「管理職の罰ゲーム化」と言われる意味を考えよう

管理職の罰ゲーム化

管理職に求められることが変化しているという調査データがあります。10年前と比べ変わったと答えた管理職が79.8%にも上っています(ALL DIFFERENT株式会社)。それは管理職に対する期待が広範になったことを指しています。成果を出すこと、業務を管理すること、部下を育成することだけでなく、新事業創出やハラスメント対策、働き方改革、DE&Iなどなど… そうでなくても上からのプレッシャーは強く、やらなければならないことが多過ぎて、「やってられない」と感じている管理職が多いのは事実でしょう。疲弊していると言っていいでしょう。また、部下に対してもキャリア支援、1on1、エンゲージメントは上げなければならないし‥‥という具合で、過度な期待は上からと下からの両方になり、正に板挟みです。そのような状況を指して「管理職の罰ゲーム化」と言ったりします。

 

管理職になりたくない理由「部下の期待に応えられない」

管理職自体があるべきリーダーシップを誤っている場合も多いと思います。「俺についてこい」的「率いるリーダーシップ」が正しいリーダーシップだと勘違いしていると、それが組織に伝搬し、若手の人たち、特に女性は「私にはそんなことできない」と多くの人が感じてしまう可能性が高いでしょう。

事実、一般社員のうち77.3%の人は「管理職になりたくない」と答えています(日本能率協会マネジメントセンター)。

「率いるリーダーシップ」が当たり前だと考えるカルチャーが主流を占める組織だとすると、部下は「指示待ち」や「教えてほしい」という上司依存体質に染まっている可能性が高い。そのような部下たちは常に何でも「丁寧に教えてほしい」と要求するでしょう。そんな組織だとすると「私にはその期待に応えらえない」と感じ、同様に管理職になりたくないと感じる人も多いと考えられます。

即ち「率いるリーダーシップ」が染みついた組織は、部下の自律が進まず、管理職に行き過ぎた、間違った過度な期待をかけることが自然と定着しています。これは正に企業カルチャーであって、強く根付いたカルチャーは簡単には変えられませんね。

 

予算必達のプレッシャー

また、管理職は更にその上司から事業成果に対する強いプレッシャーを受けています。「予算達成は絶対だ!」という感じですね。もちろん、成果に対する責任はすべての社員が負わねばなりません。それがプロだからです。ジョブ型になろうが同じです。しかし、それは適切な目標とそれに必要なリソースが与えられるという条件が必要です。それがないままできないことにチャレンジするのはナンセンスです。また、変化の激しい現代の市場は何が起きるか分かりません。プロとして洞察して対応力を高めようが、競合がいる以上勝った負けたはつきものです。必要なのは「プロとして最善の努力をしたか」であって結果だけで評価してはなりません。もちろん、結果の責任は管理職にありますが、それは甘んじて受けるとして、それだけで評価してはならないのです。それにビクビクして毎日を送る必要なんて一切ないのです。考え、行動し、最善を尽くせばよいのです。

 

オーセンティシティに向き合う

現代は管理職に「コンプライアンス」や「ハラスメント」などの対応を強く求められるでしょう。そこで大切なのは以前に書きました「リーダーのオーセンティシティ」です。信念や倫理観を普段から部下たちにどのように伝えるかが大切なのです。普段の対話によって在りたい姿を浸透させることがリーダーにとって最も大切な仕事のひとつです。それが言語化できていないと管理職は務まりません。難しいことではありません。自分の価値観とじっくり向き合えばよいのです。そのような日常を送っていれば、それが管理職になりたくない理由には絶対にならないでしょう。信条や人格が分かりやすい方がいいでしょうね。

 

