宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

ブログ内容の紹介

謎の多い宮沢賢治の作品をそこに登場する植物を丁寧に調べることによって読み解いています。本ブログの内容は,ブログ名について,作品論,エッセイの3項目から構成されています。作品論とエッセイにあるカテゴリー名末尾の括弧内の数字は各カテゴリーの記事数を表します。例えば,「やまなし(41)」は童話『やまなし』に関して41つの記事があることを表しています。各カテゴリー名をクリックすると記事名が表記され,さらに記事名をクリックすると本文を読むことができます。『銀河鉄道の夜』に関しては記事数が多いので「銀河鉄道の夜(総集編) (5)」を最初に読んでいただければと思います。

 

1.ブログ名について

橄欖の森とは

 

2.作品論

小岩井農場(5)

敗れし少年の歌へる(7)

芥川龍之介(13)

業の花びら(21)

蠕虫舞手(5)

二十六夜(3)

サガレンと八月(2)

四又の百合(4)

ガドルフの百合(6)

土神ときつね(6)

氷河鼠の毛皮(4)

シグナルとシグナレス(3)

ビヂテリアン大祭 (1)

やまなし (41)

若い木霊 (8)

水仙月の四日 (1)

どんぐりと山猫 (2)

春と修羅 (20)

風野又三郎 (1)

十力の金剛石 (2)

花壇工作 (1)

鹿踊りのはじまり (1)

北守将軍と三人兄弟の医者 (1)

毒もみの好きな署長さん (1)

マグノリアの木 (1)

銀河鉄道の夜(目次) (1)

銀河鉄道の夜(種々) (7)

銀河鉄道の夜(心理と出自)(5)

銀河鉄道の夜(三角標) (11)

銀河鉄道の夜(宗教) (6)

銀河鉄道の夜(リンゴ) (7)

銀河鉄道の夜(発想の原点) (12)

銀河鉄道の夜(総集編) (5)

ひのきとひなげし (1)

なめとこ山の熊 (1)

烏の北斗七星 (6)

よく利く薬とえらい薬 (4)

 

3.エッセイ

宮沢賢治の性格(24) 

賢治と化学(1)

宮沢賢治の母(3)

鬼滅の刃(2)

烏瓜のあかり (3)

賢治作品に登場する謎の植物 (5)

希少植物 (1)

湘南四季の花 (4)

 

 

詩「かはばた」は賽の河原がイメージされている

 

詩「かはばた」(1922.5.17)は,「かはばたで鳥もゐないし/(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)/風の中からせきばらひ/おきなぐさは伴奏をつゞけ/光のなかの二人の子」というものである。

 

「かはばた」は川端で「川のほとり」とか「川岸」という意味である。下書稿では題名が「労働」となっている。しかし,詩「かはばた」の川岸ではこの世の出来事とは思えない光景が広がっている。

 

「かはばたで鳥もゐないし」とは何か

大人の目線で地上の見渡せる範囲は数kmに及ぶとされる。人が川岸に立って見渡したとき「かはばた」に鳥が1羽もいないということはあるのだろうか。鳥の餌である昆虫や魚もいないということか。あるいは草も生えてなく,土の中の生物もいないということか。川の水は有毒で石ころだらけの所であるのか。疑問だらけである。つまり,自然描写としては到底あり得ない話しである。

 

「(われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)」とは何か

燕麦はイネ科カラスムギ属に分類される「エンバク」(Avena sativa L.)のことである。英語名の「Oat」(オート)からオート麦あるいはオーツ麦とも呼ばれる。日本には明治時代初期に導入され,特に北海道において栽培された。日本での利用は馬の飼料,特に軍馬の飼料として栽培が奨励された。また,人間の食用とされる例は少ない(Wikipedia)。

 

「かはばた」で,「われわれ」が馬の飼料である燕麦を担いでいるとあるが,何をしているのであろうか。燕麦の種まきのためか。

 

詩「小岩井農場」(1922.5.21)パート七に,

「はたけに置かれた二台のくるま/このひとはもう行かうとする/白い種子は燕麦(オート)なのだ/(燕麦(オート)播(ま)ぎすか)/(あんいま向(もご)でやつてら)/この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏(おそ)れてゐる/ひじやうに恐ろしくひどいことが/そつちにあるとおもつてゐる/そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と/けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり/こはがつてゐるのは/やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の労働なのか/(こやし入れだのすか/堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)/(あんさうす)/(ずゐぶん気持のいゝ処(どご)だもな)/(ふう)/この人はわたくしとはなすのを/なにか大へんはばかつてゐる」(宮沢,1985 下線は引用者 以下同じ)とある。

 

この詩には畑で燕麦蒔きを始めようとしている老農夫が描かれている。ただ,この農夫は燕麦蒔きの仕事を畏れている。なぜ,畏れているのか。それは,燕麦蒔きのときに土に混ぜる肥料のせいだと思われる。老農夫は肥料に堆肥と過リン酸を使うと言っている。過リン酸石灰は硫黄成分を含む。これを発酵温度が上がらない状態で堆肥と混合させると有毒ガスである硫化水素(H2S)が発生してしまうことがある。だから,老農夫は燕麦蒔きの仕事で恐ろしいことが起こることを危惧しているのだ。廐肥車に馬がついていないのはそのためだ。現在,過リン酸石灰と堆肥の混合方法は発酵温度の上昇が見られるようにマニュアル化されていて安全であるが,当時は危険な作業とされていたのであろう(畜産環境技術研究所HP,2025)。

 

蒼鉛の労働とは何か。蒼鉛はビスマスのことである。当時ビスマスは鉛の精錬過程で得られていた。鉛の精錬過程で有害な物質が生じるので危険な作業と言われていた。

 

つまり,燕麦蒔きは危険な労働なのである。危険な労働である燕麦蒔きを石がごろごろしているような「かわばた」で行なうとはどういうことを意味しているのであろうか。多分,何らかの罰が与えられている。それも,「風の中からせきばらひ」とあるように「性的衝動」によってもたらされた罪によるものであろう。

 

「おきなぐさは伴奏をつゞけ」とは何か

この詩句は下書稿では「どのおきなぐさもゆれつゞけ・・・」となっていた。「おきなぐさ」は前ブログ(2025)で述べたが「かわばた」などの石がごろごろしている所には自生しない。自生するところは日当たりのいい草原である。「オキナグサ」は賢治にとって神聖な植物であるが,「ゆれつゞけ」とあるように,「ゆうれいぐさ(幽霊草)」(前ブログ,2021)の別名もあり不気味な植物でもある。

 

つまり,詩「かはばた」の川岸は「鳥がいない」,「危険な労働」を強いられる,そして「幽霊草」が生えているような不気味な場所なのである。

 

詩「かはばた」で記載されている場所は現実世界ではないと思われる。死後の世界のような所,つまり「賽(さい)の河原」がイメージされている。

 

「賽の河原」は,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信であるが,死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途の川の河原である。十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,子供はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている(改訂新版 世界大百科事典より)。

 

「賽の河原」という俗信に登場する「小石を積んで塔を造ろうとする」,「十にも足らない幼き亡者」とは詩「かはばた」では「燕麦の種を背負う」,「光のなかの二人の子」である。

 

「光のなかの二人の子」がどうなったかは,同時期に書かれた童話『ひかりの素足』(第一形態1922年前半ごろまで)で詳細に語られている。童話『ひかりの素足』に登場する「光のなかの二人の子」は〈一郎〉と〈楢夫〉である。この童話は,〈一郎〉と泣いてばかりいる弟の〈楢夫〉という二人の子が現世と前世で罪を犯したということで「うすあかりの国」(地獄のような所)に落ち,そこで手に鞭(むち)を持つ「鬼」に赤い瑪瑙の棘のある地面を裸足で歩かせる苦行を強いられる物語である。この「うすあかりの国」で〈一郎〉は「私を代わりに打って下さい,楢夫はなんにも悪いことはないのです」,「楢夫は許してください」と言って,何度も泣きじゃくる楢夫を抱きしめ,罰を与える「鬼」から一生懸命に守っていた。〈一郎〉には賢治が,〈楢夫〉には恋人が投影されていると思われる。

 

つまり,詩「かはばた」(1922.5.17)を心象スケッチしていた頃,賢治と恋人は「地獄」に落ちていたと言っているのだ。あるいは,賢治がそう認識している。賢治は,昭和5年(1930)頃に文語詩を作るにあたって自身の年譜(「文語詩篇ノート」)を作成している(宮沢,1985)。1922年5月~12月の頁には赤インクで「この群の何ぞ醜き」と書き込んでいた。

 

童話『ひかりの素足』で二人の犯した罪については何も語られていない。

 

童話に登場する「鬼」が東北に南から移住してきたものたちに対する先住民の「疑い」や「憎しみ」や「反感」が鬼化したものであるという前提で二人の罪を推測してみたい。現世での〈一郎〉(=賢治)の罪は,先住民の末裔である女性を東北以外の地へ連れ出そうとしたことであり,〈楢夫〉(=恋人)の罪は母の忠告に従わず近代西洋の文化を語る賢治に近づき関係をもったことであろう(前ブログ,2023a)。前世の罪は宮沢家の祖先あるいは同族たちが東北の先住民の土地や財産を搾取してきたことであろう。また,東北に侵略してきた大和朝廷やそれに続く中央政権と何らかの関係を持っていたと疑われてもいる(前ブログ,2022,2023b)。

 

賢治の母方・父方の先祖は,江戸時代初期に京都から花巻に下った公家侍・藤井将監を始祖としている。この子孫が花巻の地で商工の業を営み「宮沢一族」と呼ばれる地位と富を築いた。賢治の父・政次郎も地主であるとともに質・古着商で富を築いた。また,母方の祖父・宮沢善治は一代で実業家として,あるいは県内の山林原野を手中に納める大地主として財をなし,県でも有数の多額納税者となった。花巻銀行,花巻温泉,岩手軽便鉄道の設立にも尽力した。ちなみに,大正5年の所得納税額は県内で18番目(花巻では4番目),地租納税額は9番目(花巻では3番目)である(前ブログ,2022)。

 

