B級グルメ(ラーメン・ソバ・うどんなど)
年末に横浜に行く。都会の雑踏に疲れ切り五十年住んだ横浜を離れ山梨の高原に移住したのに、この町に行くのも皮肉なもんだ。しかしここで娘たちが生活の根を張っているのだから、行くのは当たり前だ。正月はうちに来て、と言われればそうする。老いては子に…
この鉄板の厚さは何センチだろう。一度熱くなったなら容易に熱は逃げないに違いない。お玉一杯の小麦粉を溶いたものをそこにのせてお玉の底で丸く広げる。ここはクレープ屋か? とうとう始まるな。目が離せない。そう準備する。 すぐ横のタッパに沢山盛られ…
「しぶそば」の存在は知っていた。時々使う東急東横線の駅にあった立ち食いそば店が駅の改装とともにリニューアルされ店名が変わっていたのだった。 店の前に券売機ができて、またメニューも小洒落ていた。なかなか入る機会はなかったが、「駅そばマニア」を…
人込みを歩いて小腹がすいた。そこは渋谷の街の中。この雑踏の中を目的地に行くまでにはさらなるエネルギーが必要に思えた。たくさんある自身の脂肪を使えばいいのに、また何かを食べたくなる。人間とは悲しい動物だ。 いつもなら駅の立ち食いそば屋だろうけ…
好きな食べ物を三つ挙げようぜ。挙げてどうなるのか?ただで食べさせてくれるのか?馬鹿馬鹿しい問いだがそんな話題は小学生には欠かせまい。好きな食べ物で済むのならばまだ微笑ましい。次に話題は好きな女の子の子になるだろうから。未だにこんな文を書き…
社会科で習ったように思う。確か日本神話に書かれていたのだろうか。皇室に伝わる三つの宝物を三種の神器と言うと。鏡、まが玉、剣だ。日本三景を初めとして日本には「三つの何某」が多いがその謂れはこれか。戦後史ではこう習う。洗濯機、冷蔵庫、掃除機が…
東京の中で若者に人気の街と言えば何処だろう。つい最近までは中央線沿いの吉祥寺がナンバーワンだった。ファッショナブルな若者が行き交う街だ。駅の南側にはそこでボートに乗った男女は必ず別れるというジンクスが言われる井ノ頭公園がある。なんでも弁財…
広島の高校を卒業し東京の大学校に進学した。しかしその年からキャンパスは渋谷ではなく神奈川県中部の町・厚木に移設された。基礎課程の二年間が厚木、教養課程の二年間が渋谷だった。入学手続きと同時に学生課には厚木周辺の貸しアパートの情報が置いてあ…
こだわりの多い人がいる。多くの場合そんな人はどこかネジが外れており家庭生活を含めて「一般的な」社会生活には馴染めないかもしれない。でもそれでも構わないのだ。自分のこだわりが邪魔されずに実現できればそれで構わないのだから。趣味の世界でそれは…
横浜には結局自分は何年間住んだだろう。3歳から12歳までの10年間、21歳から60歳までの40年間。ただし40歳の後半から五十歳の前半までの七年間は海外に転勤していた。そうはいっても50年は横浜に住んでいた。すると好きな風景と言うものが出てくる。横浜に住…
明日はやっていますか?ランチやってません どうも会話がかみ合わなかった。電話の相手は韓国料理店だった。焼き肉屋ではない。どうやら明日はやっている。ただ夜だけの様だ。ネットでは昼の営業もあると言うが最新状況は反映されないのだろう。 焼肉ではな…
映画「男はつらいよ」が大好きだ。最後の二作品を別とすると実質的に故・渥美清が寅さんこと車寅次郎を演じた作品は四十八話になる。盆と正月に年二度のペースで上演されていて誰もがそれを心待ちにした、まさに国民的映画だったのだろう。細切れであるいは…
生まれて初めてハンバーガーを食べたのは何時だろう。そうか、高校生だった。そこは広島市だった。通っていた高校は市の西の端に出来た新設校で家から近くだった。家は瀬戸内海を見る高台にあった。特段の用事もない限り市の中心部に出ることはなかった。 唯…
五十年近い年月を横浜市民として過ごした。当然ながらその地の食べ物に好きなものが多い。港があり西洋文化が入ってきた。華僑もまた住み着いた。洋食そして中華。横浜の食文化はその地を離れ山梨に住む今も懐かしく、時折接したくなる。決して遠い場所では…
駅そば好きだ。駅そばとは駅のホームや構内にあるソバ屋。それについて文庫本も出ているほどにマニアも多いと推測する。今は昔となったがそれでも安い。早い。美味しい。昔の牛丼屋のようなキャッチフレーズだろう。 駅そばの最大の魅力は立って食べること。…