権限委譲と部下の自律

権限委譲を正しく行うことができている管理職が少ないのかもしれません。そんな上司を見ていると管理職にはなりたくないと思う人もいるかもしれませんね。管理職は上司の命令(「そんなことは自分でやらずに部下にやらせろ、権限委譲すればいいではないか」)で「権限委譲」をしなければならないと思い込み、部下に対しなんでも「自分で考えろ」と投げてしまう人がいますね。これは権限委譲ではありませんね。ただの放任です。まず経営システムを考えましょう。決裁基準・承認基準や会議開催ルールなどです。部長決裁なのかマネージャ決裁なのか、担当が自分で判断してよいのかです。私の知っている上場企業で5万円の備品購入も会長決裁という会社がありましたが、これでは部下は自律しませんよね。自分で決められない部下もいるでしょう。それは上記のように投げやりな「自分で考えろ」ではなく、コーチンが必要ですね。自分で決めることが喜びに感じるようにしなければなりません。それが任される自信につながるようにしなければなりませんね。それが部下の成長・自律につながります。

会議もとても重要です。シーンとした会議室で部長が一方的に方針や指示を話したり、上位会議の内容を伝えたりするだけの会議では、参加意欲は低下する一方でしょう。一緒に議論する場にしなければなりませんね。例えば、部長はファシリテーターとして会議を活性化し、皆が活発に意見を言い、かつ否定されず称賛され、皆の意見が反映される民主的な決断が出れば、その場は活性化しますし、その場を仕切った部長のリーダーシップは光り輝くでしょう。ロールモデルになると言ってもいいのではないでしょうか。大切なリーダーシップの一つですね。

そのような場で光るのは上司の視座です。以前にも何度か書きましたが、「広く見る、深く見る、先を見る」という洞察力や先見性の高い視座に立った部長のコメントが発信されたら、部下たちは尊敬するに決まっています。部長が光り輝いて見えるでしょう。あんな人になりたいと思うでしょう。皆も「学び」にビビッドになるでしょうね。

 

愚痴は最低

また、愚痴ばかりこぼす上司がいますよね。役員から無理難題を押し付けられ、あんなのは最低だとか、言ってしまう人、いますよね。それは慎みましょう。もし無理難題を押し付けられても、黙って部下を守るのが上司のあるべき姿ですね。それをそのまま部下に押し付けるような姿を見せてしまったら、部長ってあんなに虐められるんだ。僕たちはそのしわ寄せを食うなんてまっぴらごめんだと思われるだけです。

 

「あんな管理職になりたくない」から「あんな管理職になりたい」への転換はそれほど難しことではないと思います。

落ち着くカフェで人生観を語り合う上司と部下。それが理想かもしれませんね。
@Dandelion Chocolate(蔵前で人気のカフェ)

 

官僚的組織の行き着く果て

官僚的組織の恐ろしさ

官僚的組織は、真実を隠し自分に都合の良い規律・規則を作り上げるものだと思います。ユヴァル・ノア・ハラリ氏の書いたNEXUS情報の人類史」にも似たような指摘があったと記憶します。

そう言われても皆さんはピンとこないかもしれません。こう理解してほしい。会社の中に強烈で独裁的なリーダーがいたとします。彼は「支配的ヒエラルキーを作り上げ、強制・威圧・褒美と罰により組織を操作しています。常に攻撃的で、出世志向で自己中心的。従属者は恐怖で支配された結果、完全なる「イエスマン」言い換えると「消極的フォロワー」になり切っています。イエスマンたる部下は上司の顔色を伺い、彼の望む施策を考えます。組織員全員が納得するように都合の良いデータだけ(真実ではないでっち上げと言える)を組み合わせ、現状の問題点を目的にあった物語りに編纂します。もっともらしい変革テーマを仕立てるわけですね。その問題を解決するために現場の自由度を奪い、的外れで細かすぎるガバナンス強化を強要します。それが故野中郁次郎名誉教授の指摘する日本をダメにした3つの過剰のうちの「Over Complianceなわけです。事実を理解している現場リーダーは、その物語が無根拠で意味のないものだと理解しいています。そして、施策が的外れで、かつ現場を混乱させ無駄な工数を浪費することになることも理解しています。一部の勇気ある人がそのように指摘したものなら、鉄槌が下されます。逆鱗に触れ「俺の言うことが聞けないということなのか」、そして懲罰を受けるわけです。

