広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

https://blog.goo.ne.jp/taic02 から移転。秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記など、広く浅く、時には中途半端に深く、いろいろと。

はじめに

2008年9月12日から、gooブログhttps://blog.goo.ne.jp/taic02)で投稿していました。
gooブログが2025年11月18日に終了することになり、2025年9月3日から、この、はてなブログへ移転して、継続することにします。
デザインや操作の違いにはまだ慣れませんが、「心機一転」ではなく、gooブログ時代と方針を変えず、極力、同じブログにしていきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

お読みいただくにあたって、ご案内とお願いを記しておきます。

●ブログの題材について
長年住んでいる秋田市、大学時代を過ごした青森県弘前市の風景、出来事、地理、さらに旅行記、植物など生き物、ランチパックなどメーカー製のパンなどをよく取り上げます。
鉄道、路線バス、信号機、書体(フォント)なども扱いますが、そこまで専門的な知識がなく、また、詳しくないかたにも分かるように記すので、知ったかぶりだったり、回りくどかったりするかもしれません。


●ご覧いただく際にご承知おきいただきたいこと
当ブログは個人が収集した情報に考察等を加えた個人のブログです。したがって、扱っている内容の当事者とは関係ありません。
また、根拠や出典を明確にするよう心がけていますが、必ずしも正確な情報ではない場合もあり得ます。アップ後に状況が変化した際は、その旨を追記するよう心がけますが、フォローしきれない場合もあります。
これらの点をご了解いただき、当ブログの内容を元に、出かけたり買い物したりする際は、公式な情報も確認するなど、ご自身で判断するよう、お願いします。


●記事の探しかた
いろいろな分野を記事にしているので、ほしい情報が見つけづらいことがあるかと思います。
主なカテゴリーごとの記事一覧は、以下のリンクからどうぞ。gooブログ時代はカテゴリーを1つしか設定できなかったので、大雑把ですが。

秋田の季節・風景  秋田のいろいろ  秋田の地理  秋田市営バス

津軽のいろいろ    旅行記

ランチパック・パン    各地のお土産・食べ物

 

カテゴリーのほか、ブログ内の検索窓を使っても、見つけづらいこともあります。
その際の手段として、Google検索で「キーワード taic02」で検索すると、見つかることもあるのでお試しください。「バナナボート taic02」「バスダイヤ改正2024 taic02」などです。


●コメントについてのお願い
読者の反応が分かるコメント機能は、ブログならではのものです。感想、質問、情報提供等がありましたら、コメントをお送りください。古い記事へのコメントもどうぞ。

ただ、コメントは、ネット上で世界中の人の目に触れ、長く残るものです。この点を理解いただき、常識と良識あるコメントをお願いします。また、すべてのコメントにお返事するとは限りませんので、ご了承ください。

なお、コメント欄以外のメッセージ送信方法として、メールによるものを導入しようか考えているところです。開始時にはここに追記します。【2025年10月13日追記・プロフィール(about)ページ内に、メールアドレスを掲載しました。「アットマーク」を「@」に変えれば送信できます。】


●リンク、引用等、二次利用について
当ブログへのリンクはご自由に。文章の引用は、常識の範囲内でお願いします。いずれも連絡は不要です。

画像の転載や、当ブログの内容を元にした商用利用(報道等)は、当ブログが出典であることを明示いただければ、いいことにします。この場合は、連絡していただけるとありがたいです。


gooブログからの移転関連のお知らせ
移転時に、コメント、画像の転送と過去記事へのリンク修正を行っていますが、一部、対応できていない可能性もありますので、ご了承ください。
gooブログの個々の記事へのリンクやブックマークをされていたかたは、2025年11月以降、表示できなくなる点も、ご承知おきください。なお、gooブログの記事個々のアドレスは「https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/★★★」の形式ですが、★★★部分は、移行先のはてなブログでも共通です。したがって、「https://taic02.hatenablog.jp/entry/★★★」に変えると、はてなブログ側で同じ記事を見られることを、参考までにお知らせします。
【10月13日追記・gooからインポートしたコメントについての不具合を発見】
コメントの行頭に半角「>」がある行は、はてなブログでは表示されなくなっていました。
したがって、記事中からの引用や、複数のコメントにまとめて返信した際等の相手のお名前が、消えてしまっているものがあります。【11月29日追記】インポートしたコメントでは、本来よりも改行が多く入る不具合もありそう。(以上追記)

 

※この記事は2025年9月3日アップですが、ブログ最上部に表示させるため3025年の日付としています。

2001年元日の旅

秋田市は、少し雪が積もって寒くて時折吹雪き、まれに晴れ間がのぞく、秋田らしい正月です。2026年もよろしくお願いします。

 

21世紀になって25年。※1世紀は01年~00年。
25年のことを「四半世紀」と呼ぶわけで、その長さを思うと感慨深い。2001年なんてつい最近のことだと思っていたが、考えてみればそうも思えなくなってきた。


四半世紀前の元日を振り返る。
最近のことではないと述べたばかりだが、僕はデジタルカメラを持っていたし、インターネットも使っていた。デジカメの画質、ネットの情報量は、今には到底及ばないけれど。どちらもその前年頃から使い始めた、未来的なアイテムであった。

2001年1月4日 4時42分 秋田駅西口
ブレているが、秋田駅前交番付近から、アルス・ホテルメトロポリタン秋田秋田駅ビルトピコを写したもの。アスファルトは濡れて、シャーベット状の雪が少し残っている。5時時点で気温1.2℃、積雪1cm。
左手前のバス乗り場が改築前ではあるが、その他は現在とほぼ変わっていない。上に天井が見えている、ぽぽろーどの西方向への延長は、前年2000年。

 

後にも先にもないほど、とても早起きして駅へ行ったのは、日帰りで首都圏へ行ったため。
僕は大学を卒業してから2度目の年越し。
前年は自宅でおとなしく過ごした(身内に不幸があったこともある)。我が家は正月だからといって、絶対にやらなきゃならない風習はなく、別に家にいる必要はない。なかなか旅行する時間もなくなったから、この機会に出かけた。

4時48分、秋田新幹線ホーム。左が12番線
すごい行列。
不思議に思うかたもいるだろう。元日から旅行する人がこんなにいるのか。そもそも、秋田新幹線「こまち」の始発は、秋田駅6時過ぎの発車なのに、これはその1時間前。
なお、「こまち」は現在は全車指定席だが、2002年11月までは2両が自由席だった。当時の自由席は15・16号車。上の写真は13号車の乗車位置付近らしい。

 

乗客が多い理由。
1月1日に限り、JR東日本の全路線(新幹線・特急等含む)の普通車自由席が乗り放題のきっぷが発売されていたから。
1996年用が最初だそうで、2009年用まで続いた。後年は、北海道や第3セクター鉄道の一部が対象になったり、回数を限って座席指定が取れるようになった。
帰省やその戻りのラッシュのはざまで、利用が落ちこむ元日の利用喚起商品。
現在は休暇が取りやすくなるなど世間が変わって、帰省ラッシュは分散化傾向のようだが、当時は今よりもピークが集中していたのだろう。
秋田新幹線開業前(1996年?)にも、このきっぷを利用して首都圏へ行ったが、当時は元日はお休みの店が多くて、飲食と買い物に困った思い出がある。

 

Wikipediaによれば、きっぷの名称は2000年用までは「お年玉フリーきっぷ」、2002年用以降が「正月パス」、そして2001年用は、
「21世紀お年玉フリーきっぷ」
新世紀を押し出した商品名。
大人1万円。当時も得に感じた。
今は正月用フリーきっぷはなくなったが、近年は2月の平日に、ほぼ同効力で乗り放題となる「旅せよ平日!JR東日本たびキュン早割パス」が恒例になった。
その1日用(指定2回)も1万円。
あらゆるものが値上がりする中、これに限ればJR東日本はがんばっていると評価できる。

