
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season3
Season1では基礎概念を、Season2では実務の「壁」の乗り越え方を解説しました。
Season3では、マーケティングの理屈が具体的に使われている事例を見ながら学んでいきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
▶ Season 1【全14回まとめ】|▶ Season 2【全15回まとめ】
Booking.comや楽天トラベルでホテルを探していて、こんな表示に心臓がドキッとしたことはありませんか。
「この価格はあと2室です」「本日5回予約されました」「いま18人がこのホテルを見ています」——目立つように表示される、あの緊迫感のあるメッセージです。航空券の予約サイトでも、「この運賃はあと3席」といった表示を見かけますね。
さっきまで「ほかにもいい所があるかも」と冷静に比較検討していたのに、その表示を見た瞬間、指が勝手に「予約する」ボタンに向かっていく。心拍数が上がり、「いますぐ確保しなきゃ」という焦燥感に駆られる。
なぜ、たった一行の表示が、私たちの冷静な判断を狂わせるのでしょうか。
- 「検討」が「争奪戦」に変わる瞬間
- 希少性の原理——手に入りにくいものは価値が高い
- 損失回避とFOMO——「逃したくない」という恐怖
- 「締め切り」は、迷う顧客への優しさでもある
- 誠実な希少性を設計する
- よくある質問(FAQ)
「検討」が「争奪戦」に変わる瞬間
予約サイトの「残りわずか」表示は、何をしているのでしょうか。
それは、「自由な選択」を「争奪戦」に変換しているのです。
「残りわずか」が表示される前、私たちは自由な消費者です。いくつかの選択肢を比較し、最適なものを選ぼうとしている。時間の制約もなく、ゆっくり検討できる状態です。
しかし、「あと2席」という表示が出た瞬間、状況は一変します。自由な選択から、「選択肢が消滅しそうな状態」への変化。これが、私たちの心理を根本から揺さぶるのです。
人は「手に入る喜び」よりも、「手に入るはずのものを失う痛み」を強く感じる。
さらに、「いま18人が見ています」という表示は、見えないライバルの存在を可視化しています。競争相手がいると分かった瞬間、その商品の価値は実態以上に高く感じられるのです。

希少性の原理——手に入りにくいものは価値が高い
この現象を、心理学の視点から分析してみましょう。
「希少性の原理(Scarcity Principle)」という概念があります。人は、手に入りにくいものほど価値が高いと判断する傾向があるのです。
有名な実験があります。被験者にクッキーを評価してもらう際、10枚入りの瓶から取り出したクッキーと、2枚しか入っていない瓶から取り出したクッキーでは、後者の方が「美味しい」と評価されました。まったく同じクッキーなのに、です。
| 状況 | 心理的反応 |
|---|---|
| 「在庫あり」 | 「いつでも買える」→ 検討を続ける |
| 「残り3点」 | 「なくなるかも」→ 意思決定が加速 |
| 「ほかの人も見ています」 | 「取られるかも」→ 競争心が発動 |
予約サイトは、この心理を巧みに活用しています。「残りわずか」という情報は、商品の客観的な価値を変えているわけではありません。しかし、私たちの「知覚される価値」を劇的に高めているのです。
損失回避とFOMO——「逃したくない」という恐怖
もうひとつ、重要な心理メカニズムがあります。
「損失回避(Loss Aversion)」——人は、得をすることよりも、損をすることを極端に嫌います。行動経済学の研究によれば、同じ金額でも「失う痛み」は「得る喜び」の約2倍強く感じられるとされています。
予約サイトで「この価格はあと2席」と表示されたとき、私たちは何を恐れているのでしょうか。
それは、「安く泊まる権利を失うこと」です。予約しなければ、お金は減りません。しかし、「安く泊まれたはずのチャンス」を逃すことが、まるで損失のように感じられるのです。
「手に入れる」よりも「逃さない」。
人を動かすのは、喜びよりも恐怖である。
さらに、「FOMO(Fear Of Missing Out)」——取り残されることへの恐怖も働いています。「みんなが予約しているのに、自分だけ乗り遅れるのではないか」「このチャンスを逃したら、二度と来ないのではないか」。この恐怖が、冷静な判断を上書きするのです。

「締め切り」は、迷う顧客への優しさでもある
ここで、マーケターとしての視点に切り替えてみましょう。
希少性の演出は、単なる「煽り」ではありません。迷っている顧客の背中を押す「優しさ」でもあるのです。
人は、選択肢が多すぎると決められなくなります。「いつでも買える」と思っていると、いつまでも買わない。これは「選択のパラドックス」と呼ばれる現象です。
