さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

音楽

現代の教師と批評

シュペングラーはプロレタリアートのうちに人類歷史の未来を望むことを得なかったが故に、歷史的相對主義に陥らざるを得なかった。歴史的相對主義の克服はマルクス主義によってなされてゐるのである。マルクス主義はまことにシュペングラー批判の意義を有す…

でこぼこのブリコラージュ

群集の運動には、あたかも原始キリスト教徒が必すメシアの来たって彼らを天国に導くものと信じたように、必ずその解放が来るものと信じなければならない。この信仰がなければその勝利は求められ得ない。そしてこの「解放の意思」によって、来るべき×××××を心…

転向と金にかんするエトセトラ

官僚はなぜ王と大衆のあいだに発生してくるか? それは王のタブーを和らげるためである。こういうフロイトの制度にたいする理解の仕方は、興味をそそるが無意味なことのようにおもわれる。未開王権のもとで制度は、心理的な理由から発生したことになるからだ…

万博的癒やしとオペラ的混濁

小野寺の賢治論は、近代文学を、聖霊神学の視点から読み解くという興味深い具体例だが、著者のユニークな着眼から、これまでのどのような賢治研究にもない新鮮な風景が現れてくるかというと、率直に申して必ずしも鮮明ではない。それは高村光太郎における智…

Тянут-потянут, вытянуть не могут.(うんとこしょ、どっこいしょ)

They are pulling and pulling, but cannot pull it [the turnip] out. うんとこしょ、どっこいしょ (大きなかぶ) もともとロシア語では、Тянут-потянут, вытянуть не могут.という科白で、かなりリズミカルなんだそうだが、引っ張られるかぶの物体性の方…

寒くなりました

私は、こたつに足をつっこみ、二重廻(にじゅうまわ)しを着たままで寝た。 夜中に、ふと眼がさめた。まっくらである。数秒間、私は自分のうちで寝ているような気がしていた。足を少しうごかして、自分が足袋をはいているままで寝ているのに気附(きづ)いて…

オタマジャクシを愛す

小川の迂回するあたりの道だつた。夕闇が漸く溢れ、終ふせて、向ひ側の岸のあたりでまはつてゐる水車小屋の事の飛沫が白い蝶のやうに見えたりした。 二人は会話が杜絶(とぎ)れると、肩を組んで、口笛に合はせて鮮やかな歩調を踏んで行つた。「ね――」 と冬…

バッタと室内楽

バッタ殿とんだ天をめがけてとんだバッタ殿とまつた竿竹へとまつた竿竹や高い天はもつと高いそこでバッタ殿いま一飛び竿竹蹴つて天までとんだ ――土田耕平「バッタ」 このバッタ殿は独身であろうが、バッタには上のようにつがいである方々もいる。しかもたぶ…

望ましい音楽の消失

芸術はそれぞれの時代の生活感情の鏡であり、音楽の現状ことに作曲界の現状もそれぞれの意味と程度においてそうであろう。しかし今日の有様は、人類の大多数の真に願望する姿とはどうしても思われない。現代楽に余りにも強調される不安焦燥絶望自棄の感情は…

鳥・庶民・猿・熊

フェルディナント・ハントは「基本楽想」の語を同様の文脈で、ほとんど同時期に使っている。そのさまざまな楽想が生成的、胚芽的な楽想によって統一されていない音楽作品は無定形 gestaltlos だ、という意味でである。ハント、マルクス、 それにシェーンベル…

同時存在とは何か

相撲止事仰有。諸寺仁王経転読事。即頭弁。三所大祓事。 道長はいきなり疫病の流行という試練に立たされたようであるが、それと日記をつけはじめた理由が関係あるかどうかは分からない。御堂関白記の内容が、ペストの経験から生み出された「デカメロン」みた…

終わりを終わる

小熊によれば、三島由紀夫、村上兵衛などの戦中派知識人たちは、戦争こそが正常であり、平和のほうが異常だという感覚をしばしば述べたという。倉田の場合は、復員して焼け野原になった東京を目の当たりにした際「よくぞ戻れた、今後は余生と感じた」と記し…

暴力的=楽天的職人の僥倖への批判

ヒュー・トレヴァー=ローパーの家で二人の音楽を内輪で鑑賞する夕べがあって、ロシアの「外交官」たちを体よく他の大学行事に追いやったバーリンは、ショスタコーヴィチをそこへ連れてゆく。最初に彼のチェロ・ソナタが演奏されたあと、作曲家はチェリストが…

地上の音楽

翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下(おろ)しな…

赫奕たる暗黒

映すと云へば我々は直ちに一つの働きを考へるのだが、働くといふことから映すということは出て来ない。却って無限に自己の中に自己を映すということから、働くものを導き出すことができるのである。働くといふ考は有限なる一般者、色どられた場所の中に無限…

