FCH(橋下徹1)

黒船なき令和の日本で、革命なき安逸の日々のなかで、激烈な政権交代は起きるのか?

しかし、いま変わらなければ――かならず日本は、沈む!

百戦錬磨の戦略家、橋下徹(55歳)。時代を見定め、歴史を洞察し、日本人の本質を透徹した先に見えた悪魔的リアリズム、それが「政権変容論」だ。橋下氏は言う。

「『政権変容』が劇的に新しいのは、自民党がどうであろうと関係なく、野党が腹を括って決断しさえすれば次の総選挙で実現できるところです」

2024年の選挙から、グレートリセットは始まるのだ。

7月19日発売の最新刊『政権変容論』(講談社刊)から、特別に内容を抜粋してお届けしていこう。

『政権変容論』連載第参七回

有権者はもはや“政治”に期待していない…そんな今こそ「政権変容」が必要である!』より続く

 

 

AMK「この投稿どうなん?」

FCH「女王笙子を救わなかった。風上にも置けない男」

 

二点目。間主観的必要に関わって、さらに指摘しておきたいのは、本書で扱ってきた歴史と、スミスの「共感(sympathy)」の今日的表現についてである。一八世紀のスミスが sympathy という語で表した事柄は、今日の英語では、sympathy ではなく、むしろ empathy という言葉で表現されている。現代英語での用法は、どちらも「共感」と訳しうるが、あえて訳し分けるとすれば、前者が「同情」で後者が「共感」だろうか。現代英語における後者について、ブレディみかこは、その意味内容を「他者の靴を履く」と表現しているが、まさしくスミスの共感理論と合致する。スミスが後者を採用しなかったのは、当時の英語に後者が無かったからである。英語の empathy は、二〇世紀に入って、ドイツ語の Einfühlung の訳語として作られた。「感情移入」とも訳されるこのドイツ語は、アイザイア・バーリンによるとヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの造語だという。ヘルダーはスミスの『道徳感情論』を読んでいる。このドイツ語はエドムンド・フッサールによっても使われ、間主観性概念とともに、いくつかある彼の理論の鍵概念となっている。スミスの慣習による必要を、本書では存在論的見地から「間主観的必要」と捉えたが、それはこのような歴史的な概念の繋がりをも背景としている。

 

[#地から1字上げ](終章、二三六頁)

[#地から1字上げ](山森亮、忘れられたアダム・スミス勁草書房、2024年)

 

もちろん、細かく分析していけば、スミスの「共感(sympathy)」概念とフッサールの「共感/感情移入(Einfühlung)概念には相違もある。ここでの示唆は、それらがまったく同一だということではなく、第一に、それらがともに現代英語における「共感(empathy)」という概念に包摂されるものであるということ、第二に、その共感との関係でたちあがる必要を、「間主観的」と呼ぶことは、現代英語における共感概念の成り立ちの歴史的経緯とも整合性があるのではないだろうか、ということである。

 

[#地から1字上げ](終章、二三六頁)

[#地から1字上げ](山森亮、忘れられたアダム・スミス勁草書房、2024年)

 

問題がわかれば問題は解決する。今回の自民党総裁選は、彼らに答えを問うのではなく、われわれは、彼らの問題を問うべきだった。そうすれば、自民党以外の国民をも、彼らの議論に巻き込むことが可能となって、結果、選出された自民党の総裁は、名実ともにわれわれ国民の総理となって、これから起きるであろう、年内の解散総選挙などは必要がなかったであろう。

 

[#地から1字上げ](てなもんや・新党わさお

 

【写真】『沈黙』を続けるAマッソの加納さん