日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅46 カブールの園 宮内悠介

● カブールの園 宮内悠介 文集文庫 2020年

日系移民が登場する・舞台になる本は二冊読んだことがある。一つはアントニオ猪木の自伝、そしてもう一つは山崎豊子の長編小説「二つの祖国」だった。前者は貧困故家族そろってブラジルへ移民し、猪木氏は肉体的な辛酸をなめ力道山に見いだされ、プロレスラーとなり様々な失敗を繰り返しながら国会議員となる。アメリカ巡業中に結婚し子供も儲けたが子供は幼くして世を去りまた離婚する。信じていた者にも裏切られたり、と波乱に満ちた生涯だったようだ。後者は米国へ移住した家族の息子二人が主人公となる小説だ。独りはたまたま日本に里帰りしていた。そして太平洋戦争が始まる。兄弟二人はそれぞれ日本兵・米兵として前線で向かい合う…。日系移民か。色々なテーマがありそうに思えた。と、新書コーナーにこの本があった。三島由紀夫賞受賞作という。惹かれた。この本の主人公は日系三世だった。ソフトウェアエンジニアの三十八歳の女性だ。

初代は日系移民だったが太平洋戦争開戦で強制収容所に隔離される。二世は戦後ロス・アンゼルスのリトルトーキョーで娘と離れ独り住んでいる。三世は幼いころから日系人だという事だけで壮絶ないじめにあってきた。それがもとで精神を病みPTSDの治療をしている。幼少期のトラウマを探る治療だった。祖父祖母が収容されていたヨセミテの奥地にある強制収容所跡を訪れた。関係がこじれてしまった母にも会った。

自分は2000年代半ばから二年ほどドイツで暮らしその後四年隣国フランスで暮らした。どちらの国も社会としては堅牢だったがどこかに危うさがあった。それはただの異邦人である自分にも感じられた。民主主義と言われる国でも社会は複雑なメカニズムで構成されている。その構築物には頂点もあれば底辺もある。誇り高く見えるゲルマン民族は、自己愛が強くこの国と私こそが世界の中心だと思っているように思われるフランス人は、それぞれが建築物の中心から上に居た。しかしメカニズムの底辺には彼らは居ない。ドイツにはトルコから労働力としてやってきた人たちが、フランスではマグレブ諸国と呼ばれる旧植民地からやってきたアフリカ系の人たち、そして永遠の流浪の民と言われるロマがそこにいた。更に今では絶えぬパレスチナ難民がやってくるだろう。彼らがどれほど過酷な状況下で暮らしているかは知る由も無かった。蔑まされても粛々と働く彼らの目に輝きは在っただろうか。

本の主人公は自らのルーツに触れた。そしてマイノリティとしてどう生きるのかを考えたのだろう。自らの作ったソフトウェアの発表プレゼンをするという晴れ舞台に彼女は思いっきり東洋人であることを主張できるメイクで登場する。そこで小説は終わっている。

印象に残る一説が文中に在った。彼女はSNSを使っているがこう言っている。「SNSでは言葉の海に溺れぬよう安定したパーソナリティを演じている・・・ライフ・ハック、アンガーマネジメント、マインドフルネス、そんなものはおためごかしだ。」と。いじめにあった過去を持ち今も病んでいる。しかし引き金は違えどそれは彼女だけだろうか?程度の差はあれど人は誰もがそれぞれに何らかの傷を内に秘めているだろう。そしてまた誰もが演ずる。安定した個性を・・・。そう思うが演ずることに何らかの歪みはないだろうか。それがどうぞ広がらないように、と適応障害で苦しんだ過去を持つ僕は、自分に語りかけた。

この本にはアフガニスタンの首都であるカブールの記載が出てこない。何故このタイトルなのかと思った。しかし読み返してみると主人公が受けたPTSD治療プログラムはもともとアフガニスタンイラクで戦い精神を病んだ米兵の治療のために作られたものとあった。作者はそんなカブールの後に園をつけた。園とは花園だろうか。幸せの場所に思える。苦しみの果てに何かを主人公は得たのだろうか。自分も人には言えない悩みがある。どうすればよいのか。自らの解放とは誰もが持つテーマだろう。

日頃の自分。言葉の海に溺れぬように何かを演じているのだろうか。そうかもしれない。それは園なのだろうか。