
この一年、当ブログへのご訪問に感謝します。
この一年、さまざまなことがありました。ブログとしては「gooブログ」から「はてなブログ」への引っ越しをしました。300万もの利用者のいたブログを途中で放り出す企業というのも酷いものであるが、今さら文句を言っても詮無いことである。ただし嫌味のひとつもいいたくなる。
世の中は、特に政治は、世界も日本も併行するように、私の意図する方向とは真逆に進んでいる。国家の論理がまかりとおり、戦争と軍事が大手を振って跋扈している。そしてそれを歓迎する風潮も怖い。お先は深い闇である。
闇に対して、ことぱは一見弱い。無効であるように見えるが、しかしことばの有効性は信じたい。自分の言葉でひとつひとつ目の前の闇と格闘する気構えだけは、捨てないで生きていきたい。あと何年生きられるか不明であるが・・・。
悲観的な話と先のない闇の話はさておき、来年もよろしくお願いいたします。
今年最後の日に「キテレツ絵画の逆襲 「日本洋画」再発見」を読み終えた。今年の読み納めということになる。
まずはその6で引用を忘れていた箇所から。
「(森村泰昌)戦争画で「キテレツ」だったのは、女性画家たちによる共同制作の大作《婦女皆働之図》。画壇の中でも女性画家は不当な扱いをうけていたから、軍部と結んでこうした大作を発表することは、当時の女性の社会進出を記録するとともに、女性画家たち自身の社会的認知にもつながる。プロレタリア革命を目指す男性画家と軍国主義化の女性画家たちが、群像表現において重なり合うのも「キテレツ」です。」
この指摘はとても気になる。現在の政権下で「初めての女性総理」の合唱の下、女性の社会進出の好機と、政権にすり寄るおぞましい現象がとても気になる。この戦前の轍を踏まないようにしたいものである。
その7は私のこだわりである黒田清輝《智・感・情》への評価。私にはどうしてもいわゆる「名画」とも思えない、理解できない不思議な作品である。
「(三浦篤)黒田は歴史画にかこつけてエロティックな女性ヌードを描く路線は踏襲せず、西洋的ヌードに日本的な要素を融合する道を選んでいます。黒田以降、日本近代絵画ならではのヌードを誰が描けたか、藤田嗣治と小出楢重です。」
「(森村泰昌)画家が男性であろうと女性であろうと誰であろうと、女性裸像は描かれたし、描かれるだろう。重要なのは見られる側の感覚に軸足を置くことではないか。」
「(藏屋美香)いまや男女とも、“装う体”を見られる快感に自覚的な人が増えている気がします。《智・感・情》が変な絵に思えてしまうのは、見られる快感がそこにないからかも知れません。モデルの女性たちに、黒田との双方向の行き来がなく、人工性が際立ってしまったのではないか。」
「(三浦篤)西洋文明の根本は人間中心主義。日本の場合は、人間は自然の中に包摂されているという認識だから、人間の体がなにかの基準や規範になるという考え方からは遠い。日本の近代洋画のヌード全般が、その遠さを無理やりなかったことにするような不自然さや齟齬を引きずっている」
「(藏屋美香)萬鉄五郎は油絵というものを一生やるぞと決め、西洋美術の根本としてのヌードは無視できず、しかし素直には到達できない、そんな葛藤と課題か詰まっていて、やりがいがあったんだと思います。」
三人の鼎談者、ともにいろいろと悩んでいることが伝わった。しかしこの作品の評価はなかなか議論の落ち着く先がないようだ。私の思いも同じ、《智・感・情》が描かれた歴史的な地平はそれとなく理解したが、未だ作品への評価とは別物のままである。
「(森村泰昌)抽象画は画面から文学的要素を排除し、最後に残った造形のおいしいところだけいたたきます、というもの。対するシュルレアリスムは詩から始まっただけあって、文学的・哲学的な感性を刺激する。」(その9「前衛絵画の行方)
「(三浦篤)日本の洋画家たちは、西洋の造形的革新を追いかけてきた。印象派から抽象へと。シュルレアリスムは史実的な具象への回帰なんです。造形の革新には資質的についていけないものの、新しいことはやってみたいという人の受け皿になった。」(その9「前衛絵画の行方)
