2021-01-01から1年間の記事一覧
1、郡司ペギオ幸夫『やってくる』……わたしにはいろいろとやってこない 2、斎藤幸平『人新世の「資本論」』……進撃ラッパ再びというかんじである。マルクスは歴史のように反復する。 3、和辻哲郎『風土』……再読 4、東浩紀『ゲンロン戦記』……注意:ゲド戦記…
ゆきて見むと思ひしほどに散りにけり あやなの花や風立たぬまに 曾禰好忠の「おきて見むと思ひしほどに枯れにけり露よりけなる朝顔の花」をふまえているようであるが、もとの歌の方がなんだかドラマチックのような気がする。実朝の歌からはいつもどこかしら…
山桜今はの頃の花の枝に 夕べの雨の露ぞこぼるる この歌は、金槐集では「山桜あだに散りにし花の枝に夕べの雨の露の残れる」とセットで、散ってしまった桜への恨みを「今は」、「あだに散る」と連続させて涙を誘っているのであろうが、――涙を誘われている人…
境内にびっしり建物が建っていたので有名な扇町の神社、以前は瓦が一部崩れ、鉄棒で拝殿を支えていた状態でも一応なんとか生きていたのであるが、ついに拝殿が撤去されて更地になっていた。狛犬さんたちも箱を被せられて修理中であろうか。。。 本殿はここに…
赤沢美林にて
こと大事
山桜のさくら吹きまく音すなり 吉野の瀧の岩もとどろに 実朝が独特な人生を送ったことと和歌はさしあたり関係はない。むしろ、人生の方が作品を彩るのが文学であって、そのことを忘れた理論は信用できないものである。 本質的には、歌が本歌取りを行うのも似…
ながめつつ思ふもかなし帰る雁 ゆくらんかたの夕暮の空 和歌の読み方でいつも難しいなと思うのは、「思うもかなし」が「ながめつつ」ある以上は雁と夕暮れの空のあとにくる感情であるにもかかわらず、その雁の風景が既に「思ふもかなし」に影響を受けざる得…
みふゆつぎ春し来ぬれば 青柳の葛城山に霞たなびく 西行も苦手だが、実朝も苦手なわたくしであり、ここにはスケールだけがあって読み手の動きがない気がするからであった。 思うに、日本の街道の飛脚とか新幹線とかリニアとか、日本武尊の恨みをはらすがごと…
している場合ではないのだが。。。
なので寝る
この寝ぬる朝明の風にかをるなり 軒端の梅の春の初花 「梅の花、風に匂ふといふことを、人々によませ侍りしついでに」と詞書にある。詞書というのは、なんとなく邪魔に感じられてくるものであるのだが、やっぱり詞書が排除されなかった事を軽視するわけには…
けさ見れば山もかすみて 久方の天の原より春は来にけり これは好きな歌である。霞は春の象徴だということはわかっているが、もっと天の原に繋がる大きなものの降下を感じさせる。この歌に於いては、春は季節ではなく、世の中のはじまりのようなものなのだと…
五十余年の生涯の中で、この吉左衛門らが記憶に残る大通行と言えば、尾張藩主の遺骸がこの街道を通った時のことにとどめをさす。藩主は江戸で亡くなって、その領地にあたる木曾谷を輿で運ばれて行った。福島の代官、山村氏から言えば、木曾谷中の行政上の支…
萩踏んで膝を屈めて用を足し 萩のはねくそこれが初めて これは、坂出に歌碑があると聞いている。まだ確かめていないが、いつか行ってみようと思う。思うが、恵那市にも同じ伝承がある。確かに西行ぐらいになると、全国各地でひりちらかし跳ね散らかしていた…
三年へて折々さらす布引を けふ立ちこめていつかきてみん 縁語、掛詞のパレードのような歌であるが、小諸の釈尊寺、布引観音の歌なのである。吝嗇な婆さんを牛に布をひっかけさせて善光寺参りさせた伝承のところで、西行もこれから善光寺に行くのであろうか…
山深くさこそ心はかよふとも 住まであはれを知らんものかは 悟りは透徹しているが死に近く、こういう一事を以てしても、人生はかなり危険なものであることは明らかである。そういう意味では「住まであはれを知らんものかは」と言いたくなる気持ちも分かるの…
世を捨てて身は無きものとおもへども 雪の降る日は寒くこそあれ 芭蕉が、このあとに「花のふる日は うかれこそすれ」とくっつけたことが知られているけれども、これはふざけているのではなく、「身は無きものと思っていた」が「寒かった」という、西行のナル…
その時二人の頭の上に下っている電灯がぱっと点いた。先刻取次に出た書生がそっと室の中へ入って来て、音のしないようにブラインドを卸ろして、また無言のまま出て行った。瓦斯煖炉の色のだんだん濃くなって来るのを、最前から注意して見ていた津田は、黙っ…
願はくは花のしたにて春死なむ その如月の望月の頃 釈迦入滅の頃に死にたいというのであろうが、もはや西行は現在に向けて表現しているのではない。過去の釈迦に向けてでも未来に向けてでもない。ここでは春と言われているが、時間は止まっている。永遠の今…
山にはスキー場という涙の後みたいなものがある
マックス・エルンスト風に描こうと思ったが失敗
月の行く山に心をおくり入れて 闇なるあとの身をいかにせん ちょっとかっこつけすぎだとおもうけどかっこいい西行
寝る
尋ねつる宿は木の葉に埋もれて けぶりを立つる弘川の里 煙というのは文学の中では重要な形象であって、ほとんど人間の心を映しているようなところがある。雲よりも人為的なそれは、すぐ消えてゆくところからして我々そのもののように思われるのである。 考え…
にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば こぎ行く跡の浪だにもなし 沙弥満誓の「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の跡の白波」を本歌とするようである。この歌で恵心僧都が、「和歌は観念の助縁」になると悟ったらしいのだが、どうしてそう思ったのか私に…
風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへもしらぬわが思ひかな 恋の歌でもなんでもいいが、我が思いというのは、行方が知れないものであろうか。いや、確かにそうなのである。それは、富士の煙が消えてからどこに行くのか分からぬのと同じく、思いというもの…