さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

講演会など



そういえば、酒によってなにやらやらかしてしまったというので山口メンバーとかいう人がアイドルグループを追放されるもようであるが――、思うに、酒を飲んでは何かイケナイことをしてしまいそうな現代人には、非常に選択肢というものが狭まっているといへよう。女子高生を呼びつけてキスするとか、記者を呼びつけて淫らな言葉を吐くとか、そんなに地獄に墜ちたいのであろうか。我々はかくも形式論理的な畜生であろうか。

さっき、『今昔物語集』を読んでいたら、酔っ払ってつい法衣を着てしまい釈迦の弟子になって出家してしまったおじさんの話が出てきた。なんと釈迦は出家後の彼に飲酒まで許したのである。

深酒しても、逆に悟りの道が開けることもあるのである。昔のひとがこういう話をことさら後世に伝えたかったのはなぜであろうか。思うに、こんなことがあると知っていなければ、塞翁が馬的な、弁証法的な、こんな僥倖は生じないということを知っていたからではなかろうか。わたくしの貧しい経験から言っても、馬鹿な状態には幸運は訪れない。いまの世がくだらなくなってきたのは、酒や好色が堕落へ直結するというようなレベルの道徳が幅をきかせているからである。モラルを考える力とかかっこつける前に、先人から知恵を学ぶべし。