 

これもWikipediaに記載がないが、少なくとも2002年用と2003年用の正月パスは、適用日を1月2日にも拡大(1日か2日のどちらか1日)したほか、発売地域を関東周辺(県単位の指定)に限定。
代わりに、東北信越では「年越し東京フリーきっぷ」を発売。12月31日~1月1日の2日間有効で、往復に新幹線・特急の普通車指定席を利用できた。東京周辺で普通列車フリー乗降。値段は地域で異なり、青森、秋田、盛岡発は2年とも1万5000円。山梨県内では、どちらのきっぷも購入できたようだ。
僕はこれも利用したの(目的地は東京よりも先)で、いつかアップするつもりです。


1時間早い理由。
フリーきっぷによる利用増に応え、目的地滞在時間を長くするべく、5時台始発の臨時列車が元日限定で運行されたのだった。自分の記録も、ネットの情報も見当たらず、号数やダイヤは分からない。


前後の年も運行されたのかは不明だが、2001年は、この列車が「21世紀でいちばん最初に走る新幹線(※)」として、少し話題になったはず。
フル規格の新幹線では、騒音対策から0時~6時は運行しない。ミニ新幹線=在来線区間では、その縛りがない。だったら平常でも5時始発があっても構わなそうだが、さすがに早すぎるのか。
※ただし、JR西日本では、フル規格の山陽新幹線で運行中に世紀をまたぐ「ひかり」を「レールスター21世紀号」として運行。0時以降は減速運転で対応したようだ。
なお、この日の長野新幹線(と当時は通称していた、北陸新幹線)の長野発東京行き始発列車(定期)は、列車名を「21世紀あさま500号」にして運行。こまちではそういうのはなかったはず(前日最終について後述)。

指定席の乗車率はどのくらいだったのだろう。ひょっとして全車自由席???
今ほどたくさん撮影しなかった(電池残量も心配)こともあり、車内の記憶はない。座れたのだと思うし、途中駅でもスムーズに降りられたようで、

大宮駅で下車
9時09分頃発車。前にE2系(J15編成)がつながっている。当時は「はやぶさ」でも「はやて」でもなく、「やまびこ」。やまびこ側も臨時列車だったのか?
奥のホームには、白に緑の200系。窓下に細線があるので、2階建てグリーン車・カフェテリアが連結された、16両の「H編成」。この頃は、停車駅が少ない通称「スーパーやまびこ」運用をE2系に明け渡しつつあった晩年。
手前ホーム上の、白と緑のベンチは東北新幹線開業時からのものだろう。今はなさそう。

 

今の僕は、申し訳ないけれど首都圏に進んで行きたいとは思わない。行かざるを得ないことはあるけれど。
当時は、一定の魅力がある旅先だった。だけど、具体的にどこに行って何したいという、強い願望はなかった。今思えば、きっぷの効力を活かして、まだ多く走っていた200系に乗ったり、上信越方面などへ行ったりすればよかったような。
どうして大宮で下車したのかは覚えていないが、行きたい場所をリストアップして調べて、ネット地図を印刷して持参したのは覚えている。便利な世の中になったと思った。


大宮駅は、今はさいたま市だけど、同市は2001年5月発足。この時点では大宮市(と浦和市与野市)。晴天で7.4℃(10時)。
大した写真もないので省略するが、2000年4月開業のさいたま新都心駅、浦和の調神社(つき神社)を回って、京浜急行電鉄2100形電車に乗って、横須賀に行くなどした。神社以外は、さほど人は多くなかった。
神奈川県三浦市の、京浜急行三浦海岸駅でも下車。
駅から300メートルほどで、浦賀水道に面した三浦海岸。

太平洋の砂浜を見たのは、この時が初めてかも。天候も波も穏やかで、日本海と対照的。
さらに、とても大きな凧が上がっていた。秋田では正月に凧揚げはしない(できない)し、それ以前に凧揚げの経験もない。上がっている凧を見たのも初めてだったかも。

16時32分。東京駅丸の内駅舎。2007~2012年の復元前工事の姿
↑人通りが少ない。今ならうじゃうじゃいるのでは?

 

帰りは東京発18時台のこまちに乗ったようだ。最終の2本前かと思うが、遅くならないうちに帰りたかったのと、早いほうが混雑しないと踏んでの選択のはず。ところが大混雑。通路に立ち客が連なり、僕も秋田まで4時間立ちっぱなしだった。
立った場所は、先頭16号車のいちばん前。だから人の通過はなく、目の前が運転台のドアだった。立ったまま居眠りしてしまい、数度、そのドアに頭をゴンとぶつけてしまった。

秋田到着。22時11分撮影
乗ったのは、先頭形状などが他と違う、量産先行車R1編成だった。秋田新幹線初乗車もR1編成で、それに続く2度目。

戻った秋田は、22時時点で1.2℃、積雪は増えて7cm。
広小路沿いの穴門の堀に住んでいた3羽のアヒルが、凍ったお掘りの上で起きていた(カモは夜行性)。

当時は若かったし、指定席はちょっとぜいたくという認識もあって、成し遂げられた旅行だった。
四半世紀経って、年を取り、こまち以外でも全席指定席化が広まって、今はあんな旅行はできない。

 


ちなみに、20世紀最後の日、2000年12月31日。
未解決の世田谷一家4人殺人事件が発覚した日でもあった。
上で「21世紀あさま500号」について触れた。20世紀最後の日に、各方面から東京に向かう最終の新幹線には、列車名に「ミレナリオ」を冠して運行された。こまち28号は「ミレナリオこまち28号」。

ミレナリオとは、1999年から2006年まで、年越し時期に東京丸の内で開催されていたイルミネーションイベント「東京ミレナリオ」。
由来は、イタリア語の「千年祭」。1000年の区切りのことで、初開催がその年だったから。

そう。この1年前・1999年→2000年の年越しは、千年紀「ミレニアム」として盛り上がった。ミレニアムと新世紀は1年ずれている。その思い出もいつかまた。

門松3景・熊×自動ドア

2025年末。

JR奥羽本線・土崎駅の門松
ちなみに、

1年前・2025年正月用の門松
松のボリュームがちょっと減ったように見えるほかは、大差なし。
2023年始は、しめ飾りもあったのだが、廃止したようだ(2024年は入院中で未確認)。

 

 

秋田市中通一丁目の「エリアなかいち」商業施設棟。「@4の3(アットヨンノサン)」という名のはずだけど、↓写る範囲には表示がない?

