方、彼らの親玉、興福寺別当たちは、応仁の乱で全国の荘園が荒らされないかとハラハラし通しである。足利の秩序を守る、すなわち荘園制の存続に寄与する武将は彼らにとって味方である。逆に、この秩序を崩壊させる輩、例えば下剋上を狙うような輩は、興福寺にとって敵である。そんな敵が戦に負けたりすると、そら天罰が下った!などと喜んで日記に書いたりする(笑) そこにお釈迦さんの教えを保ち広めようなどという尊さは微塵もない。何というか、僧侶の皮をかぶった別の何かである。

しかし、そんな興福寺の存在と、取り巻きの愉快な仲間たちが、結果的にすぐ隣の京都で起きた応仁の乱の火の粉を食い止め、大和を比較的平和に保ったのは何とも皮肉なことで、歴史の無邪気さ、能天気さが(私には)強く感じられた。応仁の乱、面白いではないか(笑)

しかし、応仁の乱後は戦国時代が待っている。全国に戦国大名が競い立ち、興福寺の生命線である荘園制は崩壊する。弱体化する興福寺、そして大和国に再び活気が戻るのは、豊臣秀吉の賢弟、秀長の大和入りを待つことになる。来年の大河ドラマの主人公だ(笑) 現在の奈良県もこれで少しは活気づくことだろう。