舞台『怪力乱神ヲ語ラズ 天(そら)が破(わ)れ、市(まち)が熄(き)える』を見に行った。これは劇団肋骨蜜柑同好会の第19回公演だというが、この劇団を舞台を見るのは今回が初めて。別の劇団の舞台(というのはPSYCHOSISの『幻魔怪奇劇ドグラ・マグラ RE/再演』のこと)でもらったチラシの中にこの公演のものがあって、それを見て直感的に見ることを決めた。
ところで「怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず」とは、コトバンクによれば『論語』の「述而(じゅつじ)」の一節「子は怪力乱神を語らず(孔子は、怪しげなこと、力をたのむこと、世を乱すようなこと、鬼神に関することについては語ろうとはしない)」から取られたもので、意味は「怪しげなこと、不確かなことは口にしない、ということ。」とある(ちなみに私がこの言葉を知ったのは、小学生の頃に読んだ諸星大二郎のマンガ『孔子暗黒伝』だった)。
この舞台では、群馬と山梨の県境近くにあるというミッション系の女子高、星藍(せいらん)女学校で朝礼中に生徒たち数人が倒れた、という出来事をキッカケに「この学校に悪魔、魔女がいる」という噂が流れ、それが生徒、教師らが次々に失踪する事件へとつながり、ついには学校という共同体が崩壊する様が描かれる。そこに言わば通奏低音のように流れるのが「怪力乱神ヲ語ラズ」ということである。
そこから、この作品は不確かなことや怪しげな噂や陰謀論で溢れかえるネット社会への警鐘を述べている、とも見える。
また物語の中で繰り返し語られるのは、怪しいもの、胡乱(うろん)なもの、触れてはいけないものなどをことごとく外へと追いやることの危険性である。では外へと追いやられた鬼は一体どうするのか?と。よく知られているように、オカルトとは「隠されたもの」の意。この物語では、このオカルトがすなわち魔が追いやられる外のことである、とされる。
だが私は思うのだ。そもそも、そうしたものたちを放逐する「外」とは一体どこだろう? 本当は「外」など、どこにもないのではないか?と。そうすると、この物語の見え方が変わってくる。「怪力乱神ヲ語ラズ」という言葉の意味するものも。
最後になるが、私が見る舞台は、どちらかというと物語を情緒的な言葉とか役者の身体表現で語るものが多くて(というか、そもそも物語自体がなかったりもして)、この『怪力乱神ヲ語ラズ』のように言葉を論理的に積み重ねることで物語を構築していく舞台は新鮮だった。