日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

プラハ

東ヨーロッパ諸国と呼ばれていた社会主義国家群が消滅したのは1980年代のベルリンの壁崩壊と前後していた。独裁政権は崩壊しルーマニアではそれまでの国家指導者が捕らえられ犯罪者として処された。それはまさに激動の時間でリアルタイムに映像を見ているとはらはらした。

プラハという街は多分東ヨーロッパが崩壊しなければ行く事も叶わなかっただろう。神聖ローマ帝国の首都がおかれた古くて美しい街と聞いていた。社会主義が崩壊しチェコスロバキアは西郡のチェコと東部のスロバキアに別れた。チェコ人とスロバキア人の統一国家だったが両者の経済格差が原因だったとネットにあった。ユーゴスラビアが辿ったような流血もなく無血で国家が分裂した。東西の壁が崩壊する前に一度当時のチェコスロバキアに出張したことがある。そこはブルノという街でウィーンの北、今でいうスロバキアにある街だった。街が陰鬱で暗い。それが当時の印象だった。外灯も少なく古い町並みも疲れていた。国営レストランは一方的に予約時間と許される食事時間が告げられるものでいかにも国家主導・共産主義だった。その時の暗い印象がありあまりいい印象はなかった。ドイツに転勤したのはベルリンの壁崩壊後十五年だっただろうか。折角だから行ってみるか。プラハに。そう思いヨーロッパでも最も美しいと言われるチェコの首都を訪れた。まだまだ戦後復興の工事が続くドレスデン駅から国境を超える列車に乗った。パスポートコントロールがまだあった。腕章を付けた車掌が自分たち家族四人の座るコンパートメントに入ってきてパスポートを改め押印した。

プラハは素晴らしい街だった。石畳、モルダウ川、カレル橋、丘の上の教会、城、小さな路面電車、そしてフェルメール。丘陵地が風景に陰影を与えるのだろう。ヨーロッパの中世を凝縮したように思えた。ここはモルダウを作曲した作曲家スメタナゆかりの地でもあるが自分の頭の中にはあの豊かに哀しい旋律ではなく、違うメロディが鳴るのだった。

生涯で41曲の交響曲を書いたのはモーツァルトだった。ハイドンに次ぐ多作だろう。自分はせいぜいその25番から後ろを聞いただけだ。前期は習作もあるだろうがそんな中からひとつ選べと言えばどうだろう。三十九番ととても迷い時に入れ替わるのだが今日はやはり三十八番だ。三十五番から四十一番までは誰が名付けたか後期六大交響曲と言われる。四十,四十一番は有名すぎて陳腐化してしまった感があるがいずれ劣らぬ傑作揃い。三十五番はハフナー、三十六はリンツそして四十一にはジュピターとともに副題がついている。三十八番は「プラハ」だった。モーツァルト自身の手でプラハの地で初演されたからそう呼ばれているようだ。

何かが起こる気持ち。何か楽しい事が起こりそうな予感の時。僕は真空管アンプに火を入れてプラハを聞く。それは冠動脈に挿入するステントのついたカテーテルの様に自分のやや縮こまった心を思い切っり広げてくれ、曇り空から差し込む一条の光を増幅させ周りの雲を蹴散らせてくれる。簡単に言うならば今日も良い日であるという期待をくれ心に羽を与えてくれ身も心も踊り出させてくれる。この曲の何処がそうさせるのだろう。当時の交響曲は通常四楽章形式なのだがここには第三楽章がない。第三楽章はメヌエット、つまりは舞曲が挿入される。それもないのになぜ踊る気持ちが湧くのだろう。答えはきっとこうだろう。フーガだ。複数の独立した旋律がまとまりあいポリフォニックな音楽を作り上げる、対位法。フーガもカノンも対位法の理論を形にしたものだろう。立体的にいくつもの旋律が絡み合い形を構築していくのだ。バッハに顕著にみられる音楽技法は自分をずっと虜にしている。三十八番プラハにはそんな対位法が随所にちりばめられている。第一楽章の導入部から主部に移り展開していくフーガは圧巻だ。そんな音の造りが僕を魅了するのだ。            

杜の中の仕事場に出社をしたが今日の自分の仕事のシフトは変わっていた。今日は仕事はなしだった。しかしそれは自分にはありがたい。庭仕事、家の床へのワックス塗り、プラモデル作りの準備、ベースを手に取り課題曲をさらうこと、懸賞応募作の推敲、そして昼寝。やりたいことは無数にある。自宅に帰る車の中で頭の中で音楽が流れてくる。「プラハ」だった。いつも通りにそれは頭の中で膨らみ、拾ったように得た休日の一日を豊かなものにしてくれそうな「予感」を与えてくれた。僕には「予感」を実現させる必要がある。異なる指揮者とオーケストラの録音を重ねて聴いた。そして飛翔する。モルダウ川に流れるあの街を思い出す。あの美しい古都に「プラハ」が流れたのならなんという贅沢だろう。この地は川沿いの古都ではなくアカマツ・カラマツ・ブナ・ナラに囲まれた高原だが風が吹く。プラハの風ではなく秋の高原の風だ。それはあの旋律と共に空気を踊らせ自分も飛翔しそうだ。

良い一日になりそうだ、いや、そうしよう。

モルダウ川の流れる古都だった。この街の名前を冠した音楽があるのならおのずとその中身もわかるだろう。対位法が我が心を膨らませてくれる。