日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

タクト振るバンドカラー

服装にはおよそ関心がない。かっこいい服を着れば、きっと気分は晴れて、生きる張りも出よう。それは分かる。同時に悟る。そんな服は自分には似合わないと。長期間の諦めがそう教えてくれる。

身長の割に体重が重いのだから、自分に合う服などそうはない。メンズ用品店で店員がやってくると、逃げたくなる。特に女性だと心臓が縮こまる。

無理して服装合わせに付き合ってもらいたくもない。僕はブティック、いや男性向けの服飾店はどう呼べばよいかわからぬが、まあそこをただ遠巻きに見て、通り過ぎる。買うならばどこかのスーパーの二階の、特価札の付いたものだろう。

そんな付き合い方をしていた。服はあくまでも空気の層さえ作ってくれればよい。価格が安ければ、正義だ。

とある店に行った。ファッションに関心のない人間が行くのだから、実用性に富んでいる品があるのだろう。ファッション性と実用性は必ずしも両立しない。取捨選択になる。

店の棚にあったあるシャツに目が止まった。おっ、と思った。

小澤征爾は日本人指揮者として世界的に成功した第一人者だろう。何の手引きもなく貨物船にスクーターを乗せて渡欧。初上陸のフランスのコンクールで優勝する。シャルル・ミュンシュの知己を得て、カラヤンの弟子となり、バーンスタインに師事する。そして渡米し、ボストン交響楽団の監督へ。

このあたりは彼の著作『僕の音楽武者修行』に詳しい。サクセスストーリーの裏には、熱意に裏付けられた努力があったとわかる。そして運もまた。

彼は沢山の録音を残した。ドイツものはやはりドイツ人の指揮者による録音を、無意識に選んでしまう。フランスものやほかのジャンルになると、小澤征爾のCDになるか。オザワとボストンの組み合わせは豊かな色彩感を出し、フランスものが似合うと思う。そこはやはりミュンシュに見出されたからかもしれない。

クラシックのレコードジャケットは、指揮者やソリストの写真が多い。小澤征爾も同様だ。

そんなジャケットに、確か彼が白くてルーズなシャツ、というかブラウスを着て指揮をする写真がある。タキシードが当たり前の世界で、その服装は型破りでもあり、自由で「カッコよかった」。シャツの首回りに襟がない。伝統的ではないけれどアーティスティック。そのシャツは服装に興味のない自分にも魅力があった。襟の立っただけのシャツは、バンドカラーのシャツと呼ばれると知った。

彼の指揮はとてもエネルギーに満ち溢れて、オーラを感じる。パリで彼の指揮を見た。フランス国立管弦楽団を指揮して、ベルリオーズラヴェルを振った。シャンゼリゼ劇場は熱気に包まれた。その時もあの定番の姿だった。

またある年のウィーンフィルニューイヤーコンサート。この栄えある演奏会に彼は指揮台に立った。初の東洋人。さすがに燕尾服であった。指揮者による新年の挨拶は恒例だがその年は楽団の人たちが自国の言葉で短い挨拶が回った。日本語の挨拶を期待したが、それは奥様が日本人であるコンマスのキュッ匕ル氏にゆずり、ご自身・世界のオザワは彼の生まれた地の言葉を選んだ。「新年、好」と。四声でしっかり発音し、最後のハオの後に大拍手がムジークフェラインザールを包んだのだった。震えてしまった。

店の棚にあったのはその、バンドカラーのシャツだった。着てみたいものだ。あれを着れば、すると還暦を超えた僕にも、彼のエネルギーを貰えるように思った。自ら望んで服を買うことなど珍しい。レジに持っていったのは三枚。一枚は、彼が愛したボストン・タングルウッドの深い森のようなグリーン、もう一枚はシュテファン大聖堂、あのウィーンの石畳を思わせる柔らかなグレー。そして最後の一枚は、彼が晩年に情熱を注いだ松本や水戸の空、そこに浮かぶ雲を映したような白だ。

・・実際には、どれもただのデニム地なのだけれど。けれど僕の目には、その三色は確かにそう映ったのだ。

シャツは襟の折り目から、劣化していく。バンドカラーにはその心配もない。やはり僕は実用性の人間だった。しかし実用的なおしゃれは楽しい。唯一の誤算は、自らの出っ張った腹が目立つことだろうか。襟がなくてシュッとしたシャツだから。小澤征爾は、痩せている。だから似合うのだ。

まあ、いいさ。この憧れのシャツを着れば、何か新しいこと、アーティスティックなことが出来るような気がする。

今日も朝日が昇ってきた。彼がボストン交響楽団と録音したラヴェル、「古風なメヌエット」が今朝の音楽。バンドカラーを着た彼がタクトを振ると、管楽器が柔らかな色彩を紡ぎ出す。それは薔薇の湯船のように広がり、フランスの田園の風景が、ふらりふわりと鮮やかに浮かぶ。

よい日になりそうだぞ、そう思うのだった。