
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season3
Season1では基礎概念を、Season2では実務の「壁」の乗り越え方を解説しました。
Season3では、マーケティングの理屈が具体的に使われている事例を見ながら学んでいきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
▶ Season 1【全14回まとめ】|▶ Season 2【全15回まとめ】
コストコの年会費は、ゴールドスター会員で税込4,840円です。
「買い物をする前にお金を払う」——冷静に考えれば、これは顧客にとって不利益でしかないはずです。ほかのスーパーなら、会費など払わずに買い物ができるのですから。
しかし、面白い現象が起きています。一度会員になった人は、「週末はコストコに行こう」という思考になりやすい。他店への浮気が、劇的に減るのです。
Amazonプライムも同じです。年会費を払った人は、送料無料の恩恵を受けるために、ほかのECサイトではなくAmazonを選ぶようになる。
なぜ、お金を払わせることが、顧客を逃がさない最強の仕組みになるのでしょうか。
- 「元を取らなきゃ」という生存本能
- サンクコストの誤謬——取り戻せないお金への執着
- 保有効果——手に入れたものは手放せない
- 「思考のデフォルト」を自社に固定する
- 「最初のコスト」が離脱を防ぐ
- よくある質問(FAQ)
「元を取らなきゃ」という生存本能
会費を払った瞬間、私たちの中である心理スイッチが入ります。
「元を取らなければ、損をする」——この感覚です。
コストコで4,840円を払った人は、その瞬間から「この会費を回収しなければ」と考え始めます。たとえほかのスーパーの方が近くても、「せっかく会員になったんだから」とコストコに足を運ぶ。
Amazonプライムに入った人は、「送料がかかる他サイトで買うのはもったいない」と感じます。たとえ他サイトの方が少し安くても、「プライム会費を払っているんだから」とAmazonを選ぶ。
顧客はサービスを「利用」しているのではない。
支払った会費という「投資」を回収しようとしている。
この心理が働くと、顧客の判断基準そのものが変わります。「どこが一番お得か」ではなく、「会費の元を取れるか」が最優先になる。結果として、他社への流出が劇的に減るのです。

サンクコストの誤謬——取り戻せないお金への執着
この現象を、心理学では「サンクコスト(埋没費用)の誤謬」と呼びます。
サンクコストとは、すでに支払ってしまい、取り戻すことのできないコストのこと。合理的に考えれば、過去に払ったお金は意思決定に影響を与えるべきではありません。「これから」どうするかだけを考えればいいはずです。
しかし、人間はそうできません。すでに支払ったコストに執着し、その後の意思決定が歪められてしまうのです。
| サービス | サンクコスト | 顧客の思考 |
|---|---|---|
| コストコ | 年会費4,840円 | 「元を取るために通わなきゃ」 |
| Amazonプライム | 年会費5,900円 | 「送料無料を使わなきゃ損」 |
| スポーツジム | 月会費 | 「払ってるんだから行かなきゃ」 |
つまり、会費を払わせることは「顧客に投資させる」ことでもあります。投資した人は、その投資を無駄にしたくない。だから、繰り返し利用するのです。
保有効果——手に入れたものは手放せない
もうひとつ、重要な心理メカニズムがあります。
「保有効果」——一度手に入れたものを、手放すことに強い痛みを感じる心理です。
Amazonプライム会員は、「送料無料」「Prime Video見放題」「お急ぎ便」といった特典を「持っている」状態です。これらを手放すことは、「失う」ことを意味します。
前回の記事で解説した通り、人は「得る喜び」よりも「失う痛み」を約2倍強く感じます。だから、「解約しようかな」と思っても、特典を失うことへの抵抗感が勝ってしまうのです。
会員になった瞬間、顧客は「特典を持っている人」になる。
そして、持っているものを手放すのは、想像以上に難しい。
さらに、会員になることで「自分はこの店の身内(メンバー)である」というアイデンティティが形成されます。コストコ会員は、自分を「コストコユーザー」として認識し始める。これが、LTV(顧客生涯価値)を爆発的に向上させる仕組みなのです。