友から手作りしたベーグルを頂いた。とても美味しい。簡単だよ、と友は言う。トライしないわけにはいかない。 ネットには様々なレシピがある。最も楽そうなレシピを選んだ。生地作り、一次発酵、形作り、二次発酵、茹で上げ、焼き上げ。そんなステップと知っ…
北杜夫氏は自分の好きな作家だが、彼を人気作家にのし上げた1965年の書「どくとるマンボウ航海記」はいったい何度読んだのか。水産庁の調査船の船医として彼は船に乗り込み航海に出た。彼にとり初めての海外だ。スリランカのコロンボに立ち寄った時の話…
友人の家までは車で三分だろうか。しかしそれは都会の距離感ではない。渋滞も信号も無いのだから距離にすれば二キロだろう。彼から借りたものがありそれを返しに行った。白砂利のアプローチの奥に車があった。あ、ご在宅だな、と嬉しくなる。 簡単な挨拶だけ…
一人住まいの母を蕎麦屋に連れて行ったのは母が蕎麦を食べたがっているからだった。父も母も四国は讃岐の人間だ。讃岐はうどん。自分も香川生まれで、物心ついたころからうどんを食べていた。我が家は当時転勤で横浜に住んでいたが母と自分達姉弟は夏休みの…
名古屋という街には余り直接的な縁がない。横浜の小学校を卒業した春に父は広島に転勤となった。そこへ向かう途中に何故か名古屋で一泊した。お城は立派だがコンクリート製だった。むしろその堀の中に敷かれていたレールに目が行った。名鉄瀬戸線。電車好き…
どの国にも美味しいパンがある。日本なら食パンだろうか。イギリスのパンから来たようだが日本の食パンは柔らかさを追求しているようだ。実際テレビのコマーシャルも生の食パンが如何にふわりと千切れるかを見せるシーンが多い。似た形でもこれをイギリスで…
中華鍋の把手にはタオルでも巻き付けられている。そこを握り鍋を揺らす。もう一つの手は玉杓子を踊らせる。この時の音を形容するならカラコンカラコンとなる。米は宙を舞い鍋に着地する。ウルトラCだろう。オヤジの鍋杓子使いは神業か。最後に中華鍋をもう…
いつも予算達成だな。なんとも羨ましい・・。 決められた計画。達成したことはあっただろうか?ここで言う計画とは夏休みに何をするか、と言った小学生の立てる目標ではない。仕事の話だ。 仕事には多くの計画がある。事業計画と呼ばれる。会社はその計画で…
母方の祖父祖母は香川のとある港町で自転屋を営んでいた。夏休みになるとひと夏ずっと母は里帰りし自分もそこで暮らしていた。古い商店街に面した店の二階で寝泊まりしていた。朝になると通りを一団が掛け声を上げながら通り過ぎる。さながらそれは軍隊の行…
一杯のラーメンを目にしていた。その店は間違えなく二回目だった。そしてそれは三十年以上前の話だった。 あの頃毎冬が楽しみだった。行くと思うと胸が踊った。スキーだった。原田知世主演の映画のヒットもありスキー全盛期だった。男同士のスキーは技術的向…
いつも飽きもせずに「もりそば」ばかりよく食べるなあ。 当時自分は電子機器の海外営業部に属していた。商品を海外の会社にOEM販売していた。そのお方の肩書は部長さんだが営業ではなく技術部門ご出身で技術アドバイザーでいらした。茶色が彼の好みなのだろ…
専門店で食べたことは一度きりだった。それで自分で何とか似たものを作ろうというのも無理な話だった。それらしかったが違っていた。本物を食べたくなり店を探した。隣町のショッピングビルのフード・コートの一角に店を見つけた。 スープは辛さが三段階。載…
「今夜はカレーよ」。「リンゴと蜂蜜、トローリ溶けてる」 カレーを巡ってのテレビコマーシャルは多くが記憶に残る。カレーはラーメンと並び日本人の国民食と言われている。成人してからは何故か自分は余りカレーが好きではなかった。あれ一皿にせいぜいサラ…
革新、イノベーション。それはいつも会社人生では求められできた。イノベーションには「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」がある。前者は既存市場での顧客の満足度を上げていく取り組み。後者は既成概念にとらわれず新発想を取り入れ新しい…
相模原市はいつの間にか巨大化し旧津久井郡も巻き込んでしまった。神奈川県津久井郡は消滅し、傘下の相模湖町、藤野町、津久井町、城山町。それらはすべて今では幻の地名になってしまった。神奈川県北東部の山梨県との県境が相模原市緑区と言われてもピンと…