1階の外に面した3つの出入口すべてに門松
土崎駅の門松と共通の装飾品があり、全体に似ているので、同じ造園業者の作か。こちらのほうが、装飾品が若干少なく、若干小ぶりか。

ところで、ここのドア。
見慣れぬ、いや秋田の人にとってはここ数か月で急に身近になったアイテムが写っている。ここでは赤だが、白など違う色、デザインが違うものもある。
クマよけの鈴とともに、秋田などクマの市街地への大量出没が激増した地域において、2026年のヒット商品かもしれない。

左右で高低差があるのはなぜ?(他のドアも同様)

センサー式の自動ドアがある店舗や施設では、クマが来ても反応して開いてしまう。実際、湯沢市の湯沢雄勝広域市町村圏組合や青森県西目屋村役場の庁舎で事例があった(どちらも少し滞在して出ていった)。
その対策として、自動ドアの電源を切って、手動扱いとしたところが多かった。風除室があって自動ドアが二重のところでは、外側のみを手動にした例が多そう。センサーでなく押しボタン式の自動ドアの店では、継続するところもあったが、それだとクマがタッチしてしまうおそれもゼロではない。どっちみち手動にしたところで、クマが体当たりしてガラスを割って侵入するおそれも、なくはなさそうだが。

 

自動ドアを手で動かすのは、けっこう力が要る。それなりの重量があるし、取っ手がないから。子どもや手に力が入れづらい人は大変。
それを補助するのが、このアイテム。大きな吸盤2つでガラスに密着させ、取っ手とする。

初めて見た時は、「自動ドアを手動化した時に使う取っ手」という、ニッチな商品が存在するのかと感心したが、そういうことじゃないようだ。
どちらかといえば福祉用品扱いで、家庭の普通のサッシ窓(掃き出し窓など)の開閉や、風呂場などのタイルに付けてつかまるために用いるのが、本来の用途らしい。そういえば、どこかのお宅で見たことがあるような気がする。吸盤取っ手、吸盤ハンドル、吸盤ドアハンドル、サポートハンドルといった商品名で、ネットで1000~2000円台。
見かけはそっくりだが、サクションリフター、バキュームリフター、ガラスリフター(いずれもダブルタイプ。シングルだと吸盤1つ)などと呼ばれる、別のアイテムもある。板ガラスなどツルツルした重いものを運搬する時に使う。ドアハンドルよりは高めで、5千円~1万円程度のものも。なかいちとそっくりなものが、この用途でアマゾンで2156円で販売。

秋田市街地では、クマ出没が増えた10月に急に見るようになったアイテム。最初に誰かが思い付いて、広まったのではないかと思うが、その人はエライ。品不足になるようなことはなさそうだが、自動ドアの普及率を加味すると、そこまで多くの需要はなく、ヒット商品でもないのか。

12月に入って、クマ出没は急減(中心市街地ではゼロ)し、手動扱いをやめるところが多い。自動に戻した店でも、必要に応じてすぐ再手動化できるようにということか、開閉に支障がない面(戸袋に当たらない側)は取っ手を付けたままにしているドアもある。
手動を継続しているなかいちは慎重派。

 


なかいちの近く。

元百貨店だった衣料品店(?)「木内(きのうち)」広小路側
木内前バス停で4~5人がバスを待っていたが、全員が大住・みなみ野団地線(牛島西四丁目行き)に乗車。10月に増便した意味があったかな。なお、通常の休日ダイヤでは1日に上下6本ずつ、年末年始特別ダイヤは、うち下り2本・上り3本減便。

木内は、新型コロナウイルス感染症流行時の2020年3月頃から、「当面の間 臨時休業させていただきます」の掲示を出して、シャッターは降りたまま。
再開することはあるのかと思ってしまうが、夜になると赤文字のネオンサインは点灯する。
今年、交代した新しい秋田市長が、秋田市議会において、木内の「代表者」と「意見交換」を行っていることを明らかにした。行政と木内が接触していたとは驚いたが、中身はどうもぱっとしない感じで、来年以降も別段変化がありそうには思えない。
そんな中、上の写真にすで写っていますが、降りたままのシャッターの前に、

門松!
これも土崎駅&なかいちと似ていて、土崎駅と同タイプか。
家でも店でも、閉まったまま開くことのない門や扉に門松を立てることって、あるのかどうなのか知らないが、珍しい。ネオンを灯すぐらいだから、門松くらい立てても当然でもあるか。気付けなかったが、昨年までもあったのだろうか。

反対の仲小路側出入口には、正月飾り類はなし。

 

2025年もご覧いただきありがとうございました。
今年はgooブログ終了に伴い、4月にはてなブログをとりあえず開設・テスト投稿し、9月から本格的に移行しました。はてなブログ開設後(テスト運用中も含む)の総アクセス数は2万4800(19時23分時点暫定値。年明けに確定値を追記します【2026年1月1日追記・確定値2万4915】)でした。

良い年をお迎えください。

JT秋田支社移転・解体

2025年「も」なのだろうけれど、秋田市内でいくつかの建物が解体された(夏以降に集中していた)。古くから知っていたり、特徴があったりする建物が複数あったので、何度かに分けて記録する。※マックスバリュ泉店跡解体はアップ済み

今回は、タイトルの通り、JT秋田支社=日本たばこ産業株式会社秋田支社の建物。
秋田支社は、いつの間にか、秋田駅東口の秋田拠点センターアルヴェ6階へ移転していた。Googleマップストリートビュー最新の2024年6月時点では、まだ移転していない。

 

旧支社は、秋田駅西口から、線路と並行な道路を南へ400メートル進み、明田地下道西口交差点の1つ手前の信号機のない丁字路を西へ入った所。中通六丁目17番26号。

2025年8月中旬。南西角
なお、南側向かいの六丁目18番地には、菓子店「かおる堂 中通ビル」という、2階建ての古い建物があった。店舗ではなく工場のような作りだったが、使われていなそうな雰囲気があり、2015年頃に解体。今は駐車場になったが、かおる堂の広告が出ているので、今も同社所有か。

 

気が付いた時には、建物は足場で覆われていた。

南辺西寄りの玄関には「日本たばこ産業株式会社」の表示が残る。ドアに移転告知が張られているようだが、囲われて遠いので読めない

2024年6月ストリートビューより南辺
南西の小さい交差点の角にケヤキが1本あり、2階建ての建物が建っていた。上部がひさし状に出っ張った、昭和40年代前後築の学校の校舎のような造りの、薄いグレーの2階建て。
建物南側に、少し高くなった、建物規模にしては立派な車寄せがあり、その前にツゲ(?)、ユッカ、ヤツデなどの植え込み。


そんな建物だけの支社だと思いこんでいたが、実際の敷地は、その倍以上の面積があったようだ。中通六丁目17番地の半分程度は占めていそう。
建物の東隣は、ゲートがある車が入れる広いスペースで、東辺には車庫らしきものが南北方向いっぱいに建っていた。建物の奥のほうは、荷物の積み下ろし口らしきものがあり、ストビューでは宅急便のトラックが付けている。
また、本体建物の裏・北側は、草が生えた土地があり、建物部分と同じ塀で囲われていたので、JTの敷地だったのだろう。自家用車が駐まっていたので、社員駐車場か?

11月中旬。南東から
すっかり更地になった。

南西角
残ったのは、塀と南西角のケヤキと、その下にあった喫煙所(以前は「喫煙処」の看板もあった)の灰皿。

南側から。中央右奥の黒いビルが支社移転先のアルヴェ
解体工事の工期は12月26日まで。
11月時点では「売物件」の表示が出ていた。2025年12月22日を受付期限として、三井不動産リアルティ株式会社が問い合わせ先。

 

旧秋田支社の建物がいつできたのかは不明だが、見かけからして、1985年の民営化前・日本専売公社時代から使われていたはず。専売公社時代も名称は「秋田支社」だったのだろうか?
1960年代の航空写真では、これとは違う建物が建っている。しかし、1951(昭和26)年の地図(過去の記事)で、同じ位置に「専売局(※)」があるので、この場所とのつながりはかなり長かったようだ。
※戦前は「大蔵省専売局」だったのが1949年に公社化。古い地図ではそれが未反映なことになる。

 

中通六丁目17番地の北側は、駐車場。5年ほど前、その一部にホテルが建つ計画が浮上したが、立ち消えて駐車場に戻った。
JT秋田支社移転により、100メートル×60メートルくらいの17番地には、まったく建物がなくなった。秋田駅からも近いし、まとめて何かいい使い道がないものだろうか。だいたい同じくらいの広さの手形休下町2番地には、スーパーマーケット・タカヤナギ グランマート手形店がある。

 

