3-2、勝海舟の小楠評
海舟の言うには、「小楠は、はじめて会った時から、途方もない聡明な人だと心中大いに敬服して、しばしば人を以ってその説を聞かしたが、その答えには常に「今日はこう思うけれども、明日になったら違うかもしれない」と申し添えてあった。そこでおれはいよいよ彼の人物に感心した」ということ。海舟は咸臨丸でアメリカに行った経験について、小楠に問われるままに米国事情を伝えたとき、小楠は細々としたことに関心をもたず、政治体制にたいへんな興味をもったそうで、後に、「将軍は政権を返上して、開明的な大名や、武士や、市民まで動員して、有能な人々による共和政府を作るべきだ」と主張するように。
要するに小楠は、勝から聞いた耳学問をもとにして、日本の新しい政治体制を考え出したわけですね。
海舟はまた、「俺はいままでに天下で恐ろしい人物を二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。小楠の思想を西郷の手で行われたら敵うものはあるまい。」「横井小楠は他人には悟られない人物で、その臨機応変は只者でなく、どんなときも凝滞がない。つまり「活理」というものがあった」と評し、「大久保利通などは、維新後、小楠を政府に招いたけれど、大したことはない人間だ、と言っていたが、これは大久保に目がないのであって、小楠はそんな人間ではない。普通のものさしではとても計りきれない人間」とさえ評したそう。小楠はものにこだわらない人間だから、定見なしで機に臨み、変に応じて処置する余裕があり、失敗を利用して逆に手柄をたてることを考え出す天才的な人物とも。
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明治維新の舞台裏で影響を与えた陰の功労者
横井小楠は、幕末に熊本藩に生まれて勉学に励み、自ら塾を起こして弟子に教えたり、名士と交わったり、著作をあらわしたりした後、福井藩の松平春嶽に招かれて藩政改革で大成功をおさめました。
そしてその先見性があり、当時としては型にとらわれず過激ともいえる考えをあらわした著書や、実際に会って議論することで、勝海舟や坂本龍馬、由利公正らに多大な影響を与えました。
自ら動いて具体的に貢献したのではないので目立たないが、明治維新の舞台の裏で脚本を書いて役者を動かしていたと言えるほどの存在感がある人で、勝海舟の言葉によれば「小楠の思想を西郷の手で行なわれたら、敵うものはないだろう」との通りに、大政奉還、王政復古という形で実現。新しい時代、新しい体制を作るために、小楠ら名のある賢人たちに会い意見を聞き議論して、それをまとめて坂本龍馬や西郷隆盛らが明治維新を完成に持って行ったとみるべきでしょう。




