世の中の話題は、いったいどこから湧いてくるのだろう。
季節の話、政治、スポーツ――特に大谷選手の活躍は、日本中を明るくしてくれる。報じる側にとっても格好の題材だろう。
だが、世の中を賑わせているのはそればかりではない。芸能人の性加害や被害、米騒動など、確かに無視できない出来事ではあるが、果たしてトップニュースにするほどのことだろうか。マスコミの影響力は大きく、世論を動かすほどだ。今ではSNSの拡散力が加わり、出来事は瞬く間に広がっていく。
――すごい時代になったものだと、改めて思う。
このところ最も報じられているのが、クマのニュースだ。
確かに熊は大きく、力も強い。怖い存在には違いない。けれど、山には昔から棲んでいる。被害に遭われた方は気の毒だが、いまさら何を騒いでいるのだろうと思う。
鮭をくわえた木彫りの熊の置物を思い出す。あれは北海道のお土産屋にある。かの地のヒグマは凶暴だが、本州のツキノワグマは首元に白い毛を巻いたような、おとなしい熊だと教えられてきた。ブナの木に登り、どんぐりを食べる臆病者――そんな印象を持っていた。ヒグマは違うが、ツキノワグマにはどこか親しみがある。
クマのプーさんもそうだ。我が家にはプーさんの黄色いマグカップがあり、今も愛用している。童謡「森のくまさん」では、逃げたお嬢さんのイヤリングを熊がわざわざ届けにくる。なんとも優しい話だ。
アウトドアショップのマスコットも熊。ロゴ入りシャツを着たキーホルダーが家に二つある。ゆるキャラの人気ナンバーワンは「くまモン」だ。ハロッズで買ったテディ・ベアは、娘たちに散々抱きかかえられた。今は少し疲れた顔で、居間を眺める階段の中ほどから部屋を柔和に見つめている。
小学生の娘が描いた一枚の漫画がある。クマが背中を丸めて、コーヒーを飲みながら暖を取っている絵だ。看板には「クマに注意」とある。私の登山癖をからかったのだろう。
熊は、そうした形で私たちのすぐそばに住み、空想の世界にまで現れてきた。
実際の熊に出会ったこともある。山歩きをしていれば、不思議ではない。熊の棲む山を人が歩いているのだから。埼玉の和名倉山で、長野の高妻山で――いずれも下山途中、人里まであとわずかという場所だった。
風に乗って、何かの匂いを感じた。鳥肌が立つ。登山中の感覚はいつも鋭敏だが、明らかに何かを感じた。十メートルほど先に、いた。
ゆっくりと後退し、大きな影が森に消えるのを待ってから、大声を上げて走り抜けた。心臓は激しく鳴っていたが、「まあ山の中だから、こんなものだ」と思った。
それが今、毎朝毎晩のように熊のニュースばかりだ。異常気象で山の食べ物が減り、熊が人里に出てくる。熊にしてみれば当然の行動かもしれないが、人間には迷惑だ。過剰な報道に、少し嫌気がさす。
けれど、追われる熊も気の毒だ。猟銃で撃たれ、運ばれていく熊の姿には胸が痛む。自分はそんな報道をどこか冷めた目で見ている。「騒ぎすぎではないか」と。
熊が人里に現れるのは、山の餌が減ったからだ。
かつて日本の山には木の実を実らせる広葉樹が多かった。だが戦後の林業政策で、価値のないとされた自然林は伐採され、金になるだろう杉やヒノキなどの針葉樹が植えられた。
深い根を張らないそれらの木は保水力が弱く、台風のたびに山が崩れる。もし昔ながらの森が残っていたなら、山崩れもなく、熊は今も山で木の実をほおばっていただろう。
今、山を歩けば気づく。杉林やヒノキ林が腐りかけている。この荒れ方は何だろうと思う。我が家の木材はフィンランドやエストニアのパイン材だ。日本の木は競争力を失い、林が放置されている。春になれば杉やヒノキから花粉が飛ぶ。
熊の出没、山の崩壊、花粉症――原因は同じだろう。
本当に大切な価値は何だったのか。なんとも皮肉な選択だったと思う。
それでも懲りずに、また登山を計画している。
私の住む山梨は、いわば“クマの国”だ。この地でこれまで出会わなかったのが不思議なくらいだ。
クマよけの鈴は、もう何十年もザックにぶら下がっている。一応ホイッスルも持っている。最近では「クマ鈴は逆効果」とも聞く。
申し訳ない気もする。君たちは体こそ大きいが、本来は臆病で大人しいはずだ。それでも人間に追われ、撃たれる。昔は肝が薬になると珍重されたが、今さら復讐のために人里へ降りてくるわけでもあるまい。
アウトドア店のマスコットベアは今も車のキーに揺れている。
テディ・ベアは今日も優しい。
プーさんのカップでミルクを入れた温かいコーヒーを飲みながら思う。
――クマに出会ったら、こう伝えるだろう。
「今きみたちはバズられているから、少しだけ山に戻った方がいいよ」と。
いや、それが通じる相手だろうか。
いつまでも“他山の石”でいられるだろうか。
――そうあってほしい。