「賽の河原」では,この世の親を慕って恋い焦がれると地蔵菩薩が現れ子供を救うが,童話『ひかりの素足』では〈一郎〉が「にょらいじゅりょうぼん第十六」とつぶやくと「大きなまっ白なすあし」の人が現れ子供を救う。この「大きなまっ白なすあし」の人は立派な「瓔珞」をかけ黄金の円光を冠っていることから観世音菩薩(円光観音)だと思われる。ただし,現世に戻されるのは〈一郎〉(=賢治)だけである。

 

このとき,「大きなまっ白なすあし」の人は,〈一郎〉に「こはいことはない。おまへたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のやうなもんだ。なんにもこはいことはない」と説いて聞かせる。賢治は,この童話で自分が犯した罪が前世のものも含めて,この世界を包む大きな徳に比べれば「あざみ」の棘のさきの小さな露のようなものだったと主張したかったのであろうか。出版された詩集『春と修羅』の表紙もアザミの絵で飾られている(前ブログ,2024)。恋人を守ったと言っているが,自分だけ救われるとは,ずいぶんと虫が良すぎる話しであるとも思われる。賢治もこの童話を「センチメンタル/迎意的なり」と自己評価している。

 

詩「かはばた」の「光のなかの二人の子」とは童話『ひかりの素足』に登場する賢治が投影されている〈一郎〉と恋人が投影されている泣いてばかりの〈楢夫〉のことである。つまり,地獄に落ちたと思っている賢治と恋人である。ただ,賢治は「どのおきなぐさもゆれつゞけ・・・」を「おきなぐさは伴奏をつゞけ」に修正したことで,「おきなぐさ」を童話『おきなぐさ』の「星」になる「二本のうずのしゅげ」とし,「伴奏」を「伴走」(寄り添って歩む)とすれば二人には光がさしこまれてもいる。

 

詩集『春と修羅 第一集』は「序」を巻頭に第1章「春と修羅」(19篇),第2章「真空溶媒」(2篇),第3章「小岩井農場」(1篇),第4章「グランド電柱」(20篇),第5章「東岩手山」(4篇),第6章「無声慟哭」(5篇),第7章「オホーツク挽歌」(5篇),第8章「風景とオルゴール」(13篇)の,8章69篇の作品で構成されている。

 

詩「かはばた」は詩集『春と修羅 第一集』の第1章「春と修羅」の最後の詩篇でもある。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

畜産環境技術研究所HP,2026(調べた年).過リン酸石灰の添加でアンモニア臭を減らす方法の手順.https://chikusan-kankyo.jp/newhomepage/taihiss/zaiya/karin/houhou.htm

前ブログ,2021.賢治作品に登場する謎の植物-サキノハカとクラレの花.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/10/104952

前ブログ,2022.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (2) -実在した人物に対応させることができるか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/17/132713

前ブログ,2023a.童話『やまなし』考-蟹の母が子の行動に対して禁止したもの(試論 第1稿)(試論 第2稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/03/11/103423https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/03/12/063009

前ブログ,2023b.童話『やまなし』になぜ蟹が登場するのか明らかにする(第3稿)-童話『二十六夜』との関連から-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/03/20/084706

前ブログ,2024.個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 4)-表紙にあるアザミの紋様が意味するもの-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/06/04/083325

前ブログ,2025.童話『おきなぐさ』考-「おきなぐさ」はなぜ星になれるのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/12/28/085840

 

詩「おきなぐさ」の「冠毛の質直」とは何か

 

詩集『春と修羅 第一集』の詩「おきなぐさ」(1922.5.17)は,以下のようなものである。

風はそらを吹き/そのなごりは草をふく/おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)/松とくるみは宙に立ち/(どこのくるみの木にも/いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)/ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸(くわうさん)の雲

                    (宮沢,1985)

 

1.「風はそらを吹き/そのなごりは草をふく」とは何か

春の「風」は,詩「〔わが雲に関心し〕」で「わが雲に関心し/風に関心あるは/たゞに観念の故のみにはあらず/そは新なる人への力/はてしなき力の源なればなり」とあるように,人間の行動の原動力となる根源的なエネルギー,つまり,フロイト的にはリピドー(Libido;性的衝動)のようなものである。性的な興奮をもたらす「風」が上空にも地表にもに吹き渡っているという意味であろう。また,同時に「風が吹く」という言葉には,童話『おきなぐさ』を読むと強い西風のようなので,賢治と恋人が一緒に「東」の遠い所へ行くという機運が高まったという意味もあると思われる。

 

2.「おきなぐさ冠毛の質直」とは何か

賢治はくらかけ山の下あたりの「おきなぐさ」の咲く草地を好んだ。詩「白い鳥」(1923.6.4)に「古風なくらかけやまのした/おきなぐさの冠毛がそよぎ」,また詩「小岩井農場」(1922.5.21)パート一に「これから五里もあるくのだし/くらかけ山の下あたりで/ゆつくり時間もほしいのだ/あすこなら空気もひどく明瞭で/樹でも艸でもみんな幻燈だ/もちろんおきなぐさも咲いてゐるし/野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて/わたくしを款待するだらう」とある。賢治は「おきなぐさ」を黒ブドウ酒のコップに見立てている。賢治はまた小岩井農場からくらかけ山のあたり一帯にかけての岩手山南麓をDer heilige Punkt (神聖な場所)と呼んでいた。つまり,賢治にとって「おきばぐさ」は聖なる植物でもあった。

 

「おきなぐさ冠毛の質直」の意味は,童話『おきなぐさ』(1923年6月頃)に登場する「おきなぐさ」が「星」になる理由と深く関係する(前ブログ,2025b)。

 

童話で,「おきなぐさ」は「小岩井農場の南,あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわ」に咲く「二本のうずのしゅげ」として登場する。この「二本のうずのしゅげ」は上空の雲が西から東に駈けていくのを見て面白いと感じ,自分たちも今すぐ東に飛んで行きたいと願った。しかし,西の遠い空から羽を変にかしげながら降りてきた「ひばり」に「東」へ飛び出すのは「二か月お待ちなさい」と言われ,「素直」にそれを受け入れてしまう。2か月後「二本のうずのしゅげ」の冠毛を付けた種子は南風に乗って北へ飛んで行く。そして,生命を全うした「二本のうずのしゅげ」の「魂」は天上に上り「星」(変光星)になったということが語り手でもある「私」によって語られる。

 

童話『おきなぐさ』で,なぜ「二本のうずのしゅげ」は「星」になれるのか。それは,「ひばり」が「瓔珞」を付けた聖なるものだからである。つまり,「法華経」に登場する〈観世音菩薩〉の化身である「ひばり」の言葉を「素直」に受け入れたからである。この「素直」は法華経的には「質直」という。つまり,「おきなぐさ冠毛の質直」である(前ブログ,2025b)。

 

「二本のうずのしゅげ」には賢治と恋人が投影されている。二人は結婚を反対されているので遠い所に駆け落ちする相談をしていた。しかし,「質実」な心をもつ賢治は「七つ森のいちばん西のはずれの西がわ」の地で天から降りてきた〈観世音菩薩〉の声を聞き,それを素直に受け入れ状況が落ち着くまで「東」の遠い所へ行くことを暫く断念し,反対されている原因と関係する北方に関心をもつことにしたのであろう。そして,恋人もそのときは賢治に従ったのだと思われる。多分,「東」の遠い所とはアメリカであろう(前ブログ,2025a)。

 

つまり,「おきなぐさ冠毛の質直」とは心象スケッチ的には天の声を聞いて遠い所への駆け落ちをしばらくのあいだ断念することにしたということである。さらに,賢治は詩「おきなぐさ」の4日後,小岩井農場と岩手山南麓の間の神聖な場所で「ひばり」のさえずりを聞いた後に〈観世音菩薩〉の化身である「瓔珞」を付けた〈緊那羅 〉を幻視することになる。

 

3.「松とくるみは宙に立ち/(どこのくるみの木にも/いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)」とは何か

 

「松」も「くるみ」も聖なる植物である。また,「金のあかご」は菩薩などが身につける「瓔珞」のことである。

 

大正8年(1919)5月の保阪嘉内宛葉書に「うち青む/春のくるみの枝々に/黄金(きん)のあか児ら/ゆらぎかゝれり。」とある。また,詩「〔あちこちあをじろく接骨木(にはとこ)が咲いて〕」(1925.5.25)には「あちこちあをじろく接骨木(にはとこ)が咲いて/鬼ぐるみにもさはぐるみにも/青だの緑金だの/まばゆい巨きな房がかかった・・・」とあり,その下書稿(二)では「にはとこが/月光いろに咲いたので/鬼ぐるみにも/まばゆい青や緑金や/瓔珞がみなかけられる」とある。つまり,賢治にとって「金のあかご」は「瓔珞」がイメージされている。これは,自閉スペクトラム症的傾向を持つ賢治の「こだわり」である。賢治は自然界にある形が「瓔珞」に見えるものに強い「こだわり」を持っている。第1図にオニグルミの枝に垂れ下がった雄花,つまり「まばゆい巨きな房」を示す。賢治はこの雄花を「瓔珞」と見なし,その尊さを強調して「金のあかご」と表現した。

 

第1図.瓔珞のように見えるオニグルミの雄花.

