さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

月・女・闇・太陽

「いま一人は」など問ひて、世の常のうちつけのけさうびてなどもいひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかにいひいでて、さすがに、きびしうひきいりがたいふしぶしありて、われも人もこたへなどするを、「まだしらぬ人のありける」などめづら…

アマテラスの分身

内裏の御供に参りたるをり、有明の月いと明きに、わが念じ申す天照御神は内裏にぞおはしますなるかし、かかるをりに、参りて拝みたてまつらむと思ひて、四月ばかりの月の明きに、いとしのびて参りたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、灯篭の火のいとほの…

「うらやましくもあらず」考

参りそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことともおぼしめしたらぬさまに人びともつげ、たえず召しなどする中にも、わざと召して、「若い人参らせよ」と仰せらるれば、えさらず出だしたつるにひかされて、また時々出で立てど、過ぎにし方のやうなるあい…

あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて

その後は何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、多くの年月を、いたづらにて臥しおきしに、おこなひをも物詣をもせざりけむ、このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあん…

「つゆもかなはぬ」序曲

かう立ち出でぬとならば、さても宮仕への方にもたち馴れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぼえもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。親たちも、いと心得ず、ほどなく籠め据ゑつ。さりとて、その有様の、たちまち…

名簿と自由

まづ一夜参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き搔練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほど…

おのづからよきためしもあり

父はただわれをおとなにし据ゑて、われは世にもいで交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく心細く覚ゆるに、聞こしめすゆかりあるところに、「なにとなくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂…

交歓と初恋

天下の乱一日も休む時無りしかば、元弘の始には江州の番馬まで落下り、五百余人の兵共が自害せし中に交て、腥羶の血に心を酔しめ、正平の季には当山の幽閑に逢て、両年を過るまで秋刑の罪に胆を嘗き。是程されば世は憂物にて有ける歟と、初て驚許に覚候しか…

縦と横

皷を打て兵刃既に交る時、鉄炮とて鞠の勢なる鉄丸の迸る事下坂輪の如く、霹靂する事閃電光の如くなるを、一度に二三千抛出したるに、日本兵多焼殺され、関櫓に火燃付て、可打消隙も無りけり。上松浦・下松浦の者共此軍を見て、尋常の如にしては叶はじと思け…

区別の問題

天下に一人も宮方と云人なく成て、佐殿も無憑方成せ給ひたらん時、さりとては憑ぞと承らば、若憑れ進する事もや候はんずらん。今時近国の者共多く佐殿に参りて、勢付せ給ふ間、当国に陣を召れて参れと承らんに於ては、えこそ参り候まじけれ。悪し其儀ならば…

授業と読書

授業でなんか疲れたが、菅原潤氏を読む。

物体の風情

楠一番に打入たりけるに、遁世者二人出向て、「定て此弊屋へ御入ぞ候はんずらん。一献を進め申せと、道誉禅門申置れて候。」と、色代してぞ出迎ける。道誉は相摸守の当敵なれば、此宿所をば定て毀焼べしと憤られけれ共、楠此情を感じて、其儀を止しかば、泉…

「天下をば我侭にすべき」現象

其後又宰相中将義詮朝臣、御方に可参由を申て、君臣御合体の由なりしも、何か天下を君の御成敗に任せたりし堅約忽に破て、義詮江州を差て落たりしは、其偽の果所に非ずや。又右兵衛佐直冬・石堂刑部卿頼房・山名伊豆守時氏等が、御方の由なるも、都て実共不…

小銭の教訓

後日に是を聞て、「十文の銭を求んとて、五十にて続松を買て燃したるは、小利大損哉。」と笑ければ、青砥左衛門眉を顰て、「さればこそ御辺達は愚にて、世の費をも不知、民を慧む心なき人なれ。銭十文は只今不求は滑河の底に沈て永く失ぬべし。某が続松を買…

王化した馬について

世の治らぬこそ道理にて候へ。異国本朝の事は御存知の前にて候へば、中々申に不及候へども、昔は民苦を問使とて、勅使を国々へ下されて、民の苦を問ひ給ふ。其故は、君は以民為体、民は以食為命、夫穀尽ぬれば民窮し、民窮すれば年貢を備事なし。疲馬の鞭を…