「(森村泰昌)日本の洋画家たちが向き合わざるをえなかった課題は、西洋絵画という大きな歴史の対決あるいは胎児だった。同時に自国である日本の分かはどうするのかというもう一つの大事な課題も抱えていた。その二項対立では収まりきらない興之がある。画家の感性をはぐくんだ地域制・風土性が、第三のファクターとして無視できない重みで絡んでくる。それは画家が飛び立つ場所であると同時に帰りたい場所でもあって、愛憎相半ばする複雑な絡み方をしている。そこにこそ面白い絵画の源泉がある。」(その10「世界の中のキテレツ絵画」)
「(三浦篤)香港・台湾や韓国でも、日本の近現代の洋画を含む大原コレクションを見ていただく機会をつくりたい。東アジアの中の日本絵画という視点があります。東アジアで油絵を描こうとする人たちにとって、日本の洋画が学ぶ対象だった時期がある。当時の日本の帝国主義は許されるものではありませんが、東京美術学校などに、中国や台湾、朝鮮半島の画学生が留学してきていた。彼らの現地の作品群と、同時代の日本の洋画を並べることは大きな意義があるはず。」(その10「世界の中のキテレツ絵画」)
「(森村泰昌)日本のとった同化政策もかんけいしているわけで、なかなか微妙な問題を含みます。なおさら重要かつシリアスなてーまとなりますね。複雑な歴史認識を踏まえた上で、東アジアの人々と情報を共有する機会を持つ。日本の近代洋画を再検証するという意味においても、実現させたい。」(その10「世界の中のキテレツ絵画」)
このような指摘に響きあうような横浜美術館での「いつもとなりにいるから」展は注目に値する企画かもしれない。日本占領時代の朝鮮半島からの留学のことも言及があった。
今の歴史を顧みない政権では、またそれを歓迎する世論下でこそ、重要な一石になるかもしれないが、同時にためにする「炎上」の覚悟も必要なほどである。もまう一度見に行くときにも踏まえたい言及である。


★ふるさとの闇こそしづめ大晦日 飯田蛇笏
私の好きな句のひとつ。文字どおりに「ふるさと」を生まれ故郷と解してもいいが、ふるさとというものがない私には、記憶に残る懐かしい土地、と解している。現在この国に住む多くの人はふるさとという言葉を喪失している。祖父母や父母の代から都市の人間としてふるさとはない。あるいはふるさとから切れている。
ただし日本という国以外にルーツのあるかたたちにとっては、本人や父母の出自の土地に対する思い入れはまた違った意味で懐かしいものであろう。飯田蛇笏の生きた時代とは大きく様変わりはしている。
私にとっては、ふるさと=懐かしい土地は、親の転勤で幼少期に過ごした北海道や、学生時代の仙台が懐かしい土地である。ものごころついた幼少期と、社会との格闘に自覚し始めた学生時代である。いづれも濃密な5~7年間である。
過ごした期間が長い・短いは問わなくても良いのではないだろうか。戦後80年という時代そのものの行きついた地平であろう。
ふるさとというのは、「恥ずかしい体験や、嫌なことも含めて一定の時間の経過とともに記憶の闇に鎮め、「懐かしい」ものに昇華できる場所と社会」と定義し直すこともできる。
大晦日というのは、一年のどん詰まり、大きな時間の節目であると同時に、人生の長い時間を振り返る時でもある。闇を鎮めるには、「時」とともに何らかの操作や契機も必要である。それが一年を振り返る大晦日、という「時」の存在というのが、この句だと思っている。
人間であるかぎり「闇」は常にある。「闇」のない生などあり得ない。しかし出来るならば、この国に新たに生きる人々にとって鎮めることのできる「闇」、次世代につながる昇華であってもらいたい。
午後から、お正月用のお酒を買いに出かけた。ウォーキングがてら歩いて40分ほどのスーパーまで。購入後、喫茶店で2時間ほど読書タイム。「キテレツ絵画の逆襲」のその7「日本に裸体画は必要か」、その8「東西洋画対決」に目を通した。
明日までに読み終えるであろうか。