これは、日本のムラ社会文化そのものであって、日本が太平洋戦争で降参タイミングを失い国民を無駄死させた理由でもあるわけです。

そうそう、ムラ社会の怖さを表わすもう一つの現象があります。ムラ社会は壁を作り外界とのコンタクトを極端に嫌います。全て内向きなわけです。そうなると何が起きるのか? ムラの長の大きな声だけが壁に反射して反響し、それが絶対的に正しいと勘違いしてしまうわけです。それを「反響室」現象、即ち最近よくSNSなどの怖さを表現する「エコーチェンバー現象」というのですね。

 

実際の官僚を悪く言うつもりはありませんが、トップの意向だけを汲み取り、間違った方向に国民を誘導するために真実を曲げて(隠して)、正義ではない施策を展開するのは、今で言うとトランプ政権のフォロワー達だと思いますし、高市政権も少し垣間見え始めていますね。

恐らく多くに企業においても、かつては出世志向の強い強烈なリーダーたちが闊歩し、このような間違ったリーダーシップを発揮していたのだと思います。残念ながら今でもそうだという企業も、少なからず残っているのが現実でしょう。

 

あるべき姿へ

社長やユニットの長たる人は、HRと協力して主要幹部のサクセッションプランを慎重に事実をベースに検討する必要がありますね。絶対に業績だけで決めてはなりません。そのアプローチが一番危険です。上記のような人は業績至上主義で数字を美しく見せるために無駄な施策を展開し、現場に無理を強いている可能性があるのです。場合によっては、それが現場のコンプライアンス違反を誘引することにつながることは、近年のスキャンダル事案を見れば明らかです。最近ではニデック(旧日本電産)の監査法人が意見不表明(決算が適正だと認めるために必要な証拠を入手できていない)をし、不適切会計(粉飾決算かもしれない)があったのではないかと疑わせます。永守さんの予算達成プレッシャーが過酷で売上の先食いをしていたのだとすれば、明らかに粉飾決算です。

リーダーはハンズオンを志向しなければなりません。管理職になると現場から離れ、会議ばかりになる。それが部長や更に上位職になると益々現場から離れ、上記のような社長からよく見られるような施策ばかりを考えることになります。しかし、どんなに昇格しようがハンズオンの姿勢を忘れてはなりません。これは部下の権限を奪うことを指すわけではありません。顧客と話し、ビジネスパートナーと意見交換をし、現場の人たちと腹を割って会話する機会を増やさなければならないのです。会議室で部下の報告を聞くだけでは真実は分かりません。多くの部下は幹部にとって耳の痛い話を上げないからです。正に「裸の王様」なわけですね。最低です。そんな人に経営はできません。

 

前にも書きました。出口治明さんの言うように「本を読め、人と会え、旅をしろ」が大切ですね。これは真実を知ること、多様な視点を持ち客観的な視座に立つこと、メタ認知を心掛けることを勧めているわけですよね。

狭い視野から見ても本当の美しさは見えない。
旧安田庭園(“東京のブルックリン” 蔵前辺りを散歩して)

誇りを問うパワフルクエスチョン

最近自分の人生について考えることが増えています。何回かそのたぐいのことを書いてきました。分かったようなことを書いてきましたが、結局は彷徨っているのでしょう。そんなお年頃ということなのだろうと勝手に思っています。それに秋から冬という季節がそうさせるのかもしれませんね(笑)。今日またまたそんな話を少ししますね。

 

「あなたが人生で誇りに思っていることは何ですか? 」

と問われたらあなたは何と答えますか?