 

研究者によっては「金のあかご」を果実だとするものがいる。「オニグルミ」は春に雄花や雌花が咲き,初夏に受粉し果実がついてくるが黄色に熟するのは秋である。春に果実はつかない。

 

「松とくるみは宙に立ち/(どこのくるみの木にも/いまみな金のあかごがぶらさがる)」とは,神聖な松やクルミが宙に浮いたように現れ,どの「クルミ」の木にも神聖なものの「あかし」である雄花の「瓔珞」が飾られた。という意味であろう。

 

4.「ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸の雲」とは何か

フロイト的に言えば,「しゃっぽ」(帽子のこと)は男性の象徴で,「はな」は女性を象徴するものである。「光酸」は溶かすものという意味である。「冬のスケッチ」の 四十三に「雲の傷みの重りきて,/光の酸をふりそゞぎ,/電線小鳥 肩まるく,/ほのかになきて溶けんとす。」とある。幾きれ浮かぶ雲が「光酸」で溶かされれば,雲はなくなる。つまり,青空である。実際に1922年5月17日の花巻に近い水沢の雲量(0~10)は6時で9,14時で1,22時で0である。青空は国際雲図帳によれば「CH=0」である。つまり,「CH=0」の符号は化学の世界ではカルボン酸に似ている。カルボン酸のカルボニル基「C=0」は賢治にとっては男性の性的興奮を意味している(前ブログ,2025c)。

 

「ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸の雲」とは,天の声を「質実」な心で聞き,駆け落ちするのをしばらく止めることにしたが,リビドーの風が吹く中では二人の関係を終わらせることができなかった。と言う意味であろう。賢治は,自分の性的なエネルギーを「みんなのさいはひ」に向かわせようとしたが,悲しいことに恋人に会えば恋人の体を求めてしまう。と嘆いている。賢治は自分の性的なエネルギーをコントロールできないで苦しんでいるのだ。

 

賢治のこの詩をスケッチした頃の状況は,1)結婚を親および近親者たちから反対されている。2)当時は親の承諾がなければ結婚できなかったので駆け落ちが生きていくための残された唯一の道だった。しかし,賢治と恋人はこれも暫くできなくなった。3)地元から離れることも,別れることもできず,監視されているなか密会という形で関係が持続している。というものであろう。賢治はこれらを「春と修羅」と呼んだのだと思われる。

 

これは,世俗では「許されざる恋(許されない恋)」というものである。世間的に認められない恋愛関係である。

 

賢治は,昭和5年(1930)頃に文語詩を作るにあたって自身の年譜(「文語詩篇ノート」)を作成している(宮沢,1985)。1922〜1923年までの恋人との恋と破局が記されるはずのページに本編では「この群の何ぞ醜き(1922年5月~12月 赤インクで)」や「<石投げられし家の息子>(1923年4月~8月 赤インクで)」という文字が書き込まれていた。また,ダイジェスト版では1921年以降は空白になっていた。不思議なことに1922〜1924年の間の書簡類も1922年の年賀状1通以外まったく残されていない。あるいは公表されていない。ちなみに,1921年は19通,1925年は17通である。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

前ブログ,2023.童話『やまなし』考-蟹の母が子の行動に対して禁止したもの(試論 第2稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/03/12/063009

前ブログ,2025a.童話『ポランの広場』におけるシロツメクサの灯りの番号七千が意味するもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/12/15/082250

前ブログ.2025b.童話『おきなぐさ』考-「おきなぐさ」はなぜ星になれるのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/12/28/085840

前ブログ,2025c.詩「雲の信号」のタイトルの意味するものは何か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/10/29/081636

 

お礼 tango777さん 読者になっていただきありがとうございます。2026.1.2.

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.1.2

童話『おきなぐさ』考-「おきなぐさ」はなぜ星になれるのか

 

詩集『春と修羅 第一集』の詩「休息」(1922.5.14)の3日後の詩「おきなぐさ」(1922.5.17)は難解である。しかし,1年後に書かれた童話『おきなぐさ』(1923.6)を読むと,詩「おきなぐさ」が何を言おうとしているのか何となく理解できるようになった。特に,童話では「おきなぐさ」が生命を全うしたあと,なぜ「星」になれるのかを知ることが重要である。本稿では詩「おきなぐさ」を理解するために童話『おきなぐさ』の「おきなぐさ」が「星」になれる理由を考察する。

 

童話『おきなぐさ』(1923年6月頃)で「おきなぐさ」は,「小岩井農場の南,あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわ」の「かれ草の中」に咲いている「二本のうずのしゅげ」として登場する。

 

「おきなぐさ」はキンポウゲ科の「オキナグサ」(Pulsatilla cernua (Thunb.) Bercht. et C.Presl)のことで高さ20~40cmになる多年草である。全体に白毛を密生する。5月,花を1個,頂生し,鐘形で下向きに開く(第1図A)。花が終わると花柄がのびて,夏にはタンポポのような冠毛を持った種子をたくさんつける(第1図B)。その様子が翁の白髪のようだということで,「オキナグサ(翁草)」あるいは「うずのしゅげ」の名がついた。「オキナグサ」は現在では絶滅危惧種であり,環境省では絶滅危惧Ⅱ類に,岩手県ではAランクに指定されている。しかし,賢治が生きていた頃,八幡平市,盛岡市,遠野市など,沿岸を除く各地に分布していた。成育場所は日当たりのいい草原である。

 

第1図.オキナグサ(A)と冠毛(B).

 

童話『おきなぐさ』で,この「二本のうずのしゅげ」は花(正確には萼片)が終わると冠毛を持ったたくさんの種子ができる。そして,自分の命を全うしたということで次世代へ繋ぐ冠毛のついた種子を風によって飛ばすと同時に自ら「魂(たましい)」となって天に昇っていく。ただ,不思議なことに,童話『おきなぐさ』では,この天に昇った「二本のうずのしゅげ」の「魂」は「星(変光星)」になるのである。

 

なぜ「二本のうずのしゅげ」の「魂」は「星」になることができるのか。賢治作品で植物が「星」になる例として童話「ひのきとひなげし」(初期形 1921~1922)に登場する「二つのつめくさの花」がある。この「二つのつめくさの花」は「二茎の青蓮華」になったのちに「天上の花」つまり「星」になる。「星」になる理由は良い行いをしたことと青蓮華になってもおごり高ぶらなかったからである。

 

このけだかい二人は,前は海の向ふの青い野原のまん中に沢山の沢山の仲間と一所に咲いた二つのつめくさの花でした。ある夜,そらが黒く,地面も黒く,剽悍(ひょうかん)な旅人が道を失ひ,野牛が淋しさに荒れ狂ふとき,小さな二人はあらん限りの力を出して,微かな青白い花の灯(ともしび)をともしたのでした。あゝそれこそは,瓔珞をかざり霜のうすものをつけたあの国の貴人たちに,うやまはれ尊ばれた二茎の青蓮華になったのです。これらの花はみな幸福でした。そんなに尊ばれても,その美しさをほこることをしませんでしたから,今は恐らくみなかゞやく天上の花でせう。

                      (宮沢,1985)

 

 

では,童話『おきなぐさ』で「二本のうずのしゅげ」は「二つのつめくさの花」と同じように人助けなどの良い行いをしたのであろうか。考えてみたい。

 

この童話でだれが見ても良い行いだとするものは見当たらない。

良い行いかもしれないと思われるのが以下の引用文の中に記載れている。「二本のうずのしゅげ」が強い西風の中で「面白そうだから飛び出してみたい」と言ったとき,「ひばり」が「もう二か月おまちなさい」と諭す場面である。

 

西の方の遠くの空でさつきまで一生けん命啼いていたひばりがこの時風に流ながされて羽を変にかしげながら二人のそばに降りて来たのでした。

「今日は,風があっていけませんね」

「おや,ひばりさん,いらつしゃい。今日なんか高いとこは風が強いでせうね」

「ええ,ひどい風ですよ。大きく口をあくと風が僕のからだをまるで麦酒瓶(ビールびん)のやうにボウと鳴らして行くくらいですからね。わめくも歌うも容易のこつちやありませんよ」

「そうでしょうね。だけどここから見ているとほんとうに風はおもしろそうですよ僕たちも一ぺん飛とんでみたいなあ

飛べるどこじやない。もう二か月お待ちなさい。いやでも飛ばなくちやなりません」

 それから二か月めでした。私は御明神へ行く途中もう一ぺんそこへ寄つたのでした。

 丘はすっかり緑でほたるかずらの花が子供の青い瞳のやう,小岩井の野原には牧草や燕麦(オート)がきんきん光つておりました。風はもう南から吹いていました。

 春の二つのうずのしゅげの花はすつかりふさふさした銀毛の房にかわつていました。野原のポプラの錫(すず)いろの葉をちらちらひるがえし,ふもとの草が青い黄金(きん)のかがやきをあげますと,その二つのうずのしゅげの銀毛の房はぷるぷるふるえて今にも飛び立ちそうでした。

               (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

 

この場面で重要なのは,強烈な西風に乗って直ぐにでも飛び出したい「二本のうずのしゅげ」が「ひばり」の南風が吹くまで「二か月お待ちなさい」という忠告を「素直」に受け入れたことである。「ひばり」が悪党か嘘つきかもしれないのに。多分,これが「おきなぐさ」の良い行いだったのだと思われる。

 

なぜなら,童話『おきなぐさ』に登場する「ひばり」はただ者ではないからだ。多分,〈観世音菩薩〉の化身なのだと思う。つまり,「二本のうずのしゅげ」は〈観世音菩薩〉の化身である「ひばり」の忠告を「質直(しつじき)」に受け入れたのだと思われる。「質直」とは,後述するが,「法華経」に登場する仏あるいは菩薩の教えを「素直」に受け入れ,正直で飾り気のない心で修行に励むことを意味する言葉で,良い行いの基本となる心のあり方を示すものであるとされている。

 

「ひばり」が〈観世音菩薩〉の化身である根拠の一つとしては,「ひばり」が「西の方の遠くの空」から「羽を変にかしげながら」降りてくるということと,「ひばり」が「緊那羅(きんなら)」という「神」の姿に似ていることによる。

 

「ひばり」はヒバリ科の「ヒバリ(雲雀)」(Alauda arvensis Linnaeus)で告天子(こうてんし),叫天子(きょうてんし),天雀(てんじゃく)とも呼ばれる。全長17cm。後頭の羽毛は伸長(冠羽)する。上面の羽衣は褐色で,側頸から胸部にかけて黒褐色の縦縞が入るのが特徴である(Wikipedia)。

 

詩「小岩井農場」(1922.5.21)のパート四に興味ある記載がある。賢治は小岩井農場を散策していて「ひばり」の鳴き声を聞き,桜が幽霊だと感じると「爬虫がけはしく歯をならして飛ぶ」地質時代にタイムスリップしてしまう。このとき,同時に賢治は後からついてくる「瓔珞」をつけた「すあしのこどもら」を幻視することになる。賢治はこの子供らを「天の鼓手 緊那羅のこどもら」と記載している。

 

