谷崎潤一郎は、戦火厳しい熱海を離れて岡山~京都へ移転していたが、
京都の冬の寒さに耐えきれず、
戦後は昭和25年(1950)、再び熱海へ戻ってきた。
住所は熱海市仲田805(現・水口町3-9)。
小生お気に入りブログ「東京紅團~谷崎潤一郎の熱海を歩く」には、
同邸が特定されているが、小生見る限り~
建物は新しく、先の〝潤雪庵〟のように当時の表札があるワケでもなく、
特定確信なく〝ボケ〟させていただいた。
同荘は元・日銀の麻生氏別荘、向かいが泉鏡花未亡人、隣に中央公論嶋社長別荘
があったそうだが、今はその雰囲気もない。
「もの静かな別荘地だったが、いつの間に付近の別荘が旅館や芸者屋や会社寮になり、
すぐ前の道をバスが日に何回も往復するようになり、
病気の私には騒々しさが耐えがたくなって~」
山王ホテル内別荘に避難。
昭和29年(1952)に、伊豆山鳴沢の〝後の雪後庵〟に移転する。
熱海観光客は「商店街と海岸」中心だが、
住民にとっては、この辺りが大事な生活拠点。
これが現地図で、小生が日々通う大型スーパー「マックスバリュー」、
市役所も郵便局もあって熱海生活の芯、中心地域になっている。
来宮から坂を下るこの道は今「あたみ梅ライン」の名があり、
谷崎邸辺りは、坂道曲がり角辺りで、エンジンをふかしたくなる場所。
しかも戦後復興で、当時の騒々しさも容易に想像できる。
この時、谷崎潤一郎は67歳。
高血圧で眼も不自由ゆえ新訳『源氏物語・若菜』刊後で、
口述の助手・伊吹和子を秘書として雇っている。
伊吹は後に『われよりほかに~谷崎潤一郎最後の十二年』に
当時のことを詳細記述しているらしい。
薄い記憶だが読んだ気がする。
引越しで整理してしまったのかなぁ~。
ちなみに静岡県の図書館検索すると小山町立図書館、静岡県立大学のみが蔵書。
う~ん、慣れ親しんできた新宿図書館(中央図書館はじめ計11館)が、
無性に懐かしくなってきた。
(新宿旧宅より自転車ひと漕ぎの角筈・四谷・鶴巻各図書館が蔵書)
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