人間と我々

人間は神にも動物にも変身しない。人間はまったく姿を変えない。人間は、自然を欠き、超越性と内在性を等しく欠いた人間であるに留まる。だが――その限界において(人間とは一つの限界以外のものだろうか)――人間であり続けながらも、人間は人間的本質を出現さ…

反「単子論」

一 我々がここに論する単子というものは合成体の中に入る単純な実体に他ならない。単純なとは部分がないということである。二 合成体があるからには、単純な実体がなくてはならない。合成体というものは単純な実体の集まりすなわち集合に他ならないのである…

現代的怨念論

自己の内部へ閉じこもり、一切の人々から切り離された彼は、ただ自然の中に浸ることだけを慰めとした。「自然がベートーヴェンの唯一の友であった」とテレーズ・フォン・ブルンスヴィックはいっている。自然が彼の安息所であった。一八一五年に彼を識ったチ…

タタタターの強弱

マーラーの五番のスコアを見てみると、改めてクレッシェンドとディミヌエンドをちゃんと演奏するのけっこうむずかしそうだと思った。最初のトランペットとか、、

墓碑である

音楽の構想は意識的に生まれるのだろうか、それとも無意識のうちに生まれるのだろうか。これを説明するのはむずかしい。 新しい作品を書いてゆく過程は長く、複雑に入り組んでいる。いったん書きはじめてから、あとで考え直すようなこともよくある。いつでも…

粗野と視覚

ブルックナーの第八番は、老年の憂鬱を奏でていたら音楽が自走して勝手に元気になって行くみたいなもののくり返しだと思う。だれだったかブルックナーの音楽は素人芸を出ておらぬと言っていたが、確かにそんな匂いはあるのだ。しかし習作交響曲や0番あたり…

伝播と台風

昨日は雷雨が来たからハイドンのソナタを弾いた。雷雨の音楽と言えば、田園やアルプス交響曲やグランド・キャニオンであろうが、わたくしは子供の頃、雨の降る中でソナタの練習をしたことを覚えているのでそうなっているだけである。木曽の谷の中での雷雨の…

赤ん坊と虫――前衛

シェーンベルクの室内交響曲第一番を聴いていると、ほんと赤ん坊からやり直した音楽という感じがし、保護したくなる。前衛はいつも保護されたがっているのであろう。 この音楽は、小さいラジオから聞こえてくる自然音みたいな感じがする。スマホ依存ときいて…

雪が降っていた

雪が降ってた。 フランコ・チェザリーニのような人の曲の民謡に対するこだわりもそうだが、吹奏楽のアマチュアや地元性とのつながりは、クラシック音楽の民俗的なところへの進出というか回帰みたいな側面がある。地元の祭に演奏したりして。私も校歌・民謡、…

大晦日の思い出より

いろいろ仕事を抱えていたので、大晦日から元日はふらふらだったのであるが、なんとか元日の夜はぐっすり寝られたのである。とはいへ、昨日は初詣中に能登半島で巨大地震が発生、我々がとっくに天から見放されていることを実感する。 昨年のどんづまり、紅白…

音楽の王国

16日は楽聖の誕生日である。ベートーベンは、わたくしの中学までの「尊敬する人第一位」だったのだ。なぜかというと、ロマンロランの伝記とジャンクリストフ読んだし、フルトヴェングラーの演奏が狂ってるから、というベタベタな理由である。田舎者でよかっ…

序論・不倫・結論――中島みゆきを中心に

以前、オールナイトニッポンで中島みゆきが容姿が悪いとひどいいじめを受けている女の子が「みゆきさんのコンサートの日には、今の私でない私になってみようと思います。」と手紙を書いてきたのに対して、次のように答えたことがあったらしい。 日本中で今の…

Carl Czerny 私的ルネッサンス

Carl Czerny - 30 Studi Op.849 ツェルニーは子どもの時代の苦行が想起されてあれだったんだが、最近は、なんだかベートーベン風味のミニマルあんどテクノみたいな曲想に思えてきて、これからクルんじゃねえかと思っている。

昭和三十年代の「大学音楽」

昭和34年の教員養成大学音楽科用の教科書『大学音楽』をめくった。たぶん、両親のどちらかがつかった教科書と思われる。編者はイタリア音楽系教育者の城多又兵衛。巻末の年表に、皇紀2600年の曲書いたイタリアのイルデブランド・ピツェッティが、現役の音楽…

いらっしゃいませ、こんばんは↑

Ondrej Adamek -Ca tourne ca bloque Ondrej Adamek のCa tourne ca bloque(回って止まって)は、結構演奏されているようだ。youtubeに複数の演奏があがっている。この曲は、冒頭、メイド喫茶の店員の言葉と思しき音声から始まっていて、そこに弦楽器が模倣…