soil-rock’s diary

手話学習者によるブログです。学習経験や感じたことのお話です。

手話表現。幅と引き出し(抽斗)。

 手話学習者のsoil-rockです。
 今回もよろしくお願いいたします。

 今回は、同じ内容を表現するのでも、ろう者間で表現が違うという点について。前回に引き続き簡単に。
 このような時、正直戸惑いがありますが、「自分は表現を倍学んだ」として、受け止めています。

 ひとつのことを説明、言おうとするときの手話表現は、複数あります。日本語と同じように、語順や、選択語彙は話者の属性や会話の状況、書き言葉なのか話し言葉なのかでも変化します。例として、あるろう者から学んだ手話を、別のろう者の前で表現すると、伝わらない、違和感のある表現として受け止められることがあります。

 その時、自分の場合、その場にいるろう者の表現に従います。もし、自分の表現にアドバイスをいただければ、この上ありません。そして、そのろう者の考えやリアクションを受けて、教えてくださる手話を学び受け取ります。これは、過去に学んだ表現を否定するという意味ではありません。いずれも手話であるとして受け止めることが学習者としての態度だと思います。むしろ、自分としては、表現の幅が広がったという感覚になります。

 さらに、表出した手話に対するイメージ・受け止めを言ってくださる方もいます。例えば、「それだと、こういう風に受け止める、イメージが違う、意味がズレている」など。これは、ひとり学習ではできない、対人だからこその利点です。ありがたいです。すると、いずれの手話(最初に自分が出した手話と、目の前のろう者が表現し直した手話)も、記憶と、表出の精度が高まります。もしかしたら厳密な意味で使い分けが必要で、その後はその使い分けを踏まえた表現ができるようになるかもしれません。ここまでくると、もはやろう者間での表現の違いではなく、両者はニュアンスの違う表現であったという気づきになります。

 学んだ手話に固執することなく、その時、目の前にいる相手とのコミュニケーションを優先します。(ある意味、)相手に合わせてゆくことが大事だと思います。目の前にいる相手とコミュニケーションを取ろうとするならば、意思疎通できる単語、表現を少しずつすり合わせてゆく姿勢。前回も触れましたが、これは大切なことだと思います。

 何のために、その表現をしているのか、を軸にした上で、表現の違いを、可能なら深堀したり手話同士をすり合わせてもらって、その結果、表現の幅を広げ、引き出し(抽斗)を増やしていくことが、手話学習に大切なことだと思います。