2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
余、年、志学にして外氏阿二千石文学の舅に就いて伏膺し鑚仰す。二九にして槐市に遊聴す。雪蛍を猶怠れるに拉ぎ、縄錐の勤めざるに怒る。爰に一の沙門有り。余に虚空蔵聞持の法を呈す。其の経に説かく、「若し人、法に依つて此の真言一百万遍を誦すれば、即…
今日はヒュームの研究者の最終講義を拝聴してきたので、帰ってからヒュームと喧嘩したルソーの「告白」少し読み直したけど、やっぱり友達は選んだ方がいいし、容易に国境越えてくるやつにはいろいろいるから、と思った。人間は、余白の動物だ。越境するので…
文の起こり必ず由あり、天朗らかなる時は即ち象を垂る、人感ずるときは即ち筆を含む。是の故に、鱗卦・聃篇・周詩、楚賦、中に動いて紙に書す。凡聖貫殊に、古今時異なりと云うと雖も、人の憤りを写す。何ぞ志を言わざらん。 さすが空海、いまの大学生ぐらい…
戦争はお愛想じゃなくて、人生における最大な醜悪事だ。われわれはこの点をよく理解して、戦争をもてあそばないようにしなきゃならん。 ――トルストイ「戦争と平和」 トルストイのこの長編は、長すぎるとか、形式論理だとか、いろんな批判にさらされてきまし…
出でて去なば主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな たしか小林秀雄や吉本隆明がこの歌を他人が作ったんだろうと言っていたような気がするが、実朝自身の歌が他人の歌から出でてともにあったことだし、まあ他人の作でも良い気がする。ちょっとセンチメ…
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも 山が裂け海が干上がるような世になっても後鳥羽院に対して二心を持つことがありましょうか。――山が裂け海が干上がったりしたら、死んでしまう。死んでも院に対しては二心なしと言い放つ実朝には、も…
君が代になほ永らへて月清み秋のみ空の影を待たなむ 後鳥羽院の御代、それがこれからも永らえてゆくから、月の清らかな秋空のの光のようなそれを待とうじゃないか、という。この月はどのように見えていたのであろう。我々はつい比喩とか簡単にいってしまうが…
大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも われわれの中には、のんびりとした怠惰なものと、乱暴にものをたたき割る欲望が同居しているような気がするが、後者の欲望はなかなか満足されない。しかし自然の中にはけっこう砕けて裂けて散るものが…
空や海うみやそらとも見えわかぬ 霞も波も立ち満ちにつつ こういう歌は一見深いように見えるが、実際は波も霞も空や海が区別つかないとしたらアホとしかいいようがない。区別がついているから区別がつかないと言っているに過ぎない。しかし、こういう事情も…
箱根路を我が越えくれば 伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ 箱根の山路はさぞかし辛かったのであろう。確かに、そんな人間の眼前にこそ「風景」が現れる。なにしろ、山道をふらふら歩いたり這い上ったりすることは、まずもって視界が揺れているのである。わ…
たまくしげ箱根のみうみけけれあれや ふたくにかけてなかにたゆたふ 枕詞の研究というのはしっかり勉強したことがないが、言葉を自動的に引き出す言葉とは、言葉による自然な繋がりを切断することでもあると思う。よく枕詞が邪魔じゃないな、とわたしなんか…
謝恩会。 町のものもみんな笑いました。署長もすっかり怒ってしまいある朝役所へ出るとすぐいきなりバキチを呼び出して斯う申し渡したと云います。バキチ、きさまもだめなやつだ、よくよくだめなやつなんだ。もう少し見所があると思ったのに牛につっかかれた…
ラウル・デュフィの絵からは音が聞こえる。オーケストラの絵だけでなく、「電気の精」みたいな作品からも音が聞こえる。音楽からも音が聞こえるとは限らない訳でね、文学からも言葉が聞こえるとは限らない。 以前、モーツアルトのあとにメンデルスゾーンを演…
