昨年末の「文藝シリーズ」で松本清張をアップしたが、
そこで清張は「もく星号」遭難の謎を追った3部作を書いたと記した。
昭和35年『もく星号』。昭和49年『風の息』。そして亡くなる直前に、
前2作を破棄するとして平成4年に『一九五二年日航機「撃墜」事件』を書いた。
3部作の紹介と、小生なりの謎解きをブログに記すと、
「もく星号」がらみで、次々に新展開が始まった。
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まず最初は、当時の大島支所長から連絡あり。
「検死をした島の医師が存命ですので取材してみませんか」
あたしはルポライターでもないので、丁重にご辞退した。
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次に、「辻まこと」が現場散乱の宝石探しをしたことを知った。
彼の父はダダイスト辻潤。
彼は画家で随筆家。山岳スキー、ギター演奏の名手でもあった。
辻が乗鞍スキー合宿から松本へ下りて「もく星号」墜落を知った。
彼は同機搭乗の小原院陽子宅に集う青年の一人で、即、小原院宅へ向かった。
すでに仲間のひとり西常雄(後に画家。武蔵美・多摩美教授)も来ていた。
彼女が所持していた宝石リスト中、警察から返却された宝石はその5%に過ぎず、
二人は即、三原山の現場に向かった。
結果はメンソレータム空缶一杯の宝石を拾い集めた。
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これは辻まこと『山からの絵本』(創文社、昭和41年刊)の「三つの岩」
三章の「墓標の岩」に絵入りで記されていた。
彼は24歳の時に、竹下夢二の息子、経済学者・福田徳三博士の息子らと
金鉱探しに熱中した時期があり〝石探し〟はプロ級だった。
そして昨年春、
あたしは新宿・花園神社に「もく星号」絡みの奉納額があることを知った。
それは「同栄信用金庫飛行機貯金旅行會献木記念」と題された額。
「もく星号」墜落当時に、同信金主催で三度行われた同機チャーター旅行の
安全祈願を花園神社で受け、無事だったことの献木(どの木だろう)の奉納額。
額は、手水舎後の「山車庫」の軒に掛けられている。
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話はこれで終わらない。辻まこと・大島・新宿の裏に
大正時代の複雑に絡み合った驚愕のネットワークが透けていた。(続く)
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