夕方には妻と待ち合わせて、いくつかの正月用の食材を追加購入。スーパーは多くの人でごった返していた。野菜などが買い物袋から溢れんばかりに抱えた客が作荷台周辺に固まっていた。多くの客人を迎えるのか、小さなお店の本日・明日の仕入れなのか、活気が溢れていた。
★年の瀬や籠を突き出て葱・牛蒡 鷹羽狩行
★行く年の後ろに就いて行きにけり 相生垣瓜人
夕食はピザ店でビザを購入してみた。実に一年以上ピザを食べていなかった。ピザ店で出来上がりまで10分ほど待っていたが、電話注文の割に、人員は圧倒的に少ないようで中の人は駆け足で走り回り、作成していた。
そういえば、日付が変わる直前の、夜のウォーキング中にもピザ店のバイクがスピードを上げて走り回るのを見かける。
営業時間も厨房のあり方も、そしてこの人員体制を見て、ピザ店のピザを気安く注文するのがためらわれた。前々から聞いてはいたが、元労働組合の役員の目からは、労働安全衛生の面、公衆衛生の観点などなど到底首肯できない実態をあらためて認識した。


昨晩遅くまで年賀状の作成に時間を費やしてしまい、本日は9時過ぎまで寝てしまった。午後は親に頼まれた品物がなく、横浜駅界隈だけでなく桜木町駅まで出かけたりして、本日も意外とくたびれてしまった。
夕方の喫茶店と夕食後に「キテレツ絵画の逆襲」のその5「中村彝の受容と創造」、その6「浅草から上野へ、そして戦争画の問題」を読んで過ごした。
「(森村泰昌)異国の文化と自国の文化、その異質性が出会ったとき、「舶来」になびくのでも伝統に固執するのでもなく、両者のぶつかり合いの揺らぎに耐える、その試行錯誤の中で生み出される何か、これもまた芸術の魅力である。」(その5)
「(森村泰昌)「日本の近代」が変則的なのは、幕末明治初期に「西洋の近代」が脈絡なく一気に流れ込んできたためではないでしょうか。歴史が断線しているんです。持続的な歴史生徒は異なり、それまでの文化が突然断線し、「近代」という新文化がいきなりインサートされた。異質な二つの文化の割れ目で試行錯誤せざるを得なかった。」(その6)
「(三浦篤)西洋美術の古典や伝統と、それを否定する近代美術とか同時に入ってきたから。」(その6)
「(三浦篤)日本の洋画家たちは群像構図の歴史画をなかなか描けなかったのですが、それを最終的に成し遂げたのが太平洋戦争で軍から委嘱された作戦記録画だったのではないか。黒田以降、絵画は個人的表現とされていたのが、戦争によって公的な絵画が描けるようになり、画家として社会的な役割を考えたり責任が問われたりする時代になった。藤田嗣治はルーベンスにやドラクロワに負けない戦争画を描いてやるという個人的野心もあった」(その6「戦争画も奉納画か?」)
「(森村泰昌)黒田清輝以降の「上野派」でも近代日本のために美術家はいかに役立つ仕事ができるのか、美術家の社会貢献はいかにあるべきかという大テーマは重要だった。それに対し中村彝らは、「武蔵野派」で私的世界のほうに眼差しを向けていた。社会貢献という美辞麗句にいささか疑問を感じている私は、「武蔵野派」ラブですが、でも「奉納」感覚も捨てきれない。」(その6)
この「その6」はとても示唆に富む章である。再読して記憶に留めておきたい。
本日は妻と出かけて、注文していたお餅を受け取った。その他の食材と、親に頼まれた食材もいくつか購入。結局4軒のスーパーをまわった。
先ほどようやく年賀状を投函できた。ずいぶん少なくしたつもりだが、それでも印刷に数時間かかった。夜のウォーキングのついでに投函。
年賀状の枚数は少なくしたものの、正月になって出していない方からもらうと慌てて新たに印刷しなくてはならない。それもまた正月の行事の一環なのだろう。年賀状が遅れたこと、申し訳ないと思いつつも、自分なりには三が日の楽しみでもある。
明日は親に頼まれた食材以外の買い物を少々。そして正月用のお酒を求めて外出予定。
29日と聞くと、本当に年末になったのだなぁ、と思う。師走という言葉よりも、どん詰まりの感が強い。そして読書も含めて何もしたくなくなる。
今年の読書はとうとう40冊に届かなかった。そんな反省ばかりが脳内に浮かんでくる3日間である。