「思考のデフォルト」を自社に固定する
ここで、会員制(サブスクリプション)の本質を整理しましょう。
多くの人は、会員制の価値を「収益の安定化」だと考えています。毎月・毎年、確実に会費が入ってくる。確かに、それも大きなメリットです。
しかし、真の価値はそこではありません。
会員制の真価は、「顧客の思考のデフォルト(既定値)を自社に固定すること」にあります。
「何か買おう」と思ったとき、Amazonプライム会員は無意識にAmazonを開きます。「週末どこに行こう」と考えたとき、コストコ会員は無意識にコストコを候補に入れます。
会費を払った瞬間から、顧客の思考の「出発点」が自社になる。これが、会員制の最強の効果なのです。

「最初のコスト」が離脱を防ぐ
この事例から学べることを、今日からの実務に活かしてみましょう。
新人マーケターがよく考える施策は、「入口を無料にする」ことです。無料お試し、無料サンプル、無料相談——ハードルを下げて、まずは体験してもらおうという発想ですね。
もちろん、それも有効な戦略です。しかし、あえて最初に「少額のコスト」を払ってもらうことで、離脱を防ぐという発想もあることを覚えておいてください。
| アプローチ | メリット | デメリット |
|---|---|---|
| 完全無料 | 入口のハードルが低い | 離脱も容易、コミットメント弱い |
| 少額の会費 | 「元を取りたい」心理が働く | 初期の顧客獲得ハードルは高い |
お金だけでなく、「時間」や「労力」のコストでも同じ効果があります。会員登録に手間をかけさせる、初期設定を丁寧にしてもらう——こうした「投資」が、顧客の離脱を防ぐのです。
顧客に「投資」させることで、顧客は「投資家」になる。
そして投資家は、自分の投資を失敗にしたくない。
【本記事のまとめ】
1. 「元を取りたい」心理
会費を払った顧客は「投資を回収しなければ」と感じ、繰り返し利用するようになる。
2. サンクコストの誤謬
すでに支払った取り戻せないコストに執着し、その後の意思決定が歪められる心理現象。
3. 保有効果
一度手に入れた会員ステータスや特典を手放すことに、強い抵抗感を感じる。
4. アイデンティティの形成
会員になることで「この店のメンバーである」という自己認識が生まれ、LTVが向上する。
5. 思考のデフォルト化
会員制の真価は、顧客の思考の「出発点」を自社に固定すること。
6. 最初のコストが離脱を防ぐ
無料だけが正解ではない。少額でも「投資」させることで、顧客のコミットメントを高められる。
よくある質問(FAQ)
会費制を導入すると、新規顧客が減りませんか?
短期的には減る可能性があります。しかし、一度会員になった顧客のLTVは劇的に上がります。「薄く広く」から「深く狭く」への転換です。自社の戦略に合うかどうかを見極めてください。また、「初月無料」などで入口のハードルを下げる工夫も有効です。
BtoBでも会員制は機能しますか?
機能します。年間契約のSaaS、月額制のコンサルティング、会員限定の情報提供サービスなど、BtoBでもサブスクリプションモデルは増えています。一度契約すると「乗り換えコスト」が発生するため、同じサンクコストの心理が働きます。
会費を取らずに、同じ効果を得る方法はありますか?
あります。「ポイントを貯めさせる」「ランクを上げさせる」「カスタマイズ設定をさせる」など、お金以外の「投資」をしてもらう方法です。顧客が時間や労力をかけた分だけ、離脱しにくくなります。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season3
マーケティングの理屈が具体的に使われている事例を見ながら学んでいきます。
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▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season 2(全15回)はこちら|現場で成果を出すための実践スキル
岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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/ 著書(amazon)