その他、よりマイナーな建物の解体について、年明けにまた。

MV城北/40番・125番のバス

弘南バスの路線番号や行き先の表示について。補足編に続いて、さらに補足やバス以外の話も少々。

今回は40番と125番。
中型車正面「40 マックスバリュ弘前城北店」
初めて知った行き先。
マックスバリュの送迎バスみたいに見えてしまう。同サイズの文字2行は、以前の秋田の「牛島東五丁目・御野場団地」みたいで特徴的なレイアウト。


弘南バスでは、イオン系列の店舗の敷地内に乗り入れるバスが複数ある。イオン以外のスーパーにも乗り入れる=カブセンター弘前店が、イオンのほうが多い。乗客の利便にも、運行側には折り返し・待機場所の確保にもなるし、冬は除雪もしっかりしてくれるだろう。秋田市では、店舗の前や裏すぐにバス停がある店はあるが、イオンモール秋田以外は中には入らない。入らなくてもいいといえばいいが、弘前も秋田も、運営会社はどちらもイオン東北。バス会社が敷地を使わせてほしいと申し出れば、断らないのではないだろうか。
マックスバリュ安原店について、後日。

 

ここでバスから話がそれて、弘前市の地名とマックスバリュの店舗名について。
コンビニやスーパーマーケット、それに小さい郵便局など、全国チェーン店舗の個々の店舗名の命名法則について、何度か触れている。「ローソン 秋田保戸野原の町店」「秋田茨島郵便局」のように、所在地の町名などの前に所在市町区村名を冠することが多い。全国的には認知されていない町名でも分かりやすくなるし、全国どこにでもある町名だと“同名異店舗”が生じるのを避ける目的もあろう。その結果、「セブン-イレブン 弘前西弘前店」や「マックスバリュ 富士富士見台店」みたいな、少々回りくどい店名ができることもある。

意外にもイオングループは、必ずしも市町村名を冠していない。昭和のジャスコ・サティ・ダイエーからの流れを汲む店があることもあるが、近年できた店でも同様。運営会社による方針もあるようで、上記、マックスバリュ富士富士見台を運営するマックスバリュ東海株式会社では、基本的に付けている。2024年には「マックスバリュ豊橋富士見台店」をオープンして、命名方針が役に立った。
イオン東北株式会社では、付けないのが基本。ただし、仙台市八戸市では「仙台」「八戸」を冠するのが基本のようだが。「マックスバリュ泉店(閉店済み)」「イオンスタイル山王」なんて、全国どこにでもでき得るのに。
弘前市内に4店舗あるマックスバリュ(他ブランド店舗はなし)のうち、唯一「弘前」を冠するのが城北店。
弘前市やその周辺にマックスバリュが多くできたのは、マックスバリュ東北株式会社だった2000年代。城北店もその頃のオープンかと思われるが、ここだけ弘前が付いた理由は何だろう?

 

 

さらに話が飛んで、「城北」の命名について。
イオン東北ホームページのアドレスからすれば、店舗名は「ひろさき じょうほく店」と読む。「ひろさきじょう きた店」ではない。
弘前城を擁する弘前市では、地名としては城東、城西、城南が存在するが、ズバリ「城北」はない。
ただ、「西城北」と「東城北」がある。城北西、城北東のほうが自然な感じもするが、「ほくせい/ほくとう」と誤読されるからか。

 

町名よりも広範囲な、エリアの呼称としては、東、西、南とともに「城北」が通用するようだ。
おおむね、弘前公園弘前城址)の真北~北東一帯を指すようで、城北西・城北東と同じ方面。公的施設や店舗名に使われ、岩木川には「城北大橋」が架かる。岩木川対岸は、城北とは、あまり呼ばないのだと思う。

ところが、マックスバリュ弘前城北店は、弘前市石渡(いしわたり)に所在する。
古くから弘前市だったエリアのようだが、岩木川の対岸で、弘前公園から見て北西2.5キロに位置する。
マックスバリュ近隣には、イオン系列のホームセンターサンデーはじめ、いくつもの店があるが、いずれも「石渡」を店舗名にしている。「マックスバリュ石渡店」で良かったのでは。
弘前の人は、この位置の「城北店」には違和感があるのではないだろうか。

 


バス路線番号に話を戻します。
40番 マックスバリュ弘前城北店行きは、ピンと来ない路線だが、「石渡線」もしくは「石渡・浜の町線」。
弘前公園の東~北側を回って青森県道31号を進み、富士見橋で岩木川を渡って、藤代車庫のほうへは行かずに、その先にあるのがマックスバリュ
平日下り4本、上り6本、休日3往復。路線番号は40のほか、平日上りに1本ずつS40と401。
「S40」は、弘前駅前から富田大通り経由で聖愛高校前まで延長運行。「S」は通学用系統を示すそうだが、駅までは40と同経路だし、弘前総合医療センター(中には入らない)通院など通学以外もにも使えるルート。仮にこれが医療センター経由になったら、「SH40」とかになるのか?
「401」は、弘前公園東側をさらに南下して、市役所前、大学病院前を経由して、弘前商工会議所前から40のルートに復帰して、駅へ。「H」はあくまでも弘前総合医療センター経由を意味するから、大学病院だと対象外。これも医療センター経由にしてもよさそうだが、S40に乗ってくださいということか。

「40」の2桁番号は、幹線系統を意味するが、それにしては存在感も便数も物足りないと思った。
実は、これも、「行き先が違うのに同番号」なのだった。しかも他に2路線も。

 

まずは「弘前~糠坪・楢の木・貝沢線」。
マックスバリュ弘前城北店からさらに31号線を北進。独孤、高杉、鬼沢、堂ヶ沢、貝沢を通り、農村環境改善センター前が終点。
高杉~貝沢にかけて、県道を外れて東側へそれ、糠坪、楢の木を通る系統もあり、「41」が与えられている。
運行本数は、40が下り平日のみ2本、上り毎日3本。41は下り毎日3本、上り平日3本・休日2本。この路線に限れば、41のほうがメイン系統のようにも見える。


もう1つは「鰺ヶ沢線」。
県道31号をさらに進んで、はるばる沿岸の鰺ヶ沢まで行く。
なのだが、途中、弘前市を出て鰺ヶ沢町に入ってすぐの「天長園前」が終点の系統があり、それも「40」。
鰺ヶ沢発着が毎日3往復、天長園前止まりが平日2往復・土日1往復。うち、平日朝の鰺ヶ沢始発便は、弘前駅から先、富田大通り経由聖愛高校まで運行する「S40」となる。鰺ヶ沢本町を5時50分に出て、弘前駅前7時05分、聖愛高校前7時50分という、運行時間2時間の壮大な路線。石渡線・マックスバリュ始発と合わせて「S40」が2便あることになる。

【28日運賃やJR五能線との比較について補足・鰺ヶ沢弘前はJRだと49.7km、1時間15分、990円。五能線は遠回りになることもあり、バスといい勝負。
そして、バスの運賃は、2024年12月からの弘前市発着便の上限運賃定額化に伴い、なんと500円(バスターミナルから乗った場合、独孤から先が500円)。総合的にはバスのほうが良さそうで、もっと本数があってもいいようにも思えるが、乗務員不足もあるのだろう。】

 

以上、弘南バスの「40番のバス」には、距離が長い順に、
鰺ヶ沢線の鰺ヶ沢発着
鰺ヶ沢線の天長園前止まり
・貝沢線(と呼んだほうが適切では)の農村環境改善センター前発着
・石渡線のマックスバリュ弘前城北店前発着
と、ルートは同じで、行き先が異なる3路線4系統が混在している。

