広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

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2001年元日の旅

秋田市は、少し雪が積もって寒くて時折吹雪き、まれに晴れ間がのぞく、秋田らしい正月です。2026年もよろしくお願いします。

 

21世紀になって25年。※1世紀は00年~99年の間ではなく、01年~00年なので21世紀は2001年から。
25年のことを「四半世紀」と呼ぶわけで、その長さを思うと感慨深い。2001年なんてつい最近のことだと思っていたが、考えてみればそうも思えなくなってきた。


四半世紀前の元日を振り返る。
最近のことではないと述べたばかりだが、僕はデジタルカメラを持っていたし、インターネットも使っていた。デジカメの画質、ネットの情報量は、今には到底及ばないけれど。どちらもその前年頃から使い始めた、未来的なアイテムであった。

2001年1月4日 4時42分 秋田駅西口
ブレているが、秋田駅前交番付近から、アルス・ホテルメトロポリタン秋田秋田駅ビルトピコを写したもの。アスファルトは濡れて、シャーベット状の雪が少し残っている。5時時点で気温1.2℃、積雪1cm。
左手前のバス乗り場が改築前ではあるが、その他は現在とほぼ変わっていない。上に天井が見えている、ぽぽろーどの西方向への延長は、前年2000年。

 

後にも先にもないほど、とても早起きして駅へ行ったのは、日帰りで首都圏へ行ったため。
僕は大学を卒業してから2度目の年越し。
前年は自宅でおとなしく過ごした(身内に不幸があったこともある)。我が家は正月だからといって、絶対にやらなきゃならない風習はなく、別に家にいる必要はない。なかなか旅行する時間もなくなったから、この機会に出かけた。

4時48分、秋田新幹線ホーム。左が12番線
すごい行列。
不思議に思うかたもいるだろう。元日から旅行する人がこんなにいるのか。そもそも、秋田新幹線「こまち」の始発は、秋田駅6時過ぎの発車なのに、これはその1時間前。
なお、「こまち」は現在は全車指定席だが、2002年11月までは2両が自由席だった。当時の自由席は15・16号車。上の写真は13号車の乗車位置付近らしい。

 

乗客が多い理由。
1月1日に限り、JR東日本の全路線(新幹線・特急等含む)の普通車自由席が乗り放題のきっぷが発売されていたから。
1996年用が最初だそうで、2009年用まで続いた。後年は、北海道や第3セクター鉄道の一部が対象になったり、回数を限って座席指定が取れるようになった。
帰省やその戻りのラッシュのはざまで、利用が落ちこむ元日の利用喚起商品。
現在は休暇が取りやすくなるなど世間が変わって、帰省ラッシュは分散化傾向のようだが、当時は今よりもピークが集中していたのだろう。
秋田新幹線開業前(1996年?)にも、このきっぷを利用して首都圏へ行ったが、当時は元日はお休みの店が多くて、飲食と買い物に困った思い出がある。

 

Wikipediaによれば、きっぷの名称は2000年用までは「お年玉フリーきっぷ」、2002年用以降が「正月パス」、そして2001年用は、
「21世紀お年玉フリーきっぷ」
新世紀を押し出した商品名。
大人1万円。当時も得に感じた。
今は正月用フリーきっぷはなくなったが、近年は2月の平日に、ほぼ同効力で乗り放題となる「旅せよ平日!JR東日本たびキュン早割パス」が恒例になった。
その1日用(指定2回)も1万円。
あらゆるものが値上がりする中、これに限ればJR東日本はがんばっていると評価できる。

 

これもWikipediaに記載がないが、少なくとも2002年用と2003年用の正月パスは、適用日を1月2日にも拡大(1日か2日のどちらか1日)したほか、発売地域を関東周辺(県単位の指定)に限定。
代わりに、東北信越各県では「年越し東京フリーきっぷ」を発売。12月31日~1月1日の2日間有効で、往復に新幹線・特急の普通車指定席を利用できた。東京周辺で普通列車フリー乗降。値段は地域で異なり、青森、秋田、盛岡発は2年とも1万5000円。山梨県内では、どちらのきっぷも購入できたようだ。
僕はこれも利用したの(目的地は東京よりも先)で、いつかアップするつもりです。


1時間早い理由。
フリーきっぷによる利用増に応え、目的地滞在時間を長くするべく、5時台始発の臨時列車が元日限定で運行されたのだった。自分の記録も、ネットの情報も見当たらず、号数やダイヤは分からない。


前後の年も運行されたのかは不明だが、2001年は、この列車が「21世紀でいちばん最初に走る新幹線(※)」として、少し話題になったはず。
フル規格の新幹線では、騒音対策から0時~6時は運行しない。ミニ新幹線=在来線区間では、その縛りがない。だったら平常でも5時台始発があっても構わなそうだが、さすがに早すぎるのか。
※ただし、JR西日本では、フル規格の山陽新幹線で運行中に世紀をまたぐ「ひかり」を「レールスター21世紀号」として運行。0時以降は減速運転で対応したようだ。
なお、この日の長野新幹線(と当時は通称していた、北陸新幹線)の長野発東京行き始発列車(定期)は、列車名を「21世紀あさま500号」にして運行。こまちではそういうのはなかったはず(前日最終について後述)。

