2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧
仙洞の夭怪をこそ、希代の事と聞処に、又仁和寺に一の不思議あり。往来の禅僧、嵯峨より京へ返りけるが、夕立に逢て可立寄方も無りければ、仁和寺の六本杉の木陰にて、雨の晴間を待居たりけるが、角て日已に暮にければ行前恐しくて、よしさらば、今夜は御堂…
森達也、マルクス・ガブリエル、菅原潤……。季節の変わり目で体が重い。
塩冶が一族に、山城守宗村と申ける者内へ走入り、持たる太刀を取直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の、胸の下をつきさくに、紅の血を淋き、つと突とほせば、あつと云声幽に聞えて、薄衣の下に伏給ふ。五つになる少人、太刀の影に驚て、わつと泣て、「…
侍従帰りて、「かくこそ」と語りければ、武蔵守いと心を空に成して、「たび重ならば情けに弱ることもこそあれ、文をやりてみばや」とて、兼好と言ひける能書の遁世者をよび寄せて、紅葉襲の薄様の、取る手も燻ゆるばかりに焦がれたるに、言葉を尽くしてぞ聞…
主上苦しげなる御息を吐かせ給ひて、「妻子珍宝及王位、臨命終時不随者、これ如来の金言にして、平生朕が心に有ありし事なれば、秦の穆公が三良を埋み、始皇帝の宝玉を随へし事、一つも朕が心に取らず。ただ生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を悉く亡ぼし…
おやすみなさい
―此比殊に時を得て、栄耀人の目を驚しける佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例のばさらに風流を尽して、西郊東山の小鷹狩して帰りけるが、妙法院の御前を打過るとて、跡にさがりたる下部共に、南底の紅葉の枝をぞ折せける。時節門主御簾の内よりも、暮な…
中野藤内左衛門は義貞に目加せして、「千鈞の弩は為鼷鼠不発機」と申しけるを、義貞聞きも敢へず、「失士独り免るるは非我意」と云ひて、なほ敵の中へ懸け入らんと、駿馬に一鞭を勧めらる。この馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々容易く越えけるが…
哀れなるかな、顕家の卿は武略智謀その家にあらずといへども、無双の勇将にして、鎮守府の将軍に任じ奥州の大軍を両度まで起こして、尊氏の卿を九州の遠境に追ひ下し、君の震襟を快く奉休られしその誉れ、天下の官軍に先立つて争ふ輩なかりしに、聖運天に不…
由良・長浜二人、新田越後守の前に参じて申しけるは、城中の兵ども数日の疲れによつて今は矢の一つをもはかばかしくつかまつり候はぬあひだ敵すでに一二の木戸を破つて攻め近付いて候ふなりいかにおもしめすとも叶ふべからず春宮をば小舟にめさせまゐらせい…
只汝が一類を四海の鎮衛として、天下を治めん事をこそ思召つるに、天運時未到して兵疲れ勢ひ廃れぬれば、尊氏に一旦和睦の儀を謀て、且くの時を待ん為に、還幸の由をば被仰出也。此事兼も内々知せ度は有つれ共、事遠聞に達せば却て難儀なる事も有ぬべければ…
正成是を最期の合戦と思ければ、嫡子正行が今年十一歳にて供したりけるを、思ふ様有とて桜井の宿より河内へ返し遣すとて、庭訓を残しけるは、「獅子子を産で三日を経る時、数千丈の石壁より是を擲。其子、獅子の機分あれば、教へざるに中より跳返りて、死す…
本読んでた
諸軍勢是を見て、「すはや将軍こそ御舟に被召て落させ給へ。」とのゝめき立て、取物も取不敢、乗をくれじとあはて騒ぐ。舟は僅に三百余艘也。乗んとする人は二十万騎に余れり。一艘に二千人許こみ乗ける間、大船一艘乗沈めて、一人も不残失にけり。自余の舟…
「今両方の表奏を披て倩案一致之道理、義貞が差申処之尊氏が八逆、一々に其罪不軽。就中兵部卿親王を奉禁殺由初て達上聞。此一事申処実ならば尊氏・直義等罪責難遁。但以片言獄訟事、卒爾に出て制すとも不可止。暫待東説実否尊氏が罪科を可被定歟。」と被申…