あんまりひばりが啼きすぎる/(育馬部と本部とのあひだでさへ/ひばりやなんか一ダースできかない)・・・・ひばりはしきりに啼いてゐる/(雲の讃歌(さんか)と日の軋(きしり)・・・・向ふの青草の高みに四五本乱れて/なんといふ気まぐれなさくらだらう/みんなさくらの幽霊だ・・・・いま日を横ぎる黒雲は/侏羅(じゆら)や白堊のまつくらな森林のなか/爬虫(はちゆう)がけはしく歯を鳴らして飛ぶ/その氾濫の水けむりからのぼつたのだ/たれも見てゐないその地質時代の林の底を/水は濁つてどんどんながれた・・・・すきとほるものが一列わたくしのあとからくる/ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り/またほのぼのとかゞやいてわらふ/みんなすあしのこどもらだ/ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし/めいめい遠くのうたのひとくさりづつ/緑金(ろくきん)寂静(じやくじやう)のほのほをたもち/これらはあるひは天の鼓手(こしゆ),緊那羅(きんなら)のこどもら

               (宮沢,1985)

 

つまり,賢治は複数の「ひばり」の鳴き声を聞いた後に複数の「瓔珞を付けた素足の子供ら」(=緊那羅 )を幻視しているのだ。「ひばり」と「瓔珞をつけた裸足の子供ら」つまり「緊那羅 」は密接な関係がある。

 

これは童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)の九章で難破船の〈女の子〉と〈男の子〉が青年と一緒に銀河鉄道の列車に乗り込んでくる場面を彷彿させる。〈ジョバンニ〉と〈カムパネルラ〉が苹果(りんご)と野茨の匂いを感じると.苹果と同じ赤い色のジャケツを着た〈男の子〉と野茨(野イチゴ)の実と同じ茶色の眼をした〈女の子〉が登場する(前ブログ、2021)。

 

「緊那羅」は,インド神話に登場する音楽の神(または精霊)であるが,仏教では護法善神の一尊で,天竜八部衆の一つである。伝承的には,「緊那羅」は音楽の「神」で,特に歌が美しいといわれる。タイなど東南アジアでは,下半身が鳥に似ている。

 

「ヒバリ」と「緊那羅 」を第2図に示す。「緊那羅」(C)は側頸から胸部にかけて「瓔珞」(A)をつけている。「ヒバリ」(B)も見ようによっては側頸から胸部にかけての黒褐色の縦縞が「瓔珞」に見える。多分,賢治もそう思っているはずだ。また,「緊那羅 」の下半身は鳥である。

 

第2図.瓔珞(A),ヒバリ(B),緊那羅(C) .出典はAが原(1999),BとCがWikipedia.

 

「法華経」の「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には,〈観世音菩薩〉(あらゆる方角に顔を向けたほとけ)はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞身」「梵王身」など,33の姿に変身すると説かれている。その中に「緊那羅 」もいる。また,童話『おきなぐさ』で「ひばり」は「西の方の遠くの空」から「羽を変にかしげながら」降りてくるが,〈観世音菩薩〉は西方にある極楽浄土という仏国土の教主とされる〈阿弥陀如来〉の脇侍(きょうじ)である。京都国立博物館の阿弥陀三尊来迎図(他の作者の来迎図でも)で,〈観世音菩薩〉は蓮台を持ち「くの字」に体をかしげて降りてくる。つまり,賢治が詩「小岩井農場」で「ひばり」を見た後に幻視した「瓔珞をつけた素足の子」(=緊那羅 )は,賢治にとっては〈観世音菩薩〉なのだと思われる。

 

以上のように,童話『おきなぐさ』で,「二本のうずのしゅげ」は天から降りてきた「ひばり」を〈観世音菩薩〉の化身だと直感的に感じ取り,「ひばり」の言葉を何の疑いも反感も起さずに無条件に受け入れたということである。

 

なぜそのような行為が仏教的に良い行いなるのであろうか。

 

それは,この行為が「法華経」のとくに「如来寿量品第十六」の教えと関係するからである。賢治は「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた。

 

「如来寿量品第十六」の「自我偈」に以下の記載がある。仏や菩薩の言葉に何の疑いも反感も起さず無条件に受け入れることは法華経的には「質直」という。現代語に訳せば「素直」という言葉に近いものである。ただ,この「素直」は仏や菩薩の言葉に対してである。

 

衆生既信伏 質直意柔軟

一心欲見仏 不自惜身命

時我及衆僧 倶出霊鷲山

        (坂本・岩本,1994)

 

訳せば「衆生はすでに私の導きを信じ,質直(素直)で柔軟な心をめぐらせ,一心に仏に会いたいと願って,自ら命をも惜しまないのであるなら,その時にこそ,私(釈尊)と仏道を求める者達は,ともに霊鷲山(りょうじゅさん)に姿を現すのである。」である。

 

つまり,「二本のうずのしゅげ」は「如来寿量品第十六」にある「質直」な心で「ひばり」の忠告を受け入れたということである。これが,法華経的には良い行いであることから,「星」になれるのである。

 

しかし,別の疑問も生じた。

童話『おきなぐさ』で,「ひばり」は5月には上空で強烈な西風が吹いていて2ヶ月後に南風になるということを言っているが,気象学的には正しくない。夏は東北地方の太平洋側では北東の風(やませ)が吹くこともあるのだ。賢治が意図的にそう言っているとしか思えない。

 

なぜ,春は西風で夏は南風になるということを〈観世音菩薩〉の言葉として「ひばり」に言わせたのだろうか。疑問である。

 

多分,春に西風だったものが夏になると南風になるのは賢治と恋人にしか通じない暗号である。これは,賢治の恋と関係があると思われる。「西風が吹く」とはアメリカ行きの機運が高まったという意味で,「南風が吹く」は,北へ行くことになるということか,あるいは結婚に反対する騒ぎが落ち着いてくることを意味しているように思える。例えば,「二本のうずのしゅげ」に賢治と恋人が投影されているとする。「二本のうずのしゅげ」(=賢治と恋人)は結婚を反対されアメリカへ駆け落ちしたかった。上空で強烈な西風が吹けば「二本のうずのしゅげ」はその強烈な西風に乗って東のアメリカまで行けると思っていた。「うずのしゅげの一本(多分恋人)」がそう強く望んだのであろう。実際に第二次世界大戦中,日本がアメリカ本土を攻撃するために開発した「風船爆弾」は上空の偏西風に乗ってアメリカへ届くこともあった。

 

しかし,熱烈な「法華経」の信者である「うずのしゅげの一本(多分賢治)」は天の声を聞いて時期尚早と判断して状況が落ち着くまで,あるいは解決の糸口が見つかりそうな北へ行けるまで,つまり,おだやかな南風が吹いてくるまで「しばらく待って」いた方が良いと受け取り,もう「一本のうずのしゅげ」を説得したのかもしれない。そして,もう一本の「うずのしゅげ」もそれを受け入れた。つまり,「しばらく待て」あるいは「北へ行く」という判断は,この童話の作者である「質直」な心を持つ宗教者としての賢治が〈観世音菩薩〉の化身である「ひばり」の鳴き声から直接感じ取ったものと思われる。5月12日の日付のある詩「手簡」で,賢治は自分の右側の「黄ばんだ陰の空間」を介して〈観世音菩薩〉に救済の手紙を送っていた(前ブログ,2025)。その返事が天空から降りてきた「ひばり」によってもたらされたのかもしれない。

 

実際に,童話『おきなぐさ』(1923.6)の執筆以降,賢治作品に米国行きを匂わせる表現は無くなり,その代わり北方への関心が高まり,丁度2か月後の大正12年(1923)7月31日から8月12日まで樺太へ旅行し,その後「アイヌ」や「ギリヤーク」などの北方民族に関わるものを作品に沢山登場させている。多分,結婚が反対されているのは二人の出自の違いからくるからだと思われる。恋人のルーツが北方なのだと思われる。一方,賢治のルーツは南(京都)である。(前ブログ,2022)。

 

「二本のうずのしゅげ」が「星」になれるのは,「法華経」に登場する仏(釈迦如来)や〈観世音菩薩〉の言葉を何の疑いもなく素直に受け入れる「質直」の心を持っていたからと思われる。

 

ちなみに,童話『おきなぐさ』の舞台である「小岩井農場の南,あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわ」は詩「休息」(1922.5.14.日曜日)で賢治と恋人が「一夜の旅」に出かけたと思われる温泉街の近くである。

 

次回は今回の理解を基にして「おきなぐさ冠毛の質直」という詩句が入る詩「おきなぐさ」(1922.5.17)を読んで行きたいと思う。

 

参考・引用文献

原 子朗,1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書館.

岩手レッドデータブック,2025(調べた年).オキナグサ.https://www2.pref.iwate.jp/~hp0316/rd/rdb/01shokubutu/0062.html

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

坂本幸男・岩本裕(注釈).1994.法華経下.岩波書店.