適切な「締め切り」を設けることは、顧客の意思決定を助けることでもあります。キャンペーンの期限、在庫の限定、特典の先着順——これらは、「いま決める理由」を提供しているのです。
| 手法 | 活用例 |
|---|---|
| 時間の限定 | 「本日23:59まで」「72時間限定セール」 |
| 数量の限定 | 「先着100名様」「残り3点」 |
| 特典の限定 | 「今月中のお申込みで〇〇プレゼント」 |
誠実な希少性を設計する
ただし、ここで重要な注意点があります。
「嘘の在庫数」や「偽のカウントダウン」は、ブランドを破壊します。
「残り3点」と表示しておきながら、実際には無限に在庫がある。「本日限り」と言いながら、毎日同じセールをしている。こうした不誠実な演出は、一度バレれば顧客の信頼を根本から失います。
では、誠実に希少性を設計するには、どうすればいいのでしょうか。
答えは、「本当に限定する」ことです。実際に在庫を絞る。実際に期限を設ける。実際に特典を終了する。嘘のない希少性だけが、長期的な信頼を築きます。
希少性は、嘘をついた瞬間に効力を失う。
誠実さこそが、最強のマーケティングである。
顧客に「いつでも買える」と思わせていませんか。適切な締め切りを設けることは、顧客の意思決定を助ける優しさです。ただし、その希少性は、必ず本物でなければなりません。
【本記事のまとめ】
1. 検討から争奪戦への転換
「残りわずか」の表示は、自由な選択を「選択肢が消滅しそうな状態」に変え、意思決定を加速させる。
2. 希少性の原理
人は手に入りにくいものほど価値が高いと判断する。同じ商品でも、残り少ないと価値が高く感じられる。
3. 損失回避の心理
人は「得る喜び」より「失う痛み」を約2倍強く感じる。チャンスを逃すことが損失として認識される。
4. FOMOの発動
「取り残されたくない」「乗り遅れたくない」という恐怖が、冷静な判断を上書きする。
5. 締め切りは優しさ
適切な期限や限定は、迷う顧客の背中を押し、意思決定を助ける役割を果たす。
6. 誠実さが最強
嘘の在庫数や偽のカウントダウンはブランドを破壊する。本物の希少性だけが信頼を築く。
よくある質問(FAQ)
在庫が豊富な商品でも、希少性を演出できますか?
「数量」ではなく「時間」で限定するのが有効です。「今週末まで送料無料」「今月中のお申込みで特典付き」など、期間限定の価値を付加することで、在庫が豊富でも「いま決める理由」を提供できます。
BtoBでも希少性のアプローチは使えますか?
使えます。「今期の導入枠は残り3社」「無料診断は今月末まで」「初期費用無料キャンペーンは先着10社」など、BtoBでも期限や枠を設けることで、検討から決断への移行を促せます。ただし、BtoBでは特に誠実さが重要です。
「残りわずか」表示を嫌う顧客もいるのでは?
います。過度な煽りは逆効果になることもあります。重要なのは「事実を伝える」姿勢です。本当に残り少ないなら伝える、本当に締め切りがあるなら伝える。情報提供として誠実に行えば、多くの顧客は「教えてくれてありがとう」と感じます。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season3
マーケティングの理屈が具体的に使われている事例を見ながら学んでいきます。
- 第1回:ルブタンの靴底はなぜ赤く、Appleのイヤフォンはなぜ白いのか?
- 第2回:なぜ私たちは、自分で組み立てたIKEAの椅子を最高だと思うのか?
- 第3回:なぜダイソンは、あえて「不快なゴミ」を丸見えにしたのか?
- 第4回:なぜティファニーは、中身を見る前に人をときめかせるのか?
- 第5回:なぜパタゴニアは「このジャケットを買わないで」と言ったのか?
- 第6回:なぜNetflixは「TOP 10」という小さな枠を作ったのか?
- 第7回:なぜレッドブルはロンドンの街中を「自社のゴミ」で埋めたのか?
- 第8回:なぜスターバックスは「手書きメッセージ」をやめないのか?
- 第9回:コストコの「180円」が、数万円の買い物のハードルを下げるカラクリ
- 第10回:なぜハーゲンダッツは、ほかより高くても選ばれ続けるのか?
- 第11回:なぜAmazonは「欲しいもの」を言い当てるのか?
- 第12回:なぜ楽天トラベルの「残り1室」を見ると、つい予約してしまうのか?(本記事)
- 第13回:なぜコストコの「会費制」は、顧客を逃がさないのか?
- 第14回:なぜユニクロは、店頭でわざわざ「実験」をしてみせるのか?
▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season 2(全15回)はこちら|現場で成果を出すための実践スキル
岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
X→@oka_kgs / Instagram→@oka_ken2010
/ 著書(amazon)