指定席の乗車率はどのくらいだったのだろう。ひょっとして全車自由席???
今ほどたくさん撮影しなかった(電池残量も心配)こともあり、車内の記憶はない。座れたのだと思うし、途中駅でもスムーズに降りられたようで、

大宮駅で下車
9時09分頃発車。前にE2系(J15編成)がつながっている。当時は「はやぶさ」でも「はやて」でもなく、「やまびこ」【2日補足・東北新幹線が盛岡止まりで、仙台以北は速達列車でもやまびこだったと思うと、とても「昔」に感じる】。やまびこ側も臨時列車だったのか?
奥のホームには、白に緑の200系。窓下に細線があるので、2階建てグリーン車・カフェテリアが連結された、16両の「H編成」。この頃は、停車駅が少ない通称「スーパーやまびこ」運用をE2系に明け渡しつつあった晩年。
手前ホーム上の、白と緑のベンチは東北新幹線開業時からのものだろう。今はなさそう。

 

今の僕は、申し訳ないけれど首都圏に進んで行きたいとは思わない。行かざるを得ないことはあるけれど。
当時は、一定の魅力がある旅先だった。だけど、具体的にどこに行って何したいという、強い願望はなかった。今思えば、きっぷの効力を活かして、まだ多く走っていた200系に乗ったり、上信越方面などへ行ったりすればよかったような。
何を大きな目的に【2日補足・小さな目的としては下記】大宮で下車したのかは覚えていないが、行きたい場所をリストアップして調べて、ネット地図を印刷して持参したのは覚えている。便利な世の中になったと思った。


大宮駅は、今はさいたま市だけど、同市は2001年5月発足。この時点では大宮市(と浦和市与野市)。晴天で7.4℃(10時)。
大した写真もないので省略するが、2000年4月開業のさいたま新都心駅、浦和の調神社(つき神社)を回って、京浜急行電鉄2100形電車に乗って、横須賀に行くなどした。神社以外は、さほど人は多くなかった。
神奈川県三浦市の、京浜急行三浦海岸駅でも下車。
駅から300メートルほどで、浦賀水道に面した三浦海岸。

太平洋の砂浜を見たのは、この時が初めてかも。天候も波も穏やかで、日本海と対照的。
さらに、とても大きな凧が上がっていた。秋田では正月に凧揚げはしない(できない)し、それ以前に凧揚げの経験もない。上がっている凧を見たのさえ、初めてだったかも。【2日追記・典型的・理想的な日本の(日本海側は無視されるわけだが)、太平洋側の、関東の、お正月の光景を見た。】

16時32分。東京駅丸の内駅舎。2007~2012年の復元前工事の姿
↑人通りが少ない。今ならうじゃうじゃいるのでは?

 

帰りは東京発18時台のこまちに乗ったようだ。最終の2本前かと思うが、遅くならないうちに帰りたかったのと、早いほうが混雑しないと踏んでの選択のはず。ところが大混雑。通路に立ち客が連なり、僕も秋田まで4時間立ちっぱなしだった。
立った場所は、先頭16号車のいちばん前。だから人の通過はなく、目の前が運転台のドアだった。立ったまま居眠りしてしまい、数度、そのドアに頭をゴンとぶつけてしまった。

秋田到着。22時11分撮影
乗ったのは、先頭形状などが他と違う、量産先行車R1編成だった。秋田新幹線初乗車もR1編成で、それに続く2度目。

戻った秋田は、22時時点で1.2℃、積雪は増えて7cm。
広小路沿いの穴門の堀に住んでいた3羽のアヒルが、凍ったお掘りの上で起きていた(カモは夜行性)。

当時は若かったし、指定席はちょっとぜいたくという認識もあって、成し遂げられた旅行だった。
四半世紀経って、年を取り、こまち以外でも全席指定席化が広まって、今はあんな旅行はできない。

 


ちなみに、20世紀最後の日、2000年12月31日。
未解決の世田谷一家4人殺人事件が発覚した日でもあった。
上で「21世紀あさま500号」について触れた。20世紀最後の日に、各方面から東京に向かう最終の新幹線には、列車名に「ミレナリオ」を冠して運行された。こまち28号は「ミレナリオこまち28号」。

ミレナリオとは、1999年から2006年まで、年越し時期に東京丸の内で開催されていたイルミネーションイベント「東京ミレナリオ」。
由来は、イタリア語の「千年祭」。1000年の区切りのことで、初開催がその年だったから。

そう。この1年前・1999年→2000年の年越しは、千年紀「ミレニアム」として盛り上がった。ミレニアムと新世紀は1年ずれている。その思い出もいつかまた。