前ブログ,2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/02/095050

前ブログ,2022.童話『ガドルフの百合』考(第1稿)-「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」とは何か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/03/184853

前ブログ,2025.詩「風景」と同じ日付のある詩「手簡」が意味するもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/11/25/084947

 

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.12.28

詩「休息」で「よしきり」は何と言って泣いているのか

 

前ブログ(2025a)で詩「休息」(1922.5.14)は賢治と恋人が盛岡近郊の「七つ森」が見える温泉街に出かけたときのスケッチであろうと推測した。賢治はこの詩で雨が屋根を「ぱちぱち」叩く音を聞いて「よしきりはなく なく」と呟いた。私は,この詩に登場する「よしきり」には恋人が投影されていると思っている。本ブログでは,「よしきり」(=恋人)は何と言って鳴(泣)いていたのか推測してみたい。

 

詩「休息」の前半部は以下のようなものである。

そのきらびやかな空間の/上部にはきんぽうげが咲き/(上等の butter-cup(バツタカツプ)ですが/牛酪(バター)よりは硫黄と蜜とです)/下にはつめくさや芹がある/ぶりき細工のとんぼが飛び/雨はぱちぱち鳴つてゐる/(よしきりはなく なく/それにぐみの木だつてあるのだ)・・・・

                 (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「よしきり」が何と言って鳴(泣)いたかは,詩「休息」と同時期に執筆されたと思われる童話『よく利く薬とえらい薬』(1921 or 1922)にそのヒントが隠されている。私の知る限り,賢治作品で「よしきり」が登場するのは詩「休息」と童話『よく利く薬とえらい薬』とこれら作品の3年後の日付のある詩「渇水と座禅」(1925.6。12)の下書稿だけである。

 

童話『よく利く薬とえらい薬』は主人公の〈清夫〉と太ったことを気にしている〈大三〉が森の中の空地にあるとされる「透き通ったばらの実」を探すという物語である。〈清夫〉は賢治の宗教者としての分身であり,〈大三〉は「沢山の知識」で「慢心」(肥満?)となった科学者としての分身である。「透き通ったばらの実」は〈清夫〉にとっては「みんなのさいはひ」をもたらす手段としての「宗教」でありその「信仰」を手助けする「法華経」のことである。「透き通ったばらの実」を探すとは法華経を学ぶことであろう。一方,〈大三〉が手に入れたかった「透き通ったばらの実」は「自分をさいはひ」(自分をスリム?)にする手段としての「科学」のことである。この童話は,比喩の文学であり,「宗教」と「科学」に対する賢治の考え方が語られている。

 

ただ,この物語には賢治の破局した恋愛体験が挿入されている(前ブログ,2021)。「透き通ったばらの実」は「先住民」と思われる恋人の茶色い「涙に濡れた眼球」(tearful eye)でもある。

 

水溜(或いは沼)に棲む恋人が投影されている〈よしきり〉は森に入っていく〈清夫〉と〈大三〉に以下のように話しかけている。

 

森の中の小さな水溜(みづたまり)の葦(あし)の中で,さっきから一生けん命歌ってゐたよし切りが,あわてて早口に云いひました。

「清夫さん清夫さん,

お薬,お薬お薬,取りですかい?

 清夫さん清夫さん,

お母さん,お母さん,お母さんはどうですかい?

 清夫さん清夫さん,

ばらの実ばらの実,ばらの実はまだありますかい?」

(中略)

よしきりが林の向ふの沼に行かうとして清夫の頭の上を飛びながら,

「清夫さん清夫さん。まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と言って通りました。

 

すると今度は,林の中の小さな水溜みづたまりの蘆あしの中に居たよしきりが,急いで云ひました。

「おやおやおや,これは一体大きな皮の袋だらうか,それともやっぱり人間だらうか,愕おどろいたもんだねえ,愕いたもんだねえ。びっくりびっくり。くりくりくりくりくり。」

(中略)

よしきりが林の向ふの沼の方に逃げながら

「ふいごさん。ふいごさん。まだですか。まだですか。まだまだまだまぁだ。

 と云って通りました。

                 (宮沢,1985)

 

この物語に登場する恋人が投影されている〈よしきり〉はヨシキリ科の「オオヨシキリ(大葦切)」(Acrocephalus orientalis (Temminck & Schlegel, 1847))とされている(赤田ら,1998)。〈よしきり〉が〈清夫〉に「清夫さん清夫さん,ばらの実ばらの実,ばらの実はまだありますかい?」と挨拶をしているが,これは「聞きなし」のことである。「聞きなし」とは主に鳥の鳴き声を人間の言葉に当てはめて聞くことである。「オオヨシキリ」は赤い口の中を見せて「ギョギョシ,ギョギョシ,ケケシ,ケケシ,トカチカ」と大声でさえずる。これを〈清夫〉は〈よしきり〉が「清夫さん清夫さん,ばらの実ばらの実,ばらの実はまだありますかい?」と自分に話しかけていると感じている。「ばらの実」を「法華経」とすれば,恋人が投影されている〈よしきり〉は,賢治が投影されて〈清夫〉に「法華経,法華経,法華経,今日も読経ですか」と話しかけている。

 

〈よしきり〉が〈大三〉を「大きな皮の袋」とか「くりくりくり」と言っているのは賢治の農学校時代の容姿についてである。賢治の農学校時代の写真の中に,坊主頭(くりくり坊主)で皮の上着を着て座っているよく知られた写真(1924年)がある。この上着は,鹿皮の陣羽織を仕立て直したもので,授業以外で愛用していたという。

 

〈よしきり〉が〈清夫〉と〈大三〉に「沼の方に行こうとして,あるいは逃げながら「まだですか。まだですか。まだまだまだまぁだ。」と鳴いているが,この鳴き声には「法華経」を学ぶこと以外の意味も込められているように思われる。なぜなら,童話には〈よしきり〉以外にも沢山の鳥(つぐみ,ふくろう,かけす)たちが登場し〈清夫〉と〈大三〉に話しかけてくるが,「まだですか。まだですか。まだまだまだまぁだ。」と鳴くのは〈よしきり〉だけだからである。多分,他の鳥たちは農学校の生徒たちが投影されている。

 

同じ「沼」を扱った作品に『春と修羅 第二集』の詩「〔はつれて軋る手袋と〕」(1925.4.2)というのがある。この詩に「かういふひそかな空気の沼を/板やわづかの漆喰から/正方体にこしらえあげて/ふたりだまって座ったり/うすい緑茶をのんだりする/どうしてさういふやさしいことを/卑しむこともなかったのだ/……眼に象って/かなしいあの眼に象って……あらゆる好意や戒めを/それが安易であるばかりに/ことさらあざけり払つたあと/ここに蒼々うまれるものは/不信な群への憤りと/病ひに移化する疲ればかり」と書かれてある。

 

つまり,恋人は「沼」に「よしきり」が「葦」で巣を作るように所帯を構えて,賢治と「ふたりだまって座ったり」,「うすい緑茶をのんだり」する慎ましい生活を夢見ていたと思われる。そして,「清夫さん 清夫さん」あるいは「ふいごさん,ふいごさん」と名指しをして賢治に所帯を構えるのは「まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と訴えていたのだと思われる。

 

結婚は反対されていたので,前ブログ(2025b)でも述べたように,恋人は賢治に遠い所(例えばアメリカ)に連れ出して欲しかったのかもしれない。

 

つまり,詩「休息」の「よしきりはなく なく」という賢治の独り言には恋人の「まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」という訴えが旅館の屋根を「ぱちぱち」叩く雨の音として聞えたのだと思われる。

 

詩「休息」は「よしきりはなく なく」のあとに「それにぐみの木だつてあるのだ」という詩句が続く。〈よしきり〉に恋人が投影されているなら,「ぐみ」には賢治が投影されていると思われる。ちなみに,「ぐみ」はグミ科の「アキグミ」(秋茱萸Elaeagnus umbellata )と思われる。方言名に「グイミ」がある。グイはとげのこと,ミは実のことをさし,これが縮まってグミとなったといわれる(Wikipedia)。

 

賢治は,恋人がアメリカのシカゴで亡くなったあと暫くして「〔何と云はれても〕」(1927.5.3)という詩を作っている。その詩には「何と云はれても/わたくしはひかる水玉/つめたい雫/すきとほった雨つぶを/枝いっぱいにみてた/若い山ぐみの木なのである」(賢治,1985)とある。賢治が棘のある枝いっぱいに見ていた「ひかる水玉」,「つめたい雫」,「すきとほった雨つぶ」はみな法華経思想の譬喩であろう。

 

「(よしきりはなく なく/それにぐみの木だつてあるのだ)」という賢治の呟きには,恋人が遠く離れたところに連れ出してくれといっているが,わたしの頭の中には法華経思想が一杯詰まっていて「みんなのさいはひ」を願う気持も強くこの地を離れられないし,グミに棘があるように他人とくに女性を寄せ付けないところもあるのだという意味を含めているのだろう。

 

参考・引用文献

赤田秀子・杉浦嘉雄・中谷俊雄.1998.賢治鳥類学.新曜社.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

前ブログ,2021.植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く(4).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/05/191105

前ブログ,2025a.詩集『春と修羅 第一集』の詩「休息」で賢治はどこへ出かけたのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/12/09/085623

前ブログ,2025b.童話『ポランの広場』におけるシロツメクサの灯りの番号七千が意味するもの.

 

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.12.23

 

童話『ポランの広場』におけるシロツメクサの灯りの番号七千が意味するもの

 

ファンタジー童話『ポランの広場』は童話『ポラーノの広場』の先駆形で1924年4,5月に教え子が筆写稿したものとして残されていた。実際の制作年度はさらにその前と思われる。

 

この童話の中の「ポランの広場」は「お菓子だってオーケストラだっていくらでもある」,「ほんたうにいゝ所」として紹介されている。

 

この場所は,「つめくさ」の野原にあるという。夕方,「つめくさ」の花に灯りがついたとき,その灯りにある番号を七千番までたどっていくと見つかるということになっている。

 

童話の三章.「ポランの広場」に

「おい。たうとう見付けたよ。ポランの広場へ行きたかったら僕についておいで。僕ゆふべ六千二十七まで見付けておいたよ。そしてそこにしるしの棒を立てて来たんだ。七千が満点だからね,もうぢきなんだ。今夜ならもう間違いなくポランの広場に行けるさ。」とある。     (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「つめくさ」はマメ科の「シロツメクサ」(Trifolium repens L.;ホワイトクローバー)のことである。花は,長い柄の先にたくさんの蝶形花の小さな花が丸いぼんぼり状に集まってつく。咲き終わった花がいくつか茶色に変色し,見ようによっては数字にも見える。賢治にはこの茶色に変色した花が番号に見えたのかもしれない(第1図)。

 

第1図.茶色に変色したシロツメクサの花

 

賢治が童話で「シロツメクサ」につけた番号は,デンマークの天文学者のドライヤー(Johann Louis Emil Dreyer;1852-1926)が星雲や星団につけた番号と関係があると思われる。ドライヤーは1888年に7840個の星雲や星団などを収録した『NGCカタログ』(New General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars)を発表している。

 