「去んぬる元弘の乱の始め、高氏御方に参ぜしに依つて、天下の士卒皆官軍に属して、勝つ事を一時に決し候ひき。しかれば今一統の御代、偏へに高氏が武功と可云。そもそも征夷将軍の任は、代々源平の輩功に依つて、その位に居する例不可勝計。この一事殊に為…
「汝は我を失んとの使にてぞ有らん。心得たり。」と被仰て、淵辺が太刀を奪はんと、走り懸らせ給けるを、淵辺持たる太刀を取直し、御膝の辺をしたゝかに奉打。宮は半年許篭の中に居屈らせ給たりければ、御足も快立ざりけるにや、御心は八十梟に思召けれ共、…
夫承久以来、武家把権朝廷棄政年尚矣。臣苟不忍看之、一解慈悲忍辱法衣、忽被怨敵降伏之堅甲。内恐破戒之罪、外受無慙之譏。雖然為君依忘身、為敵不顧死。当斯時忠臣孝子雖多朝、或不励志、或徒待運。臣独無尺鉄之資、揺義兵隠嶮隘之中窺敵軍。肆逆徒専以我…
愚かなるかな関東の勇士、久しく天下を保ち、威を遍く海内に覆ひしかども、国を治むる心なかりしかば、堅甲利兵、徒らに梃楚の為に被摧て、滅亡を瞬目の中に得たる事、驕れる者は失し倹なる者は存す。古より今に至るまでこれあり。この裏に向かつて頭を廻ら…
総じて其門葉たる人二百八十三人、我先にと腹切て、屋形に火を懸たれば、猛炎昌に燃上り、黒煙天を掠たり。庭上・門前に並居たりける兵共是を見て、或は自腹掻切て炎の中へ飛入もあり、或は父子兄弟差違へ重り臥もあり。血は流て大地に溢れ、漫々として洪河…
昭和19年にでた『疎開学童の教育指針』という本を読み出したらとまらなくなったが、――「行学一体」とか説明してあって仏じみているとは言え、実際は、いまの「実践的」と一緒で形式論理的な妄想であり、ある意味でレベルの低さで絶対楽しかったよなこれ、…
げにも此の陣の寄せ手、かなわで引きぬらんもことわりなりと見給いければ、義貞馬より下り給いて、冑をぬいで海上をはるばると伏し拝み、竜神に向って祈誓し給いけるは、伝えうけたまわる日本開闢の主、伊勢天照大神は、本地を大日の尊像にかくし、垂跡を滄…
其中に足利治部大輔高氏は、所労の事有て、起居未快けるを、又上洛の其数に入て、催促度々に及べり。足利殿此事に依て、心中に被憤思けるは、「我父の喪に居て三月を過ざれば、非歎の涙未乾、又病気身を侵して負薪の憂未休処に、征罰の役に随へて、被相催事…
大将のおはしつる本堂へ入つて見れば、よくあわてて被落けりと思へて、錦の御旗、鎧直垂まで被捨たり。備後三郎腹を立てて、「あはれこの大将、如何なる堀がけへも落ち入つて死に給へかし」と独り言して、しばらくはなほ堂の縁に歯嚼みをして立つたりける 木…
万里を一時に渡らんと声を帆に挙て推けれ共、時節風たゆみ、塩向て御舟更に不進。水手・梶取如何せんと、あはて騒ぎける間、主上船底より御出有て、膚の御護より、仏舎利を一粒取出させ給て、御畳紙に乗せて、波の上にぞ浮られける。竜神是に納受やしたりけ…
「古より源平両家朝家に仕へて、平氏世を乱る時は、源家是を鎮め、源氏上を侵す日は平家是を治む。義貞不肖也。と云へ共、当家の門楣として、譜代弓矢の名を汚せり。而に今相摸入道の行迹を見に滅亡遠に非ず。我本国に帰て義兵を挙、先朝の宸襟を休め奉らん…
「いでさらば、又寄手たばかりて居眠さまさん。」とて、芥を以て人長に人形を二三十作て、甲冑をきせ兵杖を持せて、夜中に城の麓に立置き、前に畳楯をつき双べ、其後ろにすぐりたる兵五百人を交へて、夜のほのぼのと明ける霞の下より、同時に時をどつと作る…
もう10年の前になるけれども尾道に文学散歩に単身行ってきたことがあった。その頃はあまり神社にも興味がなかったが、千光寺山ロープウェイから下界を見ると巨大な植物がみえたが、それが有名なクスノキ群であった。ロープウェイをおりて早速行ってみたのを…
正成悦て則是を披覧するに、不思議の記文一段あり。其文に云、当人王九十五代。天下一乱而主不安。此時東魚来呑四海。日没西天三百七十余箇日。西鳥来食東魚を。其後海内帰一三年。如獼猴者掠天下三十余年。大凶変帰一元。云云。正成不思議に覚へて、能々思…