朝に書棚から手を取った。いつも取りやすいように手近なところにおいてある。汚れぬように書店のカバーはつけたままだ。
パラリぱらりとページをめくる。小学生の頃教科書のページの下にパラパラ漫画を書いた事を思い出した。何を書いたのか忘れたけれど絵は下手くそで頁をくくっても動きはギクシャクしていた。
そのくらいの速さで頁をめくるのだった。まったく例え話が多い。「しかし私は知っている」と枕詞もつく。自分には何が言いたいのかはすぐには分からない。考えているうちに、眠くなる。
幸いにもその書籍は頁の頭に簡潔な言葉を引用し、そこに著者の抄訳が書かれている。ひと言を頁一枚で解説しているのだからありがたい。分厚い新約聖書を開く必要性もこれでなくなった。
頁に目が止まった。パラパラ漫画は終わりだ。
「御国」が天の遠いところにあると思うなら間違っている。御国はあなたの中にある。自らの言動と行為を見つめなさい。それが正しく自分を支配した時にあなたはまさに御国に住んでいるのだ。
人の手を経ているのに相変わらず分かりにくい。トマスによる福音書言葉3か。
御国とは「神の国」と書かれている。私的解釈が許されるならば、こうか。自分を信じて見つめ直せ。あるときは自己省察を厳しく行え。するとあなたは神の国にいるのだ。かな。しかし分からないのが神の国だった。イエスを信仰していない者にとっては神の国とは何か。はたまたこちらも信仰してはいないけれど、もしかしたらそれは極楽浄土のことかな?
錆びた頭は色々回るけれど、そんな電子回路はショート寸前だった。
霧が滲み、その辺りだけはは赤が溶けていた。きっと甲斐駒ケ岳のモルゲンロートだろう。白い息を吐きながら駅に着いて列車に乗った。その時に本の言葉を思い出した。
神の国、あなたの、いや、私のなかに在る。自分を見直せば見えてくる、、、。
降りる駅が来た。川を渡る風は尖っていて小太りの私を縮こませるには十分だ。ウールの帽子をかぶり土手道を歩く。霧はとうに晴れて、朝日が高くなった。しかし寒い。冷たい。十二月の風だった。
風に吹かれて私の首は後ろに回った。その時だった。川の向こう遥かに、真っ白な三角形が立っていた。富士。
ああ、そういう事か。神の国。確かにあるな。そう言えばベツヘルムの馬小屋で、彼が生まれたのは今日だったな。
・・・お導きか。