これは凄くパワフルな質問です。人生とは何か? 私はどんな人生を歩んできたか? 自分の長所は何なのか? 他者との関係はどうなのか? などなど無限の視点で人生を見ることを強要されているかのような強烈さかもしれません。

考えた結果、自分の人生を許せるのか、逆に捨ててもう一度やり直したいのか、に向き合う羽目に陥る人もいるかもしれません。答えが思いつかない人も多いのかもしれません。何もないなんて寂し過ぎると、落ち込む人もいるのかもしれません。

でも、その思考は初めて人生を振り返るきっかけを与えてくれます。「まんざら悪い人生じゃなかったな」、と笑顔で死んでいけるなんて思うのかもしれません。

考えると気付きます。誇りに思うことは、意図的に創ったものとは限りません。意図したわけでもないのに、今思えばこんな人生だった、○○に恵まれた・・・ きっとこれは本人が持つ真のパワーなのです。意図しなくても影響力を出していた、他者の役に立っていた、空気・オーラ・波長を感じてくれていた・・・ 

 

信念に忠実に生きてきたが、いずれその重荷を下ろす時が来ますその時あなたは何を言いたいのでしょうか。

ぼくが跪き教えを乞うと、
「気にするな、気楽に生きろ」と言っていただけるような気がする。
東博

 

リスキリングの責任

スキルのニーズは変わっていく

最近の生成AIの進歩によって多くの職種で仕事が大幅に減る(効率化できる)と言われています。事実、北米の企業ではその流れを先取りするかのようなリストラが行われています。何をするにも行動が速い。その揺り戻しもあったりもしますが・・・ それもシラーっとね。

そこで必要になるのがリスキリングです。何か特定の仕事一筋で働いてきて、かつその他の経験やスキルや能力が現状何もない人にとって、潜在的な能力だけに頼って転職するのはきついでしょう。また、学べばすぐキャッチアップできるという即応能力はとても貴重ですが、証明することが難しいので、その能力を活かせる機会がない場合はそれだけに頼るのは厳しいでしょう。

 

戦略的なキャリアプラン

若い時からシニアになるまでの間に、どのような経験を積むべきかを考え、異動や転職を戦略的に続けている人もいます。しかし、日本では非常に稀でしょう。例えば、ITをやって、営業をやって、マーケティングをやって、サプライチェーンをやって、経営企画をやって・・・なんていうキャリアを積んでいる人です。そうなると、企業経営の視座を持つ人材として引く手あまたになるかもしれません。ただし、若い時から自分の視座だけでそのようなキャリアプランを立てることはまずできないでしょう。経験豊富なエクゼクティブや信頼できる転職エージェントからのアドバイスが必要不可欠でしょうね。しかし、的確にアドバイスできる人自体も少ないと感じます。

欧米のビジネススクールのように、そんなセンスを磨くために勉強してきた人にとっては当たり前のことも、日本においてはとても稀でしょう。

 

リスキリングの現状

そんな日本においても、リスキリングの戦略はほぼ個人に委ねられているように思います。企業の中では動機づけもないまま、世間ではリスキリングと騒いでいる。政府のメッセージもそうですね。流動性が高まるとリスキリングが必要だという認識なのでしょう。しかし、現実にはまったく盛り上がらない。私は、それは個人に寄せ過ぎているからだと感じています。

そこで重要なのが上司の存在です。以前にも書きましたが、職場で行われている1on1の主目的はキャリアプランを共有することです。一般的にはそこに必要なのが「リスキリング」のはずです。しかし、恐らく上司との間でその話し合いが行われてはいないのではないでしょうか。

 

リスキリングビジョン

ここが問題だと思います。上司は部下より多様な経験を積み、視座が高く業界動向やテクノロジーや企業が何を求めているのかなどなどの洞察力や先見性を持っているはずですね。上司は「これからの企業はどのような人材を求めるのか」のビジョンを言語化してほしいのです。多くの人たちは「勉強不足で言語化できない」仰るかもしれません。しかし、それではだめなのです。いつもアンテナを高くして、種々の情報を統合して考えて言語化するのです。そもそもそのくらいのビジョンがなければ顧客と高次元の議論はできないはずですよね。目先の作業ばかりに目を奪われている毎日を送っていては、そんなセンスは磨かれません。これは上司の責任と言えるかもしれません。部下よりもはるかに高い視座を持っているはず。それが上司の「器」というものでしょう。