弘前市作成「ひろさき公共交通マップ2025」より抜粋・加筆。細い赤の格子は5km間隔。鰺ヶ沢は枠外はるか上
合わせれば、県道31号を通る路線バスはそれなりの本数となり、だから幹線系統の2桁番号なのだろう。系統としては便数が少ない、農村環境改善センター止まりを「40」としたのもその考えかたで。
ちなみに、マックスバリュ城北店前から、県道37号へ入って10キロ弱進む「弘前~板柳線(三世寺経由)」は「43」。

だが、マックスバリュから鰺ヶ沢駅前までは、30キロもある。
近年番号表示が導入された秋田市弘前市以外のバスの番号事情をよく知らない者【28日補足・番号表示について深く理解できていないし、全否定はしないが、さほど重要でもないと思っている者、という意味です】の見解として、以前の繰り返しになるが、いくら同経路だからといって、同じ番号なのはおかしいのではないか。例えば40(もしくは400)、401、402(糠坪・楢の木経由403)、404(大学病院経由405)と枝番で区分したほうが分かりやすいように思えてならない。
弘南バスとしては、「経路と区間(行き先)」でなく「経路」に対して番号を振っているのだと思うが、行き先を無視していいのだろうか。しかも、以前取り上げたように、一部では、同経路の行き先違いに異なる番号を振ったり、微妙に経由が違うのに同番号のものもあり、一貫性に欠けるのもおかしい。

 


路線番号が付いたのは、弘前市内に限らない。弘前市外各エリアのローカル路線にも付番されている。
五所川原と黒石では、エリアごとに、最初の数字(2桁の十の位、3桁の百の位)が統一されている。五所川原が「5」、黒石が「9」。
鰺ヶ沢では、ローカル路線が少なく、鰺ヶ沢~深浦が「830」、不老ふ死温泉~奥十二湖が「125(例によって運行区間に関わらず)」。

 

鰺ヶ沢の125が気になった。
百の位「1」は弘前市内の番号っぽいし、実際、「121」は存在する。松森町・清原・清水森・松木平経由弘前営業所行き。(再掲)121番のバス

「125」は唐突に思える。
いや、十二湖→じゅうにこ→12 5 の語呂合わせか!

そういえば、五所川原→5所川原、黒石→9ろいし、か。
なお、五所川原管内で十三湖の「十三」を通る路線があるのだが、それは「53」。「三」を意識??

水戸市の郵便番号は「310」。
水戸市ホームページ(ページID:006083)には、「当初、ほかの市に割り当てられた番号を交換したという説があります。」そうで、当時の郵政省が狙って付番した可能性がある。
【28日補足・1968年~1998年の郵便番号は3桁か5桁だった。秋田市は010、弘前市は036と、各市中心部は3桁が基本だったので、水戸市街地宛ては「ミト」と覚えておけば済んだはず。】
語呂合わせは分かりやすく覚えやすいし、遊び心はあっていい。
だけど、総合的な分かりやすさ、そもそもの存在意義として、現行の路線番号は役立っているだろうか。

 

2025年10月の弘前の話題は続く。

みどり町公園 BOXも撤去

秋田市中央地域にある、みどり町公園こと保戸野鉄砲町街区公園にあった電話ボックス(公衆電話)が廃止されたことを記事にしていた。
電話機は2025年11月上旬頃に撤去されたが、電話ボックス自体はまだ残っていた。そのボックスも、12月13日から19日の間になくなっていた。

奥の白い柵の右にあった
意識しないと、電話ボックスがあったこと、なくなったことには気付かないだろう。
撤去跡には砂が入れられ、平らに固められていた。

犬の足跡

今回は、ここにあったボックスや電話機について。
郵便ポストでは、愛好家がけっこういて、形式の説明や珍しいものの情報が、それなりにネットで得られる。しかし、ポストと同じく、元は国(または国の公社)が設置したもので、かつては通信手段として欠かせないものであり、全国どこにでもあるといった点で通ずる点が多い公衆電話・電話ボックスについては、そうした情報は少ない。
僕も、あまり興味を持たないでしまっていた。昭和の昔は、電話帳の最後のほうに、公衆電話の紹介ページがあって、電話の機種ごとの違い(対応硬貨、110・119へのかけかた等。昔は赤・青・黄・緑や大型・小型と、電話機にバリエーションがあった)が載っていたのを眺めたくらいで。そういえば、電話帳として残っていたタウンページも、2026年3月で発行終了。
今、調べてみると、なかなか奥深い。公衆電話が多かった頃に、もっと興味を持てばよかった。

 

ところで、みどり町公園にあったような、電話を使う人が、その中に入るのが「ボックス」。
外旭川外旭川側駅前広場に新設されたり、コンビニの前にあったりする、電話機だけが入った箱もある。それは「キャビネット」。駅構内など屋内にある、電話機がむき出しで置かれた台は「スタンド」。

在りし日のみどり町公園の電話ボックスを振り返る。

11月下旬
電話機撤去後も、ボックスの扉は開閉でき、中に入ることができた。入るなとの表示もなかったので、入らせてもらった。
たまに、部品が劣化したのか、扉が自動で閉まらず、半開き状態の電話ボックスを見かけるが、ここは最後までスムーズな開閉。上の写真は、開けて、閉まる途中を撮影したもの。

電話機撤去跡
下は荷物置き【25日追記・本来は「電話帳置き(実用としてはその上に荷物を置く)」だった。電話帳を固定して収納できるのは、この後のボックスから】だから、電話機の底面はどことも触れず、背面だけで固定していたのか。

現役だった10月中旬
天井は、穴がたくさん開いた金属板で、斜めにカバー付き蛍光灯。
扉には明確な取っ手はなく、金属のフレームをつまんで開けるわけだが、手書きっぽい丸っこい赤文字で「ひく」と縦書きされた、小さなプレートが付いていた。

 

内部のガラスのシール。

「秋田 010173番」という公衆電話だったらしい

電話機
ボディやコードに汚れやサビがあり、年季が入っている。
テレホンカード対応公衆電話黎明期を知る者としては、この小型の電話機は比較的新しいイメージだったのだが。

電話機の銘板
「MC-4PRAAH」という機種で、製造番号「TR000770」、1996年5月製造。
MC-4PRAAHは、受話音量を大きくできる「シルバーホン(めいりょう)」機能を備えた電話機の型番らしい(非対応の基本機種がMC-4PRA?)が、ここの受話器には音量調節ダイヤルがないから、普通の公衆電話。後から受話器を通常品に交換したのかもしれない。そういえば、この頃の電話機のコードは、緑か銀の太くて硬いものが一般的だったと思うが、これはカールコード。受話器も、もしかしたら電話機自体も、元は別の場所に設置されていた中古転用品だったりするかも。


ボックスに話を戻して。
みどり町公園にあったような、銀色フレームで屋根が赤いボックスは、現行タイプではないことは認識していた(屋根が緑色のものもある)。今は、新しい黒っぽいボックスが多いが、古いのもまだそれなりに残っていると思っていた。
NTTの公式サイトで公衆電話の場所を調べられる。それとGoogleマップストリートビューと突き合わせて調べたところ、みどり町公園の他に秋田市内には、旧タイプボックスは3基程度しか残っていなかった。いずれも、現時点では撤去されずに残っている模様。見に行きたかったが、クマとの遭遇をおそれてやめました。
秋田市中央地域では、みどり町公園が、最後の旧型電話ボックスだったと思われる。

 

