sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて 冷たいシャンパンと 届いた本と手紙に気持ちが緩む、 感じ

「チボー家の人々」10巻

 

やっと10巻に入りました。どんどん盛り上がっていく。

戦争前の列強の計算と思惑と建前と本音と入り乱れて大混乱です。国同士はもちろん、同じ国の中でもカイゼルと軍部で駆け引きがあり、ドイツは戦争をやる気だった、いやそれはロシアの方だ、なんのなんの実際はイギリスの遠隔操作だった、いやフランスこそだ…とグチャグチャで、最初はいちいち整理して読んでたけど、結局もつれ合いながら戦争に突入するのは同じことなので中盤過ぎてからは整理するのは諦めた。

しかし、呑気で享楽的だったフランス人には戦争なんてないさと言われてた時からわずか1、2週間で国がいっせいに愛国に舵を切り始める様子がリアルで怖い。

 

もう戦争前夜というのがどの時代もいずこも同じというのが8巻からいちいち突き刺さるんだけど、これも最初の100ページは国際情勢の話が続き、第一次大戦の前も今の日本と同じ!と思うことが多くていやになる。

「国民を戦争に引きずりこもうとする政府は、つねに必ず、敵から攻撃され、ないし攻撃されたように見せかける」・・・日本にも外国人への差別と偏見を煽る政治家や政党が力を持ちだしたし、日本の首相もまさにそれだ。

うるさく外国の脅威を口にする政党は「すでに1900年ごろから、もしロシアの脅威を受けるようなことがあったら 、進んで銃を執ると宣言していた」・・・これってこの前の日本首相の台湾有事が云々って失言と同じで、それが100年前の本の中では戦争へ向かう一歩となってるんだよ…

 

戦争反対のデモが大きくなったときに、労働者の団結を目指す社会主義者たちは勢いづいていた。デモや集会の演説の陶酔のシーンはとてもドラマチックだったけど、このまま世界をひっくり返せそうな数千人の大きなデモが各国各地で起こっても、結局世の中は新聞や国の誘導で人々は戦争に靡いていく。労働者の団結よりも、まず国を守るべき戦うべき、と愛国主義に飲み込まれる。戦争反対や平和を言うと、非国民になる。

大衆というものがいかに煽動されやすいか、元々あまり人間に期待していないわたしは、暗澹たる気持ちになる。人間は学ばないねぇ。

 

戦争と革命以外の部分では、主人公ジャックの革命仲間のリーダー、パイロットと呼ばれる人の恋人が仲間の一人と出ていってしまうところでの、彼女の書かれ方がひどいなぁと思った。「悪びれぬ淫蕩さ」「卑しい」「酒に酔いしれた売春婦の顔」とか結構な書かれようである。この作者は女性が自由を求めることに厳しすぎるところがあるんだよね。モンスターのような男から逃れて自分として生きることにした彼女に対して、わたしは「よくやった!」と言ってあげたいたいけど、この本の中での書かれ方はひどいわ。まあ100年くらい前に書かれた本だから、このノーベル賞作者が戦争や国家についていかに慧眼でも、女性に対する意識はこんなものでも仕方ないか…

 

とにかく面白かった9巻より話が立て込むので難しくはなるけど、大きな事件も起こり、9巻で心の通じたジャックとジェンニーは共に行動し、アントワーヌはアンヌとの別れを決意し、世界情勢は大きくうねり、話はクライマックスに近づいていく。

 

後半では、そんな第一次世界大戦前夜の明日にも動員という、ヨーロッパ中が大騒ぎになって急速に愛国に走り出している中、あらゆる国の労働者の戦争反対の一斉蜂起の希望を最後まで唯一持っていて、影響力のあったフランス最後の大物社会主義政治家ジョーレスが暗殺されてしまう。ジョーレスは実在の政治家で暗殺は史実。

ジョーレスの演説も、ジャックの演説も言葉も、そのまま今の時代に叫びたいことばかりで、理想に溢れ感動的だったけど、最後の望みのジョーレスが死んでしまうと革命の可能性も急速に萎んで、もう否応なく戦争に突き進む気配になる。

 

その中でひとりジャックは、どんな戦争であっても戦争だけはダメだと言い続ける。革命家のために東奔西走してきたジャックだけど、たとえ革命のためだろうが戦争はいけない。戦争が必要なものなどたとえ革命であれなんであれ受け入れられないと考えている。どの国の労働者にも国のための戦争で戦っていいことなどないのだからと。

うろおぼえだけど、今日まで農場で家族と平穏に働いていた君が戦う相手は、会ったこともない隣の国の、農場で家族と平穏に働いていた誰かなのだと。先頭とはその恨みもなければ知りもしない誰かを殺したり殺されたりすることなのだと、そんなことが書かれていた。

今の日本ではこういうことを言うと「お花畑」「パヨク」と愛国者に嗤われるか、「非国民」「スパイ」と攻撃されるかだけど、さて11巻で戦争が始まるとジャックの運命はいかに…

 

兵役を拒絶するというジャックに、それは個人の利益を全体の利益より重く見ていることだという兄。そこに反論するジャックのセリフから少し引用。

「国家的利益よりも、全体の利益、大衆の利益は、明らかに平和にあるんだ。戦争にはないんだ!」

「ヒロイズムとは、銃を手にして戦線に駆けつけることではない!それは戦争を拒否すること、悪事の片棒をかつぐかわりに、むしろすすんで刑場にひったてられていくこと」

「個人は、国家同士がそれをふりかざしてたがいに戦争をする国家的主張なんていうものにたいして、ぜんぜん無関心でいいと思うんだ。たとい理由はどうであっても、ぼくは国家が人間の両親を蹂躙する権利を否定する」「人を殺すことを拒絶すること」

 

そういえば、世の中にある長い小説の中でこの本は「失われた時を求めて」よりずっと忘れられてる気がするけど(翻訳も70年ほど前のこれしかない)中々面白い本なのにな。でも確かに「失われた」より文学味はちょい少なく大河小説味が多いですけどね。

チボー家の人々」が日本であまり読まれなくなったのはポストモダンの文芸評論から全く無視されたから、というのを見かけたけど、それはなんかわかる気がする。確かにこれをポストモダン界隈は評価しないだろうなぁ…

でもポストモダン界隈はどうでもいいのです、高野文子さんが「黄色い本」を描いてること方が大事!