さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2022-01-01から1年間の記事一覧

寒さと貧しさにおける貧困について

寒くて何も思い浮かばない。マイナス10度近辺ではいつものアイロニーが隘路におちいる。……ぐらいしか思いつかない。 しかしこれが四国になれた体と頭のせいだと言い切れるであろうか。ドストエフスキーの世界だって本当に頭の良さと言い切れるであろうか。…

瀬戸内海に梁り渉る近代文明

主上今年は、八歳にぞならせおはします。御歳のほどより、はるかにねびさせ給ひて、御容美しう、あたりも照り輝くばかりなり。御髪黒うゆらゆらと、御背中過ぎさせ給ひけり。主上呆れたる御有様にて、「そもそも尼ぜ、我をばいづちへ具して行かんとはするぞ…

今年読んだ本ベスト10

今年はあまり読めなかった気がするが、あげてみる。 10、井原西鶴「西鶴諸国噺」、「本朝二十不孝」、「男色大鏡」……二番目については、みんなが言っていることであるが、不孝というよりヤンキーの自慢話ではないだろうか。三番目も、これも男色というより…

剣を打ちなおして鋤とし、槍を打ち直して鎌とする

書を読み、遊びをし給へど、習はす師に多くしまし給ふ。都の物の師といふ限りは迎へ取りつつ、かれが才をば習ひ取り、わが才をばかれに教へつつ、かしこき琴の上手、朝廷を恨みて山に籠れるを迎へ取りて、さながら習ひ取りなどして経給ふほどに、二十一なり…

歌は物に乗せて

されど、また、ここらの年ごろ、露・霜、草・葛の根を斎にしつつ、ある時には蛇・蜥蜴に呑まれむとす、仏の御言ならぬをば口にまねばで、勤め行ひつる、仏の思さむこと恐ろしくなど思ひ返せども、せむ方知らずおぼゆれば、散り落つる花びらに、もとより血を…

まれでない人たちも来たれり

「はなはだ尊き仰せなり。いと小さくなむ侍るめる。少し人とならばさぶらはせむ」と申したまふ。宮、「いとうれしきことなり。かの御方にも常に聞こえさせむと思ふむやなどてなむ。と思うを騒がしなどもしたまふすずろなることなれば、うたて思せやなどてな…

いつのまにかわたくし抜きの強豪現象

世の中、油断は出来ないのが、いつの間にか強豪現象というものがあるからだ。国民国家レベルでも時々起こるのだが、知らないうちに国力が上がっていたり下がってたりする。国民国家レベル、領域国家でもおこるんだから、スポーツや音楽では案外個人の力で何…

まれびととカーニバル

かくて、この寺には、今日の色節にて、怪しからぬ、いと多かり。遊びの所には、嵯峨の院の牛飼ひ、講説の所には、講説の長、楽とては、鼓打ちて遊びす、講説とては、こしきする真似をす。かかるほどに、大将殿の御車、御前三十人ばかりして立ちぬ。親王の君…

運命と道

宰相、珍しく出で来たる雁の子に書きつく、 卵の内に 命籠めたる雁の子は 君が宿にて 孵さざるらむ とて、日来はとて、「これ、中の大殿にて、君一人見給へ。人に見せ給ふな」とて取らせ給へば、兵衛、うち笑ひて、「かばかりにをや。罪作らむ人のやうにもこ…

器械的人物

左大臣、「正頼が、『らうたし』と思ふ女の童侍り。今宵の御禄には、それを奉らむ」とのたまへば、からうして、万歳楽、声ほのかに掻き鳴らして弾く時に、仲頼、行正、今日を心しける琴を調べ合はせて、二なく遊ぶ時に、なほ、仲頼、感に堪へで、下り走り、…

洞窟・寄居虫・大和魂

うつほの前に、一間ばかり去りて、払ひ出でたる泉の面に、をかしきほどの巌立てり。小松所々あるに、椎、栗、その水に落ち入りて、流れ来つつ、思ひしよりも、使ひ人一人得たらむやうに、便りありて思ゆ。朝に出で、夕べに帰りに暇のなさも、休まりぬ。ただ…

子供への恐怖

二人は、おじさんに、竹のてっぽうを造ってもらうことを約束しました。 「田舎は、やぶへゆけば、いくらでも竹があるが、ここでは、なかなか竹がありませんね。」と、おじさんは、考えていました。 きれいな、大きな床屋へいって、この小さな床屋へこないほ…

蜻蛉に流民

「おぼろけにては、かく参り来なむや」などのたまへば、けはしなつかしう、童にもあれば、少し侮らはしくや思えけむ、 蜻蛉の あるかなきかに ほのめきて あるはあるとも 思はざらなむ と、ほのかに言ふ声、いみじうをかしう聞こゆ。 訪ねた理由は「おぼろけ…

死に至る病

確かに今乗った下らしいから、また葉を分けて……ちょうど二、三日前、激しく雨水の落とした後の、汀が崩れて、草の根のまだ白い泥土の欠目から、楔の弛んだ、洪水の引いた天井裏見るような、横木と橋板との暗い中を見たが何もおらぬ。……顔を倒にして、捻じ向…