では、みどり町公園のボックスは、いつからあったのか。
赤屋根ボックスでは、中に製造銘板があるという情報があり、探してみたのだが、見つけられなかった。
赤屋根タイプは1969年(東京では1964年)から設置されていて、1985年【25日補足・日本電信電話公社電電公社)が民営化し、日本電信電話株式会社(NTT)が発足した年】から現行の黒っぽいボックスに代わったとのこと。保戸野鉄砲町街区公園は、1981(昭和56)年12月23日供用開始なので、その時に設置されたのか(下でもう少し推測)。赤屋根ボックスとしては、最終ロットに近いものだったのだろう。
【25日追記・電話ボックスの名称と変遷について】
赤屋根のボックスは「A型ボックス」または「A-BOX」、1985年登場はB型ボックス/B-BOX。その後、1991年にC型ボックス/C-BOXが導入され、現在の最新型。
B型とC型は、素人目には区別しづらい。(以上追記)


最後の電話機の製造年からも分かるように、中の電話機は代替わりしている。
実は僕は、1985年か1986年頃に、この電話ボックスから電話をかけたことがある。自分ひとりで公衆電話を初めて使った時だったかもしれない。
その時は、10円玉と100円玉でかける、黄色い大型のプッシュホン式の電話だった。
緑の電話機で使えるテレホンカードは1982年12月23日開始=43年前の今日。それにちなんで12月23日は「テレホンカードの日」。
公衆電話が一斉にカード対応したわけではなく、それなりの年数を経て移行していったので、昭和時代は、硬貨専用の赤電話や黄電話(青電話は秋田ではほとんどなかった)がまだあった。余談だが、1988年の「3年B組金八先生」第3シリーズ(松ヶ崎中)で、高校入試の合格発表などで、あちこちから電話をかけるシーンがあるのだが、緑より黄色の公衆電話が優勢だった。

大型の黄電話といえば、どーもくんを黄色くしたみたいな、真四角な真っ平らのボディの印象が強く、今、ネットで見られる情報もそれが多い。その他に、プッシュボタン部分が傾斜して、銀色のパネルが多用された、新しい機種もあって、みどり町公園にはそれが設置されていた。
「679-P」という形式だそうで(興味があれば画像検索を)、1982年登場という情報がある。ということは、公園供用開始から少し経ってからの設置か。
679-Pは、当時としては斬新なデザインで、初見時は黄色いけれどテレホンカードも使えるのかと思っていた。また、カード対応機と並行して、非対応機である679-Pも製造・設置されていたことになり、テレホンカードが使えない公衆電話機の最終形態となる。当初は、あれほどテレホンカードが普及するとは(さらにこれほど公衆電話が衰退するとも)予想していなかったのか。秋田市内でもあまり見かけない機種で、秋田キャッスルホテルだったか木内だったかの屋内に、緑の電話に混ざって少しあったような気がする。

その後、いつの間にか、大型の緑の電話機(当初はカード・硬貨両対応の小型機はなかった)に更新された【23日補足・1988年には緑に替わっていたか??】が、それも更新され、おそらく都合3台。初代・2代目は比較的短期で置き換えられ、最後の1台が長かったことになりそう。

電電公社時代から、NTT、NTT東日本と変遷し、少なくとも40年以上存在していた公衆電話ボックスであった。

 

公衆電話や電話ボックス全般について、またいつか。

弘南バス路線番号 補足編

この記事まで3回にわたって、2024年から始まった、弘南バスの路線番号について取り上げた。
周知が不充分で、しかも付番方法がおかしいと思われる点がいくつもあることは、要改善である。今回もその続きながら、番号以外の表示を中心に。

旧ヨーカドーでの買い物帰りの人たちが続々乗りこむ
表示は「21 りんご公園・相馬庁舎経由 西目屋村役場前」。路線名は「弘前~相馬庁舎~西目屋村役場線」。乗務員不足を理由として、2023年11月に再編された路線。


2020年に取り上げていたが、かつては大学病院前、市役所・公園前、茂森新町、常盤坂入口まで同経路で、その先で分かれて、相馬庁舎(旧・相馬村役場)へ行く「相馬線」と、田代経由「西目屋村役場線」の2路線があった。
どちらも1日10往復程度あり、おおむね1時間ごとだったが、相馬線はほぼ等間隔、西目屋線は朝夕に若干偏って、昼間が2時間ごとという感じだった。2019年10月から、昼間の相馬線は、弘前市りんご公園へ立ち寄っていた。

 

2023年の再編では、2路線をまとめて、先に相馬へ行って、途中まで戻って西目屋へ向かう。折り返しはその逆。本数は10本前後(つまり全体としては半減)で、時刻は旧・西目屋村役場線寄りか。写真は13時00分発で、前の便は11時30分、次の便は15時00分。

乗務員不足と言われるとどうしようもないけれど、西目屋方面へは所要時間が長くなってしまうし(運賃は調整される)、車内混雑はどうなっているだろう。
路線番号は、りんご公園に寄らない「20(医療センター経由H20)」、りんご公園経由「21」、平日朝の聖愛高校行き「S20」、さらに平日朝1本の茂森新町始発駅行き「茂森線」が「221」。大きな文句はない付番だが、これまで取り上げた桜ヶ丘や岩木方面の流れでは、221も20にまとめてしまいそうなのに、分けている。

 

さて、相馬線時代のりんご公園経由では(非経由は未確認)、行き先表示に英語が併記されていた
ところが現在は、英語がなくなってしまった。
経由地が増えて表示スペースがなくなったからか、路線番号「21」を表示させたから要らないと判断したのか。ネットで、リンゴのイラスト(ピクトグラム)が入った行き先表示を見たような記憶もあるのだが(勘違いかも?)、それは再編前の相馬線時代だろうから、前者の理由になる。

写真の車は、2018年に名鉄グループ・知多乗合(知多バス)から来た、2003年製三菱ふそうエアロミディ。既存車の弘前ナンバー化が進んでいたかと思っていたが、これは青森ナンバーのまま。

 

前も触れたピクトグラムについて。
(再掲)中型バスの古い表示器

鉄道車両ピクトグラムは、弘前周辺の場合、「弘前駅(中央口または城東口)」を意味するようで、それならば分かりやすいかもしれない。
静岡市しずてつジャストラインでは、JRの静岡駅、清水駅などのほか、静岡鉄道の駅を通っても表示していた(2016年から実施の「アイコン」)。新幹線駅もローカル鉄道野駅も同じ表示では、意味がないのではないか。

43は弘前~板柳線

マイクロバスの小型表示器でも、がんばってピクトグラムを表示している。「只」に見えなくもないけれど。


↑写真は終点・弘前駅到着時だが、途中経由地は表示されたまま。秋田中央交通では、車内放送の進行に合わせて、経由地が消えていくが、弘南バスではそれはやっていないようだ。ただ、「弘前駅」だけだった330は、少し経由地を入れてやってもいいのでは。

 

中型車。「5」城東環状バス(和徳回り)
城東環状は大町回りが「6」で、朝1本の大町回り区間便が「7」。
右側で地色と文字を反転させて「和徳まわり」「大町まわり」と表示。目立って分かりやすそうではあるが、文字はもうちょっと太いほうが見やすいかも。

(再掲)
弘前総合医療センター経由小栗山線を示す「H15」では、医療センター経由を示す「H」部分だけを反転表示していた。他のアルファベットもそうだろうか。
秋田中央交通では反転表示はやっていないが、ドット欠けが著しい車もあるから、やっても読めなそう。

その「H15」の側面表示。
側面には路線番号が表示されない
弘南バス(大型車・中型車用)と秋田中央交通では、表示機のメーカーが違う。その文字の線は、正面表示器では中央交通のほうがやや太く、側面では弘南バスのほうが太い。また、こういう表示類では、ドット数の都合もあってゴシック体ベースの書体だが、弘南バスの「三」は、横画の右に三角形の「ウロコ」があって明朝体風なのがおもしろい。

