日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

赤の魔力

赤が好きだ。赤…?第二次世界大戦・東部戦線での赤軍?ニエット。広島カープ?違う。シンシンナティレッズ?ノー。浦和レッズ?いやサッカーのルールも知らない。巣鴨商店街?好きな街だけど赤い下着は遠慮したい。赤のマツダファミリア?やめて欲しい。

幼稚園児だった。住んでいた横浜の街は京浜工業地帯を望む丘陵地だった。社宅の東向きの窓からはるかに煙突の煙をいつも見ていた。忙しい父もたまには家族サービスとでも思ったのか。たまに駅に出て最上階の食堂で食事をした。すると僕はビルの窓から東を見る。そこには赤い矢が飛ぶのだった。

赤い矢といってもそれはモスクワとレニングラードを結ぶ特急列車・赤い矢号ではない。ましてや西武鉄道のレッドアロー号でもない。実際のロシアの赤い矢号は見たことはないが、わが町を駆け抜けるそれはまさに瞬時に的を射る矢の如しだった。

たかが京浜急行電鉄の魅力を語るのに随分と遠回りした。京浜急行は子供の頃から真っ赤な塗装に1本の白線で、いつも東海道を全力疾走していた。我が街には各駅停車しか停まらなかったので快速特急が走るさまはまさに赤い矢だった。還暦をとうに超えた僕を55年以上前に鉄道ファンにしてしまったのは間違えなくその赤い電車だった。

なぜ赤なのだろう。京浜急行は横浜の先は横須賀や三浦半島に行く電車なのだから海の色でもよかろうに。ネットで調べると解説もあるが、僕は横浜・品川間の速度は国鉄に負けまい、そんな熱い気概の象徴だと思う。実際に快速特急に乗ると生麦あたりで並走するJR東海道線を気持ちよく抜いていくのだから子供心にそれはヒーローだった。

そんな街で小学校卒業まで過ごしたが父の転勤に伴い中学からは広島に引っ越した。するとその年には「わしらの球団」広島カープは初優勝した。街中が赤ヘルで染まった。巨人の野球帽を被っていた自分はクラスでもとても居づらかった。子供心に屈折を知ったのだった。

高校時代にはサッカーの授業がある。キックしたら空振り。思い切りけったら蹴り方がまずかったのか足の親指がひょう疽になった。二度とやるまいと思った。

大学生の頃に片思いした女性がいた。目が大きくてキャロライン洋子に似ていた。それはもう可愛い。僕の頭は彼女で飽和していた。僕は彼女がアルバイトしていた書店に用もないのに何度も行った。彼女を見るだけでドキドキしたが話しかけてみると卒倒しそうだった。もじもじしてたいした話もしない男が頻繁に来る。気持ち悪いし彼女も何かを察する。ある日こう言われた。「今度高校の先輩とドライブに行くのよ。赤いファミリアに乗ってるのよ、先輩は。」ガラガラと何かが崩れる。くそ、赤いファミリアなど僕は絶対に乗るまい。

広島はとうに縁のない街だ。神奈川県中部の街にあったあの本屋ももうとっくに無い。そして住み慣れた横浜を還暦の年に引っ越した。

所用で横浜に行った。相変わらずの酷い人混みと渋滞で街も鉄道も全てが心筋梗塞を起こしてしていた。これが嫌で横浜を離れたのだった。すると赤い列車がホームに滑り込んできた。自分のモヤモヤとした気持ちをそれはひどく単純に粉砕した。

今の自分に必要なもの。それは燃える気持ちだろうか。流されなびくもあり。しかしどこかで自分の向きを変えることもできる。

赤く燃える力。いつかきっと役に立つだろう。

名車と言われた600系もとうに消え東海道を疾駆した旧1000系も、各駅停車で地道に働いていた800系も引退してしまった。昔の面影を残す1500系が現役なのは嬉しい。赤い電車はいつも嬉しい。なにかワクワクする気持ちを自分にくれるのだった。(井土ヶ谷駅にて)