上司は頭を整理して「リスキリングビジョン」を提示し部下と話し合ってほしいのです。部下に丸投げするなど、無責任が甚だしいと思いませんか。部下から「リスキリングをどの様に考えたらいいのですか?」と質問されて「自分で考えろ!」なんて言っているんじゃないでしょうね。そんな上司は最低です。もしそんな上司がいたら、部下はどんどん転職してしまうでしょう。

部下のスキルと経験を「ジャンプ」と「シフト」で考えるのもいいでしょう。その総合がポートフォリオとして戦略的な意味を持ち、それが将来につながるという先見性の物語が必要なのです。そのアドバイスができれば上司の価値は鰻登りのはずですよ。

既に初冬の景色。高尾山にこの時期毎年のように登っているが、
熊が出そうなので今年は見送った。
寒いと出不精になる気持ちを押さえて歩こう!

限られた時間の使い方!人生のタスクリストを完璧にこなす必要なし

限られた時間をどのように使うか? これは現代人にとってとても大きな課題だ。多くの企業人にとって、追いまくられた毎日を送っているからだ。人生の終盤にさしかかった私にとって、残された時間を考えてもしょうがないという域に入った、というようなことを前回書きました。

現役バリバリの皆さんにとっては、毎日一生懸命時間と争い課題に取り組む人生は避けようがない。しかし、いつか向き合うでしょう。「何のための人生なのか」「何のための仕事なのか」

仕事だけが人生じゃない。やりたいことはたくさんある。そう皆さんは考えているでしょう。オリバー・バークマン氏は「限りある時間の使い方」の中でこう書いています。

「自分の時間は、あまりにも短い。その事実を直視するのは怖いことだ。タフな選択は避けられない。やりたいことを全部やる時間はない。さらに、限られた時間の使い方さえも自分ではコントロールできない。すべてを完璧にこなせる人なんていない。体力や才能、その他いろんなリソースが足りない。そんな現実を直視したくないから、僕たちは全力で現実を回避する。まるで何の制約もないかのように、非現実的な幻想を追いつづける。完璧なワークライフバランス、やりたいことがすべて実現できるタイムマネジメント。」 そんなことはできはしない。しかし、その恐ろしい事実から目をそらすために忙しい毎日を送っているのではないだろうか。

ニーチェはこう言っています。「我々は生活に必要な以上に熱心に、夢中で日々の仕事に取り組んでいる。立ち止まって考える暇ができては困るからだ。世の中がこれほど忙しいのは、誰もが自分自身から逃避しているためである」

やっぱりそうだよな、と思う。私はクライアントとよくこんな話になります。「人生にどうやったら余白を作れるのか?」 そう、それは人生の本質や自分の信念を考えるための時間を確保するためなのです。しかし、なかなかできない。ニーチェはそれが現実だということを指摘しているわけです。

バークマンは「僕たちはスケジュールや計画に強迫的にしがみつき、未来をコントロールできないという事実を忘れようとする」 私はoutlookのスケジュールがびっちり埋まっているのを見て、嘆いているようでほくそ笑んでいる人をたくさん見てきました。それが現実なのです。

好きなときに好きなことをする理想の人生は、ただの幻想です。それを直視するのは恐ろしいだから忙しさに逃げるそれが人生なのでしょう。しかし、本当に時間に余裕ができたらどう行動するのか。

 

同氏はこう書いている。「しかし、現実を否定したところで、何もうまくいかない。『いつかは完璧な世界がやってくる』という幻想にしがみついていれば、目先の安心感は得られるかもしれない。ところがいつまでたっても、自分が充分にやっているという感覚は得られない。『充分』というのが、人間には不可能なレベルに設定されているからだ」 人間はどこまで欲深いのだろうか。

「闘いは終わることがなく、人生はますます不安に、空虚になっていく。『全部できるはず』という信念が強ければ強い程、やるべきことは積み上がり、『本当にやるべきか?』と問う余裕がなくなってくる。その結果、どうでもいいタスクばかりが増えていく」 これが恐ろしい現実なのではないだろうか。