 

 

秋田でもそうだが、番号表示と並行して、「行き先」を厳密に(正確に)表示するようになった傾向があり、弘南バスでも同じ。秋田だと「大平台三丁目」、「牛島西四丁目」、弘南バスだと「道の駅いかりがせき」など。秋田の「免許センター(終点は南浜回転地)」、弘前の「小栗山(弘前営業所)」「学園町(附属小学校前)」など例外もあるが。

弘南バスで「藤代営業所」や「藤代(営)」と表示されていた行き先。(再掲)2018年。冒頭と同じ車による浜の町経由

藤代営業所行きは、浜の町経由と駒越線(城西大橋または工業高校経由)が一定の本数あると認識していた。しかし、いつの間にか浜の町経由はほぼ消滅。医療センター経由駅行き(H401)、南高校行き(S401)が、平日朝に1本ずつだけになっていた。

 

路線番号表示後(城西大橋経由)は、
中型バス

マイクロバス。「経由」は表示しない
「藤代車庫」に。
藤代営業所は、1998年に弘前営業所管理下の藤代車庫となっていた。25年以上経って、ついに一致。

2012年製日野レインボー 52403-5号車。古くなったバスは秋田だとサビサビになるが、こちらはサビよりすすけたような汚れが目立つ
後部は、
「城西・藤代(営)」のまま!
側面も、
「藤代営業所」のまま
路線番号表示は、正面の表示器でしかやっていないようだ。側面と後部は以前のまま。弘南バスでは、後部の表示器がない車両もあるし、ドット数が異なる後部表示器用に別にデータ作成をするのは手間なのだろう。そもそも、路線番号を見て乗る客なんて、さほどいないだろうし、まあ、これはこれでいいのかも。
ただ、先日、中古で日野ポンチョが入ったそうで、その後部には番号が表示されるらしい。

 

路線番号・行き先表示について、弘前市内の地理とからめて、まだ続く

鮮やかストライプの紙袋

秋田県内陸南部~秋田市では、見覚えがある人が多そうなもの。

紙袋
黄色とオレンジ色のはっきりとしたストラップ20日訂正】ストライプが鮮やか。
昔、見た覚えがあり、懐かしく感じた。長らく見ていなかったような気がした。今は使われなくなったのかと思ったら(後述)、現役らしい。

デザインとしては、いかにも昭和レトロ。昭和40年代から50年代半ばっぽいかな。
連想するのが、現在でも製造販売されているが、白とオレンジのストライプの紙コップ。昔は百貨店だった秋田市の「木内(きのうち)」仲小路側出入口付近にあったジューススタンドで使われていた。
昭和50年に新築移転した、秋田市の中通の「ジロー洋菓子本店」の外観(シート状の看板みたいなの?)は、もっと太いストライプ(白とオレンジ?)だった。
鮮やかな2色の組み合わせは斬新にも思えるが、昭和では、鮮やかな色を使うことも少なくなかった。サランラップの昔の箱など。淡い色やグラデーションをよく使うようになったのは、平成に入った頃ではないだろうか。

 

僕は、デザインを見ただけでは、どこの紙袋かまでは思い出せなかったが、ロゴを見て納得。

秋田県湯沢市に本社があり、秋田市にも店舗展開する菓子店「くらた(お菓子のくらた)」の紙袋である。バラ売りのお菓子を買った時なんかに、入れてくれる。

ストライプの中に、こげ茶色で、イラストやロゴが描かれる。
イラストは若干、左に傾いている。梅の花柄の服を着て、リンゴを持って目のパッチリした女の子が、藁で作ったかまくらみたいなドーム状のものの中に入っているのだろうか。リンゴを持つ両手もその中だから、頭にかぶっているのではなく、体全体が中にある。てっぺんに鳥が止まっているが、それも藁製? こういうのの名称はなんていうのだろう。そして誰が描いたのか。
なお、厚手の白いビニール袋(ケーキの箱を入れたりする?)【19日訂正・一般的なレジ袋タイプのようだ。絵の下に同色の帯があり、白抜きで「おいしさにまごころこめた お菓子の「く」くらた」】にも、小さめにこの絵がある。
横には「KURATA」、Uの右上が四つ葉。ここ以外では見ないロゴか。

袋のマチには、
「お菓子のくらた」
もらった袋なので、どこの店舗で使われたのかは不明だが、湯沢の「本社・工場」の所在地・電話番号しか記されていない。なお、マチの表記は不明ながら同じ袋が、秋田駅ビル・トピコのくらたでも、今月時点で使われているらしく、持っている人を駅で見かけた。
ホームページアドレスも表記され、底にはリサイクルマーク、「お菓子の」のフォントがモリサワ「新ゴ」かと思われるので、大昔からまったく変わらない袋だとか大昔の残り物を使っているのではなさそう。
ネットを見ると、少なくとも2019年9月時点で、同じ袋が存在している。

 

2006年に投稿されたブログでは「今は使われていない(デザインの袋)」として、それより昔のものが紹介されていた。
現在の袋は、オレンジの線が正面で11本ほどだが、昔の袋は15本ほど。線が細いのではなく、袋のサイズが若干大きいのか。上部の焦げ茶の横線はなし。
そして、イラストが中央に、傾かず、今より大きく(オレンジ線11本にまたがって)描かれる。
その下、オレンジ線6本分にまたがって、白い文字で「KURATA」。白いので見づらい。

くらたといえば、今年5月に取り上げたように、なじみのある「く」のロゴマークから、「久良夛」とも読める、伝統は伝わるのだろうが味気ないと思えてしまうロゴへ切り替えているらしかった。その記事に追記したのだが、今年1月のネット記事において、社長が「看板も何から全部ガラッと変えます」と発言している。
2025年12月時点では、秋田市内の店舗は「ガラッと」どころか、ほとんど変わっていない気がするのですが…

レトロな紙袋は、すでに紺色が基本の「く」ロゴとの統一性すら薄いし、「久良夛」とはまったく雰囲気が異なるから、当然「ガラッと変える」一環で淘汰の対象なのだろう。
ただ、柔らかな「く」のマーク、鮮やかなストライプの紙袋は、昭和でも平成でも令和でも、地元のお店の、親しみのあるお菓子を象徴するばかりでなく、幼少の頃や家族、地域の思い出を彩るものでもあった。「久良夛」がその役目を果たすことができるのだろうか。

 

【24日追記・他の袋について】
12月15日に秋田東店(看板は「く」のまま)でもらったという、持ち手付き紙袋の画像をネットで見つけた。
白地に、薄い青色の家紋と「く」ロゴが、同じ大きさで順序や角度はランダムで、等間隔に3~4個×2列に並ぶデザイン。そのうち、家紋の1つだけが濃い青色。持ち手は濃い青。マチは不明だが、正面には「くらた」も「久良夛」もなし。
新ロゴ化後の紙袋が導入されていたことが初めて分かった。しかし、青色だし、そもそも薄い色だとしても旧ロゴも併用しているわけであり、これをもって「ガラッと変える」といえるでしょうか。

MV泉店跡 解体へ

2025年1月で閉店した、秋田市泉北一丁目(いずみ きた)のイオン東北・マックスバリュ泉店。
店舗跡は、駐車場は簡単なバリケードが置かれ、建物は看板がなくなって空き屋になっていた。

横長の看板の右上に飛び出たコブは「MaxValu」の「V」の右上

 

2025年12月初め頃、動きがあった。南東角から

敷地大部分が、仮囲いで囲われた。
駐車場東側は囲われておらず、歩いて南北方向に通り抜けようと思えば、抜けられる。すぐ東に市道があるし、あえて立ち入る必要はないけれど。

北東角・搬入口
搬入口跡も囲っていない

搬入口の隣、県道126号からまっすぐ北側の出入口跡は、引き続き、囲いの中への出入口。
北側から
建物前に重機と金属くず類。建物の解体工事が始まっていた。
駐車場が広いので、解体されたものの置き場や、工事関係者駐車場には困らなそう。東側を囲わなかったのは、住宅が隣接しているから、迷惑をかけないための“緩衝地帯”の意味か?