生まれ変わり――第二の青春

余りに気くたびれて、頭をうな低て少し目睡たる夢の中に、御廟の震動する事良久し。暫有て円丘の中より誠にけたかき御声にて、「人やある、人やある。」と召れければ、東西の山の峯より、「俊基・資朝是に候。」とて参りたり。此人々は、君の御謀叛申勧たり…

子どもと自由

教育は、文化の維持と発展の実践である。それは文化的な最低限度の生活という理念と一体であり、それが我々が生存している意味になっている。こうでもしとかないと、国家は、教育を「こども」の為「だけ」に行ないかねない。子どもを単体として捉える場合、…

寝ます

末世の作法

故細川陸奥守顕氏子息、式部大夫繁氏を伊予守になして、九国の大将にぞ下されける。此人先讃岐国へ下り、兵船をそろへ軍勢を集る程に、延文四年六月二日俄に病付て物狂に成たりけるが、自ら口走て、「我崇徳院の御領を落して、軍勢の兵粮料所に充行しに依て…

飢人投身事

中にも哀に聞へしは、或る御所の上北面に兵部少輔なにがしとかや云ける者、日来は富栄て楽み身に余りけるが、此乱の後財宝は皆取散され、従類眷属は何地共なく落失て、只七歳になる女子、九になる男子と年比相馴し女房と、三人許ぞ身に添ける。都の内には身…

道への道

さらば吉野殿へ奏聞を経て勅免を蒙り、宣旨に任せて都を傾け、将軍を攻め奉らんは、天の忿り人の譏りもあるまじとて、直冬潜かに使ひを吉野殿へ進らせて、「尊氏の卿・義詮朝臣以下の逆徒を可退治由の綸旨を下し給ひて、宸襟を休め奉るべし」とぞ申されける…

授業開始

授業開始

相対的運命論

猶も将軍の御運や強かりけん、見知人有て、「そこに紛て近付武者は、長尾弾正と根津小次郎とにて候は。近付てたばからるな。」と呼りければ、将軍に近付奉らせじと、武蔵・相摸の兵共、三百余騎中を隔て左右より颯と馳寄る。根津と長尾と、支度相違しぬと思…

兄弟惨殺

執事兄弟、武庫川をうち渡りて、小堤の上を過ぎける時、三浦八郎左衛門が中間二人、走り寄りて、「ここなる遁世者の、顔をかくすは何者ぞ。その笠ぬげ。」とて、執事の着られたる蓮の葉笠を、引っ切って捨つるに、ほうかぶりはずれて片顔の少し見えたるを、…

理りをも欲心をも打ち捨てた場合

今、持明院殿は、なかなか権を執り運を開く武家に順はせ給ひて、ひとへに幼児の乳母を憑むが如く、奴と等しくなりおはします程に、仁道の善悪これなく、運によつて形の如く安全におはしますものなり。これも御本意にはあらねども、理りをも欲心をも打ち捨て…

仕事

仕事はじめ

寝てた

以木造るか、以金鋳るかして

又正く承し事の浅猿しかりしは、都に王と云人のましまして、若干の所領をふさげ、内裏・院の御所と云所の有て、馬より下る六借さよ。若王なくて叶まじき道理あらば、以木造るか、以金鋳るかして、生たる院、国王をば何方へも皆流し捨奉らばやと云し言の浅猿…

野田池の水神さんを訪ねる(香川の神社137-2)

一日著暖たる物具なれば、中と当る矢、箆深に立ぬは無りけり。楠次郎眉間ふえのはづれ射られて抜程の気力もなし。正行は左右の膝口三所、右のほう崎、左の目尻、箆深に射られて、其矢、冬野の霜に臥たるが如く折懸たれば、矢すくみに立てはたらかず。其外三…

野田池のお地蔵さんを訪ねる(香川の地蔵24-2)

横の石碑には、「このお地蔵さまは享保十二(西暦一七二七年)湛明元江和尚と宝暦六(西暦一七五七年)博道覚性沙弥二人のため、また野田池の安全と多くの人々の冥福を祈って建立されたものと思われる」とあった。一人目は福岡の戒壇院の第四代住職みたいだ…