童話『ポラーノの広場』(1927年以降)でも

野原のツメクサの花に「さう思へばさうといふやうな」文字のように現れる数字の番号を5000番まで数えていくと,「労働」と「芸術」が一体となった理想の広場(「ポラーノの広場」という共同体)に到達できるとされていた。そして,根本順吉(1990)はこの5000番はNGCの番号で言えばこぐま座のα星である「北極星(pole star)」に近い番号だと指摘していた。また,地上から見た銀河系の北極方向(銀河北極)に相当する「かみのけ座」にも近い。「かみのけ座」のα星の近くにはNGC 5024番の球状星団がある。

 

では,童話『ポランの広場』の7000番は何か。NGC7000は北アメリカ星雲(North America Nebula:散光星雲)である。

 

確かに,当時アメリカは「お菓子だってオーケストラだっていくらでもある」,「ほんたうにいゝ所」だったのであろう。「ポランの広場」も密がたくさんあって蜜蜂の「ぶんぶん」する羽音はオーケストラのようなものだ。

 

賢治もアメリカに憧れていたように思える。

 

賢治は,北海道旅行で,石灰岩末(炭酸石灰)が販売されていることを知って,東北の酸性土壌を改良して豊かな牧草地や耕地にするという夢を見たりもした。帰校後に書いた「修学旅行復命書」には,「これ酸性土壌地改良唯一の物なり。米国之を用ふる既に年あり。内地未だ之を製せず。早くかの北上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に自らなるクローバーとチモシイとの波を作り耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん。」と記している。

 

多分,賢治は結婚が両家の親や近親者たちによって反対されたとき,恋人と一緒にアメリカへ行くことも選択肢の一つとして考えたと思われる。

 

寓話『シグナルとシグナレス』(1923)に,以下のような〈シグナル〉と〈シグナレス〉の会話がある。

さあ今度は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました。

 月の光が青白く雲を照しています。雲はこうこうと光ります。そこにはすきとほって小さな紅火(べにび)や青の火をうかべました。しいんとしてゐます。

    (中略)

「シグナレスさん,ほんとうに僕たちはつらいねえ」

たまらずシグナルがそっとシグナレスに話しかけました。

「えゝ,みんなあたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて云ひました。

諸君,シグナルの胸は燃えるばかり,

「あゝ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね。」

「えゝ,あたし行けさえするなら,どこへでも行きますわ。

「ねえ,ずうっとずうっと天上にあの僕たちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね,あすこは遠いですねえ。」

「えゝ。」シグナレスは小さな唇(くちびる)で,いまにもその火にキッスしたさうに空を見あげてゐました。

「あすこには青い霧の火が燃えてゐるんでせうね。その青い霧の火の中へ僕たちいっしょにすわりたいですねえ。」

「えゝ。」

「けれどあすこには汽車はないんですねえ,そんなら僕畑をつくらうか。何か働かないといけないんだから。」

「えゝ」

                   (宮沢,1985)

 

この引用文は,結婚を反対され意気消沈した〈シグナル〉(=賢治)と〈シグナレス〉(=恋人)が,今度は胸をときめかせて遠い天上の青い霧の炎が燃えている星に駆け落ちしてしたいと願っている場面である。〈シグナル〉は結婚を反対され〈シグナレス〉を連れてみんなのいない遠いところへ行ってしまいたいと言っている。みんなのいないところは,「青い火」の燃えている遠い星と設定されている。また,「シグナルの胸は燃えるばかり」とあるように,〈シグナル〉は〈シグナレス〉を「青い星」に連れ出すことに心が燃えている。そして,そこで農業をする夢を描いている。〈シグナレス〉もその「青い星」にキッスしたいほどに憧れている。

 

〈シグナル〉の言う遠い小さな「青い星」が何処なのか。

 

その答えのヒントは

「ねえ,ずうっとずうっと天上にあの僕ぼくたちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね,あすこは遠いですねえ。」という言葉にある。〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡した約婚指環(婚約指輪のこと)は「琴座」の環状星雲のことである。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「琴座」のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものである(第1図)。宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってあるので「魚口星雲」のことである。すなわち,「青い霧の火」である「青い星」は琴座の環状星雲の上(北極星側)に位置している。つまり,白鳥座のα星(Deneb)の近くにある北アメリカ星雲である(第2図)。

 

第2図.琴座の環状星雲M57と白鳥座の北アメリカ星雲.

 

〈シグナル〉のいう「青い星」が「北アメリカ星雲」であることのより詳しい根拠は前ブログ(2023)で述べた。

 

もしかしたら,賢治と恋人はアメリカにクローバー畑を作って養蜂場でも作ろうとしたのかもしれない。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

根本順吉.1990. 自在に自然と遊んだ天才詩人-造語に秘められた知識.科学朝日 50(4):12-17.

前ブログ,2023.童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「青じろき火を点じつつ」とはどういう意味か (第1稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/02/12/093308

 

詩集『春と修羅 第一集』の詩「休息」で賢治はどこへ出かけたのか

 

詩「休息」の日付は大正11年(1922)5月14日となっている。この日は日曜日である。賢治はこの日,恋人とどこかへ出かけたようである。本ブログでは何処へ出かけたのか推測してみたい。

 

詩の全文は以下のようなものである。

そのきらびやかな空間の/上部にはきんぽうげが咲き/(上等の butter-cup(バツタカツプ)ですが/牛酪(バター)よりは硫黄と蜜とです)/下にはつめくさや芹がある/ぶりき細工のとんぼが飛び/雨はぱちぱち鳴つてゐる/(よしきりはなく なく/それにぐみの木だつてあるのだ)/からだを草に投げだせば/雲には白いとこも黒いとこもあつて/みんなぎらぎら湧いてゐる/帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ/ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く/あくびをすれば/そらにも悪魔がでて来てひかる/このかれくさはやはらかだ/もう極上のクツシヨンだ/雲はみんなむしられて/青ぞらは巨きな網の目になつた/それが底びかりする鉱物板だ/よしきりはひつきりなしにやり/ひでりはパチパチ降つてくる

                    (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

中頃にある「よしきりはなく なく」から最終詩句である「ひでりはバチバチ降ってくる」までの詩句は2人の旅先での熱烈な愛の営みが詠われている。「雲はみんなむしられて/青ぞらは巨きな網の目になつた」は賢治が翼をつけて空に逃げ出そうとしても捕まえられるという意味だろう。

 

出かけた場所を示すヒントは,出だしの「そのきらびやかな空間の」から始まる7行の中に隠されているように思われる。

 

「きんぽうげ」はキンポウゲ科(学名: Ranunculus)の植物の一群,またはそのうちの代表種であるウマノアシガタ(Ranunculus japonicus Thunb.)の別名でバターカップとも呼ばれるものである。ウマノアシガタの草丈は30~70cmで,日当たりの良い山野や土手に生える。花の色はバターのように光沢のある黄色でカップ状である(第1図)。

 

第1図.ウマノアシガタ(大磯町丘陵地で撮影)

 

「つめくさ」はマメ科の「シロツメクサ」(Trifolium repens L.;ホワイトクローバー)で,茎は地をはい,30cmくらいの高さまでなる(第2図)。明治期にオランダからの献上の器物の間に詰め物として使用されていたのが,最初の持込である。その後に牧草,緑肥,緑化用として輸入されたものが定着・分布拡大したと考えられている。ちなみに,シロツメクサはpHが6から7.5の土壌で生育するので,東北の酸性不良土の黒ボク土では生育困難と思われる。東北でシロツメクサの群落があるとすれば石灰岩末などで土壌改良された牧場あるいは畑やその畦と思われる。

 

「芹」はセリ科の「セリ」(Oenanthe javanica (Blume) DC.)で水田の畔道や湿地などに生える。高さは20 - 80cm。

 

「硫黄」(元素記号S)はキンポウゲの花と同じに黄色いが温泉の匂いがイメージされている。ちなみに,硫黄は無臭なので温泉の匂いとは硫化水素(化学式H2S)の匂いである。

 

「密」とはシロツメクサの花から発散される蜂蜜の匂いであろう。

 

第2図.シロツメクサとミツバチ(大磯町で撮影)

 

童話『ポラーノの広場』(1927年以降)の二章「つめくさのあかり」に「「おや,つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび,そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。」,「そのときわたくしは一つの花のあかしから,も一つの花へ移って行く黒い小さな蜂を見ました。「ああ,蜂が,ごらん,さっきからぶんぶんふるえているのは,月が出たので蜂が働きだしたのだよ。ごらん,もう野原いっぱい蜂がいるんだ。」」とある。

 

つまり,2人で出かけた場所はきらびやかな空間であり,硫黄(硫化水素)と蜂密の匂いが漂う賑やかな温泉街と思われる。その空間にはキンポウゲの咲く山あるいは丘陵地が見え周囲にはシロツメクサの群落がある牧場や養蜂場とセリが自生する川があるということになる。「ぶりき細工のとんぼ」は温泉街で売られているブリキ細工のオモチャかもしれない。

 

前述したように5月14日は日曜日である。詩「休息」と同じ日付の詩「習作」は賢治と恋人について記載されていた(前ブログ,2025)。多分,詩「休息」は2人で温泉に出かけたときのスケッチであろう。

 

詩「休息」は未定稿文語詩「〔なべてはしけく よそほひて〕」に対応するかもしれない。

 

なべてはしけく よそほひて/暁惑ふ 改札を/ならび出づると ふりかへる/人なきホーム 陸の橋/歳に一夜の 旅了へし/をとめうなゐの ひとむれに/黒きけむりを そら高く/職場は待てり 春の雨    (宮沢,1985)

 

澤口たまみ(2010)は,この文語詩をとりあげて賢治が大正11年(1922)の春に恋人と「一夜の旅」をしていると推測している。もしも詩「休息」とこの文語詩が対応しているとすれば,「〔なべてはしけく よそほひて〕」をスケッチしたのは5月15日(月)の朝の花巻駅と思われる。

 

この文語詩の先駆形は,

「フェルトの草履 美しくして/なべての指は 荒みたり/さもいたいけの をみなごの/オペラバックを 振れるあり/暁惑ふ 改札を/ならび過ぐると おのおのに/人なきホーム 陸の橋/まなこさびしく ふりかえる」(宮沢,1985)。

 