南東角から
現時点では、内部を解体したものを外へ出している段階のようで、外観はまだ保っている。

 

解体後、跡地はどうなるか。
大きい道路から1本入るので、商業施設には向かないと思う。
マックスバリュができる前は、日本通運の倉庫があったそうだ。県道の北側には、秋田貨物駅や企業の営業所や配送センターみたいなのもあるから、再びそういうものが建つかもしれない。
しかし、店舗跡のすぐ近くは、住宅が建ち並ぶ。他のスーパーもあるし、泉外旭川駅もできたことだし、ここも宅地になるのでは。となると、民家数十軒分(30~50軒??)くらいのスペースはある。

 

秋田市内の他の建物解体について続く

弘南バス路線番号3・岩木方面

2025年10月時点での、弘南バスの路線番号表示の続き。
※実際にバスを利用する際は、公式な情報で確認してください。
前回は、同じ経路で行き先が違う系統の扱いを、桜ヶ丘方面を例に取り上げた。時刻表と実態で違ったり、2025年冬ダイヤ改正時に予告なく変わったり、そもそも行き先が違うのに同じ番号表示で走っていることがあり、それは分かりづらいのではないかと指摘した。その続きで、岩木方面の場合。

この記事で軽く触れた、
(再掲)「330」上り便の弘前駅行き
330番は、大学病院、市役所、駒越を経由して、岩木庁舎(旧・岩木町役場)止まり。2018年10月に百沢線の廃止・再編でできた「岩木庁舎線」。

 

岩木庁舎より先へ行くバスもそれ以前からあった(百沢線廃止時に経由変更)。2014年。横浜市交通局中古の大型車。幕時代の謎の番号は「68」【19日追記・大判時刻表掲載の謎の番号は「16・17・18・20」と相変わらず統一されておらず、謎】

(再掲)同じ頃のLED表示。方向幕よりは情報が多い
元々は「枯木平線」として嶽温泉(岳温泉)を経て枯木平(かれきたい)まで行っていた。

2025年4月に、枯木平線は岳温泉前止まりに短縮され「岩木山線」となっていた。また、市役所~駒越の経路が変わって、岩木山線は城西団地経由(工業高校前は引き続き経由するらしいので、団地内へ立ち寄るルート?)、岩木庁舎線は工業高校前を通らなくなって、城西大橋、イオンタウン弘前樋の口、城西団地経由に。
岩木山線と岩木庁舎線は、ほぼ交互におおむね1時間に1本運行。時刻表は2路線が1枚にまとまっている。

 

岩木山線(下り)の番号と表示は、


「30 岩木庁舎経由 岳温泉 雪をかぶった山のピクトグラム 反転表示でスカイライン接続」
情報満載だけど、ツッコませてもらえば、
・経由地に余裕があるから「市役所」など足してはどうか。
・以前は「嶽温泉」表記で、公式にも「嶽」のようだが、なぜ「岳温泉」にしたのか。
・山=岩木山ピクトグラムがかわいらしい。でも、弘前市街地から見る岩木山は、とんがりが3つ並ぶものだが、これは2つ+右にコブみたいなのになっている。たしかに、実物では右の出っ張りは小さめだけど、小さすぎないか。
(再掲)

・以前触れた陸奥新報の記事によれば、「温泉」のピクトグラムも存在するとのこと。何線で表示しているのか不明だが、この路線にも表示できるのではないか。
・「スカイライン接続」表示は、スカイライン8合目行き「岩木山スカイラインシャトルバス(38番)」に、岳温泉前で乗り換えできることを示すと思われる。しかし、この日は、積雪によりスカイラインは通行止めのはず。接続を表示しないほうがいいのではないか。
なお、夕刻に、シャトルバス接続がない岳温泉行きを見た(大型車充当)が、それは岩木山ピクトグラムもない、以前と大差ないような表示だったはず。

 

上記の通り、岩木山線と岩木庁舎線の路線番号は30と330。本数は互角だが、岩木山線のほうが主要路線級の扱いのようだ。
ところで、これまでの記事で取り上げた、富田大通り方面では小栗山行き「15」、そのサブ路線としては学園町行きの「151」が最小だった。桜ヶ丘方面では金属団地入口止まり「19」、あるのだかないのだか不明だけど金属団地経由桜ヶ丘行き「191」だった。「150」や「190」は存在しないので、これは「幹線の2桁番号nn番に続く枝番は、nn1番から始まる」という決まりかと思った。ところが、岩木方面では「301」とか「33」とかでなく「330」というのも、よく分からない。

 

岩木山線・岩木庁舎線2025年夏ダイヤ ホームページ掲載の路線別時刻表
※弘南バスではこの数字を「路線番号」と呼んでいるはずだが、路線ごとの時刻表では「系統番号」と記している。
ここで1点。上の時刻表で岩木庁舎始発9時10分は1日1本のみの「H30」。中央通り2丁目を通らず、中央弘前駅前、弘前総合医療センターを経由して、弘前駅へ行く。岩木庁舎始発なのだからこれは「H330」なのではないか。
なお、朝一番の津軽中学校通り始発「S133」は、駅へ行かない小栗山・弘前営業所行き。通学便Sなのに、休日も運行するのか。

 

というのは2025年11月までの話。
以下、2025年冬ダイヤの時刻表より(一部抜粋等加工)。実際の車両ではどうなっているのか不明。


左上:ホームページ路線別時刻表2025夏、右上:同2025冬、下:大判時刻表2025冬

桜ヶ丘方面と同様の不可解な、かつ周知なしの路線番号変更が行われているようだが、状況は若干異なる。
2025年夏ダイヤ時点では、冒頭写真のように、岩木庁舎線は実際に330番が表示されており、時刻表とも一致する。
ところが今冬からは、右上の路線別時刻表によれば、330番がなくなって、岩木庁舎線も30番として運行されていることになる。
さらにところが、同じ時期の大判時刻表では330番も存在することになっている(どの便が何番かは分からないので、大して意味のない表示ではあるが)。
路線別時刻表によれば、上記「H30」は変わらないので、これはまあ統一された。
そして、大判時刻表に「S30」があることになっているが、どれを指すのか。消去法でいくと、津軽中学校→小栗山なのだが、路線別時刻表ではS133のままなのだけど。

 

相変わらず突き詰めると謎だらけだし、番号を意識して乗る乗客がいたとしたら、迷うどころか誤乗させかねない。
この方面は、嶽温泉や岩木山という、弘前の主要観光地へつながる。今どきは外国人観光客も乗るだろう。現時点で、岩木庁舎止まりの便が実際に何番で表示されているのか分からないが、「30」に変わったとすれば、2025年11月以前の情報に基づいて「岩木山へは30番のバス」と認識した人が、岩木庁舎止まりに乗ってしまうことが起こり得る。昼間なら1時間待てば済むが、夜は岳温泉行きより岩木庁舎止まりのほうが遅くまで運行しているわけで…
また、弘前市街でも経路が違ったのだから、いくら「路線番号」だからといって、同じ30番でまとめてしまうのは、乱暴ではないだろうか。そもそも、岩木山線と岩木庁舎線という「別路線」なのだとしたら、別番号にするべきではないか。

 

路線番号やそれに伴い変更された行き先表示の文字部分について、まだ続く