 

「急げば急ぐほど、時間のかかる仕事にイライラする。計画を完璧にこなそうとすればするほど、小さな不確定要素への恐怖が高まる。時間を自分の自由に使おうとすればするほど、人生は孤独になっていく

「時間をコントロールしようと思うと、、時間のなさにいっそうストレスを感じる。人間であることの制約から逃れようと思うと、人生はいっそう空虚で、不満だらけになる。このままではどこにもたどり着けない」

「それならば、制約に逆らうかわりに、制約を味方につけたらどうだろう? 自分には限界がある。その事実を直視して受け入れれば、人生はもっと生産的で、楽しいものになるはずだ。もちろん、不安が完全になくなるわけではない。限界を受け入れる能力にも限界はある。だとしても、これだけは自信を持って言える。現実を直視することは、ほかの何よりも効果的な時間管理術だ」

そう、自分にはできないことはたくさんあるし、気が乗らないし、集中力が続かない・・・ などなど言い訳だらけの人生を送ればいいのです。できることだけやっていればいい。何も全部やろうとする必要なんてないんだ。限界に挑戦するような闘いを挑む必要なんてないんだ。のらりくらりと今やりたいことに向き合っていればいい。人生のタスクリストを完璧にこなそうと足掻いて制約に挑戦状をたたきつける必要なんてないのだと思います。

悶々としたときは「テキーラサンライズ」でもぐびっといきましょう

 

 

450

人生は時間である。時間をどの様に使うかで人生が決まる。

私自身は、80歳を過ぎればほぼ使い物にならないだろうと想像する。行動力は衰え、かなりボケてもいるでしょう。今でもポンコツなのでそう言い切ってもいいと勝手に思っています(涙)

だとすると、残りはたった450週弱だ。一週間があっという間に過ぎると感じているわけだから、その「あっという間」が450回しか味わえないわけです。

 

何かをやり遂げるために人生があると思っていた。どんなに仕事で苦労しても、それを乗り越えて成功しても、プライベートで充実した時を過ごそうが、私は本当にやるべきことをやっていないのではないかと頭をよぎる。

多くのシニアがそう感じているのかもしれない。

 

多くの人は「忙しい」と思い続けて人生を送ってきた。忙しい自分が好きなのだ。「忙しい」に依存して精神を保っていたと言っていいのではないか。自分を誇り、それに満足するように生きてきた。

しかし、本当は違うのだろう。忙しくなんてない。人生にとって余計なことをしてきただけだ。もっと大切なことがあるはずだ。晩年になってそう思う人が多いのではないか。

しかし、時間はない。どうやって生きればいいのか。

 

いや、そんなことを考えたってしょうがないのだ。そうやって悶々と生きればいい。何かをやり遂げようなんて考える必要もない。中途半端で人生を終えればいい。人生はそんなものだ。

時間は振り返るもので、先のことなんて分かりはしない。残りを数えたってしょうがない。

枯れていく

コンコルド効果を避けるには

超音速旅客機コンコルド

超音速旅客機コンコルドをご存じだろうか。マッハ2でニューヨーク・ロンドン間を3時間半で飛行するスピードは驚異的でした。しかし、コンコルドは商業的に完全に失敗しました。失敗した理由はたくさんあります。開発費が高騰し、また、燃費が悪い上に燃料費が高騰し、運賃が非常に高額になり、利用者が少なかったこと。その上座席数が100席しかないため、ペイラインが凄く高くなってしまった。また、超音速が売りでしたが、地上に大きな衝撃波を出すため、陸上での超音速飛行が禁止されてしまい、就航路線が限られてしまった。など、目論見通りにいかず、2003年には運航が終了したのです。

鳴り物入りで開発したコンコルドはたった20機しか製造されませんでした。実はこのビジネスには私たちに大きな学びを提供したのです。当然開発には膨大な費用が必要でした。上記のような問題は開発が終わってから突然出てきたわけではありません。徐々にいろいろな見通しが変化してきたのです。ビジネスとしては成り立たないことは少なくとも途中で分かっていたのですね。