「なべてはしけく よそほひて」の意味は,澤口によれば「偶然に乗り合わせたように装って」だとしている。つまり,2人はオペラバックも愛らしい女性と,朝,偶然に乗り合わせたように装って,同じ汽車(あるいは電車)で帰ってきたといっている。当時,未婚の男女が肩を並べて歩いているだけで眉をひそめられてしまう時代であった(澤口,2010)。

 

では,賢治と恋人は5月14日(日)にどこの温泉地へ出かけたのであろうか。

逢瀬の候補の一つとして,

賢治研究家の米地文夫(2019)は,二人の逢瀬の場所として青森県の陸奥湾に面した浅虫温泉を候補にあげている。米地はこの時の逢瀬を振り返って詠んだ詩として詩集『春と修羅 第二集』のアイルランド風というメモ書きのある「島祠」(1924.5.23)をあげている。この詩には,「うす日の底の三稜島は/樹でいっぱいに飾られる・・・・鷗の声もなかばは暗む/そこが島でもなかったとき/そこが陸でもなかったとき/鱗をつけたやさしい妻と/かつてあすこにわたしは居た」(宮沢,1985)とある。「前世」では海の底で「人魚」(妖精;Nymph)を妻としていたかもしれないという切ない恋歌である。

 

この詩は賢治が生徒をつれて北海道へ修学旅行をした帰りに,浅虫温泉のすぐ沖に浮かぶ,「湯の島」(標高132m)を描いたものである。なお,詩「島祠」の下書稿では「三稜島」は「三角島」となっていた。島の形が「三角形」に見えたのだろう。

 

今でも,浅虫温泉から見える湯ノ島には弁財天を祀る祠がある。「島祠」を書いた日付は恋人が渡米する3週間前である。恋人を「妖精」の「人魚」に喩えたのは,文語詩・先駆形の「なべての指は 荒みたり」と同じで,恋人が蕎麦屋を営む実家の手伝いをしていて手が魚の鱗のように荒れていたからだと思われる。

 

ただ,当時,浅虫温泉は花巻から東北本線を使っても片道7時間以上(?)かかったと思われる。なぜなら,1924年5月23日の修学旅行の行程が,浜垣の調査によれば「午前4時20分に船は青森港着。6時15分青森発の列車に乗り,車中で陸奥湾の湯の島を見つつ,「島祠」をスケッチ。13時49分に花巻に着いた」(浜垣,2025)ということになっているから。だから,そんな遠い温泉地に「一夜の旅」として出かけるだろうかと言う疑問も残る。また,浅虫温泉は硫黄泉ではない。

 

近場なら小岩井農場周辺の温泉地が候補になる。硫黄泉もあり,小岩井農場には蜂蜜の匂いがする「シロツメクサ」の群生が見られると思われるからである。賢治は嗅覚が異常に過敏である(前ブログ,2025)。

 

詩「小岩井農場」(1922.5.21)パート七に「少しばかり青いつめくさの交つた/かれくさと雨の雫との上に/菩提樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて/さつきの娘たちがねむつてゐる」(宮沢,1985)とあり,パート三では「蜂凾の白ペンキ」の記載もある。つまり,当時,養蜂家が小岩井農場あるいはその近辺では「シロツメクサ」を蜜源として蜂蜜を採取していた。それを裏付けるものとして,藤原養蜂場は明治時代から雫石町の隣の盛岡市内で養蜂を始め,大正時代からは早池峰山麓を本拠地として盛岡市内及びその周辺に数ヵ所支場を持っていた。その一つに小岩井転地支場もあったという(藤原養蜂場HP,2025)。小岩井農場の南の雫石川,その支流域には繋温泉や鶯宿温泉などの硫黄泉の旅館もたくさんある。また,小岩井農場の北西には網張温泉が,南西には賢治がよく訪れたという「七つ森」(見立森316m,三角森299m,勘十郎森317m,稗糠森249m,鉢森342m,石倉森301m,生森348m)という小高い丘陵が連なる。また,「七つ森」の西北には標高1418mの「三角山」がある。

 

この「七つ森」を詠ったものに詩「第四梯形」(1923,9,30)がある。

青い抱擁衝動や/明るい雨の中のみたされない唇が/きれいにそらに溶けてゆく/日本の九月の気圏です/そらは霜の織物をつくり/萓(かや)の穂の満潮(まんてふ)/(三角山(さんかくやま)はひかりにかすれ)・・・・縮れて雲はぎらぎら光り/とんぼは萓の花のやうに飛んでゐる/(萓の穂は満潮/萓の穂は満潮)/一本さびしく赤く燃える栗の木から/七つ森の第四伯林青(べるりんせい)スロープは/やまなしの匂の雲に起伏し/すこし日射しのくらむひまに/そらのバリカンがそれを刈る

 

下線部内の「くらむ」は「目が眩む」と「暗む」の2つの意味がある。私はこの詩の創作時期が賢治と恋人の恋の破局の時期と重なることから,「やまなし」を恋人,「くらむ」を「暗む」と解釈して,この詩には失意の底にある恋人が表現されていると考えた。なぜなら,この詩の冒頭にあるように,賢治は近親者たちの反対に遭ったとき,「個人」の幸せ(青い抱擁衝動)を「みんな」の幸せ(きれいなそら)の中に溶かし込んでしまったからである(性衝動の昇華)。あやしい空のバリカンは「やまなし」(恋人)までも刈ってしまったのであろう。

 

つまり,小岩井農場周辺の温泉地は恋人との思い出の地なのかもしれない。

 

また,岩手県雫石あたりは遠いむかし深い海の底でもあった。雫石町の坂本川流域の新生代新第三紀中新世(2400万年前~510万年前)の地層からは,深海魚の化石が多数発見されている(岩手県立博物館,2020)。これは,詩「島祠」(1924.5.23)にある「鷗の声もなかばは暗む/そこが島でもなかったとき/そこが陸でもなかったとき」,つまり深い海の底であったとき「鱗をつけたやさしい妻と/かつてあすこにわたしは居た」を彷彿させるものである。賢治も大正5年(1916)夏に盛岡周辺の土性調査を行なっているのでそのことを知っていた可能性がある。もしかしたら,詩「島祠」は賢治が修学旅行の帰りに陸奥湾の「湯ノ島」(三角島)を見て詠ったものだが,賢治は三角形をした「湯ノ島」を見て過去の恋人と出かけた温泉地から見える「七つ森」の「三角森」や背後の「三角山」を思い出したのではないだろうか。

 

参考・引用文献

浜垣誠司.2025(調べた年).修学旅行詩群.https://ihatov.cc/series/shugaku.htm

岩手県立博物館HP.2020.化石の水族館.岩手県立博物館だより No164.https://www2.pref.iwate.jp/~hp0910/museum/tayori/data/164.pdf

藤原養蜂場HP.2025(調べた日付).藤原養蜂場の歴史.https://fujiwara-yoho.co.jp/about-us/history/

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

米地文夫.2019.宮沢賢治が描いた架空の島「山稜島」の手書き地形図.総合政策 20:1-11.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛の歌.盛岡出版コミュニティー.

前ブログ,2025.賢治の感覚過敏,特にバラ科の植物の「匂い」に敏感.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/06/15/091852

 

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.12.10

 

詩「習作」の「とらよとすれば・・・ことりはそらへとんで行く」が意味するもの

 

詩集『春と修羅 第一集』の詩「習作」(1922.5.14)は以下のようなものである。

 

キンキン光る

西班尼(すぱにあ)製です

(つめくさ つめくさ)

こんな舶来の草地でなら

黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい

と┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい

ら┃ ふくふくしてあたたかだ

よ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花

と┃ 秋には熟したいちごにもなり

す┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ

れ┃  立ちどまりたいが立ちどまらない

ば┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ

そ┃ みきは黒くて黒檀(こくたん)まがひ

の┃  (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)

手┃ このやぶはずゐぶんよく据えつけられてゐると

か┃ かんがへたのはすぐこの上だ

ら┃ じつさい岩のやうに

こ┃ 船のやうに

と┃ 据えつけられてゐたのだから

り┃ ……仕方ない

は┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ

そ┃ すぎなだ

ら┃ すぎなを麦の間作ですか

へ┃ 柘植(つげ)さんが

と┃ ひやかしに云つてゐるやうな

ん┃ そんな口調(くちやう)がちやんとひとり

で┃ 私の中に棲んでゐる

行┃ 和賀(わが)の混(こ)んだ松並木のときだつて

く┃ さうだ

 

この詩の頭(左側)にある「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」は,北原白秋作詞,中山晋平作曲の「恋の鳥」という歌の一部で,1919年の元日から東京の有楽座で公演された歌劇「カルメン」の劇中歌として,カルメン役の松井須磨子によって歌われたものである(原,1999)。

 

「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」は,舞台がスペイン(西班尼)である歌劇「カルメン」のカルメンを「ことり」になぞらえたものと思われるが,詩「習作」において「ことり」は賢治自身と思われる。つまり,恋人が賢治(=ことり)を捕らえようとすると,賢治は理想を求めて空へ飛んで行ってしまうということであろう。恋人が恋に積極的になると賢治は引いてしまうのだと思われる。なぜ,賢治は引いてしまうのか。

 

引いてしまう理由として考えられるのは自閉スペクトラム症(ASD)的な資質をもつ賢治の「こだわり」である。

 

そのことが詩の最後の詩句「柘植さんが/ひやかしに云つてゐるやうな/そんな口調がちやんとひとり/私の中に棲んでゐる/和賀の混んだ松並木のときだつて/さうだ」に現れている。

 

これは「冬のスケッチ」(1921年冬以降~翌年初め)の八葉にある「ここの並木の松の木は/あんまり混み過ぎますよ/あんまり枝がこみあって/せっかくの尾根の雪も/また,そら,あの山肌の銅粉も/なにもかもさっぱり見えないぢゃありませんか。/すこし間伐したらどうです。」に対応する。この詩は,和賀仙人の鉱山や湯田村へ通じる馬車鉄道と道路が併存する並木の景観を詠んだものとされている(三浦,2010)。賢治は,客車の窓からの眺望が妨げられるとクレームをつけている。 

 

なぜ,賢治は和賀の混んだ松並木にクレームをつけたのか。それは,賢治が景観に強い「こだわり」を持っているからだ。

 

