立山・黒部 旅日記 その③(富山)
平成6年(1994年)8月4日~6日
記録:令和7年4月
takachan
(8月5日つづき)
「立山駅」よりツアーバスに乗り換えて今日の宿泊地「富山」へ向かう。
富山での宿は、「ニューグランドイン富山」。一休みののち、市電に乗って夕方の富山の街 散策に出かける。富山市の人口は42万人(平成6年)。


(ピンぼけご容赦)
東京では一部を除いて路面電車は廃止されているが、こうした地方中核都市ではまさに市民の足として路面電車が定着している感がある。街の景観的にも魅力を感じるところだ。

富山市電の写真をもう少し、、、

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*富山城は戦後の復元城で、内部は郷土博物館。

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動画でも市電を見てみましょう、、、(5分)
*富山市の路面電車は「富山地方鉄道」(富山地鉄)が運営する民営の鉄道ですが、一般的に「市電」と呼ばれています。この理由は、歴史的・文化的な背景や市民の慣習によるものです。(ChatGPT)

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ところで、以前 昭和53年(1978年)頃に「立山」~「剣岳」を登山した際は、上野から信越線廻りの夜行寝台特急(ブルートレイン)「北陸号」(金沢が終点)に乗って富山まで行き、そこを基地にして山に入った思い出がある。
現在(令和7年)では新幹線網が上越、北陸方面はもとより全国的に完備したこともあって、こうしたブルートレインは廃止されて久しい。
(参考)ブルートレイン

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ブルートレイン北陸号の動画を見つけました(4分)
*ちなみに最後のブルートレインは上野~札幌間を走った「北斗星」で平成27年(2015年)8月22日がラストランとなった。
市電に乗って西町~富山市中心部の「総曲輪(くるわ)商店街」へ出る。

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「本願寺富山別院」でお詣りして、ちょうどお祭り中の「富山城址公園」を歩く。

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(参考)富山城址公園とお堀

さて夕食はどこでしようかと、街の本屋でガイドブックを立ち読みして見つけた良さそうな店は「八百松亭」。たしかにここは当たり!美味しい懐石料理と、三種の旨い酒「越乃寒梅」「雪中梅」に、富山の酒「立山」、、、


ほろ酔いかげんで再び市電に乗車、ホテルへもどる。結構でした!!
おまけ
富山県民謡の「こきりこ節」を・・・(takachan中学時代に音楽の授業の課題曲で、リコーダーで練習したことを思い出します)
おまけー2
*深田久弥著「日本百名山」の「剣 岳(3,003m)」より・・・

北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は 剣岳であろう。層々たる岩に鎧われて、その豪宕、 峻烈、高邁の風格は、この両巨峰に相通じるものがある。大学山岳部が有能な後継者を育てるための夏期合宿、精鋭を誇るクライマーのクラブが困難なルートを求めて氷雪に挑む道場を、大ていはこの穂高か剣に選ぶのも故あるかなである。・・・

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*絶壁の下は深い谷:鎖づたいではあったものの、 少なからずあの時は自分の足がふるえている様な 気がした。(当時の山岳会誌に寄稿した文章より)
同「日本百名山」の「立 山(3,015m)」より
・・・立山はわが国で最も早く開かれた山の一つである。縁起によれば、大宝元年(701年)佐伯有若が越中の国司として在任中、その子の有頼が白鷹を追うて立山の奥深く入り、弥陀三尊の姿に接して随喜渇仰し、慈興と号して立山大権現を建立したという。 越中の平野から望むと、立山は特にピラミッドにそびえた峰でもなければ、左右に際立った稜線をおろした姿でもなく、つまり一個の独立した山というより、 波濤のように連なった山といった感じである。山に詳しい人でなければ、立山を的確に指摘することは出来まい。・・・

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おまけー3
ちょうどこの季節に、アルペンルートへ行ったツアー会社の知人からいただいた写真です。



有難うございました。
つづく、次回その④(トロッコ電車、帰宅へ)
takachan