ここに人間の浅はかさがあるのです。既に投入した費用や時間を回収できない費用(サンクコストという)とみなし、それを無駄にしたくないという心理に陥り、損失が拡大することが分かっていながら投資を止められなくなってしまったのです。

このような心理現象のことをコンコルド効果」と言います。

 

コンコルド効果の例

さて、このようなことを皆さんは経験していませんか? 例えば、ビジネスプランを作り投資の機関決定を受け開発を始めたものの、当初想定していた機能では全く足りないと分かり、開発コストは膨れ上がった。並行してマーケットにアプローチしたところ、想定していた価格では売れそうもないことが分かった。しかし、誰も開発を中止する決定を下さず、開発を継続し、遅れた挙句完成したが、当初のビジネスプランとは全く異なる現実を前にし、完成した時点でこのビジネスの赤字は決まっていた。本当はかなり前には分かっていたはずです。

こんなこともあるでしょう。ある企業が売りに出ることが分かった。買収のメリットを様々検討し、事業シナジーなどなどを検討し買収金額を試算しコンペに応募した。ところが、競争相手は多く応札価格は吊り上がっていった。当初想定したペイラインの2倍になってもまだ吊り上がり続けている。ここまでやってきたんだからと、上がり続ける価格に追随していった。結局落札したものの、半年後には回収できないことが明確になり、膨大な減損を計上せざるを得なかった。これも応札途中で回収は無理だと分かっていたはずですね。

仕事以外でも、ギャンブルで負けがこみ、回収しようと更に高額な資金を投入し、傷はどんどん深くなる一方で、人生が破綻した・・・

その他にも、つまらない小説だと気付いても我慢して最後まで嫌々読み続けた。なんていうのも「コンコルド効果」です。

誰にも経験のある話ですね。ビジネスの範囲だけでも枚挙に暇がない程たくさんの事例があるはずです。

 

どうすればいい?

世の中では「GRIT」(「やり抜く力」Guts:度胸、Resilience:復元力、Initiative:自発性、Tenacity:執着心)が賞賛されますね。これでは正にコンコルドまっしぐらとも言えますね。現代は、市場の変化や地政学的変化が著しく、ずっと突っ走ることの方がよっぽど危なっかしい。即ち、「Think Again」(アダム・グラント)考え直すことが賞賛されるのべきなのです。状況が変われば判断も変わる、という当たり前が賞賛されるのです。

しかし、皆さんも感じたことがあるでしょう。「止めること」の難しさを。しかし、プロのビジネスピープル、リーダーであれば、「止めること」を決めるのも責任です。英知を集め、情報を客観的に評価し、自分の判断で決めるのです。最後は直観を信じるしかありません。止めるべき判断を先送りして、傷を広げた挙句異動していったリーダーは無責任極まりないですね。後任がその事業を整理するなんていうのは悲しいストーリーです。実は私もその一人で、前任者が作った回収不能のビジネスを何度が畳みました。終戦処理ですね。「お前がやる必要はない、〇〇(前任者)にやらせろ!」と上司に言われたこともあります。そのディシジョンはあなたもしたんでしょ。よく言うよ。と思いました。私がやるしかないのですからしょうがありません。楽しくはないですけどね。それも仕事です。いろいろ学びがありました。

大切なのは、客観的な撤退条件を決めておくことですね。M&Aの場合だったら、いくらが上限なのかを決めておくのです。吊り上がると、あといくら出せば買えるかもなんて思ってしまうものですが、あっさり引き下がるのです。損切の考え方もそうですね。傷が浅いうちにすっぱり止めてしまうのです。ずるずる続けるのはアマチュアです。プロなら今回はここまで!とすっぱり引いてしまうべきなのです。チャンスはまたあるさと思うことも大切なのです。

小さな世界で賞賛を得てもほぼ自画自賛
そんな自分を俯瞰的に見ることが大切だと思う。メタ認知できれば行動は変えられる。