さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

嘆願書と文芸の位相



夫承久以来、武家把権朝廷棄政年尚矣。臣苟不忍看之、一解慈悲忍辱法衣、忽被怨敵降伏之堅甲。内恐破戒之罪、外受無慙之譏。雖然為君依忘身、為敵不顧死。当斯時忠臣孝子雖多朝、或不励志、或徒待運。臣独無尺鉄之資、揺義兵隠嶮隘之中窺敵軍。肆逆徒専以我為根元之間、四海下法、万戸以贖。誠是命雖在天奈何身無措処。昼終日臥深山幽谷、石岩敷苔。夜通宵出荒村遠里跣足蹈霜。撫龍鬚消魂、践虎尾冷胸幾千万矣。遂運策於帷幄之中、亡敵於斧鉞之下。竜駕方還都、鳳暦永則天、恐非微臣之忠功、其為誰乎。而今戦功未立、罪責忽来。風聞其科条、一事非吾所犯、虚説所起惟悲不被尋究。仰而将訴天、日月不照不孝者、俯而将哭地、山川無載無礼臣。父子義絶、乾坤共棄。何愁如之乎。自今以後勲業為孰策。行蔵於世軽、綸宣儻被優死刑、永削竹園之名、速為桑門之客。

護良親王(大塔宮)は、後醍醐天皇の息子でお坊さんだったが十津川で俗に帰り鎌倉倒幕の中心人物の一人となった。足利高氏と対立して陰謀によって殺された。このとき、天皇に上のような嘆願書を書いたが、取り次ぎ役の公家が面倒を恐れて天皇に渡さなかった。「昼終日臥深山幽谷、石岩敷苔。夜通宵出荒村遠里跣足蹈霜」というせりふに心打たれる人は多かったはずで、天皇の第一皇子かも知れなかったこのひとはいまも一部で尊敬されている。

とはいえ、わたくしは歌をいっぱいのこした足利高氏なんかにも勝手に同情してしまう。「仰而将訴天、日月不照不孝者、俯而将哭地、山川無載無礼臣」とか言われてもだな、天か地かみたいな発想の人間には、文芸の位相が抜け落ちているとしか思えない。

言葉は、自分と体験を切り離す手段であり、話したり書いたりすることで気が楽になるのも、自分が体験を降ろすからだが、――一方で、それを読んだり聴いたりすることによって自分のものでもない体験を背負うこともある。体験の共有が必ずしもよいこととは限らないのはそれこそ常識である。震災で親を亡くした子供のたちの番組をNHKでやっていたが、秘めた思いをはき出させることばかりに集中する昨今の傾向は、そういう常識を閑却して行われている。巨大なトラウマの共有は、人と人の境界を無化してしまう、しかし、家族の中でも経験は個人にしかありえない。どうも、最近、親や子供の苦悩を勝手にお互いに共有したつもりになっているために、お互いに気を遣いあって嘘をつき続けるみたいな関係がありそうである。震災は、戦争違って、人のせいにできない側面がどうしても大きいために、もっと細かいことでも単純に人のせいにできない気がしてきてしまう。絆みたいな粗雑な束縛思想が我々を縛っていることもある。

簡単ではないが、他人は他人、自分は自分というところで乗り越えるしかないのではないだろうか。他人に貧しい言語で伝え続けるのは逆効果だ。

もしかしたら、大塔宮が不利だったのは、父の後醍醐天皇の不幸を勝手に体現した気になっていたからではないか。これに対して、単に後醍醐天皇に親近感があった高氏の方が気が楽だ。こういう距離感でしか、文芸の位相は発生しない。

我々は猫や犬からも何か言われている、で気分よくなってくる。実に不幸の代わりに啼き声で復活したりする生物が我々である。自我の輪郭なんかは幻想で、身体は受容機械である。

他人の声は不幸も我々の中に導くが、切り離すことも出来る。文芸作品が大事なのは体験を人から切り離すからである。ごん狐にシンクロしたら痛くて即失神だし、つまらない心理を兵十に読み込んではいけない。これは、自分の体験に対してもそうであって、言語による過剰な読み込みとシンクロは、単なる悪夢をダリの絵画に置き換えるようなものだ。ダリの絵画は、ダリの絵画に過ぎないからよいのである。

わたしは「大きな物語」という言葉の意味がよく分からないし、そんな共通感覚的なものが人間を支えてきたとはあまり思わない。が、「二十四の瞳」とか「無法松の一生」とかの働きは分かる気がするのである。それらは、感情移入という、主客一体みたいな現象で、体験とか心情を個人から切り離すのである。

だから、我々の生存のためにも、社会のためにも、文芸の出来というものは死活問題なのである。