大殿の上の瓦、砕けて花の如く

「これが声、まだ馴れずなむある。調へて奉れ」と仰せらるる時に、俊蔭、せた風を賜はりて、いささか掻き鳴らして、大曲一つを弾くに、大殿の上の瓦、砕けて花の如く散る。 帝が「もう少し慣らしてからもってきて」と例の琴を返すと、俊蔭は少しかき鳴らして…

第四十七回香川大学国文学会

終了

頭に歯車

天女のたまはく、『この木は阿修羅の万劫の罪半ば過ぎむ世に、山より西にさしたる枝枯れむものぞ。その時に倒して、三分に分ちて、上の品は、三宝より始め奉りて、たう利天までに及ぼさむ。中の品は前の親に報い、下の品をば行く末の子どもに報いむ』とのた…

四国のプロレタリア文学

三豊の本山でサテライトセミナーに行ってきました。いつもの「四国のプロレタリア文学」。実際は「二十四の瞳」についての講義である。受講生のおじさん方が優秀でびっくりした。 市民講座をいろいろやってみて思うのであるが、やはり町中でやると、お年を召…

芭蕉扇の様に悲哀に分裂する

水分のない蒸気のためにあらゆる行李は乾燥して飽くことない午後の海水浴場附近にある休業日の潮湯は芭蕉扇の様に悲哀に分裂する円形音楽と休止符、オオ踊れよ、日曜日のビイナスよ、しはがれ声のまゝ歌へよ日曜日のビイナスよ。 その平和な食堂ドアアには白…

天啓と仮面とその他

俊蔭が船は、波斯国に放たれぬ。その国の渚に打ち寄せられて、便りなく悲しきに、涙を流して、「七歳より俊蔭が仕うまつる本尊、現れ給へ」と、観音の本誓を念じ奉るに、鳥、獣だに見えぬ渚に、鞍置きたる青き馬、出で来て、踊り歩きていななく。俊蔭七度伏…

空洞と湧き水

今は、式部大輔、左大弁かけて、清原の大君ありけり、御子腹に男子一人持つたり。その子、心の聡きこと限りなし。父母、「いと怪しき子なり。生ひ出でむやうを見む」とて、書も読ませず、言ひ教ふることもなくて生ほし立つるに、年にも合はず、丈高く、心賢…

天人と紀念碑

唐絵の様したる人、琵琶を持て来て、「今宵の御箏の琴の音、雲の上まであはれに響き聞こえつるを、訪ね参で来つるなり。おのが琵琶の音弾き伝ふべき人、天の下には君一人なむものしたまひける。これもさるべき昔の世の契りなり。これ弾きとどめたまひて、国…

アマチュアと文化戦争

今、所謂文学と所謂科学とのこの交錯に於て問題になるものは、アマチュアとディレッタントの問題であることを見落してはならぬ。夫々の領域に於ける専門家は、他の領域に対してはアマチュアとしての資格しか有たないのが普通であるが、二つの領域の間に以上…

これでも埒のあく事にぞ

百日の立つ事間なく、精進事をはりてから、人々の内証にてはじめに見増さる美君をまねき、長吉の御方へつかはされけるに、各々の心ざしをもそむかず、この上臈をそのままに置きながら、とかくのささめごともなく、不便やこの人、生きながらの若後家なり。し…

自由は源介の如し

大殿御座をもけがす身なれば、おもひながらその時過ぎて、今又あひましてのうれしさ。兼ねてはこれも心懸かりのひとつなり。今宵一夜は残らずかたりまして」と、膝枕をすれば、この時のうれしさ、衆道の事は外になりて、長屋住居の東の事をおもひ出し、心の…

闖入者あり

どうみても、わたくしの方が闖入者のように見られている。 猫を覗くとき、猫もまたこちらを覗いている(ニャンチェ)

卒業論文が敵に囲繞されている

学生の卒業論文の書きっぷりをみてて思うのは、それに耐える体力作りをやってないと、とてもじゃないがもたないという単純な事実である。プロ野球選手が高校野球と違うのは、職業として一年間試合をやり続けなければならず、その体力があるかないかなのであ…

サッカーと教育と

サッカーのニュース見てて思ったこと ①、「寄り添」ってもタックルにしかなってないから、「人の気持ちを考えろ」のほうがよいと思います。 ②、PKってなんか理不尽だよな。引き分けのときにホームラン競争で勝負決めたりせんだろ普通 ③予選落ちしたドイツは…

孤独と加速

孤獨が恐しいのは、孤獨そのもののためでなく、むしろ孤獨の條件によつてである。恰も、死が恐しいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の條件によつてであるのと同じである。しかし孤獨の條件以外に孤獨そのものがあるのか。死の條件以外に死そのものが…

生まれ変わった恵比須神社を訪ねる(香川の神社71-2)

少し前のことになるが、恵比須神社の立て直しが終了していた。