
映画『Black Box Diaries』は日本で公開される前、監視カメラの映像の使用をめぐって権利関係の問題提起があり、公開時期が遅れた。
そうこうしているうちにネット上では「見る価値なし」と主張する人たちのキャンペーンが始まり、よほど権力者に都合が悪いことが含まれているのかなと想像したら、その通りだった。
伊藤詩織さんの口を封じようとして、策を弄する権力者の思惑にはめられてはいけない。彼女の声を自分の耳で聞いて、それから判断するべきだ。
映画の手法
映画は捜査関係者や、タクシーの運転手、ホテルのドアマンから証言を集め、伊藤さんが、自ら会いに行ったり、電話でインタビューした音声をつないで構成している。
別にカメラマンがいて撮影している映像もあるし、伊藤さん自身がスマホのカメラに向かって語りかける「自撮り」の映像も多い。
伊藤さんが言うには、被害者として生身の自分に向き合うのがこわいから、「自分はジャーナリストなんだ」と言い聞かせることで、気力を保ってやってきたということだ。
途中、精神的な危機は何度かあったとしても、カメラの前ではつねに気丈にふるまい、涙を見せないように努力していた。
どんなにひどい言葉を投げかけられても、感情の表出はできる限り抑える。それがジャーナリストとしての彼女の闘い方だ。
傍観者の声
例えば、こんな音声/映像があった。
- 家族から「会見するのはやめてほしい。世間から、一生『被害者』として見られることになる」と反対された。
- 本を出したら、長文のメールがきて「恥知らず!」と非難された。
- 裁判所から出るときにも「アイドル気取りだ、ハニトラだ」と罵声を浴びせられた。
これらはみな、女性の声だ。(たくさんの意見があったと思うけれど意図的に女性の意見が選ばれている)
一番ひどいと思ったのは、伊藤さんが通りすがりにたまたま自分の名前を出してスピーチしている活動家のグループを見かけ、挨拶をしたとき。中の1人が伊藤さんが去った後で「今の人、強姦された人? 強姦された人じゃないわよね?」と気づき、興奮して周りの人に聞いてまわるシーンだ。
こんなひどい言い方ってある? 伊藤さんのことを名前で呼ばずに「強姦された人」と呼ぶなんて。まさにレッテル貼り。スティグマの押し付けだ。悪気がない人の行動だからこそ、おそろしい。
家族が心配した通り「レイプの被害者」として烙印を押し、人格を無視する人がいることをカメラが証明した。
この映像をドキュメンタリーに使用したのは、伊藤さんから社会への挑戦だろう。
伊藤さんは、「あなたなら、どう思いますか?」と観客の良識を問うている。
安倍元首相の映像
加害者(山口敬之)に逮捕状が出て、あるとき、逮捕寸前までいったのに土壇場で差し止められた。このとき逮捕中止命令を出したのは、後に警察庁長官となった中村格だ。
山口氏は当時首相であった安倍晋三と親しい間柄で『総理』という本を書き、2016年6月に出版している。この本の出版時期が不起訴になった時期と近いことから、安倍首相の差し金で逮捕状が取り下げられ、不起訴になったのでは、と考えるのは無理からぬ話だ。
2018年1月、国会で質問した議員がいる。柚木道義(ゆのきみちよし)。立憲民主党の議員だ。
※以下はYouTubeにあがっていた動画から書き起こして、整理したもの。
「総理におたずねしたい。『総理』の著者が、準強姦罪で捜査対象であることをご存じでしたか?」
すると安倍首相は「個別の案件について答える立場ではございません」
柚木議員が「個別の事案ではないんです。(中略。伊藤さんが公共の利益のために声を上げていることを主張)知ってたか、知らなかったかぐらいは、お答えいただけませんか」と食い下がると、自分では答えずに国家公安委員長・小此木八郎に答えさせようとした。
柚木議員「いいです、いいです、委員長。総理が答えないんだったらいいです。総理、なぜそのことを聞くのかと言えば、お尋ねしたいんです。この本が出版されたのは著者が不起訴になる直前なんです。不起訴になること、ひょっとしてご存じではございませんか」
安倍晋三首相が答えた。
「柚木議員、常識で考えていただきたいと思います。総理大臣として、個別の事件について、知っている、知らない、どう思うかということについて、一切言わないことになっているんですよ、常識として。不起訴になっていることを私が知り得るわけがないじゃないですか」
この発言は大問題だ。
私の意見を言わせてもらえば、知らないなら「知らない」と一言言えば済むこと。くどくど口上を重ねて「知り得るわけがない」などと回りくどい言い方をしなくてもいい。
私が思うに、安倍首相にも良心があり、国会の場で、堂々とうそを言うことにためらいがあったから、他の人に答えさせようとしたり、正面から答えるのを避けようとして、こんなおかしな言い方になったのでは。
本人はNOと言っているが、私としてはとても素直に受け取れないと感じた。(ここは人によって解釈が分かれるだろう)
山口氏は、安倍元首相が狙撃され亡くなったとき、誰よりも早くそのことをSNSに上げたそうだ。
訃報を一番最初に知らされた人のグループ。そこまで近い立場にいる人に逮捕状が出たなら、安倍首相はそのことを「知っていた」と考えるほうが自然だ。
柚木議員の追及には隙がなかった。
そして安倍元首相の答弁の映像を出し、事実を積み上げるこの映画の構成もまた見事だ。
事件の日のこと
民事裁判では、事件の日になにがあったのか、伊藤さんの視点から見た出来事を陳述したそうだ。スピーチの練習のため、支援者が文書を読み上げるシーンがあった。
山口氏に就職の相談をするため、待ち合わせの場所に行ったら、ほかにも同席者がいると思っていたのに、そうではなく1対1だった。伊藤さんは、まず、そのことに驚いたそうだ。(中居正広の性加害事件とそっくりのエピソードだ)
酒を飲み始めたら気分が悪くなり、体調に異変を感じた。
その後、ホテルの部屋で意識を取り戻したとき、なにが起こったのかわからず混乱してトイレに閉じこもった。鏡を見たら、乳首から出血していた。
怖くなって、いますぐ服を着てこの部屋から逃げ出したいと思った。服を着ようとしたけれども、パンツがない。探してもないからパンツがどこにあるか聞いたら、山口氏が隠し持っていた。
「パンツぐらい、お土産にくれたっていいだろう」そう言われたらしい。
泥酔した人をレイプした上に「お土産」にパンツを盗んで持ち帰ろうとするなんて、気持ち悪い!
