日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

疲れたシュガーダディ

肩がこる。高校生のころからひどい肩こりだった。液体の鎮痛剤を塗っていたが、効果は一時的だった。貼るタイプの消炎剤にもお世話になった。貼った瞬間は気持ちよい。しかし、こちらはサロメチールのにおいがする。スポーツもやっていないのに恥ずかしい。高校生にして、すでに中年臭を漂わせていた。

やがて分かった。凝るポイントは四つ。肩甲骨のど真ん中、そして首の付け根。左と右で合わせて四か所。五十を過ぎてから、時々マッサージをしてもらうようになった。十五分で二千円。街角のビルやショッピングモールの一角。まぁ、惜しくはない。この四点を集中的に攻めてもらう。「うわ、ここは凝っていますね。固まっていますよ」そう言われる。ぐいぐい押してもらいたかったが、そうもいかない。その痛点に針か灸でも、とも思う。

実は、子供に踏んでもらうことが好きだった。腹ばいになって乗ってもらうのだ。心得たもので、うまくツボに踵を押し当てる。幸せここにあり。しかし、彼女たちも成人し、僕もまた老いてきた。バキッと肋骨が折れてしまいそうだ。加害者も被害者も互いにつらい。さすがにそれはやめた。代わりに、肘で押してもらったりする。

彼女たちが学生になると、今度は自分の番になる。「チチ、私もやって」そう言われるので、トーチャンも仕方なく押す。「指圧の心は母心」なんてことを唸りながら押す。もっと刺激を、と娘がトンカチを持ってきた。まさか我が子をトンカチで叩く日が来るとは思わなかったが、お望みとあらば。

そして今度は入れ替わる。さすが肩こり持ちは、ポイントを熟知している。気持ちよい。二人の娘はそれぞれ凝るポイントが違うけれど、ツボ押しに関しては実に上手い。

たまに大型電気店に行くこともある。昔は人が多かったが、今は大型店で実物を調べて買うのはネット、という時代。我が家もそうなった。がらんとした店内は白い照明が明るく、腰にインカムを付けた店員がタブレットを手に、少し手持ち無沙汰気味だ。彼らの目に留まらぬよう、マッサージ椅子コーナーへ。揉み玉がツボを攻める。これがひそかな楽しみとなった。

「お正月はうちに来てよ」 娘は言う。旦那様が残念なことに仕事だというので、寂しいのだろう。それに、生まれたばかりの彼女の息子は手がかかるから。

娘の望みをかなえるという点において、僕は「シュガーダディ」だ。ただし裕福ではない。クリスマス明けから大晦日にかけては、人々は普通は都会から地方に向かうものだが、地方の高原に移住した我が家は都会に向かう。ホイホイと向かう。

彼女の家に着くなり、「ああ、疲れた」とこぼす。

すると、「チチ、スリッパ履いてね。上着はそこにかけて」指示の波状攻撃だった。こんなに潔癖な娘ではなかったのだが、旦那様の影響だろう。実際、新しい生活を手に入れた彼女たちの家はピカピカで、整理されている。小さな子供がいるから多少は汚れているだろうに、白髪の「子供」が二人いる我が家のほうが、ずっと散らかっている。

「ズボンをジャージに履き替えても良い?」そう聞いた。 「オナラ、してもいい?」そう問うた。

ごろりと横になるわけにもいかぬ。彼女と息子と四人でスーパーに行く。「野菜は切っておいたから、肉を選んでね」と言う。 「牛と豚、どちらがいいですか」恐る恐る聞いた。

「年越しそば、どうする? そんなに食べられるかな。いっそ鍋に入れちゃう?」 胃に入れば同じか。流石わが娘。しかし、麺を食べるときに汁を散らしたら怒られるだろう。外国人がすする様に麺を口の中に居れた。

何とも肩が凝ってきた。わずかなビールで、年が明ける前に寝落ちした。「年が明けたよ」と揺らされて目が覚めた。いつの間にか毛布をかけてもらっていた。ありがとう。

二十年以上、同じ時間を過ごし、怒り、笑ってきた。彼女たちの思考回路と、感情の波を司る造波機の仕組みはよく分かっていたつもりだが、今はどうだろうか。

家内は言う。「ここは娘の家庭。ウチじゃないのよ。彼女たちが我が家を離れて何年経つの?」 そう諭された。確かに、家内と過ごした時間は、自分が実家で暮らした時間をはるかに超えている。そして彼女たちも、そうなっていく。また、そんな彼女もいつか孫に同じことを言われるのだろう。

ああ、疲れたな。嬉しいのに、楽しいのに、疲れた。

「チチ、肩叩いて」娘が来た。息子を抱いて買い物に行き、自転車に乗せて保育園へ向かい、その足で満員電車に揺られている。肩も凝る、当たり前だ。「ハイヨ」と、砂糖を振りまく父親は言う。手は疲れるが、それは楽しい痛みだ。そしてまた、僕も揉んでもらった。

シュガーダディも楽ではないな、と思う。本来のシュガーダディは、金銭の対価として何を得ているのだろうか。金銭は払うが、何も受け取らぬ、それが僕だ。甘い言葉は語れないが、娘の前で目尻が下がるという点においては同じかもしれない。居場所がなく、肩が凝るようにはなったけれど、それも仕方のないことだろう。

会えてよかったな。 そう呟きながら、少しだけ軽くなった肩を回し、疲れたチチは高原へのハンドルを握った。すると娘が車の窓を叩いた。渋滞でしょ帰り道。途中で食べてね。それは大きなお握りだった。ずしりと重い。ああ、なんだ、手間をかけて。玉子焼きまで入っている。

大切にシートの横に置いた。サイドブレーキを引くたびに手が柔らかく当たる。すると渋滞のブレーキランプが何故か滲み、エアコンの風が頬にあたると何故かひやりとするのだった。

砂糖はいずれまた、ばらまこう。