僕の家から歩いても十五分か。小さな神社がある。参道がすでに何かに満ちている。
鳥居。古びた石で組まれている。物理学的に考えてもあまり安定した形ではない。トップヘビーだから。稲荷神社にある赤い木の鳥居はどうか。あれは可愛らしい。か細くて、いかにも奥にはスリムな狐さまが居るようにも思う。
さて狛犬。こちらも神社には欠かせまい。よく見ると阿吽だ。鎮守の森の空気を吸って喝を入れているように思う。魔除けだから。もちろん寺社の山門の金剛力士も阿吽だ。「用事もない奴は来るな」とでも言っている。
いずれにせよどちらも、「ここから先は違うよ」と教えている。
僕は、奈良は大峰山にある女人結界門を思い出した。修行の道、奥駆け。この先、女性入るべからず。今はどうなのだろう。降り始めた雪のなかに、カラフルなウェアを着た女性パーティーが山頂にいたけれど。
あの神社にそんな狛犬はいたかな。あるのは田んぼの中を真っ直ぐに伸びる参道、一段高い山裾を走る鉄道を抜けるためのトンネル。そこを抜けると山の斜面となる。そこに社殿がある。少し上の杉林のなかには、とても小さな本殿もある。そこに行くのは山慣れた人でないと難しい。その森は、なにかの気が確かに漂っているのだった。
山の水は美味しい。僕は多くの山の水を思い出す。山形の朝日連峰と飯豊連峰。銀玉水と梅花皮小屋。稜線で信じられない水量。若き日々にかよった南アルプスはどうか。熊ノ平、聖平、そして静高平。甘露であり幾らも飲めた。どこの水も美味しい。そしていずれの水も、遠い。そう簡単には飲めない場所にある。長い登りのご褒美でもある。
僕たちは犬を連れてよくその地元の神社を歩く。狛犬が居ないので、我が家の犬は喜んで通り過ぎる。鉄道下のトンネルは涼しい。歩くと響き、その音で冷気は霊気となり、ふわりと落ちてくる。二十メートル先の明かりを目指す。足音が響き、自分は導かれる。するとワサビ田が広がる。社殿はその上にある。
路地にはいつも車が来ている。様々なナンバーがついている。誰もが大きなポリタンクを抱えている。みなここの水を汲みに来ているのだった。
かつて、向かい合う富士山と背比べをして勝ってしまい、富士の怒りをかって、殴られた山がある。そのせいで峰は八つに分かれた。それがこの高原の謂れでもある。
冬に降る多くの雪や雨は、その峰の割れ目からゆっくりと浸みていったのだろう。幾重もの地層のフィルタを、長い時間をかけて旅して、こうして世に出てくる。
そんな旅の水を僕たちも一飲み。大きなポリタンクを買おうと思うけれど、水に化学の匂いが付きそうで遠慮している。手ですくうのが美味しい。
知人に、この神社の近くに住んでいる人がいる。彼女は毎朝ここに水を汲みに行くという。もちろんその家は集落のなかにあるので、上水道は流れてはいるけれど。
「ずっと治らなかった体の具合が、治りました。あの水のおかげ」
そう彼女は言うのだった。塩素もなく、透明で純粋な水。
参道で感じたものは、そう、神様の気配だった。田には、季節には稲穂が揺れる。五穀豊穣の願いが田の水のなかに溶けている。トンネルはあたかも結界門。抜けるとワサビ田と山肌の社殿。そしてその斜面からとうとうと湧く水。結界門が守ろうとしているものは何か? 考えるまでもないだろう。
本当の話かもしれなかった。「誰でもいいから汲みに来てよ。狛犬も置かずに門戸は開けておくからさ。悪い気は通れないように結界門はあるよ」
今日はペットボトルを持ってきた。これでコーヒーを淹れよう。真偽も因果関係も分からないけれど、そう思うと楽しい。
