不思議な体験、どうやったらできる?その前に話したいこと
今回は、たぶんこれ興味ある人いるんじゃないかなー? と思うので書くお話。
スピリチュアルな体験はどうやってする? どうしたらできる?
でも、夢を壊されたくない人は……ここで読むのをストップすることを推奨します。
スピリチュアル体験が起こる理由
見もフタもないけれどもそういう物事に縁があるから。その一言に尽きる。
だから、本人にその縁が無い場合、縁がある人や場所と繋がりを持つとか、そうすることで他者伝に繋がりを作ることも可能だ。
ただし。
その縁は本当に必要?
それは考えた方が良いことでもあると思う。
スピリチュアルな縁というのは、それに対する因縁を、過去世("自己"が抱え込んでいる魂の情報とそこから起因する課題)に抱えていて、それとのつながりや必要性があるからこそ、生きている中で自然と自らの世界に飛び込んでくるものだ。
その必要がなかったのに、わざわざ意図的に作り出すことに価値があると私は思わない。
人はそれぞれ自らに課題を持って生きている。その課題の邪魔になることは、あまり抱え込まないほうが良い……と、個人的には思ってしまう。
スピリチュアルに対する誤解
そもそも、ひとつの誤解があると個人的には思う。
スピリチュアル体験がある人の方が偉いとか、浄化が進んでいるとか、神様に好かれているとか、そんなふうにもし考えているとしたら、それは誤解である。
人それぞれ、縁も、それに伴う課題も、ただ異なっているだけ。
赤色が好きな人がいれば、青色が好きな人も、黄色が好きな人も、緑色が好きな人もいる。それと同じようなこと。
そこに、どっちの方が進んでいるとか遅れているとかは存在しないと私は思う。
スピリチュアルは人生を救わない
これは正確には、瞑想体験や超常現象は人生を救わない。と言う方が正確かもしれない。
たしかに中には有益な情報もある。
とくに、魂を磨くための方法とか、魂の課題を解決するための方法、魂の傷を避けるための方法というのは、有益だと思う。
また、運を上げる方法、下げる方法も、存在しないわけではない。
でも、少なくとも光を見たり霊と交信することが、幸せに繋がるわけではない。
また魂にとって良いというわけでもない。
当然、それが惑う理由になることもある。エゴを増幅させたり心を混乱させたり見失わせる理由にも充分になりうる。他の諸々と同様に。
スピリチュアルというのは、実際には特別な何かではなくて、私たちがご飯を食べたり、眠ったり、毎日働いたり、他者とコミュニケーションを取ったりすることとそう変わりがない、個人個人が歩む人生の一部でしかない。
私は、スピリチュアルに気を取られて人生を見失っている人よりも、日々社会の中で、自分の課題に向き合う人とか、自分のなすべきことをする人のほうが、ずっと自己の魂を見失わずに生きていると思う。
私自身は、このブログにも書いているように、いわゆるスピリチュアルとされるものとの距離がすごく近い。
代わりに、現代社会との距離感がすごくあるから、本音を言うと、社会の一員として役割を務められる人々に憧れを抱き、そうできない自分にもどかしさを覚えることもある。でも、これは私の個人的な無い物ねだりから起因する一時的な感情でしかない。
実際には、そういう現代社会の中に、自分の成すべきことがどうしても見つからないと感じる人も居ることは知っている。
そしてそういう人ほど、スピリチュアルに惹かれるということも。
確かに現代社会には、精神世界や魂の声に比重を置く人にとっての居場所が少ないことは私も感じている。
そういった人が、スピリチュアルに惹かれ、時にはスピリチュアルを騙る別のなにかに囚われてしまうのだろうとも感じている。
個人的には、現代社会に必要なのは選択肢だと思っている。
魂の声に比重を置いた生き方でも許される場所。息をしていられるところ。それが自由に選べる社会。
しかも、それは何も特別なものとか閉ざされている世界での話ではなくて、例えば会社員をするとか、農業をやるとか、大工さんになるとか、それと似たようなテンションで選べるような自然な社会。
それが欠けてしまっているせいで迷子になってしまう人や、今もわけがわからないままグッタリとしている人もいるかもしれない。
この世界にもうひとつの選択肢を作りたい。と、思ったりする……ここだけの話。