賢治が北海道に生徒を連れて旅行したときの「修学旅行復命書」(1924)の中に「郷土古き陸奥の景象の如何に複雑に理解に難きや,暗くして深き赤松の並木と林,樹神を祀れる多くの古杉,楊柳と赤楊との群落,大なる藁屋根檜の垣根,その配合余りに暗くして錯綜せり。而して之を救ふもの僅 に各戸白樺の数幹,正形の独乙唐檜,閃めくやまならし 赤き鬼芥子の一群等にて足れり。」(宮沢,1985 下線は引用者 以下同じ)とある。

すなわち,郷土の「赤松の並木と林」や「樹神を祀る多くの古杉」を暗いと嘆き,景観の中にオニゲシなどの花卉や明るい樹肌と幹が直立するシラカバ,ヤマナラシ,およびシンプルな円錐形の樹形をもつドイツトウヒなどの樹木を取り入れることを主張している。賢治は,農業の実践の場でもある郷土の風景を西洋風の北海道的風景に変えようとしている。これは,賢治の景観に対する強い「こだわり」である。

 

賢治は詩「習作」で柘植さんの冷やかしの一例として「ほうこの麦の間に何を播いたんだ/すぎなだ/すぎなを麦の間作ですか」というのを紹介していた。つまり,手入れの悪い麦畑を皮肉っている。しかし,賢治の和賀の混んだ「松林」に対する「クレーム」は柘植さんが言う「ひやかし」とは異なる。柘植さんの「ひやかし」には皮肉つまり「悪意」が込められているが,賢治の「クレーム」には「悪意」は感じられない。賢治の「意識」の中に「棲んで」いるのは「ひやかし」ではなく悪意のないASDの人に特徴的な強い「こだわり」に基づく「クレーム」である。

 

以前,ASDの人は「こだわり」が強く,相手の顔の表情などから感情を読み取ることが苦手で,自分の思っていることをストレートに言ってしまうことがあるので,悪意がないにもかかわらず相手を怒らせてしまうことがある。ということを述べたことがある(前ブログ,2025a)。相手を冷やかしているのではない。

 

では,賢治を結婚から引かせてしまう「こだわり」とそれを後押しするものとは何か。

最初に,賢治と恋人に共通した「こだわり」について述べてみる。

2人に共通した「こだわり」は西洋文化を積極的に取り入れたいというものである。西洋文化に憧れ,古い封建制が色濃く残る土地から一刻も早く抜け出したい恋人が賢治を好いた理由の1つとも思われる。

 

だから,賢治は詩「習作」の冒頭で歌劇「カルメン」の中で歌われる「恋歌」になぞらえて「キンキン光る/西班尼(すぱにあ)製です/(つめくさ つめくさ)/こんな舶来の草地でなら/黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい」と詠ったのだ。賢治は農学校に教諭として就職した後,藤原嘉藤治と一緒にレコード鑑賞会を開催した。賢治は,そこで西洋の音楽を紹介した。多分,洋服を着て西洋文学や西洋文化について語ったのであろう。恋人はこのレコード鑑賞会に参加していてそのような賢治に好意をよせるようになったと思われる。そして,相思相愛の恋に落ちる。

 

しかし,賢治にはこれ以外にたくさんの強い「こだわり」があった。これらは,恋人との間に大きな溝を生じさせるものである。

 

1)結婚生活

賢治には理想的な妻というのがある。

昭和2年(1928)6月ごろ,賢治は結婚相手としての理想の女性像について親友の藤原嘉藤治に,「それは新鮮な野の食卓にだな,露のように降りてきて,挨拶を取り交わし,一椀の給仕をしてくれ,すっと消え去り,また翌朝やってくるといった女性なら,僕は結婚してもいいな。時には,おれのセロの調子はずれを直してくれたり,童話や詩を聞いてくれたり,レコードの全楽章を辛抱強くかけてくれたりすんなら申し分ない」(板谷,1992)と話したという。下線部はまるで家政婦のような女性である。賢治は,西洋文化を積極的に取り入れようとしたが,父と母の影響と思われるが,生活様式は古風で封建制を嫌ってはいなかった。宮沢家は家長でもある父・政次郎の権力が絶大で母・イチはそれに従っていた。そして,賢治はそれを見て育った。

 

一方,これは憶測だが,恋人はそのような教育は受けていなかったと思われる。『春と修羅 第二集』の詩「〔はつれて軋る手袋と〕」(1925.4.2)にそれをうかがわせる話が登場する。この詩には「かういふひそかな空気の沼を/板やわづかの漆喰から/正方体にこしらえあげて/ふたりだまって座ったり/うすい緑茶をのんだりする/どうしてさういふやさしいことを/卑(いや)しむこともなかったのだ/……眼に象って/かなしいあの眼に象って……あらゆる好意や戒(いまし)めを/それが安易であるばかりに/ことさらあざけり払つたあと/ここに蒼々うまれるものは/不信な群への憤りと/病ひに移化する疲ればかり」(宮沢,1985)と書かれてある。つまり,恋人は妻が夫に従属するのではなく,夫と妻は平等だと主張している。しかし,賢治は正方形の小さな家の中で「ふたりだまって座ったり/うすい緑茶をのんだりする」,つまり夫と妻は平等とする生活に憧れている恋人の願いに対して「卑しむ」ようなことをしてしまったと言っている。「卑しむ」とは見下すことである。

 

「戒め」には「あやまちのないように,前もってする注意」するという意味だが,「自由がきかないように,縛ったり閉じ込めたりする」という意味もある。つまり,恋人ははっきりと自分の意見が言える女性だったと思われる。

 

詩「小岩井農場」(1922.5.21)のパート四に「いま日を横ぎる黒雲は/侏羅や白堊のまつくらな森林のなか・・・いまこそおれはさびしくない/たつたひとりで生きて行く/こんなきままなたましひと/たれがいつしよに行けやうか」というのがある。この詩句の「きままなたましひ」の持ち主は恋人だと思われる。「きまま」とは「わがまま」という意味もあるが,自分の気持ちに従い,自由に振る舞うことである。この恋人の性格は恋人の母の影響と思われる。恋人の母は仙台藩の客分であったある高級武士の娘(姫君)である(佐藤,1984)。ただ,仙台藩は戊辰戦争で明治新政府軍に敗れ没落していた。そんな状況下でも,恋人の母が蕎麦屋を稼業にする夫に従順であったとは思えない。また,結婚に強く反対したのは恋人の母だったという。

 

お金の使い方も賢治と恋人ではまったく異なる。

賢治はあるだけみんな使ってしまうが,恋人は持っているお金を逆に増やそうとする。

 

『詩ノート』の 「〔わたくしどもは〕」(1927.6.1)には,「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました/その女はやさしく蒼白く/その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした/いっしょになったその夏のある朝/わたくしは町はづれの橋で/村の娘が持って来た花があまり美しかったので/二十銭だけ買ってうちに帰りましたら/妻は空いてゐた金魚の壼にさして/店へ並べて居りました/夕方帰って来ましたら/妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました/見ると食卓にはいろいろな菓物や/白い洋皿などまで並べてありますので/どうしたのかとたづねましたら/あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです」(宮沢,1985)と記載されている。

 

賢治は自由に自己主張する恋人について行けないところがあったような気がする。つまり引いてしまう。

 

2)「法華経」を基にして「みんなを幸い」にするということ

これが賢治の最も強い「こだわり」である。

詩「習作」にある「野ばらが咲いてゐる 白い花/秋には熟したいちごにもなり/硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ」の「ばらの実」は「法華経」の暗喩である。なぜ「ばらの実」が「法華経」なのかについては前ブログ(1921,2025b)で詳しく説明した。

「花が白くて足なが蜂のかたちなのだ/みきは黒くて黒檀まがひ」の「花が白くて足なが蜂のかたち」(第1図)は菩薩が頸に掛ける「瓔珞」(第2図)のイメージである。また,黒檀は仏壇などの仏具に使われる高級素材である。黒檀で作られた観音菩薩像もある。

 

第1図.モミジイチゴの花(A)とアシナガバチ(B).Aは公益財団法人船橋市公園協会の樹木図鑑より,Bは山梨県HPより.

 

第2図.瓔珞.写真は『新宮澤賢治語彙辞典』より.

 

詩「習作」にある「立ちどまりたいが立ちどまらない」「(あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)」とは,恋に夢中になっている賢治が「法華経」の修行に「立ちどまりたいが立ちどまらない」を考えてしまうと「(あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)」になってしまうということである。つまり,修行を怠ると罰なのかもしれないが,頭が痛くなるというのだ。

 

次に「このやぶはずゐぶんよく据えつけられてゐると/かんがへたのはすぐこの上だ/じつさい岩のやうに/船のやうに/据えつけられてゐたのだから……仕方ない」とある。

 

この詩句には頭が痛くなる理由が書かれてある。

 

その理由とは,「このやぶ」(=法華経の教え)が頭の中に岩のように,あるいは錨を下ろした船のようにしっかりと固定されているからだ。

 

恋人が2人だけの時間を多く取るように要求すれば賢治の「法華経」の修行に費やせる時間は少なくなる。つまり,賢治は「法華経」を基に「みんなを幸い」にするということに対して強い「こだわり」を持っているので,恋人が自分の考えを強く主張すると,賢治は自分の理想を求めて離れて行ってしまうということになる。つまり,とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く。

 

これも,柘植さんのような「冷やかし」で言っているのではない。賢治の強い「こだわり」や「白黒思考」がそう言わせているのだと思われる。

 

参考・引用文献

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

三浦 修.2010.宮沢賢治作品の「装景樹」と植生景観 : 「田園を平和にする」白樺,獨乙唐檜,やまならし.総合政策 .11 (2):127-149.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.

前ブログ.2021.植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/05/182423

前ブログ.2025a.ASDの人は悪意がないのに相手を怒らせてしまうことがある,賢治もそうか。https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/07/09/091413

前ブログ.2025b.ASDの人は難しい言葉を使う傾向がある,賢治もそうか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/08/29/090308

前ブログ.2025c.賢治の恋人はカサンドラ症候群のような状態になったのだろう.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/05/15/074108

 

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.12.4