・霧訪山 長野県塩尻市1306m
自分が住む海抜九百メートルの高原台地は時として霧に包まれる。それは駆け足で空間を蹂躙するような大きな塊でやってくることもあれば、いつの間にか忍び足で風景に浸潤していることもある。こいつらの正体は何だ?と捕まえようとも思うけれど叶わない。
そんな霧の中を動く方法はただ一つだ。「泳ぐ」のだった。初めて霧の中を泳いだのは何処だっただろう。大菩薩嶺から南下した小金沢連嶺だったと思う。そこは笹の深い尾根道で、笹を分けて先に向かうのだ。少し進むと切り開きがあった。水が得られないだろうと4リットル近く持っていたのでザックをおろしてヤレヤレだった。
湯を沸かして米を炊いた。大切に持ってきたビールを開けた。バーナーの火にかけた缶詰程度の蛋白質。誰も居ない。風の音は止んでしまった。テントを閉めてシュラフに戻った。僅かの風で笹は揺れる。寝たのだろうか。尿意に目が覚めた。テントを開けて驚いた。あたりはただ乳白色だった。用を足したがテントが何処か分からない。ヘツデンをかざすとぼんやり見えた。そこまでどうやって進もう。手足を動かし粒子の中を漕いでいくのだった。
霧はいつの間にか自分の友達となった。心が苦しい時に霧に包まれると気が楽になる。訪問してくる霧を見ていると飽く事も無い。ただそこに身を任せればよいのだから。
霧という字が使われている山に、だから憧れる。上越国境の稜線に「霧の塔」と言う山がある。スキー場のゲレンデトップから踵を固定していないスキー板に滑り止めシールを装着して登るのだった。その長いルートは山スキーでないと走破できないもので、霧の塔はそんなツアーコースから百メートル近く離れていた。ルートから離れるので割愛したけれどその雪の塔を登っているスキーヤーが見えた。霧の塔とは良い名前だ。稜線を北にスキーを向けながら、ああ、踏んでおけばよかったな、そう思うのだった。
今でもあの雪の峰を思い出すけれども、この山梨からほど近くに一つ霧の名前が付いた山があった。霧が訪れる山という。霧訪山とかいて「きりとうやま」と読む。ロマンティックな名前だな、霧の塔に負けていない。そう思った。真夏のこの時期に登るのが良いかは分からないけれど霧と言う名に惹かれて登ってきた。
激流・天竜川の水源となっている諏訪湖はまさに日本のヘソとも言うべき場所にある。松本には分水嶺を越えなければならない。そんな分水嶺から谷を一つ隔てた西側にその山はあった。海抜は1300メートルをわずかに超える。山麓の塩尻市の海抜は700メートル程度、登山口が900メートルを切る程度だから顕著な山ではない。木曽や北アルプス、中央アルプスが周りにあるのだからその山を指呼するのは難しいだろう。木曽御嶽大権現、そうかかれた石柱が登山道にある。文化八年の建立と書かれている。それは何時だろう。いずれにせよこの山が昔から山麓の人に祭られていたことがわかる。実際に山里にある低山はその多くが信仰の山だ。五穀豊穣を祈るのだろう。
出だしはきつい階段、そしてその後も尾根をひたすら登るルートを選んだのはそれが最短だったからだ。しかし地形図を見ればわかるがこの山は北東の塩尻の街に近い側から登るのが楽しいだろう。長い尾根歩きに如何にも向いていそうだ。直登ルートはブナやナラそしてアカマツの混生林であり、故にロープで厳重に登山道と山肌が仕切られている。秋になると豊かにマツタケが実るのだろう、そんな事を想いながら高度を稼いだ。送電線台地、トタン屋根の避難小屋。それを通り過ぎると山頂が見えた。日本のヘソにある山なのだから展望が良い。松本の街を北に、南東に諏訪湖と諏訪の街が、そして自分の住む八ヶ岳の南麓台地が広く広がっている。
この山に霧が訪れたならどうなるのだろう。松本の街を北上すれば安曇野の先で小さな分水嶺を越えて日本海になる。諏訪湖から流れる天竜川は太平洋に流れ出る。日本海から太平洋から。せめぎ合う水蒸気。そんな地形はいかにも霧が出そうに思う。もくもくと北と南からやって来て山を隠す事だろう。だから、きりとうやま、という山の名前が付いたのかもしれない。そう思うと古人の詩的センスは良いものだと想う。
霧が訪れた時を狙って、霧訪山に来ようと思う。僕はそこを泳ぐのだ。小さな信州の山だったが何故か心は豊かになるのだった。
ルート:小野ルートを採った。登り口に10台程度の駐車場と簡易トイレあり。登山口10:35-送電線台地11:14-山頂12:16/12:50-駐車場13:50