性加害は、一度味をしめると何度も繰り返す性質がある。ひょっとすると、もしかして……。
疑念を誘う、不気味な一言だ。
支援者が文書を読み上げるのを横で聞いているだけで、伊藤さんは動揺してベッドに倒れ込んだ。
これをもし自分だけでやろうとしたら、もっと無防備な姿をカメラの前に晒すことになっただろう。そのほうが見る人の同情を買うに違いないが、あえて他の人に読ませ、感情表現を抑制した。それが伊藤さんのやり方だ。
連帯
裁判中には弱気になったときもあった。
「自殺はしない」と宣言したのを翻し、カメラに向かって、家族への遺言を話し始めた。その後なにがあったのかわからないが、病院のカットが挟み込まれた。このとき、一時精神的に不調となり、死を考えたことが映像の中で示唆された。
こんなにつらい闘いを被害者に強いるなんて……。
映画を見ている私も苦しかった。
でも、伊藤さんが泣かないのに、こっちが泣くわけにいかない。最後まで涙をこらえ、目をしっかり開けて見た。
周りの観客も、みな、同じ気持ちだったと思う。声を上げて泣く人こそいなかったが、そこらじゅうから鼻をすする音、涙を拭く手の動きが伝わってきた。
席はほとんど埋まっていて、映画が終わると拍手がわき起こった。
多くの人がわざわざこのつらく悲しい作品を見るために、足を運び、連帯の拍手を送ったこと。そのことに希望を感じた。
ネガティブ・キャンペーンに対抗するには
安倍元首相が亡き後も、関係者は口を閉ざし、新たな事実が露見しないように隠そうとしている。
映画の中で「ハニトラ!」と叫ぶ声を聞いて思い出したのが、はすみとしこと杉田水脈。2人の名だ。
2人は「伊藤詩織の言い分はうそ、ハニートラップである」として、SNS上でアンチのキャンペーンを張り、2022年に名誉毀損でそれぞれ有罪判決を受けた。
権力者は男性ばかりなのに、女性を攻撃するために、あえて女性を利用する。
なんて卑怯なやり方だろう。
女性の広告塔を使ったキャンペーンが通用しなくなると、次は、アルバイトの人を雇ってSNSに大量のコメントを書かせ、世論を誘導しようとしている。(伊藤さんの件だけでなく、至るところでこの手法が使われている)
こんなアホみたいな手口にだまされてはいけない。
権力者たちは伊藤さんが力尽き、倒れて口を閉ざすのを待っている。
そうさせないために、心ある人たちで伊藤さんを守り、応援し続けなければならない。
社会は変化している
事件は2015年に起こり、伊藤詩織さんが被害を公表したのは2017年。
あれから社会のほうも少しずつ変化している。
2023年の刑法改正によって、不同意性交罪が施行された。
山口氏は記者会見で、外国人の記者から「あなたのやったことは法的には不法行為ではなかったとしても、道徳上の問題がある行為だとは思いませんか? 後悔はしていないのですか」と問われた。
その問いに対し、「自分のやったことは不法行為ではないけれども、道徳上の問題としては、後悔している」と述べた。
もし、今、同じ行為があったとしたら、不同意性交罪で起訴される可能性は高いだろう。同意のない性行為について世間の目は厳しくなっている。
日本社会は一歩前進したということだ。
2024年9月には、フランスで10年以上にわたり薬物を使用して妻の意識を失わせ、レイプし、インターネットで募った50人以上の男たちにもレイプをさせていた男の裁判が開かれた。被害者のジゼル・ペリコさんは言った。「恥ずかしいのは被害者ではなく、加害者のほう。社会の見方を変えたい」
われわれの社会も、認識を変えなければならない。
レイプの被害者はなに一つ恥じる必要がない。恥じるべきは加害者のほう。
そして、加害行為を見かけたのに見過ごした人。止めなかった人。
被害者に恥を与えようとする傍観者も、自分の良識のなさを恥じるべきだ。
徒党を組んで、被害者に圧力をかける権力者たちも恥いってほしい。
映画を見た一人一人が社会の目撃者となって、被害者を守らなければならない。