簾満月の「バスの助手席」

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工業の町へ変貌 (西国街道歩き旅・摂津国)

 山崎の宿を出ると、この先次の宿場は高槻市にある芥川宿で、凡二里(約8㎞)あり、東大寺村・広瀬村・桜井村・高内村・梶原村・・・ と抜けていく。

 

 街道はJR京都線と併走するように延びていて、線路と背中合わせの住宅と、向い合うように立ち並ぶ家並みの中を抜けている。

 

 

 山崎は嘗て淀川水運が栄え、陸路では宿駅が出来た西国街道が抜け、また男山八幡宮のある対岸へは、渡し船(嘗て橋が架けられた時期があった)が運航し、水陸交通の要として賑わっていた。

 

 

 また荏胡麻油の生産地として栄えたこの辺りであるが、近代では農業を中心とした寂れた農村地帯であったらしい。 そんな地が大正時代に入ると、工業の町へと大きく変貌を遂げたという。

 

 

 大正13(1924)年、当時の壽屋が、日本初のモルトウイスキー蒸溜所として工場を建設、操業を開始した。

後のサントリー社でここでは昭和4(1929)年に国産初の本格ウイスキー通称「白札」が誕生している。

 

 

 その2年後の大正15(1926)年には、大日本紡績株式会社の「山崎絹糸工場」がサントリー社の南側、淀川河畔で操業を始めた。因みに同社は後に会社合併を経て「ユニチカ山崎工場」と成り、現在は統合により「大阪染工株式会社」が創業し、今尚当地に工場を構えている。

 

 

 趣のある古民家も残る街道を西進すると、JR線と出会い進路をやや南西に振るが、その踏切の先の山裾には、「サントリー山崎蒸留場」が見えている。

構内に「ウイスキー館」が併設され、予約制で見学者を受け入れている。(続)

 

 

 

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