ラウル・デュフィの絵からは音が聞こえる。オーケストラの絵だけでなく、「電気の精」みたいな作品からも音が聞こえる。音楽からも音が聞こえるとは限らない訳でね、文学からも言葉が聞こえるとは限らない。 以前、モーツアルトのあとにメンデルスゾーンを演…
くれなゐの千入のまふり 山の端に日の入るときの空にぞありける これは、吉本隆明が実朝論で評価している歌で、萬葉集の「くれなゐの濃染のころも色深く染みにしかばか忘れかねつる」の本歌取りとみなしている。 本歌とくらべて特色がはっきりと出ていて、し…
酢を飲みながら、アイスダンス決勝をみた。なんだか分からんがとにかくすごかった。 やっぱオリンピックは冬だな。すごいレベルだと素人でも分かる。冬の競技が盛んな土地柄で育ったせいもあるけど、冬の競技はとにかく地上から飛んだり浮き上がって踊る競技…
うばたまや闇のくらきに雨雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなる 黒いもの集めて詠んだ歌。井伏鱒二に「屋根の上のサワン」という作品があったが、これは「山椒魚」を反転させたような作品で、我々に果たして解放はあるのかと自問させる。サワンは人間の比喩であろう…
時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ 実朝のうたを鑑賞してると、本歌取りなどのオリジナリティをなかば放棄したようなやりかたがかえって素朴さを生み出すみたいな感じがする。それは感情の刷新だったんだね、という気がする。主客未分の状…
塔をくみ堂をつくるも 人のなげき懺悔にまさる功徳やはある 第三句が第二句につづくとすると、塔や堂をつくったりするのも人の歎きなんだが懺悔にまさる功徳はなし、という意味になり、第三句が第四句に続くと歎きと懺悔こそが、物を創ったりすることよりも…
炎のみ虚空に満てる阿鼻地獄 ゆくへもなしといふもはかなし 既に地獄に墜ちてる気分になっていたのか、その地獄というのがその中にしか行方がないような閉じた空間であると感じられていたのか。地獄というのは脱出できる救いがないのであり、この現世と同じ…
寝る
いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の母をたづぬる 母と子と涙を出しときゃいいのかよと思うが、これはむろん定家の「たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風」とかをふまえているにちがいない。しかしふまえりゃいいのかよ、という感じ…
ものいはぬ四方の獣すらだにも あはれなるかな親の子を思ふ すらだにも、に関して賀茂真淵がすらかだにかどっちかにせい、と言っていたと思うが、――むろん、実朝が発見しているのは、親の子を思う気持ちは「ものいはぬ四方の獣」状態であり、圧倒的に普遍的…
世の中は常にもがもな 渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 世の中は常にかわらないものであってほしい、と願う心とはどういうものであろうか。そういう心からみると、渚で引き綱を引いて舟を漕ぐ漁師たちの姿が哀しく見えるというのだ。なんとなく実朝には、確…
石原慎太郎の追悼文を書いていた西村賢太氏が突然死した。 氏の多くの小説を読んだが、同じような話をくり返し書きながら楽しませる様は、小説落語という感じであった。内容はDVとかなので、いわば悪質な粋という芸風であった。まあ、文体は大正時代や昭和…
恋しとも思はで言はば 久方の天照る神も空に知るらむ あなたのことを恋しと思わないで言ったのであれば、自然に天照大神にも知られてしまいますワ、嘘じゃないヨ、みたいな意味であろうか。それにしても、久方の天照る神も空に、とは意味の割に長い。しかし…
沖つ波八十島かけて住む千鳥 心ひとつといかが頼まむ これは恋の歌なのであろう。多くの島を心にかけて住んでいる千鳥のようなお前を、心を一つとはみなせないんだよコラッ、という感じだ。もっとも、我々の心はもともと浮気で、波や島々の表象に目移りして…
住の江の岸の松ふく秋風を頼めて 波のよるを待ちける 自然の擬人化というのはその実自然に対する盲目をもたらす。わたしはやはり「千曲川のスケッチ」の方を好む。 もっとも、波の気持ちを考える気分になっている人は、やはり波に接近してきた人なのかも知れ…